筑紫君磐井の墓とされる、石人石馬を並べた九州最大級の前方後円墳。
岩戸山古墳とはどんな古墳か
岩戸山古墳はひとことで言えば磐井の墓とされる古墳です。福岡県八女市にあり、文化庁は史跡「八女古墳群」の一部として、この古墳を「長峯丘陵ノ一部ヲ利用シテ築造セル前方後圓墳」とし、規模を「墳丘は主軸の長さ約145メートルを有する宏壮なものである」としています。
特徴は石人石馬です。土で作る埴輪ではなく、石で人や動物、盾や壺を作って並べました。文化庁の解説には「後圓部ノ前面ニハ武裝セル石人アリ」とあり、外堤に接する台地からは石猪の頭部・石人・各種の形象埴輪が発見されています。封土の中からも多数の石人・石馬・石盾・石壺が出土しました。
石で人や動物を作って墓に並べるのは、九州北部に特有の風習です。
被葬者について、文化庁は『筑後風土記』に見える筑紫国造磐井の墓の記事に一致する部分があると記しています。
岩戸山古墳の読み方と別名
読みは「いわとやまこふん」です。所在地の八女市は「やめし」と読みます。
文化庁の指定は「八女古墳群」の名で行われており、岩戸山古墳はその構成要素のひとつです。同じ指定には石人山古墳、善蔵塚古墳、弘化谷古墳、丸山塚古墳、丸山古墳、茶臼塚古墳、乗場古墳が含まれます。
いずれも筑紫国造磐井の一族との関連が考えられる古墳群です。
被葬者とされる人物は「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」または「筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)」と書かれます。
岩戸山古墳(いわとやまこふん)
文化庁・八女市が用いる名。
八女古墳群(やめこふんぐん)
文化庁の史跡指定名称。岩戸山古墳はその構成要素のひとつ。
岩戸山古墳は誰の墓か
岩戸山古墳の被葬者は確定していません。宮内庁の治定もありません(陵墓ではないためです)。
ただし、日本の古墳のなかでも被葬者の候補がとりわけはっきりしている古墳です。文化庁の詳細解説は次のように述べます。
この古墳は『筑後風土記』に見える筑紫国造磐井の墓墳の記事に一致する部分もあることにおいて注意
筑紫君磐井は、日本書紀に527年から528年にかけてヤマト王権に反旗をひるがえしたと記される人物です。この争いを磐井の乱と呼びます。
『筑後国風土記』には、磐井の墓とされる墓の様子が記されており、そこには石人・石馬が並び、別区と呼ばれる区画があったとされます。
岩戸山古墳には、実際に石人・石馬が出土しており、八女市が「別区」と呼ぶ区画も現地にあります。記述と遺跡が合う点が多いのです。
ただし文化庁の書き方は「一致する部分もあることにおいて注意」であって、断定ではありません。学術的な推定です。
有力とされる説:筑紫国造磐井
『筑後風土記』に見える磐井の墓の記事に一致する部分があるとされる。断定ではない。
古墳群全体の位置づけ:磐井の一族
史跡「八女古墳群」の解説に「筑紫国造磐井の一族との関連も考えられる」とある。
岩戸山古墳の大きさと形
文化庁の詳細解説は「墳丘は主軸の長さ約145mを有する宏壮なものである」としています。
同じページには、大正期の旧測量による記述も併載されています。
封土ハ二段ニ築カレ長徑約三百七十尺、後圓部ノ徑約百七十四尺、前方部ノ幅約百八十六尺アリ周圍ニ空濠ノ阯ヲ存ス
尺で書かれています。三百七十尺はおよそ112メートル、百七十四尺はおよそ53メートル、百八十六尺はおよそ56メートルにあたります。現在の約145メートルという値とは差がありますが、これは測る範囲と時代が違うためです。
墳丘は二段に築かれ、周囲に空濠の跡が残ります。
墳丘の主軸の長さ:約145メートル
大正期の旧測量:長径約370尺・後円部の径約174尺・前方部の幅約186尺
墳丘の段数:二段築成
岩戸山古墳はいつ作られたか
この古墳そのものの築造年を、西暦で示した公式の記載は確かめられませんでした。
被葬者を筑紫君磐井とする説にしたがえば、磐井の乱が527年から528年ですから、6世紀前半ということになります。
6世紀前半といえば、畿内では大阪府高槻市の今城塚古墳が築かれた時期です。531年に没した継体大王の墓と考えられている古墳です。
日本書紀によれば、磐井の乱を鎮圧したのは継体朝でした。同じ時代に、九州では磐井の墓とされる145メートルの古墳が、畿内では継体大王の墓とされる古墳が築かれていたことになります。
争った両者の墓が、いずれも残っているというのは珍しいことです。
岩戸山古墳の場所と行き方(観光情報)
岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」が隣接しており、ここが見学の起点になります。
施設の名がそのまま「いわい」となっているとおり、この地域は磐井という人物を土地の記憶として引き受けています。
岩戸山古墳(八女市岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷)
岩戸山古墳(八女市岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷)の住所:福岡県八女市吉田1562-1(岩戸山歴史文化交流館の所在地)
