本文へ移動

福岡県

石人山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

石人山古墳  / セキジンサンコフン

前方後円墳 5世紀

武装した石人が立ち、石棺の蓋に直弧文が刻まれた最古期の装飾古墳。

石人山古墳とはどんな古墳か

福岡県八女郡広川町にある前方後円墳で、国の史跡「八女古墳群」を構成する一基です。文化庁は八女古墳群の指定年月日を1922年3月8日、追加年月日を1978年3月24日とし、所在地を八女市吉田・宅間・本、八女郡広川町、筑後市としています。

後円部の中央には緑泥片岩の平石を積んだ古い形の横穴式石室があり、その中に横口式の組合式家形石棺が納められています。石棺の蓋には直弧文と重圏文が浮き彫りにされ、丹が塗られており、最古期の装飾古墳として重んじられています。

石室の前には、名の由来となった武装石人が安置されています。国の重要文化財で、文化庁は保管施設と所有者をどちらも広川町としています。岩戸山古墳の被葬者とされる筑紫君磐井より、数世代前の人物の墓とみる説があります。

石人山古墳の読み方と別名

読みは、公式の資料のあいだで分かれています。一般には「せきじんさんこふん」と読まれますが、国立国会図書館の典拠データは「セキジンヤマ コフン」としています。

どちらも誤りではありません。「石人山」を音で読むか訓で読むかの違いです。この図鑑では「せきじんさんこふん」を基本にし、別の読みも示しています。

国の史跡としての名称は、この古墳単独ではなく「八女古墳群」です。1978年(昭和53年)に、既に指定されていた4件の史跡を統合し、3基を追加指定して、この名に変わりました。

石人山古墳(せきじんさんこふん)

広く用いられる読み。石人の立つ山、という意味で「さん」と読ませる。

石人山古墳(せきじんやまこふん)

国立国会図書館の典拠データは、読みを「セキジンヤマ コフン」としている。公式の資料のあいだで読みが分かれる例。

武装石人(ぶそうせきじん)

国の重要文化財としての名称。文化庁は保管施設・所有者をどちらも広川町としている。

八女古墳群(やめこふんぐん)

国の史跡としての指定名称。1978年に4件の史跡を統合し、この名に変更された。

石人山古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。文化庁の解説文も被葬者を特定していません。

かつては、この古墳を筑紫君磐井の墓に比定する説がありました。文化庁の古い解説文にも、筑後風土記に見える筑紫国造磐井の墓墳の記事に一致する部分がある、という一節があります。ただしこの記述は、同じ欄に載る岩戸山古墳についてのものです。

現在では、磐井の墓は岩戸山古墳とみるのが一般的です。石人山古墳は5世紀前半から中頃の築造と考えられ、磐井の数世代前にあたることから、磐井の祖父の墓ではないかとみる説が挙げられています。

いずれも確かめられてはいません。この古墳は宮内庁の陵墓ではなく、国の史跡として扱われています。

断定できない:わかっていない

解説文は墳丘・石室・石人について記すが、この古墳の被葬者を特定してはいない。

陵墓ではなく、国の史跡「八女古墳群」の一部として扱われている:宮内庁の治定は無い

石室前の武装石人は国の重要文化財で、保管施設・所有者はどちらも広川町とされている。

石人山古墳の大きさと形

文化庁の解説文は、規模を古い単位で記しています。封土は二段に築かれ、長径約三百七十尺、後円部の径約百七十四尺、前方部の幅約百八十六尺。一尺はおよそ0.303メートルです。

読むときに注意が必要です。八女古墳群の欄には複数の古墳の記述が続けて載っており、「主軸の長さ約145メートル」という数字は、石人山古墳ではなく岩戸山古墳のものです。

前方部は二段、後円部は三段に築かれ、北側のくびれ部には造出が現存します。築造の当初は周濠と周堤をもっていたとみられ、いまも前方部の西側と後円部の東側にその一部を確かめられます。

長径(文化庁の解説文):約三百七十尺

後円部の径(文化庁の解説文):約百七十四尺

前方部の幅(文化庁の解説文):約百八十六尺

史跡の指定年月日・追加年月日:1922年3月8日/1978年3月24日

石人山古墳はいつ作られたか

築造は5世紀前半から中頃と考えられています。根拠は、墳形と、出土した須恵器の年代観です。

5世紀前半から中頃は、熊本県の江田船山古墳より前、福岡県の岩戸山古墳より百年ほど前にあたります。八女古墳群のなかでは、いちばん古い時期の大型古墳です。

この時期に、すでに石棺の蓋に直弧文を彫り、丹を塗るという装飾が行われていました。装飾古墳といえば王塚古墳竹原古墳のように石室の壁に文様を描くものが知られますが、石人山古墳の装飾はそれらより早く、最古期の装飾古墳として重んじられています。

石人山古墳の場所と行き方(観光情報)

八女古墳群は、筑後平野に張り出した長峯丘陵の上に営まれた古墳群です。文化庁は、乗場古墳・石人山古墳・岩戸山古墳・善蔵塚古墳・弘化谷古墳など8基を挙げています。

石人山古墳は、そのなかで最も古い時期の大型古墳です。筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳とあわせて訪ねると、この一族の古墳の移り変わりがたどれます。

石人山古墳(史跡「八女古墳群」のうち)

地図で開く

石人山古墳(史跡「八女古墳群」のうち)の住所:八女市吉田・宅間・本、八女郡広川町、筑後市

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:宮内庁の陵墓ではなく国の史跡ですので、陵墓のような立ち入り禁止の扱いは受けていません。石室は江戸時代に開口し天井部を失っていますが、保護施設に覆われており、のぞき込むようにして見学できるとされます。ただし見学の可否や時間については、公式のページで確認できませんでした

