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福岡県

竹原古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

竹原古墳  / タケハラコフン

円墳 6世紀

龍と馬と波。大陸の影響がはっきり見える赤と黒の壁画をもつ円墳。

竹原古墳とはどんな古墳か

竹原古墳はひとことで言えば大陸の絵が入りこんだ装飾古墳です。福岡県宮若市竹原にあり、宮若市は「今から約1500年前の6世紀後半頃に築造された古墳で、国内でも屈指の彩色壁画をもつ装飾古墳」としています。

宮若市は形を「直径約18メートル、高さ約6メートルの円墳」とし、内部は複室の横穴式石室だとしています。文化庁は基底径を約17メートル、高さを約6メートルと記しており、直径の数字は資料によってわずかに食い違います。

壁画は後室の奥壁と前室の両袖石に、赤と黒の2色で描かれています。宮若市によれば、馬や波、人物など形象的な図文が約10種類あり、龍や朱雀など大陸からの影響が認められます。

発見は昭和31年3月18日、国の史跡指定は1957年2月22日です。

竹原古墳の読み方と別名

読みは「たけはらこふん」です。文化庁のふりがなも同じです。

所在地の表記には少しずれがあります。宮若市は場所を「福岡県宮若市竹原731-2」としていますが、文化庁のデータベースの所在地欄は「宮若市宮田」です。市町村合併の前後で住所の書き方が変わったためとみられます。

発見当時、この土地は若宮町でした。地元の在野の考古学者が壁画を見つけたという記録も、若宮町の名で残っています。

竹原古墳(たけはらこふん)

文化庁と宮若市が用いる名。所在地の地名から付いている。

宮若市竹原(みやわかしたけはら)

所在地。文化庁のデータベースは所在地を宮若市宮田としている。

装飾古墳(そうしょくこふん)

石室などに絵や文様が描かれた古墳の総称。竹原古墳はその代表例のひとつ。

竹原古墳は誰の墓か

竹原古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。ただし宮若市は、出土品と壁画から一つの見立てを示しています。

馬具が複数出土していることや壁画にも馬の図文が描かれていることから、被葬者は馬に強い関心や関わりをもつ人物であったことがうかがえます

馬に強い関心や関わりをもつ人物。それが公式に書かれている、いちばん踏み込んだ表現です。

もっとも、宮若市は同時に「昭和31年の発見以前に盗掘を受けていたようで、もともと配置されていた位置は定かではありません」とも書いています。副葬品がどこに置かれていたかがわからない以上、そこから読み取れることには限りがあります。

名前は伝わっていません。わかっているのは、この人の墓に馬具が納められ、壁には馬が描かれた、ということだけです。

学術的な見方のひとつ:馬に強い関心や関わりをもつ人物

馬具が複数出土したことと壁画の馬の図文から推している。個人名は挙げていない。

公式の説明:わかっていない

解説文は石室の規模と壁画の価値を述べるだけで、被葬者を比定していない。

竹原古墳の大きさと形

宮若市は「直径約18メートル、高さ約6メートルの円墳」としています。文化庁は基底径を約17メートル、高さを約6メートルとしており、直径の数字が1メートルほど違います。高さはどちらも約6メートルで一致しています。

内部は複室の横穴式石室です。文化庁の記す各部の寸法は次のとおりです。後室は長さ約2.70メートル、幅約2.20メートル、高さ約3メートル。前室は長さ約1.20メートル、幅約1.60メートル、高さ約2.20メートルです。

見どころは奥壁です。ほぼ中央の上部に石棚が設けられ、その下半部の壁面は高さ約1.50メートル、横幅約2メートルの巨大な一枚石を主としています。この一枚石が、壁画のいちばん大きな画面になりました。

直径:約18メートル

基底径(文化庁の記載):約17メートル

高さ:約6メートル

後室の長さ:約2.70メートル

後室の幅:約2.20メートル

前室の長さ:約1.20メートル

奥壁の一枚石:高さ約1.50メートル・横幅約2メートル

竹原古墳はいつ作られたか

宮若市は「今から約1500年前の6世紀後半頃に築造された古墳」としています。

この時期は、九州北部に装飾古墳が集中して現れた時代です。同じ福岡県では王塚古墳(桂川町)と五郎山古墳(筑紫野市)が、熊本県ではチブサン古墳(山鹿市)が知られています。宮若市は、装飾古墳が全国に700基ほど確認されており、その多くが九州の熊本県と福岡県に分布していると説明しています。

6世紀後半といえば、近畿では今城塚古墳の時代が過ぎ、大王の墓が小さくなっていくころにあたります。中央で古墳が縮む一方、九州では石室に絵を描くという別の方向へ力が向かいました。

国の史跡に指定されたのは昭和32年2月22日です。

竹原古墳の場所と行き方(観光情報)

竹原古墳には保存観察施設があり、外から石室と壁画を観察する造りになっています。壁画観察準備室も設けられています。

宮若市は、竹原古墳について約6分間の解説映像を用意しており、現地でも同じ映像が流されています。普段は見ることのできない石室の中も、映像の中で再現されています。

竹原古墳

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竹原古墳の住所:福岡県宮若市竹原731-2

交通:車は九州自動車道の若宮インターチェンジより約10分。公共交通機関は博多駅または直方駅発のJR九州バスに乗り、福丸または黒目橋で降車後、徒歩約20分から30分

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:大人220円、中高生110円、小学生50円(20名以上は団体料金)

