「狛江百塚」と呼ばれた多摩川左岸の古墳群。市街地の中に公園として残る。
狛江古墳群とはどんな古墳か
東京都狛江市に広がる古墳群です。狛江市は「狛江百塚」を「狛江に多くの古墳があったことを称した言葉」と説明し、昭和51年(1976年)の分布調査では、古墳と認められるものは51基あると判断されたと記しています。
市はさらに、駅前の再開発や小田急線の高架化にともなう発掘で古墳の周溝が見つかったことを挙げ、「市内には『狛江百塚』にふさわしい数の古墳があったと考えられます」と書いています。
別のページでは、この古墳群を都内でも有数の古墳群と位置づけています。古墳の多くは円墳で、亀塚古墳のような帆立貝形のものも含まれます。現在は亀塚古墳公園と猪方小川塚古墳公園が開園し、住宅地の中で見学できるようになっています。
狛江古墳群の読み方と別名
読みは「こまえこふんぐん」です。
この群には、もうひとつ古い呼び名があります。狛江百塚です。百という数は、実際に数えた結果ではなく、たくさんある、という意味の言い方です。
「コマエ」の地名が高麗(コマ)に似ていることから、かつてはこの群を渡来系の集団の古墳群とする説が広く支持されていました。狛江市は、その後の発掘によってこの説が覆されたことを、市のページではっきり書いています。
狛江古墳群(こまえこふんぐん)
狛江市が用いる名。市内に散らばる古墳をまとめて指す総称として使われている。
狛江百塚(こまえひゃくづか)
狛江市によれば、狛江に多くの古墳があったことを称した言葉。郷土史家の調査に由来する。
猪方小川塚古墳(いのがたおがわづかこふん)
群の中で初めて横穴式石室が確認された円墳。現在は公園として整備されている。
狛江古墳群は誰の墓か
葬られた人が誰かは、わかっていません。ただし、この群にはいったん定まりかけた説が公式に覆された、という珍しい経緯があります。
狛江市によれば、昭和26年6月に亀塚古墳が発掘され、中国製の「神人歌舞画像鏡」と、高句麗の古墳壁画に似た人物・龍・キリンの図像を彫った金銅製毛彫金具が見つかりました。調査を指導した大学の教授は、これらから被葬者を渡来系の氏族とする説を唱えました。
市は続けて、昭和62年・63年の弁財天池遺跡の発掘でこの説が覆されたと書いています。そこから3世紀末の方形周溝墓と、5世紀前半という市内で最も古い古墳が見つかったためです。
過去の学説。狛江市が公式に否定している:渡来系の氏族
亀塚古墳の副葬品から唱えられた説。弁財天池遺跡の発掘によって覆されたと市が明記している。
学術的な見方のひとつ:在地の首長
弥生時代末の方形周溝墓が見つかり、古墳時代以前からこの地に有力者がいたことが確かめられた。
狛江古墳群の大きさと形
群としての数は、狛江市が公表しています。昭和51年の分布調査で51基が古墳と認められました。市はさらに、調査の時点ですでに失われていた古墳も多いとして、百塚にふさわしい数があったと考えられるとしています。
個々の古墳では、亀塚古墳の大きさが公式に確かめられます。狛江市の広報は、これを「全長40メートルを超えるホタテ貝形の前方後円墳」と説明しています。現在残っているのは前方部のごく一部だけです。猪方小川塚古墳は「切石切組み積による複室構造の横穴式石室を有する円墳」と記録されていますが、数値は公式には確認できませんでした。
分布調査で古墳と認められた数:51基(昭和51年)
亀塚古墳の全長:40メートルを超えるホタテ貝形の前方後円墳
猪方小川塚古墳の形:切石切組み積による複室構造の横穴式石室を有する円墳
狛江古墳群はいつ作られたか
狛江市は、弁財天池遺跡の発掘で見つかった1号墳を「これまで市内で確認されていたどの古墳よりも古い、5世紀前半のもの」とし、あわせて出た方形周溝墓を3世紀末のものとしています。
市は、この発見によって狛江古墳群の出現時期がそれまで考えられていたより約半世紀ほど古いことが判明したと書いています。もとは5世紀後半とされ、周辺地域よりかなり遅いことが渡来系説の根拠のひとつになっていました。
猪方小川塚古墳については、奈良文化財研究所の記録に、周溝から9世紀の灰釉陶器が、墳頂からは中世の銅銭が出土し、平安時代や中世にも祭祀の場として再利用されたと考えられる、と記されています。
狛江古墳群の場所と行き方(観光情報)
狛江市の古墳は、市域の全域に散らばっています。埼玉古墳群のようにひとつの丘にまとまるのではなく、住宅地の中に点々と残るのが特徴です。
亀塚古墳公園
亀塚古墳公園の住所:元和泉1-21-12
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:駐車場はありません。車での来園はご遠慮ください、と狛江市が案内しています
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:公園として整備されています。狛江市によれば、残された前方部は盛土保存され、周溝の位置や幅は植栽で表示されています
狛江市は、この古墳を全長40メートルを超えるホタテ貝形の前方後円墳と説明しています。現在残されているのは前方部のごく一部です。
前方部の上には、発掘調査を記念して建てられた「狛江亀塚」の碑が立っています。市は「住宅地に囲まれた小さな公園です」として、近隣の迷惑になる行為は控えるよう呼びかけています。
猪方小川塚古墳公園
猪方小川塚古墳公園の住所:猪方3-21-29
