三角縁神獣鏡が7面伝わる、九州でもごく早い時期の前方後円墳。
石塚山古墳とはどんな古墳か
福岡県京都郡苅田町にある前方後円墳です。文化庁は、ふりがなを「いしづかやまこふん」とし、1985年(昭和60年)1月31日に国の史跡に指定、2017年(平成29年)10月13日に範囲を追加しています。指定面積は5829.35平方メートルです。
この古墳が知られてきたのは、墳丘の大きさよりも、そこから出た鏡によってです。文化庁は国の重要文化財「豊前国京都郡石塚山古墳出土品」の所有者名を宇原神社と記しています。三角縁神獣鏡7面、銅鏃1本、刀剣類残闕が一括で指定されています。
現存する鏡の一部は、京都府の椿井大塚山古墳などから出た鏡と同じ鋳型で作られたものだとされます。その配り方から、古墳時代の始まりのころの結びつきが読み取られてきました。
石塚山古墳の読み方と別名
読みは「いしづかやまこふん」です。文化庁のふりがなもこの読みで、「づ」を使います。
引っかかりやすいのは、所在地の郡名です。福岡県京都郡は「みやこぐん」と読みます。重要文化財の指定名称「豊前国京都郡石塚山古墳出土品」のふりがなも、文化庁は「ぶぜんのくにみやこぐんいしづかやまこふんしゅつどひん」としています。京都府とは何の関わりもありません。
豊前は、いまの福岡県東部から大分県北部にあたる旧国名です。文化財の名は指定されたときの呼び方が残るため、旧国名と郡名を冠した長い名がそのまま使われています。石塚山という名そのものは、石を積んだ塚という、見たままの呼び名です。
石塚山古墳(いしづかやまこふん)
文化庁が用いる名。ふりがなは「いしづかやま」で、「いしつか」と濁らない形ではない。
豊前国京都郡石塚山古墳出土品(ぶぜんのくにみやこぐんいしづかやまこふんしゅつどひん)
重要文化財の指定名称。旧国名の豊前と、郡名の京都が冠されている。
京都郡(みやこぐん)
古墳がある郡の名。「きょうとぐん」ではなく「みやこぐん」と読む。
石塚山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁の国指定文化財等データベースは、重要文化財「豊前国京都郡石塚山古墳出土品」の解説文を「古墳時代の資料。」の一行としており、被葬者について書かれた記載はまったくありません。史跡の欄も、指定年月日と所在地、面積を記すのみです。
手がかりになるのは鏡です。三角縁神獣鏡は、同じ鋳型から作られた鏡が各地の古墳に分かれて納められる例が多く、その配られ方から、古墳時代の始まりのころに畿内を中心とした結びつきがあったと考えられてきました。
つまり、九州の東の玄関口にあたるこの土地の首長が、早い段階からその結びつきの中にいたということになります。宮内庁の陵墓としての治定は受けていません。
断定できない:わかっていない
重要文化財の解説文は「古墳時代の資料。」の一行のみで、被葬者にふれていない。
宮内庁の治定は無い。国の史跡として扱われている:治定はされていない
1985年1月31日に史跡として指定され、2017年10月13日に範囲が追加されている。
石塚山古墳の大きさと形
この古墳の墳丘の規模を記した公式ページは、確認できませんでした。文化庁の国指定文化財等データベースが載せているのは、史跡としての指定面積5829.35平方メートルという数字です。これは墳丘の長さではなく、保護のために線を引いた土地の広さを指します。
面積の欄がある一方で、時代・年代・西暦の欄はいずれも空欄です。史跡としての指定は1985年(昭和60年)1月31日、追加指定は2017年(平成29年)10月13日。指定基準は「一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」です。
文化庁は2017年6月16日の報道発表で、この年の史跡等の指定と追加指定を公表しています。石塚山古墳の追加指定も、その手続きを経たものです。
史跡の指定面積:5829.35 m2
指定年月日:1985.01.31(昭和60.01.31)
追加年月日:2017.10.13(平成29.10.13)
所在地(市区町村):京都郡苅田町
出土品の所有者名:宇原神社
石塚山古墳はいつ作られたか
石塚山古墳の場所と行き方(観光情報)
苅田町は周防灘に面した町です。九州の東の端、関門海峡に近い位置にあたり、海をわたる道筋のうえに築かれた古墳だといえます。
同じ福岡県では、王塚古墳や竹原古墳といった装飾古墳、五郎山古墳などが知られます。ただし、それらは石塚山古墳よりずっとあとの時期の古墳です。県内で古墳の始まりのころを語れる場所は多くありません。
石塚山古墳
石塚山古墳の住所:福岡県京都郡苅田町(文化庁の所在地(市区町村)の欄。番地までは確認できませんでした)
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:国の史跡であり、宮内庁の陵墓ではありません。ただし墳丘に登れるかどうかを記した公式の案内は確認できませんでした
