極彩色の女子群像で知られる、日本で最初に見つかった壁画古墳。
高松塚古墳とはどんな古墳か
高松塚古墳はひとことで言えば日本で最初の極彩色壁画古墳です。文化庁は1972年3月21日の発見を「我が国初めての極彩色の古墳壁画を発見」と記しています。
墳丘は二段築成の円墳で、奈良県によれば下段の直径約23メートル、上段の直径約17.7メートル、見かけの高さ8.5メートルです。石室は二上山産の凝灰岩の切石16枚を組んだ横口式石槨で、文化庁は内法を奥行2.6メートル・幅1.0メートル・高さ1.1メートルとしています。
壁面には星宿図・日月像・四神図・男女の群像が描かれていました。とくに西壁の女子群像は「飛鳥美人」の愛称でよく知られています。
壁画は1974年に国宝となりましたが、その後カビによる劣化が進み、石室そのものを解体して運び出すという前例のない方法で修理されました。
高松塚古墳の読み方と別名
読みは「たかまつづかこふん」です。「づ」は濁ります。
「高松」は所在地の小字名で、明日香村は所在地を平田字高松としています。塚は古墳を指す古い言い方です。
西壁の女子群像を指す「飛鳥美人」は愛称であって、古墳の名ではありません。切手や教科書で広まったため、古墳名と混同されることがあります。
高松塚古墳(たかまつづかこふん)
国と自治体が用いる正式な名。「たかまつずか」ではなく「たかまつづか」と濁る。
高松塚(たかまつづか)
所在地の小字名。明日香村は所在地を「明日香村平田字高松」としている。
飛鳥美人(あすかびじん)
西壁の女子群像に付けられた愛称。古墳そのものの名ではない。
高松塚古墳は誰の墓か
高松塚古墳の被葬者は特定されていません。宮内庁の治定も受けていません。
国営飛鳥歴史公園は「被葬者は特定されておらず、3つの主な説があります」と書いています。天武天皇の皇子とする説、臣下の高官とする説、渡来系の人物とする説などが挙げられますが、いずれも決め手を欠きます。
わかっているのは骨からの情報です。奈良県は、出土した人骨に環椎・下骨・臼歯などがあり、熟年男性の被葬者であったことがわかる、としています。
年代の側からは絞り込みが進みました。国営飛鳥歴史公園は、2005年の発掘調査によって築造が藤原京期(694年から710年)の間と確定したとしています。この時期に亡くなった有力者のうち誰か、という形まで問題は狭まっていますが、人物を決めるだけの材料は出ていません。
公園を管理する側の説明:特定されていない
主な説が三つあるとするが、人物名は特定されていない。
人骨からわかること:熟年の男性
環椎・下骨・臼歯などが出土し、熟年男性であったことがわかる。
高松塚古墳の大きさと形
墳丘は二段築成の円墳です。奈良県は下段の直径を約23メートル、上段を約17.7メートル、見かけの高さを8.5メートルとしています。国営飛鳥歴史公園は上段を18メートル、高さを5メートルとしており、公表されている数字にいくらか幅があります。
石室は小さく、文化庁の示す内法は奥行2.6メートル・幅1.0メートル・高さ1.1メートル。奈良県はこれをセンチメートルで長さ265.5・幅103.5・高さ113.4と記しています。
墳丘の周囲には幅2.5メートルの周溝がめぐります。墳丘を築くときにはムシロを敷いて版築が施されました。
墳丘の直径(下段):約23メートル
墳丘の直径(上段):約17.7メートル(国営飛鳥歴史公園は18メートルとする)
墳丘の高さ:見かけ8.5メートル(国営飛鳥歴史公園は5メートルとする)
石室の内法:奥行2.6メートル・幅1.0メートル・高さ1.1メートル
周溝の幅:2.5メートル
高松塚古墳はいつ作られたか
文化庁は「7世紀末から8世紀初めに築造された古墳」としています。
さらに国営飛鳥歴史公園は、2005年の発掘調査によって築造年代が藤原京期(694年から710年)の間と確定した、としています。日本で年代がここまで絞り込めている古墳は多くありません。
終末期古墳にあたり、キトラ古墳とほぼ同じ時期です。大きな前方後円墳を造る時代はとうに終わり、小さな円墳の中に大陸ゆずりの絵を描くという、まったく違う価値の置き方に変わっていました。
高松塚古墳の場所と行き方(観光情報)
近鉄飛鳥駅から徒歩12分。キトラ古墳・石舞台古墳と同じ国営飛鳥歴史公園の一部です。
国営飛鳥歴史公園は、リニューアル工事に伴い高松塚周辺地区駐車場を2026年9月1日から利用休止と案内しています。路線バスの停留所は継続予定です。時限情報なので、訪問前に公式の最新案内を確認してください。
高松塚古墳
高松塚古墳の住所:奈良県高市郡明日香村(明日香村は所在地を平田字高松とする)
交通:近鉄飛鳥駅から徒歩12分、またはバス停「高松塚」下車
駐車場:2026年8月31日まで利用可。2026年9月1日から高松塚周辺地区駐車場は利用休止予定
料金:高松塚壁画館は一般300円(団体250円)、大学・高校生130円(団体100円)、中学・小学生70円(団体50円)
内部見学:入れない。墳丘は復元されており外から見る
墳丘は復元されて芝に覆われ、外から見られます。壁画の実物は石室ごと運び出されて修理施設で保管されており、常時の公開はありません。