文化庁のデータベースが示す所在地は、八女古墳群全体の所在地です。八女市吉田・宅間・本、八女郡広川町、筑後市という広い範囲が記されており、このうち石人山古墳があるのは八女郡広川町にあたります。

この図鑑では、公式のページに書かれた文字列をそのまま載せています。番地までの記載はありません。行き方については公式のページで確かめられませんでしたので、広川町の案内でご確認ください。

石人山古墳の発見と調査の歩み

  1. 打たれ、なでられ続けた石人
  2. 石棺の蓋に彫られた直弧文
  3. 八つの古墳が、一つの名になった日

打たれ、なでられ続けた石人

石室の前の石人社には、武装した石人が一体、石室側に背を向けて安置されています。国の重要文化財です。

阿蘇の溶結凝灰岩でできており、三角板短甲と草摺をつけています。文化庁は、この石人について「短甲を装着した大形な石人である。装着した短甲は、原形を比較的忠実に写している」としています。

いま顔は潰れ、上半身の模様も不鮮明になっています。文化庁はその理由を、風化による磨損のほか、病を直すため、木槌で打ち敲いたり、打ち欠いて持ち去ると全快するという、この地方の信仰があったためと思われるとしています。朱の残りが部分的に顕著で、当初は朱彩の鮮やかな石人だったと考えられています。

石棺の蓋に彫られた直弧文

後円部の中央には、緑泥片岩の平石を積んだ古い形の横穴式石室があります。その中に納められているのが、横口式の組合式家形石棺です。

蓋は寄棟造の形で底辺の長さ2.8メートル、妻側に縄掛突起が造り出されています。身は4枚の板石を組み合わせ、高さ1.4メートル・長さ2.3メートルです。

この蓋には直弧文重圏文が浮き彫りにされ、さらに丹が塗られていました。5世紀前半という早い時期にこうした装飾が行われていたことが、この古墳を最古期の装飾古墳とする根拠です。文化庁の古い解説文にも、棺蓋に直弧紋を刻し朱塗を施していることを近年発見した、と記されています。

八つの古墳が、一つの名になった日

この古墳は、1938年(昭和13年)8月8日に「石人山古墳」として国の史跡に指定されました。しかしいま、文化庁のデータベースでこの名を探しても出てきません。

1978年(昭和53年)3月24日、岩戸山古墳・乗場古墳・石人山古墳・善蔵塚古墳の4件が統合され、丸山塚古墳・丸山古墳・茶臼塚古墳が追加指定されて、指定名称が「八女古墳群」に変更されたためです。

個別に守るのではなく、丘陵の上の古墳群としてまとめて守る、という考え方への切り替えです。そのぶん、文化庁のデータベースを引くときには探す名が変わります。石人山古墳を調べたい人は、八女古墳群の欄を見る必要があります。

石人山古墳から出土したもの

この古墳の石室は江戸時代に開口し、天井部を失っています。そのため副葬品の多くは失われたとみられます。

残っているのは、石室の前の武装石人と、石室内の石棺です。どちらも動かせない大きさだったことが、いまに残った理由でしょう。文化庁の古い解説文には、封土内から多数の石人・石馬・石盾・石壷などが出土したという記述もありますが、これは同じ欄に載る岩戸山古墳についてのものです。

武装石人

国の重要文化財。阿蘇の溶結凝灰岩製で、三角板短甲と草摺をつけた大形の石人。

横口式組合式家形石棺

後円部の石室に納められた石棺。蓋は寄棟造で底辺の長さ2.8メートル。

直弧文・重圏文

石棺の蓋に浮き彫りされた文様。丹が塗られており、最古期の装飾古墳とされる根拠。

須恵器

出土した年代観が、この古墳を5世紀前半から中頃とする手がかりになっている。

石人山古墳と関連する古墳

石人山古墳についてよくある質問

石人山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。筑紫君磐井の祖父の墓とみる説がありますが、確かめられてはいません。かつては磐井の墓に比定されていましたが、現在では岩戸山古墳とみるのが一般的です。

石人山古墳はどこにありますか。

福岡県八女郡広川町にあります。文化庁は、八女古墳群全体の所在地として八女市吉田・宅間・本、八女郡広川町、筑後市を挙げています。

石人山古墳の大きさはどれくらいですか。

文化庁の解説文は、封土が二段に築かれ長径約三百七十尺、後円部の径約百七十四尺、前方部の幅約百八十六尺としています。一尺はおよそ0.303メートルです。

石人山古墳はいつ作られましたか。

墳形や出土した須恵器の年代観から、5世紀前半から中頃と考えられています。八女古墳群のなかではいちばん古い時期の大型古墳です。

石人山古墳の読み方を教えてください。

一般には「せきじんさんこふん」と読みます。ただし国立国会図書館の典拠データは「セキジンヤマ コフン」としており、資料のあいだで読みが分かれています。

石人山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

装飾古墳(そうしょくこふん)

石室や石棺に文様や絵が描かれた古墳。九州北部に多い。

石人(せきじん)

古墳のそばに立てられた石の人物像。九州の一部の古墳に特有。

直弧文(ちょっこもん)

直線と弧を組み合わせた日本独特の文様。石棺や武具の飾りに使われる。

造出(つくりだし)

くびれ部の横に張り出した壇のような部分。祭りを行った場所とされる。

石人山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁
  2. 文化庁