石を積んで築いた墓が四〇〇基以上。日本最大の積石塚古墳群。
大室古墳群とはどんな古墳か
大室古墳群は、長野県長野市松代町にある古墳群です。文化庁は次のように書いています。
大室古墳群は長野県市街の南東約六キロメートルに所在し、前方後円墳一基を含む五世紀前半から八世紀にかけて築かれた合計五〇〇基以上の古墳からなる
千曲川の南の丘陵から派生する三つの尾根と、そのあいだの二つの谷に古墳が並びます。
この古墳群を特別なものにしているのは、墳丘を土ではなく石を積んで築いた「積石塚(つみいしづか)」が大半を占めることです。文化庁は、総数五〇五基のうち積石塚は四〇〇基以上あり、わが国では極めて稀な存在である積石塚がこれだけ多く密集する古墳群は、国内には他に存在しないとしています。
1997年(平成9年)7月28日、国の史跡に指定されました。
大室古墳群の読み方と別名
読みは「おおむろこふんぐん」です。
古墳群は、西から金井山・北谷・霞城・大室谷・北山という大小五つの支群に分かれます。それぞれの支群はさらに、十数基あるいは数十基ずつの小支群に細かく分けられます。
このうち国の史跡に指定されたのは、約二四〇基からなる大室谷支群です。支群としては最大の規模をもち、発掘調査によって内容が判明していることが理由とされています。
地名の「大室」は、『延喜式』に見える信濃の一六牧のひとつ「大室牧」につながる名でもあります。馬を育てた土地の名が、そのまま古墳群の名になっています。
大室古墳群(おおむろこふんぐん)
文化庁が用いる名。国の史跡としての指定名称でもある。
大室谷支群(おおむろだにしぐん)
五つの支群のうち最大で、約二四〇基からなる。史跡に指定されたのはこの支群。
積石塚(つみいしづか)
土を盛るかわりに石を積み上げて墳丘を築いた墓。この古墳群の大半を占める。
大室古墳群は誰の墓か
大室古墳群の被葬者は、個人としてはわかっていません。五〇〇基以上の古墳が三百年以上にわたって築かれた場所であり、一人の人物の墓ではないからです。
ただし、どういう人々の墓かについては手がかりがあります。文化庁は、出土遺物に馬具が多いこと、馬の骨が納められていたことを挙げ、被葬者が古代の馬匹生産に深く関わっていたことを示唆するとしています。馬の骨は頭の骨だけで、横穴式石室の前庭部に、多量の土師器・須恵器とともに土坑に埋められていました。
さらに文化庁は、積石塚が高句麗の墓制と、合掌形石室が百済の墓制との関係を指摘する意見もある、と記しています。つまりこの谷に眠るのは、海の向こうから来た人々、あるいはその技術を受け継いだ人々であった可能性があります。『延喜式』の「大室牧」という官牧の名も、この見方と重なります。
公式の説明:わかっていない
被葬者個人を比定する記載はない。馬匹生産に深く関わっていたことを示唆するとする。
学術的な見方のひとつ:馬を育てた人々
馬具と馬骨の多さから、延喜式にある信濃一六牧のひとつ大室牧との符合が指摘されている。
大室古墳群の大きさと形
古墳群としての広がりが、この場所の規模を語ります。文化庁によれば、標高三五〇から七〇〇メートル、約二・五キロメートル平方の範囲に古墳が分布します。長野県市街の南東約六キロメートルの位置です。
総数は五〇五基。そのうち積石塚が四〇〇基以上を占め、とくに谷部にある北谷支群・大室谷支群に集中します。積石塚の墳形は、ほとんどが直径一〇メートル程度の円墳ですが、長方形墳の形をとるものもあります。
前方後円墳は、五〇〇基以上のうちわずか一基です。大きな墓を一つ築くのではなく、小さな石の塚を数多く積み上げる。それがこの谷の流儀でした。
史跡に指定された大室谷支群は約二四〇基からなり、支群としては最大の規模をもちます。
古墳の総数:合計五〇〇基以上(総数五〇五基)
積石塚の数:四〇〇基以上
大室谷支群の古墳数:約二四〇基
積石塚の大きさ:ほとんどが直径一〇メートル程度の円墳
合掌形石室の数:全国で四〇例ほどのうち二五基が集中
大室古墳群はいつ作られたか
大室古墳群の場所と行き方(観光情報)
松代は、真田氏の城下町として知られる町です。その南東の谷に、五〇〇基以上の石の塚が眠っています。
同じ長野県内では、千曲市の森将軍塚古墳に古墳館が整備されており、あわせて訪ねると、信濃の古墳の二つの姿を見くらべることができます。
大室古墳群
文化庁は所在地を長野県長野市松代町としています。より細かい地番や、最寄りのバス停・駅からの行き方を記した公式のページは確認できませんでした。
長野市が保存整備を進めており、大室古墳館という見学施設があります。ただし開館時間・休館日・料金についての公式の記載は確かめられませんでした。訪ねる前に長野市の案内を確かめることをおすすめします。
古墳群は谷と尾根に広く分布しています。山道を歩くことになるため、足もとの用意が要ります。
大室古墳群の発見と調査の歩み
土ではなく、石を積む
ふつう古墳は、土を盛って築きます。ところが大室古墳群では、石を積み上げて墳丘を作りました。これを積石塚といいます。
