四神と十二支、そして東アジア最古級の天文図が描かれた壁画の古墳。
キトラ古墳とはどんな古墳か
キトラ古墳はひとことで言えば壁画の古墳です。直径十数メートルの小さな円墳ですが、石室の壁いっぱいに絵が描かれていました。
奈良県によれば、墳丘は下段の直径13.8メートル、上段の直径9.4メートル、高さ3.3メートルの二段築成の円墳です。南斜面を平らに削り、版築という土を突き固める技法で築かれています。
石室は二上山でとれた凝灰岩の切石18枚を組んだ横口式石槨。床を除くすべての壁面に、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)、獣の頭に人の体を持つ十二支像、天文図、日月像が描かれていました。
とくに天文図は、現存する精密な天文図として東アジアで最も古いものとされています。高松塚古墳では失われていた朱雀が残っていたことも、日本で初めての発見でした。
キトラ古墳の読み方と別名
読みは「きとらこふん」です。片仮名で書くのが正式で、明日香村も文化庁もこの表記を使います。
名の由来ははっきりしません。石室の北壁に玄武(亀と蛇)、西壁に白虎が描かれていることから「亀虎」とする説、周辺の地名「北浦」がなまったとする説などがあります。
由来がわからないまま名前だけが定着した、めずらしい古墳です。
キトラ古墳(きとらこふん)
国と自治体が用いる正式な表記。片仮名で書く。
亀虎古墳(きとらこふん)
名の由来を「亀(玄武)と虎(白虎)」に求める説にもとづく漢字表記。由来には北浦がなまったとする説などもあり、決着していない。
阿部山の古墳(あべやまのこふん)
所在地の小字名から呼ばれることがある。周辺一帯が阿部山と呼ばれる。
キトラ古墳は誰の墓か
キトラ古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定も受けていません。
明日香村は、被葬者を断定できないとしたうえで、重複しない人骨片が約15点出土したことから、熟年男性一人が埋葬されていた可能性が高いと説明しています。
候補として名の挙がる人物はいます。国営飛鳥歴史公園は、天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されていると説明しています。
ただしどれも決め手を欠きます。「いろいろな人物が想像されています」という言い方そのものが、確定していないことを示しています。
人骨からわかっているのは、熟年の男性が1人ということだけです。
想定される候補のひとつ:高市皇子
天武天皇の皇子。年代が近いことから名が挙がる。
想定される候補のひとつ:百済王昌成
渡来系の高官。壁画の様式が大陸に近いことから名が挙がる。
想定される候補のひとつ:阿部御主人
右大臣。周辺一帯の地名が「阿部山」であることを根拠とする。
明日香村の見解:断定できない
人骨から熟年男性1人と考えられるが、人物は特定できていない。
キトラ古墳の大きさと形
小さな古墳です。下段の直径が13.8メートル、上段が9.4メートル。高さは3.3メートルしかありません。指定されている面積も4,301平方メートルです。
石室はさらに小さく、内寸は長さ2.4メートル・幅1.04メートル・高さ1.14メートル。人ひとりが横たわる大きさです。天井には10センチメートルの彫り込みがあります。
大きさで人を集める古墳ではありません。この古墳の値打ちは、壁の絵に全部あります。
墳丘の直径(下段):13.8メートル
墳丘の直径(上段):9.4メートル
墳丘の高さ:3.3メートル
石槨の内寸:長さ2.4メートル・幅1.04メートル・高さ1.14メートル
指定面積:4,301平方メートル
キトラ古墳はいつ作られたか
奈良県は「これら古墳の特徴から、7世紀後半から末に造られた古墳と推定できます」としています。明日香村は「7世紀末から8世紀初頭頃」とし、少し幅があります。
古墳時代の終わりごろにあたり、こうした時期の古墳を終末期古墳と呼びます。大きな前方後円墳を造る時代は終わり、小さくても中身を凝らした古墳が造られるようになりました。
年代の手がかりは、石室の作り方(二上山産の凝灰岩の切石を組む横口式石槨)と、壁画の様式です。同じ時期の高松塚古墳と並べて考えられています。
同じ明日香村には、7世紀後半の八角墳である牽牛子塚古墳もあります。円墳のキトラ・高松塚と、八角墳の牽牛子塚。形の違いが、そのまま被葬者の格の違いを示していると考えられています。
キトラ古墳の場所と行き方(観光情報)
国営飛鳥歴史公園のキトラ古墳周辺地区として整備されています。国営飛鳥歴史公園は近鉄壺阪山駅から徒歩約15分と案内しています。
飛鳥駅とキトラを結ぶ周遊バスは休止中です。壁画実物の公開日、応募方法、当日受付の有無も回ごとに変わるため、訪問直前に文化庁の公開ページと公園の交通案内を確認してください。
キトラ古墳
キトラ古墳の住所:奈良県高市郡明日香村大字阿部山
交通:近鉄壺阪山駅から徒歩約15分。飛鳥駅とキトラを結ぶ周遊バスは休止中のため、最新の交通案内を確認
駐車場:あり(国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区)
