大型古墳9基が並ぶ、埼玉県で初の特別史跡。
埼玉古墳群とはどんな古墳か
埼玉古墳群はひとことで言えば関東を代表する古墳群です。埼玉県行田市にあり、埼玉県立さきたま史跡の博物館は「古墳群は5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた」としています。
2020年(令和2年)3月、学術上の価値が特に高いものとして、埼玉県内では初となる特別史跡に指定されました。1938年(昭和13年)の史跡指定から82年後のことです。
特別史跡に含まれるのは、稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、将軍山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳、そして小円墳群です。
最大は二子山古墳(前方後円墳、墳丘全長132.2メートル)。丸墓山古墳は径105.0メートルの円墳です。稲荷山古墳からは115文字を刻んだ金錯銘鉄剣が出土しました。
埼玉古墳群の読み方と別名
読みは「さきたまこふんぐん」です。「埼玉」を「さいたま」ではなく「さきたま」と読みます。
この地名が、埼玉県という県名の由来になりました。行田市埼玉(さきたま)という地名がいまも残り、博物館の所在地も「埼玉県行田市埼玉4834」です。
県名と地名が同じ字で、読みだけが違うという珍しい例です。
公園は「さきたま古墳公園」、博物館は「埼玉県立さきたま史跡の博物館」と、いずれも平仮名で書かれます。
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
「埼玉」を県名と同じ字で書き、「さきたま」と読む。県名の由来となった地名。
さきたま古墳公園(さきたまこふんこうえん)
古墳群を整備した公園の名。
埼玉古墳群は誰の墓か
埼玉古墳群の被葬者は特定されていません。
もっとも手がかりが多いのが稲荷山古墳です。1968年の調査で後円部から2基の埋葬施設が見つかり、そのうち礫槨から115文字を刻んだ鉄剣が出土しました。銘文には大王に仕えた人物の名と系譜が記されています。
ただし博物館は、この鉄剣を「世紀の発見」として紹介するにとどめ、被葬者を誰と断定してはいません。銘文に名の見える人物が、この古墳に葬られた本人かどうかは、それ自体が議論の対象です。
群全体としても、被葬者はわかっていません。宮内庁の治定を受ける古墳もありません。
わかるのは、5世紀後半から7世紀中頃まで、大型古墳が連続して築かれたということです。大宮台地の北端という同じ場所に、9基の大型古墳が並びます。同じ一族が代々ここに葬られたと考えられます。
博物館の説明:特定されていない
群全体としても、個々の古墳についても、被葬者を断定していない。
埼玉古墳群の大きさと形
博物館が、群の主な古墳の規模を一覧で公表しています。単位はメートルです。
最大は二子山古墳で、墳丘全長132.2、後円部径67.0・高さ11.7、前方部幅83.2・高さ13.7。次いで稲荷山古墳が120.0、鉄砲山古墳が107.6、将軍山古墳が90.0と続きます。
丸墓山古墳だけは円墳で、径105.0メートル・高さ17.2メートル。径では二子山古墳の後円部(67.0メートル)を大きく上回り、高さでも群で最も高くなります。
ほかに中の山古墳(推定79)、瓦塚古墳(73.4)、奥の山古墳(66.4)、愛宕山古墳(54.7)があります。
二子山古墳:前方後円墳・墳丘全長132.2メートル・後円部径67.0メートル・高さ11.7メートル
稲荷山古墳:前方後円墳・墳丘全長120.0メートル・後円部径62.6メートル・高さ10.4メートル
丸墓山古墳:円墳・径105.0メートル・高さ17.2メートル
鉄砲山古墳:前方後円墳・墳丘全長107.6メートル
将軍山古墳:前方後円墳・墳丘全長90.0メートル
瓦塚古墳:前方後円墳・墳丘全長73.4メートル
奥の山古墳:前方後円墳・墳丘全長66.4メートル
愛宕山古墳:前方後円墳・墳丘全長54.7メートル
埼玉古墳群はいつ作られたか
博物館は「古墳群は5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた」としています。
最初に造られたのが稲荷山古墳(5世紀後半)です。丸墓山古墳は6世紀初めとされます。
200年近くにわたって、同じ場所に大型古墳が築かれ続けました。
7世紀中頃といえば、奈良では終末期古墳の時代です。畿内では巨大な前方後円墳を造ることをやめていたころに、関東では大型古墳が造られ続けていたことになります。
中央と地方で、古墳の終わり方に時間差がありました。
埼玉古墳群の場所と行き方(観光情報)
JR行田駅から市内循環バスで「埼玉古墳公園」まで行けば、徒歩2分です。
