宮崎の台地に300余基。古墳のある風景がそのまま残る特別史跡。
西都原古墳群とはどんな古墳か
西都原古墳群は、古墳と周囲の景観を一体で見られる大規模古墳群です。宮崎県西都市の西都原台地に、古墳台帳の317基と陵墓参考地2基を合わせた319基が公的な数として示されています。
文化庁は1934年に史跡、1952年に特別史跡に指定しました。所在地は西都市大字三宅・大字童子丸・大字右松です。
範囲は東西約2.6キロメートル・南北約4.2キロメートル。古墳時代の各時期に築かれた前方後円墳・円墳・方墳があり、1912年から行われた調査は、日本で初期の本格的・組織的な古墳発掘として学史に位置付けられています。
数の多さだけでなく、大小・形・築造時期の違う墓を台地上で比較できること、調査と保存の歴史を現地で追えることが大きな特徴です。
西都原古墳群の読み方と別名
読みは「さいとばるこふんぐん」です。「原」を「はら」ではなく「ばる」と読みます。
九州南部では、台地や平らな土地を指して「原」と書き「ばる」と読む地名が数多くあります。西都原もそのひとつで、読みを間違えやすい古墳群の代表格です。
群の中の二基、男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)も読みにくい名です。どちらも宮内庁の陵墓参考地になっています。
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)
文化庁の指定名称。「さいとはら」ではなく「さいとばる」と読む。
男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)
群の中の最大級の古墳のひとつ。帆立貝形の古墳としては全国一の大きさとされる。
女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)
男狭穂塚と並ぶもう一基。九州最大の前方後円墳とされる。
西都原古墳群は誰の墓か
西都原古墳群の被葬者はわかっていません。
群の中でもっとも大きい二基、男狭穂塚古墳と女狭穂塚古墳は、宮内庁の陵墓参考地になっています。陵墓参考地とは、皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理しているものの、誰の墓と定めるところまでは至っていない場所のことです。
つまり、この二基については宮内庁自身が「決めていない」状態です。治定のある陵墓とは扱いが違います。
地域の伝承では日向神話の人物と結び付けられることがありますが、伝承上の比定と、発掘で確認できる被葬者は分けて扱います。
群全体についても、被葬者の名がわかっているものはありません。わかっているのは、4世紀から6世紀にかけて、この台地に有力者の墓が造られ続けたということだけです。
宮内庁の陵墓参考地:定められていない
男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳はいずれも陵墓参考地であり、特定の人物への治定はない。
学術的な状況:特定できていない
大小約300基の古墳が点在するが、被葬者の名がわかっているものはない。
西都原古墳群の大きさと形
群の範囲は東西約2.6キロメートル・南北約4.2キロメートルです。西都市が示す公的な数は、古墳台帳317基と男狭穂塚・女狭穂塚の陵墓参考地2基を合わせた319基です。
最大級の二基は、いずれも176メートル前後です。男狭穂塚古墳は墳長176メートルで、西都市は「帆立貝の平面形を有する古墳としては全国一の大きさ」としています。女狭穂塚古墳は墳長176.3メートルで、「九州一の大きさの前方後円墳」です。
全国一の帆立貝形墳と九州一の前方後円墳が、隣り合って並んでいます。
鬼の窟古墳(第206号墳)は直径36メートルの円墳で、二重の濠と高い土塁を持ちます。
古墳の数:319基(古墳台帳317基+陵墓参考地2基)
群の範囲:東西2.6キロメートル・南北4.2キロメートル
公園の供用面積:54.3ヘクタール
男狭穂塚古墳:帆立貝形・墳長176メートル(帆立貝の平面形を持つ古墳としては全国一)
女狭穂塚古墳:前方後円墳・墳長176.3メートル(九州最大)
鬼の窟古墳(第206号墳):円墳・直径36メートル
西都原古墳群はいつ作られたか
西都市は、男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳を古墳時代中期(5世紀)、鬼の窟古墳を6世紀末から7世紀初頭としています。群全体としては、古墳時代を通じて造られ続けました。
1912年(大正元年)に本格的な発掘調査が始まり、1934年に国の史跡、1952年に特別史跡へと指定が進みます。日本で最も早い時期に学術調査が行われた古墳群のひとつです。
1966年12月に「特別史跡公園西都原古墳群」として事業に着手し、翌1967年4月に開設されました。
西都原古墳群の場所と行き方(観光情報)
公園は1967年に「風土記の丘」の第一号として開設されました。古墳群の保存と活用に加えて、静かな環境を保つことが目的に掲げられています。
春は桜と菜の花、秋はコスモスで知られ、古墳のある台地がそのまま花畑になります。
西都原古墳群
西都原古墳群の住所:宮崎県西都市大字三宅・大字童子丸・大字右松(公園の所在地は西都市大字三宅)
交通:車は宮崎市内から国道219号経由で約40分、西都ICから約10分。公共交通は宮崎駅から西都バスセンターまで約70分、同センターからタクシー約10分
駐車場:西都原考古博物館正面(普通車100台、大型バス8台、身障者等専用8台)