文化庁によれば、栗林紀道と長野市による分布調査の結果、総数五〇五基の古墳のうち積石塚は四〇〇基以上あり、とくに谷部にある北谷支群・大室谷支群に集中して分布することが明らかになりました。わが国では極めて稀な存在である積石塚が、これだけ多く密集する古墳群は、国内には他に存在しないとされています。
なぜ石なのか。谷に石が豊富だったという地形の理由に加えて、文化庁は、積石塚が高句麗の墓制との関係を指摘する意見もあることを記しています。土を盛る文化と、石を積む文化。この谷では後者が選ばれました。
屋根のかたちをした石室
もうひとつの特徴が、合掌形石室です。
石棺や石室の天井部に、板状の石を三角形の切妻屋根のように組み合わせて架ける構造をいいます。手を合わせた形に見えることから、この名がつきました。
文化庁は、この形の石室は全国で四〇例ほどしか知られておらず、一基を除くすべてが長野県の善光寺平に分布し、しかも二五基が大室古墳群に集中しているとしています。
明治大学考古学研究室が大室谷支群で約三〇基の調査を行った結果、各小支群には合掌形石室をもつ古墳が一基から二基含まれると推察されています。小さな集まりごとに、一つか二つだけ特別な石室がある。序列のようなものが、そこに読み取れます。
文化庁は、この石室と百済の墓制との関係を指摘する意見もあることを記しています。
馬の頭が埋められていた
大室古墳群から出た遺物は、土師器・須恵器・珠文鏡・短甲・馬具・鉄鍬・刀子・玉類・馬骨などです。文化庁は、なかでも馬具が多いことをこの古墳群の特色としています。
目を引くのが馬の骨です。文化庁によれば、馬骨は頭骨のみであり、横穴式石室の前庭部に多量の土師器・須恵器とともに土坑に埋納されていました。
墓の前で馬を捧げ、その頭だけを土に埋める。そういう儀式が行われていたことになります。
『延喜式』には、信濃に一六の牧があったと記されており、そのひとつが「大室牧」です。文化庁は、馬に関係する出土遺物が多いことは、被葬者が古代の馬匹生産に深く関わっていたことを示唆し、大室牧の存在とも符合するとともに、古代の官牧の発生に関しても貴重な資料を提供したとしています。
馬を育て、馬を葬る人々の谷でした。
大室古墳群から出土したもの
副葬品の顔ぶれは、鏡や大刀を主役にする畿内の大型古墳とは、ずいぶん違います。ここでは馬具と農工具が中心にあります。
埋葬施設は横穴式石室あるいは箱式石棺が主体で、そのなかに合掌形石室が混じります。石を積み、石で棺をつくり、馬とともに葬る。一貫した流儀が三百年つづきました。
馬具
出土遺物のなかでもとくに多い。被葬者が馬の生産に関わっていたことを示すとされる。
馬骨
頭の骨のみ。横穴式石室の前庭部に、多量の土器とともに土坑に埋納されていた。
須恵器・土師器
馬骨とともに前庭部の土坑から多量に出土している。
珠文鏡
小さな粒の文様をめぐらせた銅鏡。副葬品として納められていた。
短甲
胴を守る鉄のよろい。武具として納められていた。
鉄鍬・刀子・玉類
農工具と小刀、装身具。生活と生産に結びついた品が並ぶ。
大室古墳群と関連する古墳
大室古墳群についてよくある質問
大室古墳群は誰の墓ですか。
被葬者はわかっていません。ただし文化庁は、馬具や馬骨など馬に関係する出土遺物が多いことから、被葬者が古代の馬匹生産に深く関わっていたことを示唆するとしています。延喜式にある信濃一六牧のひとつ大室牧との符合も指摘されています。
大室古墳群はどこにありますか。
長野県長野市松代町です。文化庁は、長野県市街の南東約六キロメートルに所在するとしています。千曲川の南側の丘陵から派生する尾根と谷に分布しています。最寄り駅からの行き方は公式に確認できませんでした。
大室古墳群にはいくつの古墳がありますか。
文化庁は合計五〇〇基以上とし、分布調査では総数五〇五基としています。そのうち積石塚が四〇〇基以上を占めます。国の史跡に指定された大室谷支群は約二四〇基からなります。
大室古墳群はいつ作られましたか。
文化庁は、五世紀前半から八世紀にかけて築かれたとしています。合掌形石室をもつ古墳の築造は五世紀の中葉には始まっており、小支群のなかでは最初に採用された墳墓形態であることがわかっています。
積石塚とは何ですか。
土を盛るかわりに石を積み上げて墳丘を築いた古墳です。日本では極めてまれで、これだけ密集する古墳群は国内に他に存在しないとされます。高句麗の墓制との関係を指摘する意見もあります。
大室古墳群と併せて覚えたい言葉・用語
積石塚(つみいしづか)
土のかわりに石を積んで墳丘を築いた古墳。大室古墳群では四〇〇基以上を占める。
合掌形石室(がっしょうがたせきしつ)
天井に板石を三角の切妻屋根のように組む石室。全国で四〇例ほどしか知られない。
支群(しぐん)
大きな古墳群を地形ごとに分けた、まとまりの単位。大室古墳群には五つある。
前庭部(ぜんていぶ)
横穴式石室の入口の前にひらけた場所。祭りや供えものが行われた。
官牧(かんまき)
国が置いた馬の牧場。延喜式には信濃に一六の牧があったと記される。
大室古墳群の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。