熱田神宮が日本武尊の陵と伝える、名古屋市熱田区の前方後円墳。
白鳥古墳とはどんな古墳か
愛知県名古屋市熱田区にある前方後円墳です。熱田神宮では「白鳥御陵」と称し、日本武尊の陵として伝えてきました。能褒野に葬られたのち白鳥となって飛び去ったという言い伝えに基づくものです。
考古学では、被葬者を尾張の首長とみる見方が有力です。天保8年の台風で墳丘の木が倒れ、石室が姿を現したことがあり、そのときに記録された副葬品の絵が三種類伝わっています。勾玉、六鈴鏡、馬具、直刀、須恵器などが描かれています。
名古屋市は1989年に『白鳥古墳 第Ⅱ次発掘調査報告書』を刊行しており、奈良文化財研究所の全国文化財総覧で公開されています。かつては法持寺が管理し、明治9年からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移りました。
白鳥古墳の読み方と別名
読みは「しろとりこふん」とも「しらとりこふん」とも言われます。奈良文化財研究所の全国文化財総覧に載る名古屋市の報告書では、ふりがなが「しらとりこふん」です。
注意が要るのは、名古屋市内に同じような名の古墳がいくつもあることです。文化庁の志段味古墳群の欄には、白鳥塚古墳、東谷山白鳥古墳、白鳥古墳群という名が並びます。いずれも守山区にあり、熱田区のこの古墳とは別のものです。
大阪府羽曳野市には、日本武尊の陵として治定された白鳥陵古墳もあります。「白鳥」は、日本武尊の言い伝えに結びついた名なので、各地に現れます。
白鳥古墳(しろとりこふん)
名古屋市の発掘調査報告書のふりがなは「しらとりこふん」。二つの読みが行われている。
白鳥御陵(しろとりごりょう)
熱田神宮が用いる呼び方。日本武尊の陵として伝えられてきたことによる。
東谷山白鳥古墳(とうごくさんしらとりこふん)
名古屋市守山区にある別の古墳。文化庁の志段味古墳群の欄に載る。名が紛らわしい。
白鳥古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
熱田神宮の社伝では、日本武尊の陵とされています。能褒野に葬られたのち白鳥となった日本武尊が、この地に降り立ったという言い伝えに基づくものです。北へ約300メートルにある断夫山古墳を「陀武夫御墓」と称して日本武尊の妃の墓とし、いまも毎年5月8日に、二つの古墳で御陵墓祭が行われています。
いっぽう考古学では、被葬者を尾張の首長とみる見方が有力です。6世紀初頭に築かれたとされる古墳の年代と、副葬品の性格からです。
宮内庁が日本武尊の陵として治定しているのは、大阪府羽曳野市の白鳥陵古墳です。堺市の一覧には「白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)」が約200メートル、大阪府羽曳野市軽里として載っています。同じ人物の墓とされる古墳が、離れた場所に複数あることになります。
断定できない:わかっていない
名古屋市の発掘調査報告書が公開されているが、被葬者を確かめた記載は見あたらない。
宮内庁の治定は別の古墳:日本武尊の陵は大阪府羽曳野市にも
堺市の一覧に「白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)」が大阪府羽曳野市軽里、約200メートルとして載る。
白鳥古墳の大きさと形
この古墳の墳丘の長さを記した公式のページは、確かめられませんでした。
前方部の南端は道路の建設で、後円部の東側は鳥居の建設で、西側は法持寺の移転改築で削られており、もとの形をとどめていないためです。測った年代によって数字が変わります。
参考として、文化庁の志段味古墳群の欄には、名古屋市守山区の白鳥塚古墳が墳長115メートルで愛知県下3位の規模、東谷山白鳥古墳が直径17メートルの円墳と記されています。ただし、これらは守山区の別の古墳です。熱田区のこの古墳の数字ではありません。
発掘調査報告書:『白鳥古墳 第Ⅱ次発掘調査報告書』1989年3月31日、名古屋市教育委員会
墳丘の長さ・高さ:公式には確認できませんでした
(別の古墳)守山区の白鳥塚古墳:墳長115メートル、愛知県下3位の規模
(別の古墳)東谷山白鳥古墳:直径17メートルの円墳
白鳥古墳はいつ作られたか
築造は、6世紀の初頭と考えられています。墳丘には須恵質の円筒埴輪がめぐらされていました。
須恵器と同じ焼き方をした埴輪が使われているのは、この時期の特徴です。5世紀までの野焼きの埴輪と違い、窯で高い温度で焼かれた硬いものになります。
愛知県では、犬山市の東之宮古墳が3世紀から4世紀、名古屋市守山区の志段味古墳群が4世紀前半から6世紀末にかけて営まれています。文化庁は志段味古墳群の時代を古墳前期中葉から後期末としています。この白鳥古墳は、尾張の古墳が終わりに向かう時期のものです。
白鳥古墳の場所と行き方(観光情報)
愛知県には、犬山市の東之宮古墳、青塚古墳、名古屋市守山区の志段味古墳群があります。この古墳は、その中でもっとも市街地に近い場所にあります。
名古屋市が1989年に刊行した発掘調査報告書は、奈良文化財研究所の全国文化財総覧で読むことができます。
白鳥古墳
白鳥古墳の住所:愛知県名古屋市熱田区白鳥1丁目2
