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奈良県

西山古墳(奈良県天理市)とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

西山古墳(奈良県天理市)  / ニシヤマコフン

前方後方墳 4世紀

前方後方墳として知られ、古い指定解説では前方後円型と記された古墳。

西山古墳とはどんな古墳か

西山古墳は、奈良県天理市杣之内町・勾田町にある古墳です。国の史跡「杣之内古墳群」を構成し、文化庁は指定の面積を56260.0平方メートルとしています。

今日では前方後方墳として知られていますが、昭和2年の指定時に書かれた文化庁の解説は、これを「環湟ヲ有セル前方後円型ノ古墳」と記します。大きさもメートルではなく尺で書かれ、「高サ前方部約三十尺後円部約六十尺全長約六百尺」とあります。

古い記録と今の呼び方が食い違ったまま残っている古墳です。

2018年には西乗鞍古墳が追加指定され、史跡の名称が「西山古墳」から「杣之内古墳群」に変わりました。被葬者はわかっていません。

同じ天理市には、三角縁神獣鏡33面が出た黒塚古墳があります。

西山古墳の読み方と別名

読みは「にしやまこふん」です。文化庁のデータベースには、史跡「杣之内古墳群」のふりがなとして「そまのうちこふんぐん」「にしやまこふん」「にしのりくらこふん」の三つが並んで載っています。

西山という名は全国にたくさんあります。集落の西にある山、というだけの名だからです。そのためこの図鑑では、見出しに「西山古墳(奈良県天理市)」と地名を添えています。

地元にはナガリヤマという呼び名も伝わります。勾山の字を当てることがあり、所在地の一つである勾田町の名とつながっているようです。

西山古墳(にしやまこふん)

文化庁のデータベースが用いる名。全国に同名が多いため、天理市の西山古墳と呼び分けます。

杣之内古墳群(そまのうちこふんぐん)

2018年に変わった史跡の名称。西山古墳と西乗鞍古墳を含みます。

西山古墳は誰の墓か

西山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも定められていません。

文化庁の解説は、墳丘の形と大きさ、そして「甞テ後方部ノ頂上ヲ発掘セシコトアリ」という一文を記すだけで、葬られた人物にはまったく触れていません。昭和2年に書かれた文語の解説が、いまもそのまま残っています。

後方部の頂上がかつて掘られたことがある、というのは盗掘のことです。何が出て、どこへ行ったのかについての記載も見あたりません。

同じ天理市の黒塚古墳も被葬者がわかっていませんが、あちらは石室が盗掘を免れていたため、三角縁神獣鏡33面という手がかりが残りました。西山古墳には、その手がかりがありません。

公式の説明:わかっていない

史跡の解説は墳丘の規模と盗掘の事実に触れるのみで、被葬者を比定する記載はない。

西山古墳の大きさと形

文化庁の解説は、大きさをで記しています。「高サ前方部約三十尺後円部約六十尺全長約六百尺前方部ノ幅比較的狹シ」。昭和2年の指定時の文章が、そのまま残されているためです。

メートルに直した数値は、公式のページで確かめられませんでした。ここでは、書かれているとおりの単位で示します。

史跡として指定されている面積は56260.0平方メートルです。これは西山古墳と西乗鞍古墳を含む「杣之内古墳群」全体の値になります。

形については、文化庁の解説が「環湟ヲ有セル前方後円型ノ古墳」とし、濠をめぐらせた古墳だとしています。一方、今日ではこの古墳を前方後方墳として扱うのがふつうです。指定から百年近くのあいだに、墳形の理解が変わりました。

墳丘の全長:約六百尺

後方部の高さ:約六十尺

前方部の高さ:約三十尺

史跡「杣之内古墳群」の面積:56260.0平方メートル

史跡の指定年月日:1927.04.08(昭和2年)

西乗鞍古墳の追加指定と名称変更:2018.02.13(平成30年)

西山古墳はいつ作られたか

西山古墳がいつ築かれたかについて、公式のページで年代の記載を確かめられませんでした。文化庁のデータベースでも、時代と年代の欄は空のままです。

一般には、古墳時代の前期、4世紀ごろに築かれたとされます。この図鑑の年代の欄も、その見方に合わせています。ただし、これは公式に確かめた値ではありません。

確かめられていないことを、確かめたように書くつもりはありません。

手がかりになるのは、まわりとの関係です。同じ天理市の黒塚古墳は3世紀後半頃とされ、行燈山古墳や渋谷向山古墳とともに柳本古墳群を作ります。杣之内古墳群は、そこから少し南西に離れた場所にあります。

史跡の指定は1927年4月8日。2018年2月13日に西乗鞍古墳が追加指定され、名称が杣之内古墳群に変わりました。

西山古墳の場所と行き方(観光情報)

天理市には、この図鑑がすでに収める黒塚古墳があります。あちらは柳本古墳群に属し、行燈山古墳(崇神天皇陵に治定)や渋谷向山古墳(景行天皇陵に治定、300メートル)と並びます。

杣之内古墳群は、そこから南西に離れた丘の上にあります。同じ市のなかに、性格の違う古墳群が二つあるということです。山の辺の道を歩くなら柳本、静かな丘を訪ねるなら杣之内、という選び方になります。

西山古墳(史跡 杣之内古墳群)