料金:古墳群の散策と西都原考古博物館の入館は無料
内部見学:保存公開施設は利用可能。男狭穂塚・女狭穂塚は陵墓参考地のため墳丘内へ立ち入れない
特別史跡公園として整備されており、台地の上を自由に歩けます。
公園内には宮崎県立西都原考古博物館があり、出土品・古墳群の変遷・南九州特有の地下式横穴墓を展示で確かめられます。屋外の古墳は広い範囲に分布するため、博物館を起点に見たい古墳を絞って歩くと位置関係を理解しやすくなります。
西都原古墳群の発見と調査の歩み
大正元年、日本で最も早い学術調査が入った
西都原古墳群では、1912年から1917年にかけて30基が発掘されました。西都市はこれを、日本で初期の本格的・組織的な古墳発掘として説明しています。
公園の年表によれば、1912年(大正元年)に古墳の本格的発掘調査が始まりました。国の史跡に指定されたのが1934年(昭和9年)ですから、指定より20年以上早く調査が始まっていたことになります。
1952年(昭和27年)には特別史跡に指定されます。特別史跡は史跡のなかでもとくに価値が高いものに限られ、全国で60件あまりしかありません。
東京・京都の帝国大学、帝室博物館、宮内庁から研究者を招いた一方、「皇祖発祥の地」を実証しようとする当時の政策的意図もありました。発掘成果だけでなく、何を明らかにしようとして調査が始まったのかまで含めて学史を読む必要があります。
男狭穂塚と女狭穂塚
群の中央に、二基の大きな古墳が並んでいます。
男狭穂塚古墳は墳長176メートル。西都市と日本遺産ポータルは、国内最大規模の帆立貝形古墳と説明しています。帆立貝形という形だけで被葬者の身分を一律に決めることはできず、規模・築造時期・周辺古墳との配置を合わせて考えます。
女狭穂塚古墳は墳長176.3メートルの前方後円墳で、九州最大です。
二基はほぼ同じ大きさで隣り合っています。異なる墳形の大型古墳が隣接する配置を、現地の地形とともに見られる点が重要です。どちらも宮内庁の陵墓参考地であり、墳丘へ立ち入ることはできません。
国宝の馬具が出ている
西都原古墳群からは、国宝に指定された品が出ています。
西都市は「日向国児湯郡西都原古墳出土金銅製馬具」として、これを日本遺産の構成文化財に挙げています。朝鮮半島からもたらされた一揃いの馬具です。
金銅製の馬具が一式そろって出土する例は多くありません。九州の南の台地に葬られた人物が、朝鮮半島との行き来のなかにいたことを、物として示しています。
古墳の大きさだけでなく、副葬品の質でも、この群は中央と結びついていました。
日本遺産に認定された
2018年5月24日、西都原古墳群は日本遺産に認定されました。
ストーリーの名は「古代人のモニュメント ─ 台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観 ─」。西都市・宮崎市・新富町の3市町が、西都原古墳群、生目古墳群、新田原古墳群、蓮ヶ池横穴群をまとめて申請したものです。
日本遺産では、古墳が造られた当時に近い景観が保たれていることが、物語の中核に置かれています。
多くの古墳群が市街地の中に残るのに対し、西都原では複数の墳丘を台地の起伏とともに連続して見られます。残された個々の古墳だけでなく、古墳群をどう配置したかを読める景観として評価されています。
西都原古墳群から出土したもの
群の出土品は宮崎県立西都原考古博物館に収められています。
子持家形埴輪と舟形埴輪は、文化庁の日本遺産ポータルで西都原古墳群の構成文化財として挙げられています。展示は入替えや貸出しがあるため、実物を目的にする場合は博物館の展示情報を確認してください。
金銅製馬具
国宝。朝鮮半島からもたらされた一揃いの馬具として日本遺産の構成文化財に挙げられている。
子持家形埴輪
西都原古墳群を代表する埴輪として知られる。
舟形埴輪
同じく群を代表する埴輪。
西都原古墳群と関連する古墳
西都原古墳群についてよくある質問
西都原古墳群には古墳がいくつありますか。
西都市が示す公的な数は319基です。宮崎県教育委員会の古墳台帳317基に、陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚を加えた数です。
西都原古墳群は誰の墓ですか。
わかっていません。最大級の男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳は宮内庁の陵墓参考地となっていますが、特定の人物への治定はされていません。
西都原はなんと読みますか。
「さいとばる」と読みます。九州南部では「原」を「ばる」と読む地名が多くあります。
西都原古墳群はどこにありますか。
宮崎県西都市です。文化庁は所在地を西都市大字三宅・大字童子丸・大字右松としています。
西都原古墳群の見どころは何ですか。
古墳のある風景そのものです。西都市は「古墳の姿形が損なわれることなく、古墳の周りに建築物がほとんどない風景は全国で唯一」としています。
西都原古墳群と併せて覚えたい言葉・用語
陵墓参考地(りょうぼさんこうち)
皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理する場所。誰の墓かは定められていない。
風土記の丘(ふどきのおか)
遺跡を周囲の景観ごと保存し、公開する施設。西都原がその第一号。
日本遺産(にほんいさん)
地域の歴史的な魅力をストーリーとしてまとめ、文化庁が認定する制度。
横穴墓(よこあなぼ)
崖などに横穴を掘って造った墓。古墳とは造り方が違う。
西都原古墳群の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。