交通:西鉄久留米駅から八女行きバス「福島高校前」下車。八女インターチェンジから国道442号・国道3号経由で約15分
駐車場:普通車50台、大型バス3台
料金:無料
内部見学:入れる。歴史文化交流館の館内を通って岩戸山古墳の「別区」へ出られる
入館料は無料です。営業時間は9時から17時(最終入館16時30分)、休館日は月曜日(祝休日の場合は翌日)と年末年始です。
八女市の案内によれば、歴史文化交流館の館内を通って岩戸山古墳の別区へ出ることができます。正面入口には筑紫君磐井の像が立っています。
岩戸山古墳の発見と調査の歩み
石人石馬という九州の風習
岩戸山古墳を特徴づけるのが石人石馬です。
文化庁の詳細解説には、次の記述があります。
後圓部ノ前面ニハ武裝セル石人アリ
さらに「西側及び北側の外堤から円筒埴輪列が検出され、東北側の外堤に接する方形の台地上から石猪頭部・石人や各種の形象埴輪が発見された」「封土内からも多数の石人・石馬・石盾・石壺等が出土した」とあります。
埴輪と石人石馬の両方が使われています。土で作るものと石で作るものが並んでいたということです。
石人石馬は九州北部に特有の風習で、畿内の古墳には見られません。同じ時代の古墳でも、地域によって墓の飾り方が違っていたことがわかります。
岩戸山古墳出土の石人1点は、東京国立博物館が所蔵する重要文化財に指定されています。
「別区」という区画
岩戸山古墳には、別区と呼ばれる区画があります。
八女市の案内では、岩戸山歴史文化交流館の館内を通って古墳の別区へ出る道順が説明されています。館の正面入口には筑紫君磐井の像が立っており、そこを通っていく順路もあります。
『筑後国風土記』は、磐井の墓に石人・石馬が並び、区画があったと記します。その記述にあたる場所が、現地にあります。
文献に書かれた墓の造りが、現地の地形として残っている例は多くありません。被葬者を磐井とする説が強い理由のひとつがここにあります。
ただし、別区の具体的な石人・石馬の配置についての詳しい解説は、公式のページで確かめられませんでした。
八女古墳群の一部として
岩戸山古墳は、単独で史跡に指定されているわけではありません。
文化庁の指定名称は「八女古墳群」で、岩戸山古墳のほか、石人山古墳、善蔵塚古墳、弘化谷古墳、丸山塚古墳、丸山古墳、茶臼塚古墳、乗場古墳が含まれます。
文化庁は、これらについて「筑紫国造磐井の一族との関連も考えられる」としています。
一人の人物ではなく、一族の墓域として捉えられているわけです。九州北部を束ねた勢力が、何代にもわたって同じ丘陵に墓を築いていました。
その最後の、そして最大のものが岩戸山古墳です。磐井の乱ののち、この規模の古墳は九州に築かれなくなります。
岩戸山古墳から出土したもの
土の埴輪と、石の人・馬・盾・壺が、同じ古墳から出ています。
石人石馬は九州北部に特有の風習で、畿内の古墳には見られません。岩戸山古墳はその代表例です。
石人
武装した姿の石像。後円部の前面にあったと記される。1点は東京国立博物館所蔵の重要文化財。
石馬
封土内から多数出土した。
石猪の頭部
外堤に接する方形の台地上から発見された。
石盾・石壺
封土内から出土。石で道具の形を作ったもの。
円筒埴輪列
西側および北側の外堤から検出された。
形象埴輪
東北側の外堤に接する台地上から各種が発見された。
岩戸山古墳と関連する古墳
岩戸山古墳についてよくある質問
岩戸山古墳は誰の墓ですか。
確定していません。文化庁は『筑後風土記』に見える筑紫国造磐井の墓の記事に一致する部分があるとしています。磐井は527年から528年にヤマト王権に反旗をひるがえしたと日本書紀に記される人物です。
岩戸山古墳の大きさはどれくらいですか。
文化庁は墳丘の主軸の長さを約145メートルとしています。墳丘は二段に築かれ、周囲に空濠の跡が残ります。
石人石馬とは何ですか。
石で作った人や馬の像です。土で作る埴輪の代わりに墓に並べました。九州北部に特有の風習で、畿内の古墳には見られません。
岩戸山古墳は見学できますか。
できます。岩戸山歴史文化交流館(八女市吉田1562-1)が隣接しており、入館料は無料です。館内を通って古墳の別区へ出ることができます。
岩戸山古墳はどこにありますか。
福岡県八女市です。西鉄久留米駅から八女行きバス「福島高校前」下車、または八女インターチェンジから車で約15分です。
岩戸山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
石人石馬(せきじんせきば)
石で作った人や馬の像。九州北部の古墳に並べられた。
磐井の乱(いわいのらん)
527年から528年、筑紫君磐井がヤマト王権に反旗をひるがえしたとされる争い。
国造(くにのみやつこ)
古代、地方を治めた豪族に与えられた地位。
封土(ほうど)
古墳の盛り土のこと。
風土記(ふどき)
奈良時代に各国が編んだ地誌。地名の由来や産物、伝承を記す。
岩戸山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。