直径72メートルの円墳。甲斐銚子塚古墳に続く首長墓と考えられる。
丸山塚古墳(甲府市)とはどんな古墳か
丸山塚古墳は、甲府市下曽根町にある円墳です。直径は72メートル、高さは約11メートルで、山梨県内で最大の円墳とされています。銚子塚古墳の北東にあり、昭和5年(1930年)2月28日に「銚子塚古墳附丸山塚古墳」として国の史跡に指定されました。
明治40年(1907年)に頂上から竪穴式石室が見つかり、鏡や刀剣が出土したことで、古墳時代の墓だとわかりました。
丸山塚古墳(甲府市)の読み方と別名
丸山塚古墳(マルヤマヅカコフン)
甲府市下曽根町、銚子塚古墳の北東にある円墳。
銚子塚古墳附丸山塚古墳(チョウシヅカコフンツケタリマルヤマヅカコフン)
国指定史跡としての名称。銚子塚古墳に丸山塚古墳が附(つけたり)として加わる。
丸山塚古墳(甲府市)は誰の墓か
甲府市は、丸山塚古墳を「銚子塚古墳に続く首長の墓」と説明しています。個人名を示す資料は、確かめた公的資料にはありません。
江戸時代には、古墳は神霊の宿る場所として畏れられていました。天保11年(1840年)の郷民擁護碑には、敬えば福を招き、犯せば祟りがあると刻まれています。
甲府市の解説:銚子塚古墳に続く時代の首長
個人名は示されていない。
丸山塚古墳(甲府市)の大きさと形
直径は72メートル、高さは約11メートルです。山梨県埋蔵文化財センターは、全国的にも大きな円墳と紹介しています。全国遺跡報告総覧には、葺石と周濠があると記録されています。
直径:72メートル
高さ:約11メートル
丸山塚古墳(甲府市)はいつ作られたか
山梨県埋蔵文化財センターは、約1600年前、4世紀後半から5世紀前半に造られた円墳と紹介しています。全国遺跡報告総覧の記録では、時期は5世紀初頭です。
丸山塚古墳(甲府市)の場所と行き方(観光情報)
所在地は山梨県甲府市下曽根町です。銚子塚古墳とともに、県立考古博物館から歩いて行ける距離にあります。
丸山塚古墳(甲府市)の発見と調査の歩み
桑畑の耕作で見つかった竪穴式石室
明治40年(1907年)、当時の地主の松野伝四郎氏が、頂上を桑畑にするために耕していました。頂上中央、深さ約一尺五寸のところで石が見つかり、発掘すると竪穴式石室が現れました。
石室は幅三尺、高さ三尺、長さ二丈一尺と記録されています。漢鏡(青銅鏡)1面と刀剣数点が出土し、山梨県庁を経て東京帝国大学人類学教室に移されました。鏡は学術参考品として同大学が保管することになりました。
鏡と斧と埴輪、保存のための調査
全国遺跡報告総覧は、出土品として環状乳神獣鏡(東京大学所蔵)、鉄斧、刀、石製の腕飾り、埴輪を挙げています。墳丘には葺石と周濠があります。
保存事業にともなう発掘調査は、1983年から1984年にかけて行われました。
二つの石碑と、古墳を畏れる心
天保11年(1840年)、市川陣屋の小林藤之助らが浄照寺の住職と相談して、郷民擁護碑を建てました。古墳は村の所有となり、碑には神霊の宿る場所だと刻まれました。
明治42年(1909年)には、地主の松野伝四郎氏が丸山之碑を建てました。碑文は坪井正五郎が書いたものです。両碑は平成31年(2019年)2月25日に山梨県指定有形文化財(歴史資料)になりました。丸山之碑は、かつて墳頂に置かれていたそうです。
丸山塚古墳(甲府市)から出土したもの
鏡は東京大学の所蔵で、現地には置かれていません。
環状乳神獣鏡
1907年出土。東京大学所蔵。
鉄斧・刀・石製腕飾り
全国遺跡報告総覧に記録された副葬品。
埴輪
全国遺跡報告総覧に記録されている。
丸山塚古墳(甲府市)と関連する古墳
丸山塚古墳(甲府市)についてよくある質問
丸山塚古墳の大きさはどれくらいですか。
直径72メートル、高さ約11メートルの円墳で、山梨県内で最大です。
丸山塚古墳はどうやって見つかったのですか。
1907年(明治40年)、地主が頂上を桑畑にするために耕していて石を見つけ、竪穴式石室が確認されました。
丸山塚古墳と銚子塚古墳の関係は。
丸山塚古墳は銚子塚古墳の北東にあり、銚子塚古墳に続く首長の墓と考えられています。1930年に一緒に国の史跡になりました。
丸山塚古墳へはどう行きますか。
山梨県立考古博物館から徒歩4分です。博物館は甲府市下曽根町923にあります。
丸山塚古墳(甲府市)と併せて覚えたい言葉・用語
円墳()
平面が円形の古墳。
竪穴式石室()
墳頂から掘り下げた穴に石を積んで造る、棺を納める部屋。
葺石()
墳丘の表面に敷き詰めた石。
周濠()
墳丘のまわりを囲むように掘られた濠(ほり)。
丸山塚古墳(甲府市)の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。