埼玉古墳群でいちばん小さい前方後円墳。いまも発掘調査が続いている。
愛宕山古墳とはどんな古墳か
埼玉県行田市にある前方後円墳です。特別史跡埼玉古墳群を構成する古墳のひとつで、群の中でいちばん小さい前方後円墳とされてきました。
奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧に載る早稲田大学の調査報告は、この古墳の遺跡所在地を「埼玉県行田市埼玉5206番イほか」としています。名は、墳頂に愛宕社が祀られていたことに由来すると伝えられ、愛宕塚古墳とも呼ばれます。
この古墳の面白いところは、いまも発掘が続いている現役の調査現場だということです。全国遺跡報告総覧には、埼玉県立さきたま史跡の博物館が令和3年度・令和5年度・令和6年度・令和7年度と、愛宕山古墳の発掘調査現地見学会の資料を出したことが記録されています。
文化庁は埼玉古墳群を令和2年(2020年)3月10日に特別史跡に指定し、面積を277270.5平方メートルとしています。
愛宕山古墳の読み方と別名
読みは「あたごやまこふん」です。愛宕は「あたご」と読みます。
注意がいるのは、愛宕山古墳という名の古墳が全国にいくつもあることです。愛宕社は火を防ぐ神を祀る社で、各地の小高い場所に建てられました。古墳の墳頂はちょうどよい高まりなので、そこへ社が置かれ、そのまま古墳の名になります。この図鑑では行田市の埼玉古墳群にあるものを指します。
早稲田大学の調査報告が「埼玉愛宕山古墳」と群の名を冠しているのも、区別のためです。群の「埼玉」は「さきたま」と読みます。
愛宕山古墳(あたごやまこふん)
墳頂に愛宕社が祀られていたことによる名。同じ由来の古墳名は各地にある。
愛宕塚古墳(あたごづかこふん)
別の呼び方。山と塚は、どちらも盛り上がった墓を指す言い方として使われる。
埼玉愛宕山古墳(さきたまあたごやまこふん)
早稲田大学の調査報告が用いる呼び方。同名の古墳と区別するため群の名を冠している。
愛宕山古墳は誰の墓か
葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁の解説文は埼玉古墳群全体の評価にとどまり、個々の古墳の被葬者については触れていません。この古墳は宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもなく、国の特別史跡として扱われています。
下調べの範囲では、埋葬施設は未調査とされています。発掘された範囲が狭いため古墳全体の形の復元も難しく、周濠は方形で二重にめぐると見られるとされます。
同じ群の稲荷山古墳では、棺の中から銘文を刻んだ鉄剣が出ました。この古墳では、まだ棺にたどり着いていません。ただし調査が続いているため、今後わかることが増える可能性はあります。
断定できない:わかっていない
特別史跡としての解説文は群全体の評価にとどまり、被葬者には触れていない。
宮内庁の治定は無い:治定はされていない
陵墓ではなく、令和2年に国の特別史跡となった埼玉古墳群の構成古墳である。
愛宕山古墳の大きさと形
この古墳ひとつぶんの数値を示す公式の記載は、確認できませんでした。文化庁が公表しているのは、埼玉古墳群という史跡全体についての情報です。
公式に確かめられるのは群としての数字で、面積277270.5平方メートル、前方後円墳8基と大型円墳1基および小型円墳群、時期は5世紀末から7世紀初頭とされています。
下調べでは、墳丘長54.7メートル、後円部径26.4メートル・高さ3.6メートル、前方部幅31.4メートル・高さ3.7メートルとされ、埼玉古墳群の中で最小の前方後円墳と伝えられます。ただし、これらを裏づける公式ページは確かめられませんでした。
同じ群の二子山古墳とくらべると、大きさの差は歴然です。前方後円墳が8基並ぶ群の中に、これだけの落差があります。
遺跡所在地:埼玉県行田市埼玉5206番イほか
埼玉古墳群の面積:277270.5平方メートル
特別史跡の指定年月日:2020.03.10(令和2.03.10)
愛宕山古墳ひとつの墳丘規模:公式には確認できませんでした
愛宕山古墳はいつ作られたか
文化庁は埼玉古墳群を「5世紀末から7世紀初頭にかけて大宮台地の先端に築かれた」古墳群としています。この古墳ひとつの時代・年代の欄は空欄です。
下調べでは、出土した円筒埴輪・朝顔形埴輪・大刀形埴輪・男子人物埴輪の形式から、6世紀の中頃と考えられています。二子山古墳より新しく、群としては後半の世代にあたります。ただし、この年代を示す公式の記載は確かめられませんでした。
人物埴輪が出ていることは、この年代の手がかりのひとつです。髪の結い方が判別できるものや、冑をかぶった武人の埴輪があったと伝えられます。人の形をした埴輪が墳丘に並ぶのは、古墳時代の後半に広まった風習です。
愛宕山古墳の場所と行き方(観光情報)
埼玉古墳群には、この古墳のほかに稲荷山古墳・丸墓山古墳・将軍山古墳・二子山古墳などが集まっています。歩いて回れる範囲に、大きな古墳がまとまって残っています。
1968年、当初は愛宕山古墳を発掘する予定だったといいます。ところが前方部が失われたうえ、残る後円部にも崩壊の危険があったため、代わりに稲荷山古墳が発掘されました。あの鉄剣は、その回り道の先で見つかったことになります。
愛宕山古墳(埼玉古墳群)
愛宕山古墳(埼玉古墳群)の住所:埼玉県行田市埼玉5206番イほか
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁が管理する陵墓ではなく、国の特別史跡です。ただし墳丘に登れるかどうかについての公式の記載は確認できませんでした
