115文字を刻んだ金錯銘鉄剣が出た、埼玉古墳群で最初の大型古墳。
稲荷山古墳とはどんな古墳か
稲荷山古墳はひとことで言えば鉄剣の古墳です。埼玉県行田市の埼玉古墳群にあり、埼玉県立さきたま史跡の博物館は「5世紀後半 前方後円墳 墳丘長120m」としています。
1968年(昭和43年)の発掘調査で、後円部から2基の埋葬施設が見つかりました。そのうち礫槨から、鏡や武具、馬具とともに、115の文字が刻まれた鉄剣が出土します。
これが金錯銘鉄剣です。博物館は「古墳時代の刀剣の銘文としては最も長文で、その内容も古代史を研究する上で重要な情報が含まれています」としています。
埋葬施設から出た遺物は、一括で国宝に指定されました。文字を刻んだ鉄剣が、関東の古墳から出たという事実そのものが大きな意味を持ちます。
この古墳は、埼玉古墳群で最初に造られた大型古墳でもあります。
稲荷山古墳の読み方と別名
読みは「いなりやまこふん」です。
注意が要るのは、全国に「稲荷山古墳」が数多くあることです。千葉県富津市、静岡県磐田市、兵庫県丹波篠山市、滋賀県高島市などにも同じ名の古墳があります。
鉄剣で知られるのは、埼玉県行田市の一基だけです。区別のため「埼玉稲荷山古墳」「さきたま稲荷山古墳」と呼ばれることがあります。
所在地の「埼玉」は、県名と同じ字を書いて「さきたま」と読みます。県名の由来になった地名です。
稲荷山古墳(いなりやまこふん)
埼玉県立さきたま史跡の博物館が用いる名。全国に同名の古墳が多い。
埼玉稲荷山古墳(さきたまいなりやまこふん)
他県の同名古墳と区別するための呼び方。
金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)
出土した鉄剣の名。古墳の名ではないが、この古墳とともに検索されることが多い。
稲荷山古墳は誰の墓か
稲荷山古墳の被葬者は特定されていません。宮内庁の治定を受ける古墳でもありません。
埼玉県立さきたま史跡の博物館の解説も、鉄剣を「世紀の発見」として紹介しますが、被葬者を誰と断定してはいません。
鉄剣に刻まれた115文字には、大王に仕えた人物の名と、その系譜が記されています。博物館は「その内容も古代史を研究する上で重要な情報が含まれています」としています。
ただし、銘文に名の見える人物が、この古墳に葬られた本人なのかどうかは、それ自体が議論の対象です。剣を賜った人物の墓であるという見方が広く行われていますが、確定していません。
後円部からは埋葬施設が2基見つかっています。どちらが主なのかという問題もあります。
博物館の説明:特定されていない
鉄剣の銘文を紹介するが、被葬者を断定していない。
稲荷山古墳の大きさと形
墳丘の全長は120メートル。埼玉県立さきたま史跡の博物館の一覧では、後円部の径62.6メートル・高さ10.4メートル、前方部の幅82.4メートル・高さ9.4メートル(推定)です。
周囲には二重の長方形の周堀がめぐります。円ではなく長方形の堀という点が、埼玉古墳群に共通する特徴です。
前方部はいちど土取りで失われていましたが、1997年からの発掘調査にもとづいて復原整備されました。いま見えている前方部は、掘って確かめた形にもとづいて造り直したものです。
墳丘の全長:120.0メートル
後円部の径:62.6メートル
後円部の高さ:10.4メートル
前方部の幅:82.4メートル
前方部の高さ:9.4メートル(推定)
鉄剣に刻まれた文字数:115文字
稲荷山古墳はいつ作られたか
稲荷山古墳の場所と行き方(観光情報)
さきたま古墳公園として整備されており、駐車場は無料です。博物館の案内では普通車295台、大型車33台、障害者用8台です。
JR行田駅から市内循環バスで「埼玉古墳公園」まで行けば、徒歩2分です。
稲荷山古墳(さきたま古墳公園内)
稲荷山古墳(さきたま古墳公園内)の住所:埼玉県行田市埼玉4834(埼玉県立さきたま史跡の博物館の所在地)
交通:JR吹上駅(北口)から朝日バス「産業道路」下車 徒歩約15分。JR行田駅(東口)から市内循環バス「埼玉古墳公園」下車 徒歩約2分