内部見学:保存観察施設と壁画観察準備室が設けられている

宮若市は場所を福岡県宮若市竹原731-2としています。開館時間は午前9時から午後4時まで。休館日は月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日)と年末年始です。

入館料は大人220円、中高生110円、小学生50円で、20名以上は団体料金になります。

古墳は犬鳴川の支流である黒丸川と山口川にはさまれた丘陵の上にあります。

竹原古墳の発見と調査の歩み

  1. 龍がいる、朱雀がいる
  2. 土俵の土取りで見つかった
  3. 奥壁の一枚石という画面

龍がいる、朱雀がいる

竹原古墳の壁画がとりわけ注目されるのは、そこに大陸から来た形がはっきり見えるからです。

宮若市はこう書いています。

壁画の特徴として、描かれた図文に龍や朱雀など大陸からの影響が認められることが挙げられます

龍も朱雀も、日本列島にいる生き物ではありません。中国の思想の中で生まれた想像上の生き物です。それが6世紀後半の九州の石室の壁に、赤と黒の顔料で描かれている。

宮若市は、絵の意味について複数の説を並べています。葬送儀礼を描いたとする説。古代中国の四神信仰、つまり東西南北を司る神獣を配置して守護を得ようとする信仰によるとする説。そして龍媒信仰、龍と馬を掛け合わせて駿馬を得ることを願う信仰によるとする説です。

どれが正しいかは決まっていません。わかっているのは、この絵を描いた人が大陸の図像を知っていたということです。

土俵の土取りで見つかった

竹原古墳が発見されたのは昭和31年3月18日です。宮若市は、そのときの様子を記録として伝えています。

当時、古墳のそばには相撲場がありました。土俵の土を取ろうとしたところ、偶然に古墳の入口が開口したというのです。

発見後、若宮町(現在の宮若市)の在野の考古学者で九州考古学会員の清賀義人氏らが古墳の中に入り、石室に描かれた壁画を見つけました。ただちに専門家による緊急調査が行われます。翌年の昭和32年2月22日には国の史跡に指定されました。

発見から指定まで一年足らず。それだけ壁画の価値がすぐに認められたということです。以後、幾度かの保存施設工事を重ねながら今日に至っています。

奥壁の一枚石という画面

壁画を描くには、描くための面が要ります。竹原古墳の場合、それは巨大な一枚石でした。

文化庁の解説文によれば、奥壁のほぼ中央上部には石棚が設けられ、その下半部の壁面は高さ約1.50メートル、横幅約2メートルの一枚石を主としています。

石室の壁は普通、割った石を積み上げて造ります。目地が入り、面が細かく割れます。そこへ大きな一枚石を据えれば、つなぎ目のない画面がひとつ生まれる。その面に、この古墳のいちばん重要な絵が描かれました。

文化庁は壁画について「よく流暢な筆致を示しており、特異な図様と妙味ある配色と相俟って、わが国におけるこの種の古墳壁画の中においてもきわめて優秀なものであり、学術上の価値が高い」と評しています。前室にも、後室へ通じる部分の左右にそれぞれ動物の図文が描かれています。

竹原古墳から出土したもの

宮若市は「残念ながら昭和31年の発見以前に盗掘を受けていたようで、もともと配置されていた位置は定かではありません」と書いています。

品は残ったが、置かれ方はわからない。黒塚古墳(奈良県天理市)のように鏡の並びまで残った例と比べると、失われたものの大きさがわかります。それでも馬具が複数出たことは、被葬者像を考えるうえで重い手がかりになっています。

馬具

雲珠、杏葉、鋲留金具など。複数出土しており、被葬者と馬の関わりを示すとされる。

装身具

金環、銀環、勾玉など。身につける品として石室に納められていた。

武具

刀身、柄、鉄鏃など。石室から副葬品として出土している。

壁画

後室の奥壁と前室の両袖石に赤と黒の2色で描かれた、約10種類の図文。

竹原古墳と関連する古墳

竹原古墳についてよくある質問

竹原古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁の治定もありません。宮若市は、馬具が複数出土したことと壁画の馬の図文から、馬に強い関心や関わりをもつ人物とみられるとしています。

竹原古墳はどこにありますか。

福岡県宮若市竹原731-2です。車では九州自動車道の若宮インターチェンジから約10分、バスは福丸または黒目橋で降りて徒歩約20分から30分です。

竹原古墳の大きさはどれくらいですか。

宮若市は直径約18メートル、高さ約6メートルの円墳としています。文化庁は基底径を約17メートルとしており、直径の数字はわずかに食い違います。

竹原古墳はいつ作られましたか。

宮若市は今から約1500年前、6世紀後半頃としています。王塚古墳や五郎山古墳、チブサン古墳と同じ、九州に装飾古墳が集中した時期です。

竹原古墳の壁画は見学できますか。

保存観察施設と壁画観察準備室が設けられています。開館時間は午前9時から午後4時まで、入館料は大人220円、中高生110円、小学生50円です。

竹原古墳と併せて覚えたい言葉・用語

装飾古墳(そうしょくこふん)

石室などに顔料や彫刻で絵や文様を描いた古墳。宮若市は全国に700基ほどとする。

四神信仰(しじんしんこう)

東西南北を司る神獣を配置して守護を得ようとする、古代中国の信仰。

石棚(いしだな)

石室の壁に横向きに差し渡した板石。竹原古墳では奥壁の中央上部にある。

両袖石(りょうそでいし)

玄室の入口の左右に立つ石。竹原古墳では前室のこの石に絵が描かれている。

竹原古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 宮若市
  2. 文化庁