推定直径約80メートルの大型円墳。全長16.7メートルの横穴式石室と漆塗木棺片、銅鋺。
八幡山古墳(行田市)とはどんな古墳か
八幡山古墳(行田市)の読み方と別名
読みは「ハチマンヤマコフン」です。
八幡山古墳(行田市)(ハチマンヤマコフンギョウダ)
同名の古墳と区別するため、市名を添えた表記。
八幡山古墳(ハチマンヤマコフン)
市名を省いた呼び方。
八幡山古墳(行田市)は誰の墓か
被葬者を示す資料は公表されていません。石室からは最高級の棺とされる漆塗木棺の破片や銅鋺が見つかっており、豪華な副葬品から有力者の墓であったことがうかがえます。
行田市の解説:示されていない
漆塗木棺の破片と銅鋺が出土している。
八幡山古墳(行田市)の大きさと形
墳丘は直径約80メートルの大型円墳と推定されています。石室の大きさが特に知られ、緑泥片岩と安山岩で築かれています。
墳丘:直径約80メートル(推定)の円墳
石室:全長16.7メートル、前室・中室・後室の3室
八幡山古墳(行田市)はいつ作られたか
行田市は、7世紀前半に造られた大型の円墳と説明しています。県の指定区分は史跡で、指定は1944年(昭和19年)3月31日です。
八幡山古墳(行田市)の場所と行き方(観光情報)
八幡山古墳
八幡山古墳の住所:埼玉県行田市藤原町1丁目27番2号
内部見学:外観は自由に見学できます。石室内部は土曜・日曜・祝日(年末年始を除く)の10時から16時に公開されています。
10名以上の団体は、見学日の3日前までに連絡すれば公開日以外も石室内部を見学できます。公開時間内に施錠されている場合は、行田市役所(048-556-1111)に連絡するよう案内されています。
八幡山古墳(行田市)の発見と調査の歩み
干拓工事で現れた石室
1934年(昭和9年)、約2キロメートル東にあった小針沼の干拓事業のために封土を崩したところ、石室が現れました。翌1935年に発掘調査が行われ、昭和52年から54年(1977〜1979年)には発掘調査と復元整備が行われて、現在の姿になりました。
秩父の石で築かれた三室の石室
石室は秩父地方から運ばれた緑泥片岩と安山岩で築かれています。南を正面とし、手前から前室・中室・後室と並びます。石舞台古墳に匹敵する大きさから「関東の石舞台」と呼ばれています。
八幡山古墳(行田市)から出土したもの
漆塗木棺の破片
最高級の棺とされる。石室から見つかった。
銅鋺
銅製の碗。豪華な遺物の一つとして出土した。
八幡山古墳(行田市)と関連する古墳
八幡山古墳(行田市)についてよくある質問
八幡山古墳はどこにありますか。
埼玉県行田市藤原町1丁目27番2号です。
石室の中に入れますか。
土曜・日曜・祝日(年末年始を除く)の10時から16時に石室内部が公開されています。外観は自由に見学できます。
なぜ「関東の石舞台」と呼ばれるのですか。
全長16.7メートルの石室が、奈良県明日香村の石舞台古墳に匹敵する大きさだからです。
何が出土しましたか。
漆塗木棺の破片と銅鋺などが見つかっています。
八幡山古墳(行田市)と併せて覚えたい言葉・用語
円墳()
円形に土を盛った古墳。
緑泥片岩()
緑がかった色の、薄くはがれやすい性質をもつ石。
封土()
石室や棺の上に盛った土。
八幡山古墳(行田市)の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。