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奈良県

櫛山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

櫛山古墳  / クシヤマコフン

双方中円墳 4世紀

丸い墳丘の両側に方形の出っぱりが付く、全国でも数少ない双方中円墳。

櫛山古墳とはどんな古墳か

奈良県天理市柳本町にある古墳です。文化庁は所在地を天理市柳本町とし、1957年(昭和32年)6月19日に国の史跡に指定されたと記しています。

この古墳の特徴は墳形にあります。円い中円部の両側に方形の突出部が付く双方中円墳という、全国でも数えるほどしかない形です。同じ形の古墳は、岡山県の楯築遺跡や香川県高松市の猫塚古墳などに限られるとされます。

ただし櫛山古墳の場合、二つの突出部は同じ大きさではありません。普通の前方後円墳に、もう一つの短い突出部を付け足したような形に変形しているとされます。

中円部の頂では竪穴式石室が見つかり、長持形石棺の一部が検出されたといいます。いっぽう短いほうの突出部には棺がなく、そこで祭りが行われた跡が確認されています。

櫛山古墳の読み方と別名

読みは「くしやまこふん」です。文化庁のふりがなも同じです。

櫛山という名の由来を記した公式の説明は、確かめられませんでした。山の形を櫛に見立てたとも考えられますが、そう説明する資料には行き着けませんでした。

この古墳の資料は、報告書の題名として残っています。国立国会図書館の検索では「天理市櫛山古墳出土の土器・土製品」「天理市櫛山古墳出土の滑石製品」といった記事が並びます。奈良県の調査報告『桜井茶臼山古墳 附櫛山古墳』のように、他の古墳の報告に添えられた形のものもあります。

櫛山古墳(くしやまこふん)

文化庁の指定名称。ふりがなも「くしやまこふん」で、これが公式の呼び方になる。

双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)

円い墳丘の両側に方形の突出部が付く形。全国でも数えるほどしか知られない。

柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)

この古墳が属するまとまり。行燈山古墳や黒塚古墳も同じ群に含まれる。

櫛山古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。文化庁のデータベースには解説文が載っておらず、被葬者にふれた公式の記述は確かめられませんでした。宮内庁の陵墓でもありません。

手がかりは、墳丘の使われ方にあります。下調べによれば、中円部の頂で長さ7.1メートル、幅1.4メートルの竪穴式石室が発掘され、内部に組合せ式の長持形石棺の一部が検出されたといいます。

いっぽう後方部には埋葬施設がなく、祭祀施設があったとされます。埋葬が終わったあと、日常品や土製の勾玉・管玉をわざと壊し、石塊とともに大きく掘った穴に投げ入れるという行いの跡です。

出た品の量は並ではありません。碧玉製の腕飾り類は、もとの個体数にして石釧107、車輪石105、鍬形石23にのぼるとされます。誰の墓かはわからないまま、その規模だけが伝わっています。

断定できない:わかっていない

解説文の欄が空欄で、被葬者にふれた公式の記述は確かめられなかった。

宮内庁の治定は無い:治定はされていない

陵墓ではなく、1957年(昭和32年)に国の史跡として指定されている。

櫛山古墳の大きさと形

櫛山古墳の大きさを記した公式のページを、確かめられませんでした。文化庁のデータベースは面積・時代・年代の欄がいずれも空欄で、解説文もありません。

下調べによれば、墳丘長152メートル、中円部の直径約90メートル、前方部の長さおよび幅とも60メートル、後方部の長さ25メートルとされます。周濠は持たないものの、周囲に周濠の区画が水田として残り、その範囲は東西190メートル、南北165メートルといいます。

段の築き方も左右で違います。中円部と後方部が3段、前方部が2段に築かれているとされます。墳丘全体には30センチほどの板状の葺石が葺かれていたとみられ、前方部と中円部の頂には、3から4センチの白い小石が埋葬施設のまわりに敷き詰められていたと考えられています。

所在地(市区町村):天理市柳本町

国の史跡の指定年月日:1957年(昭和32年)6月19日

種別:史跡

墳丘の規模:公式には確認できませんでした

櫛山古墳はいつ作られたか

築造の時期を記した公式のページは、確かめられませんでした。文化庁のデータベースは時代・年代の欄が空欄です。

下調べによれば、古墳時代前期後半の古墳とされます。同じ双方中円墳の香川県・猫塚古墳とともに前期の後半に属し、岡山県の楯築弥生墳丘墓より100年ほどあとの築造といいます。

すぐ隣にある黒塚古墳は、それより古い段階の古墳です。黒塚古墳の調査報告によれば、同古墳は全長約130メートルの前方後円墳で、築造時期は古墳時代前期前半と考えられています。同じ柳本町のなかに、前期の前半と後半の大きな古墳が並んでいることになります。

櫛山古墳の場所と行き方(観光情報)

この一帯は柳本古墳群と呼ばれ、行燈山古墳、渋谷向山古墳、黒塚古墳などが集まっています。少し北には西殿塚古墳もあります。

なかでも黒塚古墳は、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が石室からまとまって出たことで知られます。調査報告によれば、三角縁神獣鏡はいずれも木棺側に鏡面を向け、棺の北半部をコの字形に取り囲むように配列されていたとされます。

櫛山古墳

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櫛山古墳の住所:天理市柳本町

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:立ち入りについて公式の記載は確認できませんでした。下調べでは、行燈山古墳の後円部と山辺の道をはさんで接し、より山側の高い位置にあるとされます