すぐ隣の高松塚壁画館で、原寸大の模写と発見当時の再現を見ることができます。
高松塚古墳の発見と調査の歩み
1972年、村人が掘った穴から始まった
高松塚古墳の壁画は、偶然に近い形で見つかりました。
文化庁は発見を1972年3月21日と記録しています。極彩色の古墳壁画が日本で見つかったのは、これが初めてでした。
発見の衝撃は大きく、翌1973年4月23日に古墳全体が特別史跡に指定され、1974年4月17日には壁画が国宝に指定されます。指定までわずか2年です。
その後、日本の古代史のイメージそのものが、この壁画によって塗り替えられました。教科書に載る飛鳥時代の服装は、多くがこの壁画にもとづいています。
壁に描かれていたもの
石室の壁面には、床と南壁を除くすべてに絵がありました。
四神図は東・西・北の壁にあります。北壁の玄武は、発見当時すでに亀と蛇の顔の部分が削り取られていました。南壁には本来朱雀が描かれていたと推定されますが、盗掘によって漆喰の残りが悪く、確認できていません。
東西の壁には青龍・白虎とともに、四人ずつの男子群像・女子群像が描かれています。西壁の女子群像が「飛鳥美人」です。
天井には星宿図。七宿ずつ東西南北に四角く配置し、中央に四輔を描きます。星は直径9ミリメートルほどの金箔を貼り付け、朱の線で結んでありました。東壁の青龍の上には金箔の日像、西壁の白虎の上には銀箔の月像があります。
石室を解体して運び出した
2002年、石室内の写真撮影によって、壁画を破損するおそれのある黒いカビの発生が確認されました。石室への雨水や虫の侵入も目立つようになり、保存環境の劣化が深刻な問題になります。
文化庁は2003年に緊急保存対策検討会、翌2004年に恒久保存対策検討会を設け、対策を検討しました。結論は、壁画の描かれている石室をいったん解体して移動し、修復するというものでした。
墳丘の発掘と石室の解体修理は2006年10月2日に始まり、翌年3月には国営公園内に修理施設が完成します。石室は解体して搬出され、施設へ移されました。現在は修理が終わり、施設内で保管されています。
古墳の中身を、古墳から出して守るという判断でした。
高松塚古墳から出土したもの
出土品は1974年に重要文化財に指定されています。
注目されているのは海獣葡萄鏡です。中国の唐の墓から出た鏡と同じ鋳型で作られたと考えられており、この古墳が大陸との行き来のただ中にあったことを、物として示しています。
極彩色壁画
星宿図・日月像・四神図・男女群像。1974年に国宝に指定された。
海獣葡萄鏡
直径16.8センチメートルの白銅製で中国製。中国・西安市の唐墓から出た鏡と同じ鋳型で作られた同笵鏡とされる。
漆塗木棺
身の底部だけが残り、長さ202センチメートル・幅57センチメートル。
金銅製の飾金具
木棺に付属した透飾金具・円形飾金具など。
銀装の大刀金具
銀製の山形金物。刀身は残っていない。
琥珀玉・ガラス玉
装身具として副葬されていた。
人骨
環椎・下骨・臼歯など。熟年の男性とわかっている。
高松塚古墳と関連する古墳
高松塚古墳についてよくある質問
高松塚古墳は誰の墓ですか。
特定されていません。人骨から熟年の男性とわかっており、築造は2005年の調査で藤原京期(694年から710年)と確定していますが、人物までは決まっていません。
高松塚古墳の壁画は見られますか。
実物は常設公開されていません。石室ごと運び出して施設で保管され、期間限定・事前応募制で修理作業室が公開される場合があります。通常は隣接する高松塚壁画館で原寸大の模写と再現を見学します。
高松塚古墳の壁画はいつ発見されましたか。
1972年3月21日です。文化庁はこれを「我が国初めての極彩色の古墳壁画を発見」と記録しています。
なぜ石室を解体したのですか。
2002年に壁画を破損するおそれのある黒いカビの発生が確認され、石室内で守ることが難しくなったためです。2006年から解体して運び出し、施設内で修理と保管を行っています。
高松塚古墳とキトラ古墳はどう違いますか。
高松塚古墳には男女の群像があり、キトラ古墳にはありません。逆にキトラ古墳には朱雀と十二支像があり、天井の図も本格的な天文図です。高松塚古墳の天井は星宿図です。
高松塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
星宿図(せいしゅくず)
星座を金箔と朱線で表した天井の図。二十八宿を東西南北に配置する。
漆喰(しっくい)
石灰を練って壁に塗る材料。壁画はこの上に描かれた。
海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)
獣と葡萄の唐草を組み合わせた文様の鏡。唐で流行した。
同笵鏡(どうはんきょう)
同じ鋳型から作られた鏡。どこと行き来があったかを知る手がかりになる。
国宝(こくほう)
重要文化財のうち、とくに価値が高いものとして国が指定したもの。
高松塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。