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宮崎県

生目古墳群とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

生目古墳群  / イキメコフングン

古墳群 4世紀5世紀6世紀

100メートルを超える前方後円墳が3基。古墳時代前期の九州最大級の古墳群。

生目古墳群とはどんな古墳か

生目古墳群はひとことで言えば古墳時代前期の九州の中心です。宮崎県宮崎市大字跡江の丘陵にあり、東には宮崎平野を見渡せます。

宮崎市は、国の史跡に指定された古墳を前方後円墳7基と円墳44基の合計51基とし、史跡公園の案内では50基の古墳で構成され、公園内には前方後円墳8基・円墳25基があるとしています。

なかでも1号墳・3号墳・22号墳の3基は、古墳時代前期の前方後円墳でありながら全長が100メートルを超えます。宮崎市はこれを、同時期の南九州の首長墓群の中でも突出した存在であり、南九州地方の盟主の存在を想起させるものだとしています。

同じ宮崎県の西都原古墳群と並ぶ、南九州を代表する古墳群です。

国の史跡に指定されたのは昭和18年、史跡公園として開園したのは平成20年4月1日です。

生目古墳群の読み方と別名

読みは「いきめこふんぐん」です。所在地は宮崎市大字跡江ですが、古墳群の名は近くの「生目」から来ています。

宮崎市の文化財課は所在地を「跡江字井尻ほか」としています。古墳群の名前と、実際の住所の地名が違うため、地図で探すときは注意が要ります。

公園に隣接する施設は「宮崎市生目の杜遊古館」といい、バス停の名も「遊古館」です。生目の杜(もり)という呼び方も、この一帯で広く使われています。

生目古墳群(いきめこふんぐん)

宮崎市と文化庁が用いる名。「生目」は所在地の地名。

生目古墳群史跡公園(いきめこふんぐんしせきこうえん)

平成20年4月1日に開園した史跡公園の名。

生目3号墳(いきめさんごうふん)

長さ137メートル、高さ11メートル。群のなかで最大の前方後円墳。

生目古墳群は誰の墓か

生目古墳群に葬られた人々が誰だったのかはわかっていません。宮内庁の治定もありません。

ただし宮崎市は、立場についてはっきり書いています。100メートルを越す前方後円墳3基は「南九州地方の盟主の存在を想起させます」とし、また「この生目古墳群に埋葬された人物は、かなり大きな力を持った人物であったと考えられます」としています。

個人の名ではなく、南九州全体をまとめる力を持っていた、という言い方です。

興味深いのは、南九州だけに見られる地下式横穴墓が、前方後円墳の下から見つかっていることです。近畿とつながる形の墓と、この土地だけの形の墓が、同じ場所に重なっている。葬られた人々が何者だったかを考えるうえで、これほど示唆的な事実はありません。

学術的な見方のひとつ:南九州地方の盟主

100メートルを越す前方後円墳3基が盟主の存在を想起させるとする。個人名は挙げていない。

公式の説明:かなり大きな力を持った人物

史跡公園の案内での表現。被葬者個人を比定する記載はない。

生目古墳群の大きさと形

群のなかで最大の3号墳は、宮崎市によれば長さ137メートル、高さ11メートルです。「古墳時代前期では九州最大の前方後円墳」であり、実際に立ち入ることができる古墳の中では、古墳時代の全時期を通じて九州最大級だとされています。

1号墳・3号墳・22号墳の3基は、いずれも全長が100メートルを超えます。

古墳の数については、二つの数え方が公表されています。宮崎市の文化財課は、国の史跡に指定されたものを前方後円墳7基と円墳44基の合計51基としています。一方、史跡公園の案内は古墳群を50基で構成されるとし、公園内には前方後円墳8基・円墳25基があるとしています。

丘陵は標高25メートル前後。公園には広さ9000平方メートルの芝生広場と、高さ10メートルの展望台があります。

3号墳の長さ:137メートル

3号墳の高さ:11メートル

指定された古墳の数:前方後円墳7基・円墳44基の合計51基

公園内の古墳:前方後円墳8基・円墳25基

100メートルを超える前方後円墳:3基(1号・3号・22号)

展望台の高さ:10メートル

生目古墳群はいつ作られたか

宮崎市は、この古墳群を「約1700年から1400年前(古墳時代前期~後期)にかけてつくられた古墳群」としています。

中心となるのは前期です。宮崎市の文化財課は、100メートルを越す前方後円墳3基を「古墳時代前期」のものとし、前方後円墳はこのほかに4基あって、その築造は5世紀後半まで続くとしています。

宮崎市は「生目古墳群は古墳時代前期において、九州最大の古墳群であったといえます」と書いています。

同じ宮崎県の西都原古墳群は、より後の時期に大型の古墳が築かれた古墳群です。前期の生目、中期以降の西都原と並べると、南九州の中心が動いていったさまが見えてきます。

生目古墳群の場所と行き方(観光情報)

公園には、広さ9000平方メートルの芝生広場、高さ10メートルの展望台、あずま屋3箇所、トイレ2箇所があります。木々に囲まれた園内は季節ごとに表情が変わると宮崎市は案内しています。

5号墳は発掘調査の成果をもとに葺石を葺き、古墳が築かれた当時の姿に復元されています。

生目古墳群史跡公園

地図で開く

生目古墳群史跡公園の住所:宮崎県宮崎市大字跡江

交通:車は東九州自動車道「宮崎西インターチェンジ」より約5分、JR宮崎駅から約20分。バスは宮交シティ発・県病院方面「記念病院・生目の杜」行きで「遊古館」下車(土・日・休日のみ)。「生目の杜運動公園北」停留所からは徒歩20分

