墳丘の真下を国道のトンネルが通る、相模最大級の前方後円墳。
地頭山古墳とはどんな古墳か
神奈川県厚木市船子にあるとされる前方後円墳です。この古墳については、公式ページを1本も確かめることができませんでした。以下は下調べにもとづく記述で、公式に裏づけられたものではありません。
下調べによれば、厚木市から伊勢原市にかけての一帯では、古墳時代後期の円墳や横穴墓は多く知られていたものの、前方後円墳の存在がながく知られていませんでした。
見つかったのは1977年(昭和52年)のことです。国道246号バイパスの建設工事で木が伐られた丘の上に、古墳のような塚があるのを、当時厚木市の文化財保護委員を務めていた男性が偶然見つけ、市の教育委員会に知らせたと伝えられます。市と神奈川県が踏査し、前方後円墳であることが判明したといいます。
この古墳がいまも残っているのは、道路を古墳の下に通したからです。墳丘の前方部の真下を覆道が抜けており、上り車線との間の中央分離帯に脚が立っているとされます。
地頭山古墳の読み方と別名
読みは「じとうやまこふん」です。ただし、この読みを記した公式のページは確かめられませんでした。
地頭は、中世に荘園を管理した役職の名です。この山の名がその役職に由来するのかどうかを説明する資料には、行き着けませんでした。古墳の名は後の人が付けたものがほとんどで、由来がわからないまま伝わることが多くあります。
もう一つの名が、墳丘の下を抜ける覆道の名です。船子洞門とも地頭山洞門とも呼ばれるとされます。船子は所在地の地名、地頭山は古墳の名です。同じ構造物に、二つの由来からの名が付いていることになります。
地頭山古墳(じとうやまこふん)
現在ふつうに使われる名。厚木市船子にあるとされる。
船子洞門(ふなこどうもん)
墳丘の下を抜ける覆道の名。国道246号バイパスの下り車線のみを覆う。
地頭山洞門(じとうやまどうもん)
同じ覆道の別の呼び方。古墳の名を取ったもの。
地頭山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。宮内庁の陵墓ではなく、史跡の指定も受けていないとされます。
それどころか、発掘調査そのものが行われていません。下調べによれば、埋葬施設は不明で、出土遺物もないといいます。1978年(昭和53年)に測量が行われ、墳丘の規模がわかっただけです。
これは、この古墳が残された経緯と表裏の関係にあります。国道のバイパス工事の際、古墳を切り崩さずに現状で保存する道が選ばれました。掘って記録を取ってから壊すのではなく、掘らずに残したのです。
そのぶん、中身はわかりません。残すことと、知ることは、しばしば両立しません。三昧塚古墳や櫛山古墳は工事のときに掘られて多くのことがわかり、そのかわり墳丘を失いました。地頭山古墳はその逆の道を通っています。
地頭山古墳の大きさと形
この古墳の規模を記した公式のページは、確かめられませんでした。以下は下調べにもとづく数字です。
1978年(昭和53年)の測量によれば、全長約72メートル、後円部の径約36メートル・高さ約7メートル、前方部の幅約24メートル・高さ約4メートルとされます。
墳丘の規模は、神奈川県内では3位から4位に位置づけられる大きさといいます。相模地域の古墳時代中期としては最大級に含まれる前方後円墳とされます。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設の規模や葺石・埴輪の有無はわかっていません。測量によって外形が確かめられただけの状態が、40年以上続いていることになります。
墳丘の規模:公式には確認できませんでした
埋葬施設:公式には確認できませんでした
所在地:公式には確認できませんでした
築造年代:公式には確認できませんでした
地頭山古墳はいつ作られたか
地頭山古墳の場所と行き方(観光情報)
厚木市内の前方後円墳としては、伊勢原市にまたがる愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)が知られるとされます。地頭山古墳が見つかるまで、この一帯に前方後円墳があることは知られていませんでした。
神奈川県内の古墳としては、逗子市と葉山町の長柄桜山古墳群が国の史跡になっています。東京都の亀甲山古墳とあわせて、多摩川から相模川にかけての首長墓の広がりを考える手がかりになります。
地頭山古墳
地頭山古墳の住所:公式には確認できませんでした
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:立ち入りについて公式の記載は確認できませんでした。墳丘の前方部の真下を国道246号バイパスの覆道が抜けており、周囲は幹線道路です。近づく際は交通に注意が要ります
この古墳については、住所・行き方・料金のいずれも公式のページで確かめられませんでした。厚木市の案内に行き着けなかったためです。
下調べによれば、所在地は神奈川県厚木市船子とされます。国道246号バイパスの下り車線のみを覆う覆道の上に、古墳の前方部が乗っているといいます。上り車線との間の中央分離帯に、覆道の脚が立っているとされます。周囲は交通量の多い幹線道路です。訪ねる前に、厚木市へ問い合わせるのが確かです。
