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埼玉県

二子山古墳(行田市)とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

二子山古墳  / フタゴヤマコフン

前方後円墳 6世紀

埼玉古墳群の中でいちばん大きい前方後円墳。二つの山に見えることが名の由来。

二子山古墳とはどんな古墳か

埼玉県行田市にある前方後円墳です。特別史跡埼玉古墳群を構成する古墳のひとつで、群の中では最大の前方後円墳とされています。

文化庁の国指定文化財等データベースは、埼玉古墳群を令和2年(2020年)3月10日に特別史跡に指定し、所在都道府県を埼玉県、所在地を行田市、面積を277270.5平方メートルと記しています。解説文はこの群を「5世紀末から7世紀初頭にかけて大宮台地の先端に築かれた、前方後円墳8基、大型円墳1基及び小型円墳群からなる我が国を代表する古墳群」と説明しています。

同じ群には、鉄剣の銘文で知られる稲荷山古墳、大型円墳の丸墓山古墳、そして将軍山古墳が並びます。その8基の前方後円墳の先頭に立つのが、この二子山古墳です。

名は、後円部と前方部が二つの山のように見えることに由来すると伝えられます。東側の裾にかつて観音寺があったことから「観音山」とも呼ばれました。

二子山古墳の読み方と別名

読みは「ふたごやまこふん」です。「にごやま」ではありません。

注意がいるのは、二子山古墳という名の古墳は全国にいくつもあることです。前方後円墳を横から見ると、二つのふくらみが並んで見える。だから、どこでも同じ名が付きます。この図鑑では行田市の埼玉古墳群にあるものを指します。

群の名の「埼玉」は「さきたま」と読みます。県名の「さいたま」の元になった地名で、文化庁のふりがなも「さきたまこふんぐん」です。

二子山古墳(ふたごやまこふん)

後円部と前方部が二つの山に見えることによる名。同じ名の古墳は各地にある。

観音山(かんのんやま)

もと東側の裾に観音寺があったことによる別の呼び方と伝えられる。

埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)

文化庁が特別史跡として指定している名称。ふりがなも「さきたまこふんぐん」で登録されている。

二子山古墳は誰の墓か

葬られた人が誰かは、わかっていません

文化庁の解説文は、埼玉古墳群全体を「我が国を代表する古墳群」と評価し、調査・整備・活用の取組を長期にわたり継続してきたことを記していますが、個々の古墳の被葬者については何も書いていません。

この古墳は宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもありません。同じ群の稲荷山古墳からは銘文を刻んだ鉄剣が出ましたが、二子山古墳では埋葬施設が調べられておらず、そうした手がかりがありません。年代を絞る材料は周濠から出た埴輪と須恵器であって、人の名を示すものではありません。

群の中で最大の前方後円墳を築ける立場の人物だった、というところまでしか言えません。

断定できない:わかっていない

特別史跡としての解説文は古墳群全体の評価にとどまり、被葬者には触れていない。

宮内庁の治定は無い:治定はされていない

陵墓ではなく、令和2年に国の特別史跡となった埼玉古墳群の構成古墳である。

二子山古墳の大きさと形

この古墳ひとつぶんの数値を示す公式の記載は、確認できませんでした。文化庁が公表しているのは、埼玉古墳群という史跡全体についての情報だからです。

公式に確かめられるのは、群としての数字です。面積277270.5平方メートル、前方後円墳8基と大型円墳1基および小型円墳群、時期は5世紀末から7世紀初頭。この群の中で最大の前方後円墳が二子山古墳です。

下調べでは、墳丘長132.2メートル、後円部径67.0メートル・高さ11.7メートル、前方部幅83.2メートル・高さ13.7メートルとされ、方形の二重周濠を持つと伝えられます。ただし、これらを裏づける公式ページは確かめられませんでした。

形については、稲荷山古墳や鉄砲山古墳と同じく大仙陵古墳に似た形とされています。

特別史跡の指定年月日:2020.03.10(令和2.03.10)

埼玉古墳群の面積:277270.5平方メートル

群の構成:前方後円墳8基、大型円墳1基及び小型円墳群

二子山古墳ひとつの墳丘規模:公式には確認できませんでした

二子山古墳はいつ作られたか

文化庁は埼玉古墳群を「5世紀末から7世紀初頭にかけて大宮台地の先端に築かれた」古墳群としています。この古墳ひとつの時代・年代の欄は空欄です。

下調べでは、周濠から出た埴輪や須恵器の特徴から、6世紀の前半に造られたと考えられています。同じ群の稲荷山古墳より新しく、将軍山古墳より古い位置にあたります。ただし、この年代を示す公式の記載は確かめられませんでした。

埼玉古墳群のおもしろさは、100年以上にわたって大きな古墳が造られ続けたことにあります。前方後円墳が8基も並ぶ群は多くありません。二子山古墳は、その連なりのちょうど真ん中あたり、いちばん勢いのあった時期の古墳ということになります。

二子山古墳の場所と行き方(観光情報)

埼玉古墳群には、この古墳のほかに稲荷山古墳・丸墓山古墳・将軍山古墳・愛宕山古墳などが集まっています。歩いて回れる範囲に、大きな古墳がまとまって残っています。

稲荷山古墳からは金の文字を象嵌した鉄剣が出ました。二子山古墳はそれらの間にあって、群でいちばん大きい前方後円墳として立っています。

二子山古墳(埼玉古墳群)

地図で開く

二子山古墳(埼玉古墳群)の住所:行田市

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:宮内庁が管理する陵墓ではなく、国の特別史跡です。ただし墳丘に登れるかどうかについての公式の記載は確認できませんでした