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:3号墳は実際に立ち入って登ることができる

宮崎市は、この古墳群を宮崎市大字跡江にある丘陵上に築かれたものとしています。文化財課は所在地を「跡江字井尻ほか」と記しています。

開園時間は、5月1日から9月30日が午前8時30分から午後7時、10月1日から4月30日が午前8時30分から午後6時です。

園内には復元工事などを行っている古墳があり、一部見学できない部分があります。古墳に関する問い合わせ先は宮崎市教育委員会文化財課(電話0985-85-1178)です。

生目古墳群の発見と調査の歩み

  1. 登れる古墳としては九州最大級
  2. 前方後円墳の下から出た地下式横穴墓
  3. 葺石を復元した5号墳

登れる古墳としては九州最大級

生目3号墳は、長さ137メートル、高さ11メートル。宮崎市は「古墳時代前期では九州最大の前方後円墳」としています。

それだけではありません。宮崎市はこう続けます。

さらに、実際に立ち入ることができる古墳の中では古墳時代全時期を通して九州最大級のものです

立ち入ることができる。この一言が大きいのです。大仙陵古墳誉田御廟山古墳も、宮内庁が管理しているため中に入れません。造山古墳(岡山県)のように登れる大型古墳は数えるほどしかありません。

137メートルの前方後円墳の上を、自分の足で歩ける。宮崎市は「実際に古墳にのぼってその大きさを体感してみよう」と呼びかけています。大きさは目ではなく足でわかります。

前方後円墳の下から出た地下式横穴墓

生目古墳群でとりわけ注目されているのが、地下式横穴墓の存在です。

地下式横穴墓は、地面に縦の穴を掘り、その底から横へ部屋を掘って遺体を納める墓で、南九州にだけ見られる形です。宮崎市は「南九州独特のお墓の形」と説明しています。

注目されたのは、それが前方後円墳の下から見つかったことでした。宮崎市はこう書いています。

これは、近畿地方からの影響のもと築かれた前方後円墳と南九州独特の地下式横穴墓の関係を知る上で非常に貴重な発見であったといえます

前方後円墳は近畿とつながる形、地下式横穴墓はこの土地だけの形です。その二つが同じ場所に重なっている。宮崎市の文化財課は、この発見が南九州の古墳時代の墓制を再検討させるものだとし、ヤマト政権と南九州の首長との関係を垣間見られる事例になるだろうとしています。

葺石を復元した5号墳

古墳には、墳丘の表面を石で覆った葺石をもつものがあります。生目古墳群にもいくつか存在しますが、宮崎市によれば、ほとんどは土に埋まってしまい様子を見ることができません。

5号墳は違います。発掘調査の成果をもとに葺石を葺き直し、古墳が築かれた当時の姿に復元されています。使われたのは、古墳群の付近で採取できる小石でした。

土の山ではなく、石の山だった。古墳のイメージが変わる復元です。

5号墳には、個性的な埴輪が並べられていたこともわかっています。宮崎市は「この5号墳の前に立てば、古墳を見ていた古墳時代人と同じ気持ちを感じることができるはずです」と書いています。

葺石を復元した古墳は各地にあり、五色塚古墳(兵庫県神戸市)が広く知られています。

生目古墳群から出土したもの

副葬品の一覧を、公式のページで確かめることはできませんでした。宮崎市が案内しているのは、5号墳の埴輪と葺石、そして地下式横穴墓の発見です。

古墳群の全体が調査されているわけではなく、調査は今も続いています。公園内には復元工事を行っている古墳があります。

5号墳の埴輪

個性的な形の埴輪が並べられていたことがわかっている。宮崎市が案内している。

5号墳の葺石

古墳群付近で採れる小石。墳丘の全面を覆っていた。発掘の成果をもとに復元されている。

地下式横穴墓

出土品ではないが、南九州独特の墓の形。前方後円墳の下から見つかっている。

生目古墳群と関連する古墳

生目古墳群についてよくある質問

生目古墳群は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁の治定もありません。宮崎市は、100メートルを越す前方後円墳3基が南九州地方の盟主の存在を想起させるとし、かなり大きな力を持った人物と考えられるとしています。

生目古墳群はどこにありますか。

宮崎県宮崎市大字跡江の丘陵上です。東九州自動車道の宮崎西インターチェンジから車で約5分、JR宮崎駅からは約20分です。

生目古墳群でいちばん大きい古墳は。

3号墳です。長さ137メートル、高さ11メートルで、宮崎市は古墳時代前期では九州最大の前方後円墳としています。1号墳・22号墳も100メートルを超えます。

生目古墳群はいつ作られましたか。

宮崎市は約1700年から1400年前、古墳時代前期から後期にかけてとしています。中心は前期で、前方後円墳の築造は5世紀後半まで続きました。

生目古墳群の古墳に登れますか。

3号墳は立ち入って登ることができます。宮崎市は、立ち入れる古墳としては古墳時代全時期を通して九州最大級だとしています。

生目古墳群と併せて覚えたい言葉・用語

地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)

縦に掘った穴の底から横へ部屋を掘って造る墓。南九州にだけ見られる。

葺石(ふきいし)

墳丘の表面を覆った石。生目5号墳では発掘の成果をもとに復元されている。

首長墓(しゅちょうぼ)

その地域をまとめた有力者の墓。代を追って築かれることが多い。

造り出し(つくりだし)

墳丘の側面に張り出した壇。まつりを行った場所と考えられている。

生目古墳群の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 宮崎市
  2. 宮崎市