地頭山古墳の発見と調査の歩み
伐られた木のあいだから見つかった
この古墳が見つかった経緯は、偶然によるものでした。
下調べによれば、1977年(昭和52年)、国道246号バイパスの建設工事の際、伐採された丘の上に古墳のような塚があるのを、当時厚木市の文化財保護委員を務めていた男性が偶然発見し、市の教育委員会に通報したとされます。市と神奈川県が踏査し、前方後円墳であることが判明しました。
工事のために木が伐られたことで、それまで見えなかった墳丘の形が現れた、ということです。
神奈川県中部から西部にかけては、古墳時代後期の円墳や横穴墓は多く存在するものの、前方後円墳の存在がながく知られていませんでした。その空白を埋める発見でした。翌1978年(昭和53年)には測量が行われ、全長約72メートルの規模が確かめられました。
古墳の下を道路が抜ける
この古墳のいちばんの特徴は、その立地です。墳丘の真下を国道のトンネルが走っています。
下調べによれば、船子洞門(地頭山洞門)と呼ばれる覆道は、国道246号バイパスの下り車線のみを覆い、上り車線との間の中央分離帯に脚が立っているといいます。その上部に、地頭山古墳の前方部が乗っています。
バイパス工事の際、古墳を切り崩さずに現状で保存するために設計されたものです。
下調べは、この工事を、史跡指定などがされていない埋蔵文化財を、発掘調査による記録保存によらず現状保存することに成功した工事例、と位置づけています。記録保存とは、調査して記録を残したうえで遺跡自体は原則として壊す方法です。ここではその道を選ばなかったことになります。
掘らないという判断
地頭山古墳は、いまも発掘調査が行われていません。そのため埋葬施設は不明で、出土遺物もありません。
この状態をどう見るかは、簡単ではありません。掘れば何が納められていたかがわかりますが、掘ることは壊すことでもあります。
同じバッチの古墳と比べると、その違いがはっきりします。三昧塚古墳は土取り工事の前に掘られ、金銅冠が見つかりましたが、墳丘は大きく削られました。櫛山古墳は飛行場工事で荒らされたあとに調査され、膨大な碧玉製品が確かめられました。洞ひさご塚古墳は工業団地の造成に先立ち、記録保存のために掘られています。
地頭山古墳は、墳丘を残した代わりに中身を知らないままです。どちらが正しいという話ではなく、そのときどきの事情で選ばれてきた、というほかありません。
地頭山古墳から出土したもの
この古墳からは、何も出ていません。発掘調査が未実施のためです。下調べも、埋葬施設は不明で出土遺物もない、と記しています。
わかっているのは、1978年(昭和53年)の測量で得られた外形の数字だけです。全長約72メートル、後円部の径約36メートル・高さ約7メートル、前方部の幅約24メートル・高さ約4メートル。この一組の数字が、いまのところこの古墳について知られていることのすべてに近い状態です。
出土遺物
発掘調査が未実施のため、出土遺物はない。何が納められていたかはわかっていない。
埋葬施設
不明。掘っていないため、竪穴式か横穴式かも確かめられていない。
葺石・埴輪
有無を記した資料には行き着けなかった。
測量図
1978年の測量で作られた図。この古墳について確かめられている数少ない記録。
地頭山古墳と関連する古墳
地頭山古墳についてよくある質問
地頭山古墳は誰の墓ですか。
まったくわかっていません。発掘調査が行われておらず、埋葬施設も出土遺物もありません。宮内庁の陵墓でもなく、史跡の指定も受けていないとされます。
地頭山古墳はどこにありますか。
公式のページでは確かめられませんでした。下調べでは神奈川県厚木市船子にあり、国道246号バイパスの覆道の上に前方部が乗っているとされます。
地頭山古墳の大きさはどれくらいですか。
公式の数字は確かめられませんでした。下調べでは全長約72メートル、後円部の径約36メートル・高さ約7メートルとされ、県内では3位から4位の規模といいます。
地頭山古墳はいつ作られましたか。
公式のページでは確かめられませんでした。下調べでは5世紀前半から中頃と推定されていますが、これは墳丘の形と規模からの推定です。
地頭山古墳の墳丘に登れますか。
立ち入りについて公式の記載は確認できませんでした。周囲は交通量の多い幹線道路です。訪ねる前に厚木市へ確かめてください。
地頭山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
覆道(ふくどう)
道路を上から覆う構造物。地頭山古墳では、墳丘を残すために下り車線の上に架けられた。
現状保存(げんじょうほぞん)
遺跡を掘らずにその場に残すこと。記録保存と対になる考え方。
埋蔵文化財(まいぞうぶんかざい)
土の中に埋まっている文化財。史跡に指定されていなくても、工事の前に扱いが検討される。
横穴墓(よこあなぼ)
斜面を横に掘り込んで作った墓。神奈川県中西部では後期に数多く造られた。