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:駐車場はありません。車での来園はご遠慮ください、と狛江市が案内しています
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:午前9時から午後5時まで(10月から3月は午後4時30分まで)。夜間は施錠されます。休園日は年末年始(12月28日から1月4日)
狛江市は、この古墳を狛江古墳群の中で初めて具体的に確認された横穴式石室を持つ古墳としています。平成23年に発見されたのち、保存処理と復元・整備を経て公園になりました。覆屋のガラス越しに、実物の横穴式石室を見学することができます。
狛江古墳群の発見と調査の歩み
覆された渡来人説
自治体が自分のページで、かつて広く支持された説を否定している例は多くありません。狛江市は、この古墳群についての学説がどう変わったかを詳しく書いています。
きっかけは昭和26年の亀塚古墳の発掘でした。中国製の鏡と、高句麗の壁画に似た図像を彫った金銅製毛彫金具が出土し、被葬者を渡来系の氏族とする説が唱えられます。「コマエ」の地名が高麗に似ることも重なり、この説は広く受け入れられました。
覆したのは、昭和62年・63年の弁財天池遺跡の調査です。弥生時代末の方形周溝墓と、市内で最も古い5世紀前半の古墳が見つかりました。市は、畿内で渡来人移住の痕跡が認められるのは5世紀末と考えられるため、この時期の東国に渡来人が来たとは考えにくいと結んでいます。
住宅地の中の石室
猪方小川塚古墳は、一度所在がわからなくなり、もう存在しないと考えられていた古墳です。それが平成23年、住宅開発の際に偶然見つかりました。
狛江市は、保存と公開の方法を検討したうえで、平成30年度から石室の保存処理と復元・整備を進めたと書いています。奈良文化財研究所の記録では、切石を切り組んで積んだ複室構造の石室で、多摩川の中流・下流域では横穴式石室墳の数が限られるため貴重な事例だとされています。
開発で見つかった古墳が、そのまま公園になりました。令和2年4月に開園し、覆屋のガラス越しに実物の石室を見ることができます。
古墳が富士塚になった
狛江市の文化財ノートには、この土地の古墳がたどった、もうひとつの道が書かれています。富士講の話です。
富士講は、江戸時代中頃以降に江戸を中心に盛んになった富士信仰の結社で、富士山が拝める小山や塚に浅間社を迎え、それを富士塚と呼びました。市の記録によれば、狛江には二か所に富士塚があり、いずれも古墳だったようだが、今は何も残っていないとされています。
古墳が塚として残り、そこに江戸時代の信仰が重なり、そして宅地になって消えた。狛江百塚の多くは、こういう形で失われました。
狛江古墳群から出土したもの
狛江市は、亀塚古墳の発掘について「この古墳の中に遺骸とともに埋葬されていた数多くの豪華な副葬品の発見」が話題を呼んだと書いています。
ただし、これらの副葬品が渡来系説の根拠になり、その説はのちに覆されました。同じ出土品が、時期を変えて別の読み方をされたことになります。
神人歌舞画像鏡
亀塚古墳から出た中国製の鏡。狛江市が公式のページで名を挙げている。
金銅製毛彫金具
人物・龍・キリンの図像を彫った金具。高句麗の古墳壁画に似ることから渡来系説が唱えられた。
灰釉陶器と銅銭
猪方小川塚古墳の周溝から9世紀の焼き物が、墳頂から中世の銅銭が出土した。
狛江古墳群と関連する古墳
狛江古墳群についてよくある質問
狛江古墳群は誰の墓ですか。
わかっていません。かつては渡来系の集団の古墳群とする説が支持されていましたが、狛江市は弁財天池遺跡の発掘によってこの説が覆されたと明記しています。いまは在地の有力者の墓と考えられています。
狛江古墳群はどこにありますか。
東京都狛江市の全域に散らばっています。見学できるのは亀塚古墳公園(元和泉1-21-12)と猪方小川塚古墳公園(猪方3-21-29)です。
狛江古墳群にはいくつの古墳がありますか。
狛江市によれば、昭和51年の分布調査で古墳と認められたものは51基です。市は、調査の時点ですでに失われていた古墳もあり、「狛江百塚」にふさわしい数があったと考えられるとしています。
狛江古墳群はいつ作られましたか。
狛江市は、市内で最も古い古墳を5世紀前半のものとしています。7世紀まで古墳が造られ続けたと考えられています。
狛江古墳群の古墳に入れますか。
猪方小川塚古墳公園では、覆屋のガラス越しに実物の横穴式石室を見学できます。開園は午前9時から午後5時まで、10月から3月は午後4時30分までで、夜間は施錠されます。
狛江古墳群と併せて覚えたい言葉・用語
群集墳(ぐんしゅうふん)
小さな古墳が数多くまとまって造られたもの。有力者以外の層にも古墳が広がった時期に多い。
方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)
四角い溝で囲んだ弥生時代の墓。古墳の前の時代から有力者がいたことを示す。
帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん)
円い墳丘に短い前方部が付く形。前方後円墳より低い格とされることが多い。
切石積み(きりいしづみ)
形をそろえて加工した石を積む石室の造り方。自然石を積むより新しい技術とされる。
狛江古墳群の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。