継体大王の墓と考えられ、しかも墳丘に登れる大王陵級の古墳。
今城塚古墳とはどんな古墳か
今城塚古墳はひとことで言えば登れる大王陵です。大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳で、高槻市は「淀川流域では最大級の前方後円墳」としています。
墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約360メートル。指定面積は約85,210平方メートルです。
高槻市はこの古墳を「531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です」と説明しています。
ところが宮内庁が継体天皇の陵として治定しているのは、ここではありません。大阪府茨木市太田三丁目にある別の古墳です。治定と学術的な見解が食い違う、代表的な例になっています。
今城塚古墳の読み方と別名
読みは「いましろづかこふん」です。
名の由来は古墳そのものではなく、戦国時代にあります。高槻市は「今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用された伝承にもとづくもので、江戸時代の絵図にも今城陵などと記されています」としています。
高く盛られた古墳は、1000年後には城として使われました。同じことは大阪府藤井寺市の津堂城山古墳にも起きています。
今城塚古墳(いましろづかこふん)
高槻市が用いる正式な名。国の史跡としての名称は「史跡今城塚古墳」。
今城陵(いまきのみささぎ)
江戸時代の絵図に見える呼び方。高槻市が紹介している。
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
宮内庁が継体天皇の陵とする名。ただし宮内庁がこの名で管理しているのは茨木市太田三丁目にある別の古墳で、今城塚古墳ではない。
今城塚古墳は誰の墓か
今城塚古墳の被葬者は、確定していません。しかしこの古墳は、被葬者をめぐる状況がとりわけはっきりしています。
学術的に有力な見方について、高槻市は今城塚古墳を、531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられる古墳として説明しています。
宮内庁の側は違います。宮内庁は継体天皇の陵を「三嶋藍野陵」とし、その所在地を大阪府茨木市太田三丁目としています。今城塚古墳のある高槻市郡家新町ではありません。茨木市太田にあるのは太田茶臼山古墳で、堺市の全国の大きさ順の表でも「太田茶臼山古墳(継体陵) 226 大阪府茨木市太田」と記載されています。
同じ天皇について、宮内庁が管理する古墳と、学術的に有力とされる古墳が、別の市に存在しています。
この食い違いには、思わぬ結果がありました。今城塚古墳は陵墓ではないため、発掘ができます。次の節に述べる埴輪祭祀区の発見も、墳丘に登れることも、そのおかげです。
学術的に有力な説:継体大王
531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられている、と高槻市が明記している。
宮内庁の治定:継体天皇(別の古墳)
宮内庁が三嶋藍野陵として管理するのは大阪府茨木市太田三丁目にある古墳であり、今城塚古墳ではない。
今城塚古墳の大きさと形
高槻市は、二重の濠を含めた総長約350メートル・総幅約360メートルとしています。指定されている面積は約85,210平方メートルです。
墳丘は西を向いています。前方後円墳としては、前方部を西に向ける向きです。
いまの墳丘は造られた当時のままではありません。1596年の伏見地震による地滑りで、盛り土の多くが内濠へ滑落したことが発掘でわかっています。さらに江戸時代以降、内濠の水田化や内堤の土採りが進み、本来の形が大きく崩れているところがあります。
二重濠を含む総長:約350メートル
二重濠を含む総幅:約360メートル
指定面積:約85,210平方メートル
家形埴輪の高さ:約170センチメートル(日本最大の家形埴輪)
今城塚古墳はいつ作られたか
築造は6世紀前半とされます。高槻市はこの古墳を、531年に没した継体大王の陵墓と結びつけて説明しています。
継体大王は、前の大王家の血筋が絶えたときに越前(いまの福井県)から迎えられたと伝えられる人物です。大和ではなく淀川流域に大王陵級の古墳が築かれたことは、この伝承と合います。高槻市も「古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳」と強調しています。
1997年度から10年にわたる確認調査で、古墳の規模、のちの城砦としての利用、地震による変形の様子などが明らかになりました。
今城塚古墳の場所と行き方(観光情報)
高槻市は公共交通機関の利用を勧めています。駐車場は今城塚古代歴史館のもので約35台、無料です。利用時間は10時から17時30分で、歴史館の休館日(月曜日。ただし祝日は開館/祝日の翌平日/12月28日から1月3日)は使えません。
公園そのものは常時開放されています。
今城塚古墳公園(いましろ大王の杜)
今城塚古墳公園(いましろ大王の杜)の住所:大阪府高槻市郡家新町
