箸墓古墳より前に築かれた、石囲い木槨をもつ全長約80メートルの古墳。
ホケノ山古墳とはどんな古墳か
ホケノ山古墳は、奈良県桜井市箸中にある前方後円墳です。国の史跡「纒向古墳群」を構成する1基で、箸墓古墳のすぐ東、三輪山の西の丘にあります。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は「ホケノ山古墳は全長約80㍍、後円部径約60㍍の前方後円墳である」とし、桜井市纒向学研究センターは後円部径を約55メートル、前方部長を約25メートルとしています。
この古墳が知られている理由は、埋葬施設にあります。後円部の中央から見つかったのは、木材で組んだ槨のまわりに川原石を積み上げた石囲い木槨という二重構造の施設でした。橿原考古学研究所附属博物館は、こうした重槨構造は従来まったく知られていなかったとしています。
築造は3世紀中頃とされ、箸墓古墳よりも前にさかのぼります。
ホケノ山古墳の読み方と別名
読みは「ほけのやまこふん」です。文化庁のデータベースには、纒向古墳群のふりがなとあわせて「ホケノ山古墳主体部」の名で載っています。
「ホケノ」の意味ははっきりしていません。土地の小さな地名がそのまま古墳の名になったものです。この一帯には、ホケノ、メクリ、イヅカと、由来のたどれない片仮名の地名が多く残ります。
所在する桜井市箸中は、箸墓古墳と同じ大字です。二つは歩いてすぐの距離にあります。
ホケノ山古墳(ほけのやまこふん)
文化庁のデータベースが用いる表記。片仮名と漢字が混じる珍しい古墳名です。
纒向古墳群(まきむくこふんぐん)
この古墳が属する史跡の名。纒向石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳などを含みます。
ホケノ山古墳は誰の墓か
ホケノ山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。国の史跡であって、陵墓ではないためです。
文化庁は、纒向古墳群について「ホケノ山古墳では、木材で構築した木槨部分の周囲に石を積み上げるという珍しい構造の埋葬施設をもち、画文帯神獣鏡や鉄製武器などが副葬されていた」と記しますが、葬られた人物には触れていません。
邪馬台国の候補地とされる纒向遺跡のなかにあり、時期も卑弥呼の時代に重なるため、この古墳はしばしば議論に引かれます。しかし、名前を結びつける根拠は示されていません。
すぐ西の箸墓古墳には宮内庁の治定がありますが、ホケノ山古墳にはその治定すらありません。
公式の説明:わかっていない
纒向古墳群の解説は埋葬施設と副葬品に触れるのみで、被葬者を比定する記載はない。
断定できない:わかっていない
築造時期を庄内3式期の3世紀中頃とするが、葬られた人物には触れていない。
ホケノ山古墳の大きさと形
橿原考古学研究所附属博物館は、墳丘を「全長約80㍍、後円部径約60㍍」としています。桜井市纒向学研究センターは「全長約80m、後円部は3段築成で径約55m、前方部長約25m」としており、後円部の径に約55メートルと約60メートルの二つの値があります。
墳丘のまわりには、幅10.5メートルから17メートルの掘割がめぐります。ただし纒向学研究センターは、それが墳丘を一周するかどうかは解っていないとしています。纒向遺跡の同じ形の古墳のなかで、葺石を持つのはこの古墳だけです。
埋葬施設の木槨部分は、長さ約6.5メートル、幅約2.6メートル。内部には長大なコウヤマキ製の舟形木棺が納められていました。
墳丘の長さ:約80メートル
後円部の径:約55メートル
後円部の径(別の値):約60メートル
前方部の長さ:約25メートル
周濠状の掘割の幅:10.5メートルから17メートル
木槨部分の大きさ:長さ約6.5メートル・幅約2.6メートル
史跡「纒向古墳群」の面積:49916.6平方メートル
ホケノ山古墳はいつ作られたか
桜井市纒向学研究センターは「遺物や埋葬施設の構造などの年代観などから築造時期は庄内3式期の3世紀中頃と考えられています」としています。橿原考古学研究所附属博物館も、出土品を総合して「その造営年代は3世紀中葉と判断されている」としています。同じ纒向学研究センターは、箸墓古墳を布留0式期の3世紀中頃から後半としています。ホケノ山古墳は、その少し前に置かれることになります。
文化庁は、纒向古墳群全体の築造時期を「庄内式期から布留式最古期、すなわち弥生時代終末期から古墳時代前期初頭にかけて」としています。天理市の黒塚古墳(3世紀後半頃)は、これより少しあとになります。
ホケノ山古墳の場所と行き方(観光情報)
巻向駅の周辺一帯が纒向遺跡です。桜井市纒向学研究センターは、この遺跡を初期ヤマト政権発祥の地、あるいは邪馬台国の東の候補地として全国的にも著名な遺跡だとしています。
遺跡のなかには、纒向石塚古墳、矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳、そして箸墓古墳が並びます。歩いてつなげられる範囲に、古墳のはじまりが集まっています。
ホケノ山古墳
ホケノ山古墳の住所:桜井市箸中
交通:JR桜井線の巻向駅から南へ徒歩(橿原考古学研究所附属博物館)