文化庁の国指定文化財等データベースは、所在都道府県を福岡県、所在地(市区町村)を京都郡苅田町としています。番地までの住所、行き方、駐車場、料金を記した公式ページは確認できませんでした。
出土品の所有者名は宇原神社と記されています。古墳と出土品が別々に扱われているため、鏡を見たい場合と墳丘を見たい場合とで行き先が変わります。
石塚山古墳の発見と調査の歩み
同じ鋳型から生まれた鏡
この古墳を有名にしたのは、三角縁神獣鏡です。文化庁は、重要文化財「豊前国京都郡石塚山古墳出土品」の内訳を三角縁神獣鏡7面、銅鏃1本、刀剣類残闕一括としています。
三角縁神獣鏡には、同じ鋳型から作られた鏡が各地の古墳に分かれて納められるという特徴があります。石塚山古墳の鏡にも、京都府の椿井大塚山古墳、岡山県の備前車塚古墳、奈良県の新山古墳、大分県の赤塚古墳などから出た鏡と同じ鋳型のものが含まれるとされます。
鏡を配る側と受け取る側があったことになります。その関係が、古墳時代の始まりのころの政治のかたちを示すと考えられてきました。
寛政の発掘と、失われた鏡
この古墳の石室は、江戸時代の寛政年間に掘られたと伝えられます。そのとき出た銅鏡の数について、記録は一致しません。小倉藩主の家に伝わる文書は11面とし、宇原神社の由来を記した書には14面とあるといわれます。
いま残っているのは7面です。残りがどこへ行ったのかは、わかっていません。
文化庁が重要文化財としているのは、この7面を含む一括です。江戸時代に掘り出され、社に納められ、そのまま守られてきたという経過をたどります。掘られた記録が残っていること自体は幸いでした。何も書かれずに散逸した古墳の出土品は、数えきれないほどあります。
三十二年後の追加指定
文化庁は、この古墳を1985年(昭和60年)1月31日に国の史跡に指定し、2017年(平成29年)10月13日に範囲を追加しています。三十二年をおいて、守る範囲が広げられたことになります。
史跡の範囲は、一度決めたら終わりではありません。あとの調査で墳丘や濠の広がりがわかれば、線を引き直します。文化庁は2017年6月16日の報道発表で、その年の特別史跡の新指定1件、史跡名勝天然記念物の新指定18件、追加指定等31件などを公表しました。
指定面積は5829.35平方メートル。小数点以下まで記されるのは、土地の登記に合わせて測られているためです。
石塚山古墳から出土したもの
文化庁は、重要文化財の内訳を三角縁神獣鏡7面、銅鏃1本、刀剣類残闕一括とし、所有者名を宇原神社と記しています。保管施設の名称の欄は空欄です。
指定されているのは、江戸時代に掘り出されて社に伝わった品です。掘られたときの記録では鏡の数がもっと多かったとも伝えられますが、いま数えられるのは7面です。石室そのものは、後年の調査で大破していることがわかったといわれます。
三角縁神獣鏡
7面。文化庁が重要文化財の内訳として挙げている。所有者名は宇原神社。
銅鏃
1本。重要文化財の内訳に含まれる、銅でつくられた矢じり。
刀剣類残闕
一括。折れたり欠けたりした刀剣の断片が、まとめて指定されている。
竪穴式石室
江戸時代に掘られたと伝えられるが、現在は実際に見ることができない。
石塚山古墳と関連する古墳
石塚山古墳についてよくある質問
石塚山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。文化庁の解説文は「古墳時代の資料。」の一行のみで、被葬者にふれていません。宮内庁の陵墓としての治定も受けていません。
石塚山古墳はどこにありますか。
文化庁は所在都道府県を福岡県、所在地を京都郡苅田町としています。京都郡は「みやこぐん」と読みます。番地や行き方は公式に確認できませんでした。
石塚山古墳の大きさはどれくらいですか。
墳丘の規模を記した公式ページは確認できませんでした。文化庁が示すのは、史跡としての指定面積5829.35平方メートルという数字です。
石塚山古墳はいつ作られましたか。
文化庁は時代を「古墳」とのみ記し、年代の欄は空欄としています。埴輪の列がなく、出土鏡がすべて中国鏡とされることから、古墳時代のごく早い時期と考えられています。
石塚山古墳の鏡はどこにありますか。
文化庁は、重要文化財「豊前国京都郡石塚山古墳出土品」の所有者名を宇原神社と記しています。保管施設の名称の欄は空欄で、展示の案内は確認できませんでした。
石塚山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
縁の断面が三角形で、神と獣を表した銅鏡。古墳時代前期の古墳から多く出る。
同笵鏡(どうはんきょう)
同じ鋳型から作られた鏡。離れた古墳に分かれて納められ、配られ方が読み取れる。
竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)
上から棺を納め、天井石で蓋をする石室。古墳時代前期に多く用いられた。
追加指定(ついかしてい)
史跡として守る範囲をあとから広げること。調査で遺構の広がりがわかると行われる。
石塚山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。