住所は、奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧に登録された調査報告の遺跡所在地です。文化庁が公表する埼玉古墳群の所在地は行田市までで、それより細かい住所は載っていません。
この古墳では、ほぼ毎年のように現地見学会が開かれています。全国遺跡報告総覧には、埼玉県立さきたま史跡の博物館が発行した見学会の資料が令和3年度から令和7年度まで記録されています。
愛宕山古墳の発見と調査の歩み
掘られなかった古墳、掘られた古墳
1968年、この古墳を発掘する計画がありました。ところが前方部がすでに失われており、残っていた後円部にも崩壊の危険があったため、代わりに稲荷山古墳が発掘されることになったと伝えられます。
そして稲荷山古墳の礫槨から、金の文字を象嵌した鉄剣が出ました。115文字の銘文を持つこの鉄剣は、のちに国宝となり、日本の古代史を書き換えるほどの資料になりました。
発掘の順番が入れ替わっただけで、歴史の見え方が変わりました。もし予定どおり愛宕山古墳が掘られていたら、鉄剣の発見は何年か遅れていたかもしれません。古墳の調査には、こうした偶然がついて回ります。
いまも掘られている古墳
この古墳は、過去のものではなく、現在進行中の調査対象です。
奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧には、埼玉県立さきたま史跡の博物館が発行した「特別史跡埼玉古墳群愛宕山古墳発掘調査現地見学会」の資料が、令和3年度・令和5年度・令和6年度・令和7年度と並んでいます。ほぼ毎年、掘っては見せているということです。
古墳の調査は、一度で終わるものではありません。久津川車塚古墳でも、史跡整備に向けた調査が続いています。掘る範囲を少しずつ広げ、そのたびに墳丘の形や規模の見方が変わります。この古墳の全体の形が復元しにくいとされてきたのも、調べた範囲が狭かったためです。
小さいことの意味
埼玉古墳群には、前方後円墳が8基あります。その中でいちばん小さいのがこの古墳です。
古墳の大きさは、葬られた人の立場をそのまま映すと考えられています。同じ群の中に、二子山古墳のような大きなものと、この古墳のような小さなものが並んでいる。同じ一族の中にも段差があったことが、形になって残っています。
墳頂には愛宕社が祀られていました。小さな古墳ほど、後の世に社や祠が置かれやすいという傾向があります。狛江古墳群では、古墳が富士塚として使われた例が記録されています。この古墳の名も、そうした後の世の使われ方から付きました。
愛宕山古墳から出土したもの
埋葬施設が調べられていないため、副葬品はわかっていません。知られているのは、墳丘に並べられていた埴輪です。
人物埴輪が出ていることは、この古墳の年代を示す手がかりになっています。髪の結い方が判別できるものや、冑をかぶった武人の埴輪があったと伝えられます。人の形をした埴輪が並ぶのは、古墳時代の後半の風習です。文化庁のデータベースには、この古墳ひとつの出土品としての登録はありません。
円筒埴輪
筒形の埴輪。墳丘に並べられ、形式から築造年代を絞る手がかりになっている。
朝顔形埴輪
口が開いた形の埴輪。円筒埴輪の列に一定の間隔で混ぜて立てられた。
大刀形埴輪
大刀をかたどった埴輪。武器や武具の形の埴輪は、墓を守る意味があったと考えられている。
男子人物埴輪
髪の結い方が判別できるものや、冑をかぶった武人の埴輪が出土したと伝えられる。
愛宕山古墳と関連する古墳
愛宕山古墳についてよくある質問
愛宕山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。埋葬施設が調べられておらず、宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもありません。文化庁の特別史跡の解説文にも、被葬者についての記載はありません。
愛宕山古墳はどこにありますか。
奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧には、遺跡所在地として「埼玉県行田市埼玉5206番イほか」が登録されています。特別史跡「埼玉古墳群」の中にあります。行き方は公式には確認できませんでした。
愛宕山古墳の大きさはどれくらいですか。
この古墳ひとつの数値は公式には確認できませんでした。下調べでは墳丘長54.7メートルとされ、埼玉古墳群で最小の前方後円墳と伝えられます。群全体の面積は文化庁が277270.5平方メートルとしています。
愛宕山古墳はいつ作られましたか。
文化庁は埼玉古墳群全体を5世紀末から7世紀初頭としています。この古墳については出土した埴輪の形式から6世紀中頃とされますが、公式ページでは確認できませんでした。
愛宕山古墳の名前の由来は何ですか。
墳頂に愛宕社が祀られていたことによると伝えられます。愛宕社は火を防ぐ神を祀る社で、各地の小高い場所に置かれました。そのため同じ名の古墳が全国にあります。
愛宕山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
人物埴輪(じんぶつはにわ)
人の形をかたどった埴輪。古墳時代の後半に広まり、髪型や持ち物から当時の姿がわかる。
朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)
口が開いた形の埴輪。円筒埴輪の列に一定の間隔で混ぜて立てられる。
現地見学会(げんちけんがくかい)
発掘中の現場を公開する催し。埋め戻される前の遺構をその場で見られる機会になる。
礫槨(れきかく)
棺のまわりに小石を詰めた埋葬施設。同じ群の稲荷山古墳で確認されている。
愛宕山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。