鶴舞公園の中に残る、東海地方最大とされる円墳。
八幡山古墳とはどんな古墳か
愛知県名古屋市昭和区山脇町一丁目にある円墳です。名古屋市は、直径82メートル、高さ10メートルの規模を誇る東海地方最大の円墳とし、大正8年(1919年)に鶴舞公園へ編入され、昭和6年に国の史跡に指定された、としています。
文化庁のデータベースも、指定年月日を1931年5月11日、所在都道府県を愛知県、所在地を名古屋市昭和区山脇町一丁目としています。
名古屋市は、この古墳を5世紀前半に名古屋台地を支配した豪族の墳墓とみられるとしています。出土した埴輪などは戦災で失われました。八幡山という名は、御器所八幡宮の奥宮が墳頂にあったことによります。円墳としては、埼玉県行田市の丸墓山古墳とよく比べられる一基です。
八幡山古墳の読み方と別名
読みは「はちまんやまこふん」です。文化庁のデータベースも、ふりがなを「はちまんやまこふん」としています。
名の由来は、墳頂にあった御器所八幡宮の奥宮です。名古屋市は「八幡山の名は、御器所八幡宮の奥宮があったからで、いろいろ神事がおこなわれたとも伝わっています」と記しています。古墳が「山」として呼ばれ続けてきたことが、そのまま名になった例です。
なお、八幡山古墳という名の古墳は各地にあり、区別するために「名古屋市」と添えて呼ばれます。
八幡山古墳(はちまんやまこふん)
文化庁のデータベースが用いるふりがなは「はちまんやまこふん」。名古屋市も同じ読みを添えている。
八幡山(はちまんやま)
古墳の通称。御器所八幡宮の奥宮が墳頂にあったことから、山として呼ばれてきた。
八幡山古墳(名古屋市)(はちまんやまこふん)
同名の古墳が各地にあるため、市名を添えて区別することがある。埼玉県行田市にも八幡山古墳がある。
八幡山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
名古屋市は、この古墳について「5世紀前半に名古屋台地を支配した豪族の墳墓とみられ、出土した埴輪などは戦災で失われました」としています。立場は推し量れても、名前を当てる手がかりは失われている、ということです。
この古墳は宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っていません。文化庁のデータベースは、これを国の史跡として登録しています。そのため調査は可能なはずですが、正式な発掘は行われておらず、埋葬施設の姿もわかっていません。
手がかりが乏しい理由は二つあります。正式な発掘が行われないまま公園として整備されたこと、そして出土したと伝えられる埴輪が戦災で失われたことです。同じ愛知県の志段味古墳群や東之宮古墳では調査が進んでいます。
学術的な見方のひとつ(人物名は特定されていません):名古屋台地を支配した豪族
5世紀前半に名古屋台地を支配した豪族の墳墓とみられる、と記す。人物名は挙げていない。
陵墓ではなく、国の史跡として扱われている:宮内庁の治定は無い
指定年月日を1931年5月11日、所在地を名古屋市昭和区山脇町一丁目とする。
八幡山古墳の大きさと形
名古屋市は、この古墳を直径82メートル、高さ10メートルの規模を誇る東海地方最大の円墳としています。円墳としては、全国でも上位に入る大きさです。
同じ名古屋市の史跡散策路のページには、近くの一本松古墳についての記載もあります。名古屋工業大学の構内にあり、現状では直径36メートル、高さ8メートルの円墳ですが、本来は全長70メートルから80メートルの前方後円墳ではないかといわれる、とされています。同じコースの中に、大きさの違う二つの円墳が並んでいることになります。
埋葬施設の位置や構造については、公式のページで確かめられた記載がありませんでした。正式な発掘が行われていないためです。
墳丘の直径:82メートル
墳丘の高さ:10メートル
所在地:名古屋市昭和区山脇町一丁目
史跡の指定年月日:1931年5月11日(昭和6年5月11日)
八幡山古墳はいつ作られたか
八幡山古墳の場所と行き方(観光情報)
名古屋市の史跡散策路「鶴舞公園・古墳コース」は、地下鉄鶴舞駅から鶴舞公園、八幡山古墳、一本松古墳、吹上公園を経て地下鉄荒畑駅にいたる道筋を紹介しています。
名古屋市は、吹上公園のあたりにもかつて茶臼山古墳・太郎塚古墳があったが、現在は形跡もないと記しています。
八幡山古墳(名古屋市)
八幡山古墳(名古屋市)の住所:名古屋市昭和区山脇町一丁目
交通:名古屋市の史跡散策路「鶴舞公園・古墳コース」は、地下鉄鶴舞駅を起点に、鶴舞公園、八幡山古墳、一本松古墳とたどる道筋を示しています
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁の陵墓ではなく国の史跡ですので、陵墓のような立ち入り禁止の扱いは受けていません。鶴舞公園の中にあり、公園として歩くことはできますが、墳丘そのものに登れるかどうかは、名古屋市の公式のページでは確認できませんでした
住所は、文化庁のデータベースが記す名古屋市昭和区山脇町一丁目です。名古屋市の屋外広告物の禁止地域の一覧も、八幡山古墳の所在の場所を昭和区山脇町一丁目としています。