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:公式に確認できませんでした
橿原考古学研究所附属博物館は、この古墳の交通機関を「JR桜井線巻向駅から南へ徒歩」としています。
駐車場、料金、墳丘に入れるかどうかについては、公式のページで確かめられませんでした。同じ道すじに箸墓古墳があり、二つを続けて訪ねられます。
ホケノ山古墳の発見と調査の歩み
箸墓より前に、すでに古墳はあった
ホケノ山古墳の発掘は1999年9月に始まりました。橿原考古学研究所、桜井市教育委員会、地元の調査委員会による調査です。
狙いは、箸墓古墳に先行する古墳の実態をつかむことでした。1年をかけた調査で、墳丘に葺石が丁寧に葺かれ、段築があり、後円部の中央に前例のない二重の槨があることがわかりました。
橿原考古学研究所附属博物館の担当者は、この古墳の意味をこう書いています。
箸墓古墳は最古の巨大前方後円墳であるが、最古の古墳ではない、と私は理解している
古墳時代のはじまりを、箸墓ではなくその手前に置く見方です。どこからを古墳時代と呼ぶかは、いまも決着していません。
木の槨を石で囲むという、ほかにない作り
後円部の中央から出た埋葬施設は、これまで知られていない形でした。
川原石を積んで壁をつくり、木材で上をふさいだ石槨の部分。その内側に、さらに木で組んだ槨がある。橿原考古学研究所附属博物館は、これを二重槨と呼び、このような重槨構造は従来まったく知られていなかったとしています。
木槨の内部には、長大なコウヤマキ製の舟形木棺が納められていました。
桜井市纒向学研究センターは、石囲い木槨という構造そのものは吉備・讃岐・阿波・播磨で見られるとし、この古墳の築造に東部瀬戸内の地域が大きく関わったことを想定しています。大和だけで生まれた形ではない、ということです。
鏡は、割られて納められていた
副葬品も、この古墳の性格を語ります。
橿原考古学研究所附属博物館は、過去に部分的な盗掘を受けていたとしたうえで、完形で副葬された画文帯同向式神獣鏡1面のほか、意図的に打ち割られた画文帯神獣鏡、内行花文鏡などの破片23点が出土したとしています。
割ってから納める。丸ごと一面を置くのとは別の意味が込められていたはずですが、その意味はわかっていません。
ほかに、多数の銅鏃、鉄鏃、刀剣類、工具類などの鉄製品が出ています。天理市の黒塚古墳では、三角縁神獣鏡33面が棺を囲んで立てられていました。鏡の扱い方はまったく違います。
ホケノ山古墳から出土したもの
出土品は、2013年に奈良県の指定を受けたのち、国の重要文化財に指定されています。割られた鏡と、割られなかった鏡が、同じ槨のなかに一緒に置かれていました。なぜそうしたのかは、わかっていません。
画文帯同向式神獣鏡
1面。完形のまま副葬されていた。文様の帯をめぐらせた神獣鏡の一種。
打ち割られた鏡の破片
画文帯神獣鏡や内行花文鏡など、意図的に割られた破片が23点。
素環頭大刀を含む鉄製刀剣類
柄の端が環になった大刀を含む。鉄製の武器がまとまって納められていた。
ホケノ山古墳と関連する古墳
ホケノ山古墳についてよくある質問
ホケノ山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁の治定もありません。文化庁も桜井市纒向学研究センターも、埋葬施設や築造時期には触れますが、葬られた人物には触れていません。すぐ西の箸墓古墳とは事情が違います。
ホケノ山古墳はどこにありますか。
奈良県桜井市箸中です。橿原考古学研究所附属博物館は、交通機関をJR桜井線の巻向駅から南へ徒歩としています。箸墓古墳のすぐ東にあたります。
ホケノ山古墳の大きさはどれくらいですか。
全長は約80メートルです。後円部の径は、桜井市纒向学研究センターが約55メートル、橿原考古学研究所附属博物館が約60メートルとしています。前方部の長さは約25メートルです。
ホケノ山古墳はいつ作られたのですか。
3世紀中頃とされます。桜井市纒向学研究センターは庄内3式期の3世紀中頃、橿原考古学研究所附属博物館は3世紀中葉とし、箸墓古墳より前に置いています。
ホケノ山古墳の石囲い木槨とは何ですか。
木材で組んだ槨のまわりに川原石を積み上げて囲んだ、二重構造の埋葬施設です。橿原考古学研究所附属博物館は、こうした構造は従来知られていなかったとしています。
ホケノ山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
石囲い木槨(いしがこいもっかく)
木で組んだ槨のまわりに石を積んで囲んだ埋葬施設。ホケノ山古墳の発掘で知られるようになった。
槨(かく)
棺を納めるための外側の箱や部屋。棺だけを埋める葬り方とは区別される。
庄内式(しょうないしき)
弥生時代の終わりから古墳時代の初めにかけての土器の型式。年代のものさしに使われる。
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)
文様の帯をめぐらせ、神と獣を表した鏡。三角縁神獣鏡とは別の系統にあたる。
ホケノ山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。