所在地として公式に確かめられたのは、文化庁が記す天理市柳本町という市区町村名までです。番地は確かめられませんでした。

下調べによれば、この古墳は行燈山古墳の後円部と、石畳の残る山辺の道をはさんで接しています。つまり、宮内庁が管理する陵墓のすぐ隣に、掘ることのできた古墳が並んでいることになります。行き方・駐車場・料金は、いずれも公式の記載を確かめられませんでした。

櫛山古墳の発見と調査の歩み

  1. 前方後円墳に、もう一つ足したような形
  2. 棺のない側で行われたこと
  3. 飛行場の工事が掘り起こした

前方後円墳に、もう一つ足したような形

双方中円墳とは、円い墳丘の両側に方形の突出部が付く形をいいます。全国でも数えるほどしか知られていません。

ただし櫛山古墳は、教科書的な双方中円墳とは少し違います。下調べによれば、香川県の猫塚古墳のように二つの方形突出部がほぼ均等な大きさではなく、むしろ普通の前方後円部に、もう一つの短い突出部を付けたような形状に変形しているとされます。

中円部はほぼ正円形で、前方部は正方形をなし、前面の広がりや正面の弧がありません。後方部は短く、わずかに開いているだけです。

同じ「双方中円墳」でも、中身は一つずつ違う。分類の名前は便利ですが、それだけで形がわかるわけではありません。実際の墳丘は、その古墳ごとの事情でできています。

棺のない側で行われたこと

この古墳には、埋葬施設のない突出部があります。後方部です。

下調べによれば、後方部には埋葬施設がなく、祭祀施設があったとされます。埋葬が終わったあと、さまざまな日常品や土製の勾玉・管玉を故意に破損させ、石塊とともに大きく掘られた穴の中に投げ入れるという祭祀が行われたといいます。

わざと壊してから捨てる、という手順です。壊すことに意味があったとみられています。

そこから出た品の量は並ではありません。碧玉製の腕飾り類は、石釧107、車輪石105、鍬形石23という数にのぼるとされます。これらを模した土製品の破片も出ています。しかもこれは乱掘のあとに残った数にすぎず、当初は膨大な数が納められたことがわかる、と伝えられます。

飛行場の工事が掘り起こした

この古墳が調べられたきっかけは、戦争でした。

下調べによれば、太平洋戦争中に日本軍が近くの平野部に飛行場を建設したとき、櫛山古墳の一部が掘り荒らされたといいます。その後始末として、1943年に調査が行われました。

そのとき中円部の頂で竪穴式石室が発掘され、内部に組合せ式の長持形石棺の一部が検出されました。長持形石棺は、板石を組み合わせて箱形にした棺です。

壊されたから掘られた、という順序です。同じことは各地で起きています。桜塚古墳群の南天平塚古墳は道路工事のために掘られ、三昧塚古墳は土取り工事のために掘られました。いま知られていることの多くが、失われかけた場面で記録されたものです。

櫛山古墳から出土したもの

出土品を扱った記事の題名は、国立国会図書館の検索で確かめられます。「天理市櫛山古墳出土の土器・土製品」「天理市櫛山古墳出土の滑石製品」「天理市柳本町櫛山古墳南方採集の朝顔形円筒埴輪」といったものです。

ただし、出土品がいまどこに保管され、どこで見られるのかを記した公式のページには行き着けませんでした。高坏や壺などの土師器、鉄剣・刀子の破片、鉄斧も出ているとされます。

長持形石棺

中円部の竪穴式石室から一部が検出された、板石を組み合わせた箱形の棺。

碧玉製腕飾類

石釧・車輪石・鍬形石。もとの個体数にして235点にのぼるとされ、乱掘後に残った数という。

土製の模造品

碧玉製品を土で写した品の破片。直弧文を付けた鍬形石形の土製品も出土した。

位牌形石製品

人形が形骸化したものと想像される石製品。祭祀の跡から出土している。

櫛山古墳と関連する古墳

同じ時代・地域 同じ古墳群・形 比較対象 学説・治定の違い

櫛山古墳についてよくある質問

櫛山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。文化庁のデータベースには解説文がなく、被葬者にふれた公式の記述は確かめられませんでした。宮内庁の陵墓ではなく国の史跡です。

櫛山古墳はどこにありますか。

文化庁は所在地を奈良県天理市柳本町としています。下調べでは、行燈山古墳の後円部と山辺の道をはさんで接する位置とされます。

櫛山古墳の大きさはどれくらいですか。

公式の数字は確かめられませんでした。下調べでは墳丘長152メートル、中円部の直径約90メートル、前方部の長さと幅がともに60メートルとされます。

櫛山古墳はいつ作られましたか。

公式のページでは確かめられませんでした。下調べでは古墳時代前期後半とされ、隣の黒塚古墳より新しい段階の古墳と考えられています。

双方中円墳とはどんな形ですか。

円い墳丘の両側に方形の突出部が付く形です。全国でも数えるほどしかなく、岡山県の楯築遺跡や香川県の猫塚古墳などに限られるとされます。

櫛山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)

円い墳丘の両側に方形の突出部が付く古墳。全国でも例が少ない。

長持形石棺(ながもちがたせっかん)

板石を組み合わせて箱形にした石棺。中期の有力者の墓に多く用いられる。

車輪石(しゃりんせき)

碧玉などで作られた腕輪形の石製品。石釧・鍬形石とともに前期の古墳に副葬される。

直弧文(ちょっこもん)

直線と弧を組み合わせた文様。石製品や埴輪、石室の壁などに刻まれる。

櫛山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