文化庁が公表する所在地は行田市までで、それより細かい住所は載っていません。同じ群の愛宕山古墳について、奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧には「埼玉県行田市埼玉5206番イほか」という所在地が記録されています。群全体が、行田市埼玉という地名の一帯にあります。

内堀は長らく水をたたえていましたが、墳丘外周の崩落が進んだため、水を抜いて空堀に戻す工事が進められていると伝えられます。

二子山古墳の発見と調査の歩み

  1. 前方後円墳が8基も並ぶということ
  2. 水をたたえた堀は、あとから
  3. 2023年に掘られた穴

前方後円墳が8基も並ぶということ

文化庁は埼玉古墳群を「前方後円墳8基、大型円墳1基及び小型円墳群からなる我が国を代表する古墳群」と説明しています。

大きな前方後円墳が8基もまとまって残っている場所は、そう多くありません。百舌鳥古墳群古市古墳群のような畿内の大古墳群を別にすれば、関東でこれだけそろう例は限られます。しかも造られた時期が5世紀末から7世紀初頭にわたるため、同じ一族の墓が代を追って並んでいる、という読み方ができます。

二子山古墳は、その8基の中で最大です。大王の墓が畿内にあった時代に、関東でこれだけの古墳を築ける勢力がいたという事実が、この群の値打ちです。文化庁は令和2年、この群を史跡から特別史跡へ格上げしました。

水をたたえた堀は、あとから

この古墳の内堀には水がたたえられていました。ところが調査の結果、もともとは水の無い空堀だったことがわかっています。

古墳の濠は、必ず水があるとはかぎりません。大仙陵古墳のように水をたたえるものもあれば、掘っただけで水を入れないものもあります。壇場山古墳の濠も、常時水をたたえない空濠だったとされます。

二子山古墳では、水があることで墳丘の裾が洗われ、外周の崩落が深刻になりました。そのため内堀の水を抜いて埋め立て、空堀に戻す工事が進められていると伝えられます。保存のために、造られたときの姿へ戻すという判断です。古墳は放っておけば残るものではありません。

2023年に掘られた穴

2023年1月、この古墳の頂上部分に2か所の穴が掘られているのが見つかりました。深さは最大で2メートルを超えるものもあったと伝えられます。

国の特別史跡は、文化財保護法によって守られています。許可なく現状を変えることはできません。それでも、こうしたことは起こります。

この図鑑で扱った古墳の中にも、盗掘に遭ったものは数多くあります。石のカラト古墳は中世に掘られ、副葬品の多くを失いました。ただしそれは何百年も前のことです。特別史跡になったあとで穴が掘られるというのは、また別の話になります。埋葬施設が未調査のこの古墳では、失われたものが何であったかを確かめる手立てもありません。

二子山古墳から出土したもの

埋葬施設が調べられていないため、副葬品はわかっていません。稲荷山古墳のように棺の中から鉄剣が出た、という話はこの古墳にはありません。

知られているのは、周濠から出た埴輪です。1メートルを越える円筒埴輪が多数見つかったと伝えられ、大きな古墳にふさわしい規模の埴輪が並んでいたことがうかがえます。文化庁のデータベースには、この古墳ひとつの出土品としての登録はありません。

円筒埴輪

周濠から1メートルを越えるものが多数出土したと伝えられる。築造年代を絞る手がかりになっている。

須恵器

灰色の硬い焼き物。埴輪とあわせて、6世紀前半という年代の根拠とされている。

造り出し

西側のくびれ部に付く張り出し。出土品ではないが、祭りの場と考えられている施設。

二子山古墳と関連する古墳

同じ時代・地域 同じ古墳群・形 比較対象 学説・治定の違い

二子山古墳についてよくある質問

二子山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。埋葬施設が調べられておらず、宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもありません。文化庁の特別史跡の解説文にも、被葬者についての記載はありません。

二子山古墳はどこにありますか。

文化庁は所在都道府県を埼玉県、所在地を行田市としています。特別史跡「埼玉古墳群」の中にあり、稲荷山古墳や丸墓山古墳と同じ一帯です。詳しい住所や行き方は公式には確認できませんでした。

二子山古墳の大きさはどれくらいですか。

この古墳ひとつの数値は公式には確認できませんでした。下調べでは墳丘長132.2メートルとされ、埼玉古墳群で最大の前方後円墳と伝えられます。群全体の面積は文化庁が277270.5平方メートルとしています。

二子山古墳はいつ作られましたか。

文化庁は埼玉古墳群全体を5世紀末から7世紀初頭としています。二子山古墳については、出土した埴輪や須恵器から6世紀の前半と考えられていますが、公式ページでは確認できませんでした。

二子山古墳の名前の由来は何ですか。

後円部と前方部が二つの山のように見えることによると伝えられます。もと東側の裾に観音寺があったことから「観音山」とも呼ばれました。同じ名の古墳は各地にあります。

二子山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

特別史跡(とくべつしせき)

国の史跡のうち、とくに価値が高いと認められたもの。埼玉古墳群は令和2年に格上げされた。

周濠(しゅうごう)

墳丘のまわりを取り巻く濠。水をたたえるものと、水の無い空堀のものがある。

造り出し(つくりだし)

くびれ部などに付く方形の張り出し。供え物を並べて祭りを行った場と考えられている。

円筒埴輪(えんとうはにわ)

筒の形をした埴輪。墳丘の各段に並べられ、形の変化から築造年代を絞る手がかりになる。

二子山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