駐車場:さきたま古墳公園駐車場(無料・24時間利用可)。普通車295台、大型車33台、障害者用8台
料金:公園の散策は無料。博物館は一般200円、高校生・学生100円。開館は9時から16時30分(7月・8月は17時まで。入館は閉館30分前まで)
内部見学:墳丘の頂上に登れる。復原された礫槨を見ることができる
墳丘の頂上に登れます。博物館は「墳丘の頂上に登ることができ、復原された礫槨とともに、周囲の古墳を見渡せます」としています。
鉄剣の実物は、公園内の埼玉県立さきたま史跡の博物館で公開されています。休館日は原則として月曜日と年末年始ですが、祝日・振替休館や臨時変更があるため、訪問前に博物館の「利用案内」を確認してください。
稲荷山古墳の発見と調査の歩み
1968年、礫槨から鉄剣が出た
1968年(昭和43年)の発掘調査で、後円部から2基の埋葬施設が見つかりました。
そのうちの礫槨から、鏡・武具・馬具とともに一振りの鉄剣が出土します。このときは、それがどれほどの品かは誰も知りませんでした。錆びた鉄の剣にしか見えなかったからです。
文字が見つかったのは、後年の保存処理のときでした。エックス線で調べたところ、刃に金で象嵌された115の文字が現れます。
1968年の出土から10年後の1978年、保存処理に伴うX線撮影で銘文が見つかりました。博物館は、古墳時代の刀剣銘として最長であると説明しています。
出土品はまとめて国宝になった
稲荷山古墳の価値は、115文字の銘文を持つ鉄剣だけで完結しません。礫槨から同時に出た鏡・武具・馬具なども含め、埋葬施設の出土品が一括して国宝に指定されています。
一緒に納められた品を切り離さずに見ることで、被葬者がどのような武器や馬具を持ち、大王との関係をどう示したのかを考えられます。
有名な一振りだけでなく、出土した組み合わせ全体が5世紀後半の政治関係を伝える資料です。
稲荷山古墳から出土したもの
後円部の礫槨から出た遺物が、一括で国宝に指定されています。
鉄剣は全長73.5センチメートルで、表面57文字・裏面58文字、合計115文字です。銘文には「辛亥」の年紀、ワカタケル大王の名、剣の持ち主とみられる乎獲居臣の系譜と奉仕が記されます。銘文が被葬者の名を確定するわけではないため、「誰の墓か」とは分けて読みます。
金錯銘鉄剣
115文字を金で象嵌した鉄剣。古墳時代の刀剣の銘文としては最も長文。
鏡
礫槨から鉄剣とともに出土。国宝の一括指定に含まれる。
武具
同じく礫槨から出土。
馬具
同じく礫槨から出土。
稲荷山古墳と関連する古墳
稲荷山古墳についてよくある質問
稲荷山古墳は誰の墓ですか。
特定されていません。出土した鉄剣には大王に仕えた人物の名と系譜が刻まれていますが、その人物がこの古墳に葬られた本人かどうかも議論の対象です。
稲荷山古墳の鉄剣には何文字刻まれていますか。
115文字です。埼玉県立さきたま史跡の博物館は、古墳時代の刀剣の銘文としては最も長文としています。
稲荷山古墳はどこにありますか。
埼玉県行田市のさきたま古墳公園内です。JR行田駅から市内循環バス「埼玉古墳公園」下車 徒歩2分です。全国に同名の古墳が多いため、県名で区別してください。
稲荷山古墳に登れますか。
登れます。墳丘の頂上から、復原された礫槨と周囲の古墳を見渡せます。
鉄剣の実物は見られますか。
見られます。公園内の埼玉県立さきたま史跡の博物館で展示されています。観覧時間は9時から16時30分、7月と8月のみ17時までです。
稲荷山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
礫槨(れきかく)
棺の周りを小石で覆った埋葬施設。
象嵌(ぞうがん)
金属に溝を彫り、別の金属をはめ込んで文様や文字を表す技法。
周堀(しゅうぼり)
古墳の周りをめぐる堀。埼玉古墳群では長方形になる。
一括指定(いっかつしてい)
出土品をひとまとまりとして文化財に指定すること。