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西山古墳(史跡 杣之内古墳群)の住所:天理市杣之内町・勾田町

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:公式に確認できませんでした

所在地は、文化庁のデータベースに「天理市杣之内町・勾田町」と記されています。所在都道府県の欄は奈良県です。

最寄り駅からの道のり、駐車場、料金、墳丘に入れるかどうかについては、公式のページで確かめられませんでした。推測では書きません。

史跡の範囲は西乗鞍古墳を含む杣之内古墳群全体にわたります。訪ねる前に、天理市の案内をご確認ください。

西山古墳の発見と調査の歩み

  1. 前方後円か、前方後方か
  2. 尺で書かれた、大きさの記録
  3. 史跡の名が、西山古墳から変わった

前方後円か、前方後方か

この古墳の面白さは、呼び名が食い違っていることにあります。

文化庁のデータベースに残る指定解説は、昭和2年に書かれた文語の文章です。

環湟ヲ有セル前方後円型ノ古墳ニシテ高サ前方部約三十尺後円部約六十尺全長約六百尺前方部ノ幅比較的狹シ、甞テ後方部ノ頂上ヲ発掘セシコトアリ

読むと妙なことに気づきます。前半では前方後円型と書きながら、後半では後方部と書いているのです。同じ一文のなかで、円と方が混ざっています。

今日この古墳は、前方後方墳として扱われるのがふつうです。昭和2年の時点では、墳形の見方がまだ定まっていなかったのでしょう。百年近く前の文章が、直されないまま公開され続けています。

尺で書かれた、大きさの記録

文化庁の解説では、大きさがで書かれています。全長約六百尺、後方部の高さ約六十尺、前方部の高さ約三十尺。

メートル法ではなく尺で書かれているのは、この文章が昭和2年に作られたものだからです。当時の役所の文書は尺貫法で書くのがふつうでした。

メートルに直した数値は、公式のページで確かめられませんでした。ここで勝手に換算して書くことはしません。

指定当時の文章しか公表されていない古墳では、こうした古い単位がそのまま残ります。単位も、古墳と一緒に保存されているということです。

史跡の名が、西山古墳から変わった

この古墳の史跡としての名は、途中で変わりました。

文化庁のデータベースによれば、指定は1927年4月8日。2018年2月13日に、既指定の史跡「西山古墳」に西乗鞍古墳が追加指定され、名称が「杣之内古墳群」に変わりました。

一つの古墳を守る指定から、古墳群としてまとめて守る指定へ。同じ丘に並ぶものを、ひとまとまりとして扱うようになったということです。

似た動きは各地にあります。福岡県の岩戸山古墳は八女古墳群のなかに、愛知県の志段味古墳群は66基をまとめて、それぞれ扱われています。単独の墳丘だけでなく、まわりの景色ごと残すという考え方です。

史跡「杣之内古墳群」の面積は56260.0平方メートル。この値も、西乗鞍古墳を含めた広さです。

西山古墳から出土したもの

西山古墳から何が出たかについて、公式のページでは確かめられませんでした。この節に並べられる出土品はありません。

文化庁の解説にあるのは「甞テ後方部ノ頂上ヲ発掘セシコトアリ」という一文だけです。後方部の頂上がかつて掘られたことがある、という意味で、盗掘を指しています。何が出て、どこへ行ったのかは記されていません。

掘られた記録だけがあって、出た品の記録がない。古い時期に開けられた古墳では、めずらしくないことです。

同じ天理市でも、黒塚古墳は竪穴式石室が盗掘を免れていたため、三角縁神獣鏡33面が並んだ状態のまま見つかりました。開けられたかどうかで、残る情報の量がここまで変わります。

西山古墳と関連する古墳

西山古墳についてよくある質問

西山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁の陵墓にも定められておらず、文化庁の解説にも被葬者を比定する記載はありません。後方部の頂上がかつて掘られたことがあるとだけ記されています。

西山古墳はどこにありますか。

奈良県天理市杣之内町・勾田町です。国の史跡「杣之内古墳群」の一部にあたります。最寄り駅からの行き方は公式のページで確かめられませんでした。

西山古墳の大きさはどれくらいですか。

文化庁の指定解説は、全長約六百尺、後方部の高さ約六十尺、前方部の高さ約三十尺としています。昭和2年の文章のため単位が尺で、メートルに直した値は公式に確かめられませんでした。

西山古墳はいつ作られたのですか。

公式のページで年代の記載を確かめられませんでした。一般には古墳時代前期、4世紀ごろとされます。この図鑑の年代の欄も、その見方に合わせています。

西山古墳は前方後円墳ですか、前方後方墳ですか。

今日では前方後方墳として扱われるのがふつうです。ただし文化庁に残る昭和2年の指定解説は「前方後円型ノ古墳」と記し、同じ文のなかで後方部という語も使っています。

西山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)

後ろが四角く、前方部を付けた形の古墳。前方後円墳とは別の系統の墳形とされる。

杣之内古墳群(そまのうちこふんぐん)

奈良県天理市の古墳群。2018年に西乗鞍古墳が加えられ、この名称になった。

(しゃく)

尺貫法の長さの単位。古い指定解説では、大きさが尺で書かれていることがある。

追加指定(ついかしてい)

すでに史跡になっている範囲に、あとから土地や遺跡を加えること。名称が変わることもある。

西山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