盛り土を失い、巨石の石室がむき出しになった飛鳥のしるし。
石舞台古墳とはどんな古墳か
石舞台古墳はひとことで言えば石室がむき出しの古墳です。ふつう古墳は土の山ですが、この古墳は盛り土が失われ、石室を組んだ巨石がそのまま外にあらわれています。
奈良県は、墳丘が一辺約55メートルの方形であることを調査から確認しています。明日香村は「一辺約50メートルの大方墳」としており、数字にわずかな幅があります。周囲には幅5.9〜8.4メートルの空濠がめぐり、さらに外側に上面幅7メートルの堤があります。
石室は玄室と羨道からなる両袖式の横穴式石室で、全長は19.08メートル。天井石のうち手前の一枚は推定77トンにもなります。国営飛鳥歴史公園は、30数個の岩の総重量を約2,300トンとしています。
天井石の上面が広く平らで舞台のように見えることが、名前の由来です。
石舞台古墳の読み方と別名
読みは「いしぶたいこふん」です。
江戸時代の書物には、この古墳がすでに石をあらわにした姿で登場します。『和州旧跡考』には「その近き所に石太屋とて陵あり」と記され、1772年の本居宣長『管笠日記』には「嶋の庄といふ所には。推古天皇の御陵とて。つかのうへに岩屋あり。」とあります。
つまり少なくとも250年以上前から、この古墳は「土のない古墳」として知られていました。「石舞台」という呼び名は、1848年の『西国三十三所名所図会』にも絵入りで出てきます。
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
国と自治体が用いる正式な名。天井石が舞台のように見えることに由来する。
石太屋(いしぶとや)
江戸時代の『和州旧跡考』に見える古い呼び名。明日香村が紹介している。
桃原墓(ももはらのはか)
被葬者を蘇我馬子とする説にもとづく呼び方。日本書紀に見える墓の名。
石舞台古墳は誰の墓か
石舞台古墳の被葬者は確定していません。宮内庁の治定も受けていません。
ただし、有力な候補が一人います。蘇我馬子です。奈良県は、古墳の規模・築造時期・島庄という地域・先行する小古墳を壊して造営した点から、馬子の「桃原墓」である可能性が高いと説明しています。
根拠は三つあります。ひとつめは規模。7世紀前半にこれだけの石を動かせる人物は限られます。ふたつめは場所。石舞台古墳に隣接する島庄遺跡から、7世紀前半の大型の掘立柱建物と方形の池が見つかりました。日本書紀の推古天皇34年の条には、蘇我馬子が飛鳥川のそばに家を構え、庭に小池を設けたため嶋大臣と呼ばれたという趣旨の記述があります。文献と遺跡の場所・時期に対応が見られます。
みっつめは、他の古墳を壊して造られていることです。外堤の下から6世紀後半から末の小さな古墳が見つかっており、それらを潰して築かれていました。人の墓を潰して自分の墓を造れる立場の人物は、そう多くありません。
それでも「可能性が高い」までで、決着はしていません。
可能性が高いとされる説:蘇我馬子
規模・築造時期・島庄という土地・隣接する島庄遺跡の建物と池から。日本書紀の桃原墓にあたるとされる。
説の出どころ:蘇我馬子
明治末年に喜田貞吉が蘇我馬子桃原墓と推定したのが始まり。
江戸時代の言い伝え:推古天皇
本居宣長は1772年に「推古天皇の御陵とて」と記した。現在は支持されていない。
江戸時代の言い伝え:天武天皇
1848年の書物に「天武天皇を仮に葬り奉りし古趾なり」と記される。現在は支持されていない。
石舞台古墳の大きさと形
墳丘は一辺約55メートルの方形です。ただし、上部が方形だったのか円形だったのかはわかっていません。奈良県は「方墳であったのか、上円下方墳であったのか明らかではありません」としています。
見どころは石室です。玄室は長さ7.5メートル・幅3.48メートル・高さ4.70メートル。羨道は長さ11.5メートル・幅2.6メートル・高さ2.4メートル。合わせて石室全長19.08メートルになります。
天井石のうち手前の一枚は推定77トン。クレーンのない時代に、これを4メートル以上の高さまで持ち上げています。
墳丘の一辺:約55メートル(明日香村は約50メートルとする)
石室の全長:19.08メートル
玄室の大きさ:長さ7.5メートル・幅3.48メートル・高さ4.70メートル
羨道の大きさ:長さ11.5メートル・幅2.6メートル・高さ2.4メートル
天井石の重さ:手前の一枚が推定77トン
石の総重量:30数個で約2,300トン
空濠の幅:5.9〜8.4メートル
指定面積:12,317平方メートル
石舞台古墳はいつ作られたか
奈良県は「石舞台古墳の築造時期は、石室の構造等から7世紀前半と考えられます」としています。国営飛鳥歴史公園は「7世紀初め頃」としており、ほぼ同じです。
決め手は下に潰されている古墳です。外堤の下層から6世紀後半から末にかけての小さな古墳が見つかっており、それらより後に築かれたことがはっきりしています。
