本文へ移動

熊本県

江田船山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

江田船山古墳  / エタフナヤマコフン

前方後円墳 5世紀

75文字の銀象嵌銘大刀が出た、清原古墳群で最大の前方後円墳。

江田船山古墳とはどんな古墳か

江田船山古墳はひとことで言えば銘文の大刀が出た古墳です。熊本県玉名郡和水町にあり、和水町は規模を、墳丘62メートル、後円部の直径41メートル・高さ10メートル、前方部の幅40メートル・高さ7.5メートルとしています。

周溝を含めた全長は約77メートル。清原古墳群に現存する古墳の中で一番大きい古墳です。

発掘のきっかけは変わっています。和水町は「明治6(1873)年に地元(江田村)の池田佐十が、夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し」と記しています。

出土品は92件。75文字の銘をもつ銀象嵌銘大刀をはじめ、刀剣類、銅鏡6面、冠帽類、耳飾類、玉類、武具類、馬具類、鉄鏃類、土器類が含まれます。これらは1965年(昭和40年)に一括して国宝に指定され、現在は東京国立博物館にあります。

江田船山古墳の読み方と別名

読みは「えたふなやまこふん」です。旧江田村にある船山という丘に由来します。

この古墳が属する清原古墳群は「せいばるこふんぐん」と読みます。九州では「原」を「ばる」と読む地名が多く、宮崎県の西都原(さいとばる)と同じです。

「江田」を「こうだ」と読み違えることがありますが、正しくは「えた」です。

江田船山古墳(えたふなやまこふん)

和水町が用いる正式な名。旧江田村の船山にあることによる。

銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)

出土した大刀の名。75文字の銘を持つ。古墳の名ではない。

清原古墳群(せいばるこふんぐん)

この古墳が属する古墳群の名。

江田船山古墳は誰の墓か

江田船山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。

ただし、この古墳には他に類のない手がかりがあります。大刀に刻まれた75文字の銘です。和水町はその全文を公開しており、冒頭は次のように始まります。

台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利)弖

和水町はこれを「天下を治めていた獲加多支鹵大王(雄略天皇456〜479年)の世に、典曹(役所の仕事)に奉事していた人の名前は无利弖(ムリテ)」と説明しています。

つまり銘文が語るのは、大刀を持っていた人物の名(ムリテ)と、その人が仕えた大王の名です。

ただしこれは大刀を賜った人物の名であって、この古墳に葬られた本人と同じかどうかは別の問題です。和水町も被葬者を断定してはいません。

銘文は続けて、鍛えた回数、刀を持つ者の長寿と子孫の繁栄、刀を作った者の名(伊太□)、書いた者の名(張安)を記します。

銘文に名の見える人物:ムリテ(无利弖)

銘文は、大王に仕えた典曹人としてこの名を記す。この人物が被葬者かどうかは確定していない。

銘文に名の見える大王:獲加多支鹵大王

和水町は雄略天皇(456年から479年)と説明する。ただしこれは大刀を賜った時の大王であり、被葬者ではない。

被葬者そのもの:わかっていない

古墳に葬られた人物の名は特定されていない。

江田船山古墳の大きさと形

和水町は「規模は、墳丘62メートル、後円部直径41メートル、後円部高さ10メートル、前方部幅40メートル、前方部高さ7.5メートルの前方後円墳です」としています。

左右のくびれ部の付近に造り出しがあり、右の造り出しの突端部は長さ8メートル・幅5メートル、左は長さ8メートル・幅3メートルです。

墳丘の周囲には幅7.5から13メートルの周溝がめぐります。周溝を含めた全長は約77メートルとなり、清原古墳群に現存する古墳の中で一番大きい古墳です。

埋葬施設は阿蘇凝灰岩の切石を組み合わせた横口式家形石棺で、長さ2.2メートル・幅1.1メートル・高さ1.45メートルです。

墳丘の長さ:62メートル

後円部の直径:41メートル

後円部の高さ:10メートル

前方部の幅:40メートル

前方部の高さ:7.5メートル

周溝を含めた全長:約77メートル

横口式家形石棺:長さ2.2メートル・幅1.1メートル・高さ1.45メートル

銘文の文字数:75文字

江田船山古墳はいつ作られたか

和水町は「築造年代は出土遺物からみて5世紀後半と推定されます」としています。

銘文にある獲加多支鹵大王を雄略天皇とみる場合、その在位は456年から479年にあたります。5世紀後半という年代と合います。

5世紀後半は、大阪で大仙陵古墳が造られ、埼玉県では稲荷山古墳が築かれた時期です。東の埼玉と西の熊本から、同じころに文字を刻んだ刀剣が出ていることになります。

和水町は、この古墳から中国・朝鮮半島系の遺物も多く出ていることを挙げ、広域的な交流を示すとしています。

江田船山古墳の場所と行き方(観光情報)

古墳は肥後古代の森として整備された一帯にあり、同じ清原古墳群の塚坊主古墳などと合わせて歩けます。

国宝の実物を見たい場合は、東京国立博物館へ行くことになります。現地で見られるのは古墳と石棺です。

江田船山古墳

地図で開く

江田船山古墳の住所:熊本県玉名郡和水町(和水町役場は玉名郡和水町江田3886)