古墳は鶴舞公園の中にあります。名古屋市は、鶴舞公園を市の中央部にあってJR・地下鉄鶴舞駅に隣接する、市内で最も歴史のある公園としています。駅を降りてすぐの公園の中に、直径82メートルの円墳があるという立地です。
八幡山古墳の発見と調査の歩み
戦争が奪った、出土品と頂上
名古屋市は、この古墳について「出土した埴輪(はにわ)などは戦災で失われました」と、はっきり書いています。
何が出たのかを伝える現物が、いまは残っていないということです。埴輪は年代を決めるいちばんの手がかりですから、これが失われた影響は小さくありません。この古墳の築造時期が5世紀前半とされながら、それ以上細かく言えないのは、そのためでもあります。
古墳そのものは残っても、そこから出たものが失われれば、わかることは大きく減ります。会津大塚山古墳のように出土品337点がまとまって重要文化財に指定された例と比べると、この差ははっきりします。
公園の中の史跡という立ち位置
この古墳は、大正8年(1919年)に鶴舞公園へ編入されました。国の史跡に指定されたのは、その12年後の昭和6年です。
公園に編入されてから、史跡になったという順序に注目してください。多くの古墳は、まず史跡に指定されてから保存の方法が決まります。この古墳の場合は、公園として使われる場所になったあとで、その中の史跡という位置づけが与えられました。
そのため、この古墳は「訪ねる場所」であると同時に、「日常の風景」でもあります。名古屋市の史跡散策路のページは、鶴舞公園を桜の名所として紹介したうえで、その一角にある古墳を案内しています。埼玉県の丸墓山古墳が埼玉古墳群という古墳ばかりの公園にあるのとは、性格がずいぶん違います。
一本松古墳との、もうひとつの謎
名古屋市の史跡散策路のページは、八幡山古墳のすぐあとに一本松古墳を挙げています。名古屋工業大学の構内にあり、現状では直径36メートル、高さ8メートルの円墳です。
ところが名古屋市は、この古墳について「本来は全長70mから80mの前方後円墳ではないかといわれています」と記しています。いま円墳に見えるものが、もとは前方後円墳だったかもしれない、ということです。円筒埴輪が多数出土しました。
同じことは、奈良市の市庭古墳でも起きています。あちらは前方部が平城宮の造営で削られ、長く円墳と思われていました。前方部は低く造られることが多いため、削られたり埋まったりすると気づかれにくいのです。
八幡山古墳から出土したもの
この古墳から何が出たのかは、ほとんどわかっていません。名古屋市は「出土した埴輪(はにわ)などは戦災で失われました」としています。
正式な発掘調査が行われていないため、記録そのものが限られています。残っているのは、埴輪が出たという伝えと、直径82メートルという墳丘の大きさだけです。古墳が守られても、出土品まで守られるとは限らない、という例です。
形象埴輪
人や道具などをかたどった埴輪。出土したと伝えられるが、戦災で失われた。
朝顔形円筒埴輪
口が朝顔のように開いた円筒埴輪。同じく出土したと伝えられるが、現存しない。
墳丘
直径82メートル、高さ10メートル。名古屋市は東海地方最大の円墳としている。
八幡山古墳と関連する古墳
八幡山古墳についてよくある質問
八幡山古墳(名古屋市)は誰の墓ですか。
わかっていません。名古屋市は5世紀前半に名古屋台地を支配した豪族の墳墓とみられるとしていますが、人物名は挙げていません。宮内庁の陵墓でもありません。
八幡山古墳(名古屋市)はどこにありますか。
文化庁は所在地を名古屋市昭和区山脇町一丁目としています。鶴舞公園の中にあり、名古屋市の史跡散策路は地下鉄鶴舞駅を起点とする道筋を示しています。
八幡山古墳(名古屋市)の大きさはどれくらいですか。
名古屋市は直径82メートル、高さ10メートルとし、東海地方最大の円墳としています。
八幡山古墳(名古屋市)はいつ作られましたか。
名古屋市は5世紀前半としています。ただし出土した埴輪は戦災で失われており、それ以上細かく年代をしぼることはむずかしくなっています。
八幡山古墳(名古屋市)の中に入れますか。
陵墓ではないため宮内庁による立ち入り制限はありません。鶴舞公園の中にあり公園として歩けますが、墳丘に登れるかどうかは名古屋市の公式のページでは確認できませんでした。
八幡山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
円墳(えんぷん)
上から見て丸い形の古墳。日本の古墳ではいちばん数が多い形。
国の史跡(くにのしせき)
国が歴史上重要と認めて指定した土地。宮内庁の陵墓とは別の枠組みで、調査ができる。
朝顔形円筒埴輪(あさがおがたえんとうはにわ)
筒の上部が朝顔の花のように開いた埴輪。円筒埴輪の列に混ぜて並べられる。
墳丘(ふんきゅう)
古墳の盛り土の部分。円墳では直径と高さで大きさをあらわす。
八幡山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。