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岐阜県

昼飯大塚古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

昼飯大塚古墳  / ヒルイオオツカコフン

前方後円墳 4世紀

岐阜県最大の前方後円墳。ひとつの墓坑に3つの埋葬施設が並ぶ。

昼飯大塚古墳とはどんな古墳か

昼飯大塚古墳はひとことで言えば3人分の埋葬施設がひとつの穴に並ぶ古墳です。岐阜県大垣市昼飯町にあり、大垣市は今から約1600年前に築かれた岐阜県最大の前方後円墳としています。

墳丘の長さは約150メートル。大垣市はその特徴を、三段築成であることと、後円部の頂上に竪穴式石室・粘土槨・木棺直葬という3つの埋葬形態が存在する点にある、としています。

文化庁は墓坑を約12メートル四方の方形とし、そこに盗掘を受けた竪穴式石室と粘土槨と考えられる二つの主体部が並んで設置されていることが判明した、と記しています。ひとつの墓坑に、異なる形式の埋葬施設が並ぶ例はまれです。国の史跡に指定されたのは平成12年9月6日です。

昼飯大塚古墳の読み方と別名

読みは「ひるいおおつかこふん」です。文化庁の国指定文化財等データベースも、この読みで登録しています。

難しいのは地名のほうです。「昼飯」と書いてひるいと読みます。所在地は大垣市昼飯町字大塚で、大塚という小字がそのまま古墳の名の後半になりました。

大塚という地名は、大きな塚があった土地に付くことが多いものです。同じ第5組でも、野古墳群(岐阜県大野町)には石塚と呼ばれた円墳があります。地名から古墳を探すという方法は、いまも有効です。

昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)

大垣市と文化庁が用いる名。文化庁のふりがなもこの形。

昼飯大塚古墳歴史公園(ひるいおおつかこふんれきしこうえん)

史跡整備を経て平成25年4月に公開された公園の名。

昼飯大塚古墳は誰の墓か

昼飯大塚古墳の被葬者はわかっていません。大垣市も文化庁も、人物を特定する記載はしていません。宮内庁の治定もありません。

この古墳が難しいのは、3人分の埋葬施設があることです。大垣市は、竪穴式石室(北棺)は過去に盗掘を受けており未調査、粘土槨(南棺)は未調査、木棺直葬(西棺)は棺外から鉄剣・鉄刀、鉄製の工具などが出土したが棺内は未調査、としています。三つのうち、中身が調べられたものはひとつもありません。

文化庁は、この古墳を「畿内の大王墓に準ずる傑出した内容を持ち、東海地方の古墳時代の政治・社会を考える上で欠くことのできないきわめて重要な古墳」と評価しています。誰が葬られたかではなく、どれほどの立場だったかだけが語られています。

公式の説明:わかっていない

人物を特定する記載はない。3つの埋葬施設はいずれも内部が未調査。

公式の説明:わかっていない

畿内の大王墓に準ずる内容を持つ大首長墓とするにとどまる。

昼飯大塚古墳の大きさと形

大垣市は墳丘長 約150メートル、後円部径 99メートル、高さ 13メートル、前方部高 9.5メートル、周壕を含む総全長 約180メートルとしています。

文化庁の数字はやや異なり、全長約150メートル、後円部径96メートル、高さ13メートル、前方部長 約50メートル、前端幅 約80メートルです。全長と高さは一致し、後円部径だけが食い違っています。

墳丘は三段築成で、周囲に鍵穴形の周溝が巡ります。文化庁によれば、周溝は中世までにかなり埋没し、昭和40年代の土地改良事業でさらに埋め立てられたため、現状では中段・上段のみが地上に現れています。

墳丘長:約150メートル

後円部の径:99メートル(大垣市)/96メートル(文化庁)

後円部の高さ:13メートル

前方部の高さ:9.5メートル

前方部の長さと前端幅:長さ約50メートル・前端幅約80メートル

周壕を含む総全長:約180メートル

墓坑:約12メートル四方の方形

史跡の面積:14,081.71平方メートル

昼飯大塚古墳はいつ作られたか

築造の時期について、大垣市は4世紀末(古墳時代中期)としています。一方、文化庁は「これらの遺物や墳丘の特徴から判断して、本墳は古墳時代前期末頃の築造と考えられる」としています。

同じ4世紀末を指しながら、前期の終わりと見るか中期の始まりと見るかで、書き方が分かれています。古墳時代の前期と中期の境目がこのあたりに置かれるためです。

同じころ、三重県松阪市では宝塚1号墳が5世紀初頭に築かれ、静岡市では三池平古墳が5世紀前半に営まれます。愛知県犬山市の青塚古墳は4世紀中頃で、少し先行します。

大垣市域は揖斐川西岸の平野を擁し、関ヶ原を越えて濃尾平野に出る交通の要地にあたると文化庁は記しています。

昼飯大塚古墳の場所と行き方(観光情報)

保存整備では、現況の墳丘を修復しながら、後円部の一部に復元ゾーンを設けて葺石や埴輪、周濠を復元しています。史跡整備工事は平成24年度に完了し、平成25年4月6日に昼飯大塚古墳歴史公園が開園しました。

出土品は大垣市歴史民俗資料館で展示されています。岐阜大学旧早野邸セミナーハウスでも一部が展示されています。

国指定史跡 昼飯大塚古墳(昼飯大塚古墳歴史公園)

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国指定史跡 昼飯大塚古墳(昼飯大塚古墳歴史公園)の住所:岐阜県大垣市昼飯町(史跡の所在地は大垣市昼飯町字大塚175番 ほか26筆)

交通:JR美濃赤坂駅から徒歩25分/JR大垣駅南口1番のりばから名阪近鉄バス乗車、終点下車、徒歩3分

駐車場:大垣市が見学者用駐車場について案内している

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:昼飯大塚古墳歴史公園として公開されており、後円部の一部に復元ゾーンがある