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁の陵墓ではありません。名古屋市が管理しており、法持寺のすぐ隣、白鳥公園に接した場所にあります。墳丘に立ち入れるかどうかについて、公式ページでの記載は確認できませんでした。
名古屋市の「史跡・名勝・標札一覧」は、白鳥古墳(白鳥御陵)の所在地を白鳥1丁目2としています。町名だけでなく丁目・番地まで市の資料で確認できるため、その表記を掲載しています。
目印になるのは、隣にある法持寺と、接している白鳥公園です。公園の堀川側の入口の横には、本居宣長がこの地を訪れて詠んだとされる歌の碑が建っています。北へ約300メートルには断夫山古墳があります。
白鳥古墳の発見と調査の歩み
台風が石室を開けた
天保8年8月14日、台風で墳丘の木が倒れ、内部の石室が露わになりました。
『尾張名所図会』の附録によれば、石室は全長約3.7メートル、全幅1.2から1.5メートル、深さ1.5から1.8メートルの石垣組みで、5枚の蓋石に覆われていたといいます。
中の品は法持寺の僧の手でいったん取り出されましたが、寺社を管轄する役所への届け出と評議の結果、石室へ戻され、墳丘ももとどおりにされました。その際に、形や数が記録されています。勾玉、切子玉、管玉、双魚形腰佩、六鈴鏡、楕円形鏡板、エフ字形鏡板、剣菱形杏葉、直刀、鉾、小刀、そして須恵器の数々です。戻すという判断が、記録を残しました。
三つの絵が伝えるもの
そのときの出土品を写した絵が、三種類伝わっています。
一つは小田切春江の墨絵で、『尾張名所図会附録』に収められ、石槨の図に大きさが書き込まれています。二つめは植松茂岳の墨絵で、その写しが西尾市岩瀬文庫にあります。三つめは彩色されたもので、法持寺の記録に写真が載っています。
実物は石室に戻されて見られませんが、三つの絵を比べることで、何がどう置かれていたかを推し量ることができます。三つめの絵には石室内の配置図まで描かれています。佐紀陵山古墳でも、埋め戻された出土品の写真と拓本だけが残りました。絵と写しが、古墳の中身を伝えます。
同じ名の古墳が、名古屋にいくつもある
名古屋市には「白鳥」の名を持つ古墳がいくつもあります。取り違えに注意が要ります。
文化庁の国指定文化財等データベースには、志段味古墳群として白鳥塚古墳・東谷山白鳥古墳・白鳥古墳群の名が載っています。所在地は名古屋市守山区で、熱田区のこの古墳とはまったく別のものです。
文化庁によれば、白鳥塚古墳は墳長115メートルの前方後円墳で築造は4世紀前半、東谷山白鳥古墳は直径17メートルの円墳で6世紀末から7世紀初めとされます。熱田区の白鳥古墳は、そのどちらでもありません。名は日本武尊の言い伝えから来ており、大阪府羽曳野市の白鳥陵古墳も同じ由来です。同じ名で別の古墳、という例は各地にあります。
白鳥古墳から出土したもの
出土品は、石室に戻されています。天保8年に取り出されたあと、寺社を管轄する役所の評議によって、もとどおりに納め直されました。
いま見られるのは、そのときに描かれた三種類の絵と、記録された名前だけです。名古屋市の発掘調査報告書は奈良文化財研究所の全国文化財総覧で公開されており、そこから調査の内容をたどることができます。
六鈴鏡
縁に六つの鈴をつけた鏡。天保8年に石室が現れたときに記録された。
双魚形腰佩
二匹の魚をかたどった腰の飾り。装身具として記録に残る。
馬具
楕円形鏡板、エフ字形鏡板、剣菱形杏葉、鐘形杏葉、辻金具などが記録されている。
須恵質の円筒埴輪
墳丘にめぐらされていた。窯で高い温度で焼かれた硬い埴輪。
白鳥古墳と関連する古墳
白鳥古墳についてよくある質問
白鳥古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。熱田神宮は日本武尊の陵と伝えていますが、考古学では尾張の首長とみる見方が有力です。宮内庁が日本武尊の陵として治定しているのは大阪府羽曳野市の白鳥陵古墳です。
白鳥古墳はどこにありますか。
愛知県名古屋市熱田区にあり、法持寺のすぐ隣、白鳥公園に接しています。ただし住所を記した公式のページは確かめられなかったため、番地までは書いていません。
白鳥古墳の大きさはどれくらいですか。
公式には確認できませんでした。前方部の南端は道路の建設で、後円部の東側は鳥居の建設で削られており、もとの形をとどめていないためです。
白鳥古墳はいつ作られましたか。
6世紀の初頭と考えられています。墳丘には須恵質の円筒埴輪がめぐらされており、窯で焼いた硬い埴輪が使われるのは、この時期の特徴です。
白鳥古墳の読み方を教えてください。
「しろとりこふん」とも「しらとりこふん」とも言われます。名古屋市の発掘調査報告書のふりがなは「しらとりこふん」です。守山区の白鳥塚古墳とは別の古墳です。
白鳥古墳と併せて覚えたい言葉・用語
杏葉(ぎょうよう)
馬の胸や尻に垂らした金属の飾り。形によって剣菱形、鐘形などと呼び分ける。
鏡板(かがみいた)
馬のくつわの左右につける板状の金具。エフ字形のものは日本独自の形。
須恵質(すえしつ)
須恵器と同じく、窯で高い温度で焼いて硬く仕上げた状態。埴輪にも使われた。
腰佩(ようはい)
腰に下げる飾り。この古墳では二匹の魚をかたどったものが記録されている。
白鳥古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。