交通:JR摂津富田駅または阪急富田駅から市営バス「奈佐原」行きで「今城塚古墳前」下車、徒歩約2分。JR高槻駅北からは「平安女学院」「関西大学」行きで「清福寺」下車、西へ徒歩約10分
駐車場:今城塚古代歴史館駐車場(無料、約35台)。利用時間は10時から17時30分。歴史館の休館日は利用不可
料金:公園は無料。歴史館も無料(特別展は有料の場合あり)
内部見学:入れる。墳丘に登ることができる
大王陵級の古墳で、墳丘の上まで登れる場所は多くありません。陵墓に指定されていないためです。
公園の北側には今城塚古代歴史館があり、出土した埴輪や調査成果を実物・模型・映像で見られます。歴史館は10時から17時までで、入館は16時30分までです。
今城塚古墳の発見と調査の歩み
200点以上の埴輪が並ぶ祭りの場
今城塚古墳でもっとも知られているのが、埴輪祭祀区です。
2001年度から2002年度の調査で、北側の内堤から見つかりました。家・人物・動物など200点以上の形象埴輪が、整然と並べられていたのです。高槻市は、これを「大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めています」としています。
現在は復元した埴輪を並べ、当時の様子を再現しています。高槻市は「大王のハニワ祭が再現されているのは日本でここだけです」と書いています。
出土した家形埴輪は高さ約170センチメートルで、日本最大の家形埴輪です。精巧な武人埴輪も見つかっています。
伏見地震で墳丘が崩れた
1997年からの発掘調査は、思わぬことを明らかにしました。
高槻市は「文禄5(1596)年の伏見地震による地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明しました」としています。
伏見地震は、豊臣秀吉の伏見城を倒壊させた大地震です。その揺れが、1000年前に築かれた古墳の盛り土を濠へ落としました。
古墳の形が崩れている理由は、これだけではありません。江戸時代以降、内濠は水田にされ、内堤からは土が採られました。古墳の姿は、造られてからの1500年のあいだに、地震と人の手で何度も変わっています。
陵墓でないことが、かえって幸いした
宮内庁が継体天皇の陵として治定しているのは、茨木市太田の古墳です。今城塚古墳ではありません。
そのため今城塚古墳は陵墓ではなく国の史跡として扱われ、発掘調査ができました。1997年度からの10年におよぶ確認調査で、規模も、埴輪祭祀区も、地震による変形も明らかになりました。
高槻市は約50年をかけて、国や大阪府の支援を受けながらほぼ全域を公有化しています。そのあいだに墳丘の水田耕作はやみ、マツ林はクヌギやシイのドングリ林に移り変わりました。
治定されていないことが、この古墳をいちばん詳しくわかる大王陵にしました。
今城塚古墳から出土したもの
出土品は今城塚古代歴史館(いましろ大王の杜)で見られます。
埴輪が「どのように並べられていたか」まで分かっている大王陵級の古墳は、ほかにありません。個々の埴輪より、並びかたそのものがこの古墳の成果です。
家形埴輪
高さ約170センチメートル。日本最大の家形埴輪とされる。
武人埴輪
精巧な作りで知られる。埴輪祭祀区から出土。
形象埴輪群
北側内堤の埴輪祭祀区から、家・人物・動物など200点以上が整然と並んだ状態で見つかった。
円筒埴輪
墳丘の表土が流出して露出したものが確認されている。
今城塚古墳と関連する古墳
今城塚古墳についてよくある質問
今城塚古墳は誰の墓ですか。
高槻市は「531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられ」としています。ただし宮内庁が継体天皇の三嶋藍野陵として管理しているのは大阪府茨木市太田三丁目にある別の古墳で、今城塚古墳ではありません。学術的には確定していません。
今城塚古墳に登れますか。
登れます。陵墓に指定されていないため、墳丘の上まで入ることができます。入園料は無料です。
今城塚古墳の埴輪祭祀区とは何ですか。
北側の内堤で見つかった、形象埴輪が整然と並べられていた場所です。家・人物・動物など200点以上が出土しました。現在は復元した埴輪が並べられています。
今城塚古墳はどこにありますか。
大阪府高槻市郡家新町です。JR摂津富田駅または阪急富田駅から市営バス「奈佐原」行きに乗り、「今城塚古墳前」から徒歩約2分です。無料駐車場は約35台ですが、歴史館の休館日は使えません。
なぜ今城塚という名前なのですか。
戦国時代に城砦として利用されたという伝承にもとづきます。江戸時代の絵図には「今城陵」とも記されています。
今城塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
形象埴輪(けいしょうはにわ)
家・人物・動物・道具などの形を作った埴輪。円筒埴輪と区別する。
内堤(うちづつみ)
二重の濠を持つ古墳で、内側の濠と外側の濠のあいだにある土手。
大王(おおきみ)
古墳時代の倭の最高権力者を指す呼び方。天皇号の成立より前の言い方。
公有化(こうゆうか)
遺跡を保存するため、自治体などが土地を買い取ること。
今城塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。