大垣市は行き方をJR美濃赤坂駅から徒歩25分、バスはJR大垣駅南口1番のりばから発車する名阪近鉄バスに乗車して終点下車、徒歩3分としています。バスの行き先の表記は、ページによって「消防赤坂分署行」と「赤坂総合センター行」の二通りがあります。

自動車では東海環状自動車道大垣西インターチェンジから8分です。大垣市は「昼飯大塚古墳歴史公園見学者用駐車場について」という案内も設けています。

昼飯大塚古墳の発見と調査の歩み

  1. ひとつの穴に、三つの棺
  2. 盗掘坑が、残したもの
  3. 墳頂で行われた祭り

ひとつの穴に、三つの棺

昼飯大塚古墳のいちばんの特徴は、後円部の頂上にあります。

大垣市の説明はこうです。

後円部の頂上に竪穴式石室、粘土槨、木棺直葬という3つの埋葬形態が存在する点にあります

三つが別々の場所にあるのではなく、ひとつの墓坑に納まっています。文化庁は墓坑を約12メートル四方の方形としています。

竪穴式石室は石を積んで棺を囲むもの、粘土槨は粘土で棺を包むもの、木棺直葬は棺をそのまま埋めるもの。三つの異なるやり方が、同じ穴に並んでいるということです。

なぜそうしたのかは、わかっていません。三つとも内部は未調査のまま保存されています。掘れば答えが出るかもしれませんが、大垣市も文化庁も掘っていません。

盗掘坑が、残したもの

竪穴式石室は、明治10年代に盗掘を受けています。

文化庁は「鏡や銅鏃・巴形銅器,多数の玉類などが出土したと伝えられるが,ほとんどが所在不明となっている」と記しています。

それでも、盗掘坑は情報を残しました。文化庁によれば、明治時代の盗掘坑から石室内部の様子がうかがえ、写真影像の解析により、長さ約4.5メートル、幅約1.2メートルから0.8メートルと推定されました。さらに盗掘坑からは、石釧、滑石製模造品、2000点を超える滑石製玉類、鉄器残欠などが採集されています。

盗掘者が持ち去らなかったものが、百年後の調査で拾われました。また墓坑の一画には、鉄刀13点・鉄剣6点をはじめとする武器・農工具が埋納されていました。

墳頂で行われた祭り

後円部の墳頂の様子は、この古墳の見どころのひとつです。

文化庁によれば、墳頂は埴輪列が直径20メートルの円形にめぐり、全面に礫を敷いていました。そこから勾玉・管玉・臼玉・棗玉・算盤玉など約400点の滑石製玉類、少量のガラス玉、高坏や小型丸底壺などの土師器、笊形土器および土製品などが出ています。

文化庁はこれらを「墳頂部で行われた葬送にともなう儀礼に使われたもの」としています。どこで何を使って祭りをしたかが、そのまま残っていたわけです。

また主体部の上には形象埴輪が置かれていたらしく、靫・盾・蓋・家形などの埴輪片が出土しています。宝塚1号墳(三重県松阪市)では祭りの場が造り出しへ移っており、比べると変化がわかります。

昼飯大塚古墳から出土したもの

明治10年代の盗掘で出た品は、文化庁によればほとんどが所在不明です。近年の調査で出た遺物は大垣市歴史民俗資料館が保管し、展示しています。三つの埋葬施設の内部は、いずれもまだ調べられていません。

滑石製玉類

後円部墳頂から約400点、盗掘坑から2000点を超える量が採集された。

形象埴輪

家・蓋・盾・靫・甲冑形。主体部の上に置かれていたらしい。

円筒埴輪

各段に並べられ、後円部墳頂では直径20メートルの円形にめぐる。

鉄刀・鉄剣

墓坑の一画に鉄刀13点・鉄剣6点などの武器・農工具が埋納されていた。

土師器・笊形土器

高坏や小型丸底壺など。墳頂の葬送儀礼に使われたもの。

昼飯大塚古墳と関連する古墳

昼飯大塚古墳についてよくある質問

昼飯大塚古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。大垣市も文化庁も人物を特定していません。後円部の頂上に3つの埋葬施設がありますが、いずれも内部は未調査です。

昼飯大塚古墳の大きさはどれくらいですか。

大垣市は墳丘長約150メートル、後円部径99メートル、高さ13メートル、周壕を含む総全長約180メートルとしています。文化庁は後円部径を96メートルとしており、数字に差があります。

昼飯大塚古墳はいつ作られましたか。

大垣市は4世紀末(古墳時代中期)、文化庁は古墳時代前期末頃としています。前期の終わりと見るか中期の始まりと見るかで、表現が分かれています。

昼飯大塚古墳はどこにありますか。

岐阜県大垣市昼飯町です。JR美濃赤坂駅から徒歩25分、JR大垣駅南口1番のりばからのバスで終点下車、徒歩3分です。

昼飯大塚古墳は中に入れますか。

昼飯大塚古墳歴史公園として公開されています。後円部の一部に復元ゾーンが設けられ、葺石や埴輪、周濠が復元されています。

昼飯大塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語

粘土槨(ねんどかく)

木の棺を粘土で包んだ埋葬施設。石を積まずに棺を守る方式。

墓坑(ぼこう)

棺や石室を納めるために掘った穴。ここでは約12メートル四方の方形。

滑石(かっせき)

やわらかく加工しやすい石。玉類や模造品の材料に多用された。

形象埴輪(けいしょうはにわ)

家・盾・靫・蓋・甲冑など、物の形をした埴輪。

昼飯大塚古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 大垣市
  2. 文化庁
  3. 大垣市