料金:キトラ古墳壁画体験館「四神の館」は入館無料
内部見学:石室には入れない。取り外された壁画の実物は、期間限定公開でガラス越しに観覧できる
墳丘は復元されて芝に覆われており、外から見られます。
壁画は石室から取り外され、隣接する施設で保存されています。実物は期間を限って公開され、事前応募が基本ですが、空きがあれば二次応募や当日受付が行われる回もあります。ふだんは「四神の館」で高精細映像と原寸大の再現を見られます。
キトラ古墳の発見と調査の歩み
1983年、ファイバースコープが玄武を写した
キトラ古墳の名が知られるようになったのは、細い内視鏡を差し込んだ調査からでした。
1983年、ファイバースコープによる調査で石室の北壁に玄武が描かれていることが判明します。高松塚古墳に続く第2の壁画古墳として、大きな注目を集めました。
その後の探査で、玄武のほかに白虎・青龍・朱雀、そして天文図があることがわかります。高松塚古墳では失われていた朱雀が残っていたことは、日本で初めての発見でした。
2000年に特別史跡に指定され、調査と保存は文化庁へ引き継がれました。
天文図は東アジアで最も古い
キトラ古墳の天井に描かれているのは、単なる星の飾りではありません。
奈良県は「天文図は現存する精密な天文図としては東アジア最古のもの」としています。明日香村は、高松塚古墳の星宿図と違い、キトラ古墳のものは内規・外規・黄道・天の赤道などを描いた本格的な天文図である、と説明しています。
内規は一年中沈まない星の範囲、外規は見える星の限界、黄道は太陽の通り道、天の赤道は地球の赤道を空へ延ばした線です。円をいくつも重ねて天を測る図が、1300年前の石室の天井に描かれていました。
壁画をはがして守るという選択
壁画は、いまキトラ古墳の中にはありません。
石室内の環境が悪化し、壁画を残したままでは守れないと判断されたため、漆喰ごとはぎ取って運び出す作業が行われました。取り外された壁画は、隣接する施設で温度と湿度を管理して保存されています。
四神と天文図は国宝に指定されています。古墳から絵を持ち出してでも残す、という判断がなされた例です。
同じ問題は高松塚古墳でも起きました。あちらは石室そのものを解体して運び出しています。壁画古墳をどう守るかは、いまも答えの出ていない課題です。
キトラ古墳から出土したもの
石室は盗掘を受けており、副葬品の多くは失われています。残ったのは、盗掘坑から流れ込んだ土砂の中にあった破片でした。
木棺は杉材に漆を塗り固めたもので、一部には水銀朱も塗られていました。
四神の壁画
青龍・白虎・朱雀・玄武。朱雀が残っていたのは日本で初めての発見。国宝。
十二支像
獣の頭に人の体を持つ姿で描かれる。高松塚古墳には無い。
天文図
内規・外規・黄道・天の赤道を描く。現存する精密な天文図として東アジア最古とされる。
黒漆塗銀装大刀
主な副葬品のひとつ。
金銅製鐶座金具・銀環付六花形飾金具
木棺に付属していた飾り金具。
ガラス玉・琥珀玉
装身具として副葬されていた。
人骨
重複しない骨片が約15点。熟年の男性1人と考えられている。
キトラ古墳と関連する古墳
キトラ古墳についてよくある質問
キトラ古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。明日香村は「被葬者については断定できない」としています。人骨から熟年の男性が1人葬られていたと考えられ、高市皇子・百済王昌成・阿部御主人などの名が候補として挙がりますが、決め手はありません。
キトラ古墳の壁画は見られますか。
実物は石室から取り外して保存され、期間を限ってガラス越しに公開されます。事前応募が基本ですが、空きがあれば当日受付が行われる回もあります。通常は「四神の館」で高精細映像と原寸大の再現を無料で見られます。
キトラ古墳と高松塚古墳の違いは何ですか。
キトラ古墳には朱雀と十二支像があり、高松塚古墳にはありません。逆に高松塚古墳には男女の群像があり、キトラ古墳にはありません。天井の図も、キトラ古墳は本格的な天文図、高松塚古墳は星宿図です。
キトラ古墳はどこにありますか。
奈良県高市郡明日香村大字阿部山です。国営飛鳥歴史公園は近鉄壺阪山駅から徒歩約15分と案内しています。周遊バスの運行状況は訪問前に確認してください。
キトラという名前の由来は何ですか。
はっきりしていません。北壁の玄武(亀)と西壁の白虎から「亀虎」とする説、地名の「北浦」がなまったとする説などがあります。
キトラ古墳と併せて覚えたい言葉・用語
四神(しじん)
東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。方角を守るとされる四つの霊獣。
横口式石槨(よこぐちしきせっかく)
切石を組み、南側に横向きの入口を持つ小さな石室。終末期古墳に多い。
版築(はんちく)
土を薄く敷いては突き固めることをくり返して、硬い盛り土を造る技法。
終末期古墳(しゅうまつきこふん)
7世紀ごろ、古墳時代の終わりに造られた古墳。小型で中身に手が込む。
特別史跡(とくべつしせき)
史跡のうち、とくに価値が高いものとして国が指定したもの。
キトラ古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。