9基の大型古墳が歩ける範囲にまとまっている古墳群は、全国でもここだけです。前方後円墳・円墳・小円墳群が同じ公園の中にあります。
埼玉古墳群(さきたま古墳公園・埼玉県立さきたま史跡の博物館)
埼玉古墳群(さきたま古墳公園・埼玉県立さきたま史跡の博物館)の住所:埼玉県行田市埼玉4834
交通:JR吹上駅(北口)から朝日バス「産業道路」下車 徒歩約15分。JR行田駅(東口)から市内循環バス「埼玉古墳公園」下車 徒歩約2分
駐車場:さきたま古墳公園駐車場(無料)。乗用車285台、バス33台、身障者用8台
料金:公園の散策は無料。博物館の観覧時間は9時から16時30分(7月1日から8月31日のみ17時まで)
内部見学:稲荷山古墳と丸墓山古墳は墳丘に登れる。将軍山古墳には展示館がある
駐車場は無料で、乗用車285台分あります。公園として整備されており、9基の大型古墳を歩いて回れます。
稲荷山古墳と丸墓山古墳は墳丘に登れます。将軍山古墳には展示館があり、石室の内部を見られます。
博物館の休館日は毎週月曜日と年末年始です。
埼玉古墳群の発見と調査の歩み
82年かけて特別史跡になった
石田三成が陣を張った丸墓山古墳
丸墓山古墳は径105.0メートル・高さ17.2メートルの円墳で、群のなかで最も高い古墳です。
この古墳には、古墳時代とは別の歴史があります。博物館は次のように書いています。
豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成は、忍城を水攻めにします。その際、城がよく見えるこの古墳の上に陣を張ったという伝承が残されています
1590年、忍城の水攻めのときです。近年の映画で広く知られるようになりました。
高さ17メートルの円墳は、周囲を見渡す物見台として使えます。同じことは各地で起きており、大阪の今城塚古墳や藤井寺市の津堂城山古墳も戦国時代に城として使われました。
古墳が1000年後に軍事施設として役立ったという例です。
9基がまとまって残った
埼玉古墳群の特徴は、大型古墳9基がまとまって残っていることです。
稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、将軍山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳。これに小円墳群が加わります。
多くの古墳群では、開発によって半分以上が失われています。大阪の百舌鳥古墳群でも、記録に残るだけで消えた古墳が少なくありません。
ここでは9基がそろって残り、さきたま古墳公園として整備されました。駐車場285台、入園無料。
古墳の形と大きさの移り変わりを、歩いて追える場所になっています。稲荷山古墳(5世紀後半)から中の山古墳(7世紀)まで、200年の変化がこの公園の中にあります。
埼玉古墳群から出土したもの
稲荷山古墳の埋葬施設から出た遺物が、一括で国宝に指定されています。実物は埼玉県立さきたま史跡の博物館で見られます。
群の他の古墳の出土品については、公式のページで個別の記載を確かめられませんでした。
金錯銘鉄剣
稲荷山古墳の礫槨から出土。115文字を金で象嵌する。
鏡・武具・馬具
稲荷山古墳の埋葬施設から鉄剣とともに出土。一括で国宝に指定されている。
将軍山古墳の石室
展示館で石室の内部を見ることができる。
埼玉古墳群と関連する古墳
埼玉古墳群についてよくある質問
埼玉古墳群は誰の墓ですか。
特定されていません。稲荷山古墳から出た鉄剣には大王に仕えた人物の名が刻まれていますが、博物館は被葬者を断定していません。
埼玉はなんと読みますか。
「さきたま」と読みます。埼玉県という県名の由来になった地名で、行田市埼玉(さきたま)という地名がいまも残ります。
埼玉古墳群にはどんな古墳がありますか。
稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、将軍山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳の9基と、小円墳群です。すべて特別史跡に含まれます。
埼玉古墳群に登れる古墳はありますか。
稲荷山古墳と丸墓山古墳は墳丘に登れます。将軍山古墳には展示館があり、石室の内部を見られます。
埼玉古墳群の駐車場はありますか。
あります。さきたま古墳公園駐車場は無料で、乗用車285台、バス33台、身障者用8台分です。
埼玉古墳群と併せて覚えたい言葉・用語
特別史跡(とくべつしせき)
史跡のうち、とくに価値が高いものとして国が指定したもの。全国で60件あまり。
大宮台地(おおみやだいち)
埼玉県中央部に広がる台地。埼玉古墳群はその北端にある。
小円墳群(しょうえんぷんぐん)
小型の円墳が集まった一群。埼玉古墳群では特別史跡に含まれる。
水攻め(みずぜめ)
城の周囲に堤を築き、水を引き入れて攻める戦法。