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:石室の見学は自由

内部見学:入れる。和水町は「江田船山古墳の石室は、自由にどなたでも見学することができます」としている

石室を自由に見学できます。和水町は「江田船山古墳の石室は、自由にどなたでも見学することができます」と明記しています。

ただし出土品の実物は現地にはありません。92件の国宝は東京国立博物館に展示保管されています。

行き方と駐車場については、公式の記載を確かめられませんでした。

江田船山古墳の発見と調査の歩み

  1. 夢のお告げで掘った
  2. 75文字が語ること
  3. 東の稲荷山、西の江田船山

夢のお告げで掘った

江田船山古墳の発掘は、学術調査から始まったのではありません。

和水町は次のように記しています。

明治6(1873)年に地元(江田村)の池田佐十が、夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し

夢のお告げです。1873年といえば明治6年、日本にまだ考古学という学問が根づく前のことです。

掘り当てられた石棺の中から、のちに国宝となる92件が出てきました。日本の古代史をめぐる議論の土台になった品が、夢を頼りに掘り出されたことになります。

出土品は1965年(昭和40年)に一括して国宝に指定されました。

75文字が語ること

銀象嵌銘大刀の銘文は75文字。和水町が全文を公開しています。

刻まれているのは、次のことです。大王の名(獲加多支鹵大王)。仕えた人物の名(无利弖)。作った月(八月)。材料と工程(大鉄釜を用い、四尺の廷刀、八十練、九十振、三寸の上好の刊刀)。持ち主への言葉(この刀を持つ者は長寿、子孫は洋々、統べるところを失わず)。作った者の名(伊太□)。そして書いた者の名(張安)。

誰が、誰のために、どのように作り、誰が字を書いたか。これだけの情報が一本の刀に収まっています。

「張安」という名は中国風です。文字を書ける渡来系の技術者が関わっていたと考えられています。

東の稲荷山、西の江田船山

5世紀後半の日本から、文字を刻んだ刀剣が二本出ています。

ひとつは埼玉県行田市の稲荷山古墳から出た金錯銘鉄剣。115文字。もうひとつが、この江田船山古墳の銀象嵌銘大刀。75文字です。

関東と九州という、日本の東と西の端に近い場所から、同じ時期に、大王に仕えた人物の名を刻んだ刀剣が出ました。

どちらも国宝です。稲荷山古墳の出土品は埋葬施設から出た遺物が一括で、江田船山古墳の出土品は92件がまとめて指定されています。

王権の力が列島の広い範囲に及んでいたことを、物として示す資料になっています。

江田船山古墳から出土したもの

出土品92件は1965年(昭和40年)に国宝に指定され、現在は東京国立博物館に展示保管されています。

和水町は、中国・朝鮮半島系の遺物も多いことを挙げ、この古墳の被葬者が広い範囲の交流のなかにいたことを示すとしています。

銀象嵌銘大刀

75文字の銘を持つ大刀。大王の名と、仕えた人物の名、作者名までが刻まれる。

銅鏡

6面が出土。

冠帽類・耳飾類

金銅製の装身具。

武具類・馬具類

甲冑や馬具。中国・朝鮮半島系のものを含む。

玉類・鉄鏃類・土器類

国宝92件に含まれる。

横口式家形石棺

阿蘇凝灰岩の切石を組み合わせたもの。長さ2.2メートル。

江田船山古墳と関連する古墳

江田船山古墳についてよくある質問

江田船山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。出土した大刀の銘文には「无利弖(ムリテ)」という人物の名が刻まれていますが、その人物が被葬者本人かどうかは確定していません。

江田船山古墳の大刀には何文字刻まれていますか。

75文字です。埼玉県の稲荷山古墳から出た金錯銘鉄剣の115文字とは別の刀で、文字数も違います。

江田船山古墳の石室は見学できますか。

できます。和水町は「江田船山古墳の石室は、自由にどなたでも見学することができます」としています。ただし出土品の実物は東京国立博物館にあります。

江田船山古墳の大きさはどれくらいですか。

和水町によれば墳丘62メートル、後円部の直径41メートル・高さ10メートル、前方部の幅40メートル・高さ7.5メートルです。周溝を含めた全長は約77メートルになります。

江田船山古墳はどこにありますか。

熊本県玉名郡和水町です。清原古墳群に属し、群の中でいちばん大きい古墳です。

江田船山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

銀象嵌(ぎんぞうがん)

金属に溝を彫り、銀をはめ込んで文様や文字を表す技法。

横口式家形石棺(よこぐちしきいえがたせっかん)

屋根形の蓋を持ち、横から出入りできる口を設けた石棺。

阿蘇凝灰岩(あそぎょうかいがん)

阿蘇山の噴火でできた岩。加工しやすく、九州の石棺に多く使われる。

渡来人(とらいじん)

朝鮮半島や中国から日本へ渡ってきた人々。文字や技術を伝えた。

江田船山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 和水町