蘇我馬子が亡くなったのは推古天皇34年(626年)と日本書紀に記されます。石室から考えられる築造時期と大きく矛盾しないことも、馬子説を支える材料です。ただし、墓誌のように被葬者を直接示す資料は見つかっていません。
石舞台古墳の場所と行き方(観光情報)
石舞台古墳
石舞台古墳の住所:奈良県高市郡明日香村大字島庄・祝戸
交通:バス停「石舞台」下車 徒歩3分。近鉄飛鳥駅からバスまたはレンタサイクル
駐車場:あり(有料)
料金:一般・大学生500円(団体400円)、高校生から小学生200円(団体100円)
内部見学:入れる。石室の中まで見学できる
石室の中に入れる古墳は多くありません。羨道をくぐって玄室に立つと、四方を巨石に囲まれた空間の高さがそのまま実感できます。
国営飛鳥歴史公園の石舞台地区として整備されており、入場料がかかります。料金は令和8年4月1日から改定されています。
石舞台古墳の発見と調査の歩み
水田の中に天井石だけが見えていた
1933年、石舞台古墳は水田の中にありました。
奈良県によれば、当時の状況は水田の中に玄室の天井石だけがみえる状態でした。盛り土は羨道の天井の高さまで失われており、田んぼの真ん中に大きな石が突き出しているように見えたのです。
1933年と1935年の発掘調査で、墳丘の下部が方形であることが確認されます。さらに1962年と1984年の保存整備で、墳丘・空濠・外堤が掘り出され、いま見られる姿に復元されました。
いまの整った景観は、90年かけて掘り出したものです。
なぜ石がむき出しなのか
この古墳を訪ねた人がまず抱く問いが、なぜ土が無いのかです。
答えははっきりしていません。わかっているのは、江戸時代にはすでに石が露出していたということだけです。1751年の『古跡略考』、1772年の『管笠日記』、1848年の『西国三十三所名所図会』のいずれにも、石があらわになった姿が記されています。
自然に流れ落ちたのか、人が削り取ったのかは決まっていません。被葬者が蘇我氏であったために、意図的に暴かれたのだという言い伝えもありますが、これを裏づける記録はありません。
わからないまま「わからない」と書いておくのが、いまのところ正確です。
石棺は残っていない
石室の中に、棺はありません。
奈良県によれば、石室内からは凝灰岩の破片が出土しており、本来は家形石棺が安置されていたと推定されています。破片だけが残り、棺そのものは失われました。
玄室の床には、三方の壁際に開いた排水溝がめぐり、中央で小石を詰めた暗渠となって羨道を貫いています。水を抜く仕掛けが最初から組み込まれていたわけです。
玄室の奥壁は二段積み、側壁は三段積み。石の組み方まで外から見えるのは、盛り土を失ったこの古墳だからこそです。
石舞台古墳から出土したもの
石室はとうに開かれており、副葬品は残っていません。
この古墳から得られた情報のほとんどは、石そのものと、石室の下に埋もれていた古墳から出ています。
凝灰岩の破片
石室内から出土。もとは家形石棺が置かれていたと推定される根拠になっている。
排水溝
玄室の床の三方に開いた溝がめぐり、中央から暗渠となって羨道を貫く。
下層の小古墳
外堤の下から6世紀後半から末の小古墳が検出された。石舞台古墳がそれを潰して築かれたことを示す。
石舞台古墳と関連する古墳
石舞台古墳についてよくある質問
石舞台古墳は誰の墓ですか。
確定していません。奈良県は蘇我馬子の桃原墓である可能性が高いとしています。根拠は、規模、7世紀前半という時期、島庄という土地、そして隣接する島庄遺跡から日本書紀の記述に合う建物と池が見つかったことです。
石舞台古墳はなぜ石がむき出しなのですか。
はっきりした理由はわかっていません。江戸時代の書物にはすでに石が露出した姿が描かれており、少なくとも250年以上前から土は失われていました。
石舞台古墳の中に入れますか。
入れます。羨道から玄室まで見学できます。入場料は一般・大学生500円、高校生から小学生200円です。
石舞台古墳の大きさはどれくらいですか。
墳丘は一辺約55メートルの方形です。石室の全長は19.08メートル、玄室は高さ4.70メートルあります。天井石の手前の一枚は推定77トンです。
石舞台古墳はどこにありますか。
奈良県高市郡明日香村の大字島庄・祝戸です。バス停「石舞台」から徒歩3分です。
石舞台古墳と併せて覚えたい言葉・用語
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)
横から出入りできる通路(羨道)を持つ石室。あとから追加で葬ることができる。
玄室(げんしつ)
石室のいちばん奥の部屋。棺を置く場所。
羨道(せんどう)
玄室へ通じる通路。
方墳(ほうふん)
四角い形の古墳。
上円下方墳(じょうえんかほうふん)
下が四角、上が丸い形の古墳。数がきわめて少ない。
家形石棺(いえがたせっかん)
屋根の形をした蓋を持つ石の棺。
石舞台古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。