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奈良県

島の山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

島の山古墳  / シマノヤマコフン

前方後円墳 4世紀5世紀

腕輪の形をした石製品が133点まとまって出た、川西町の前方後円墳。

島の山古墳とはどんな古墳か

島の山古墳は、奈良県磯城郡川西町唐院にある前方後円墳です。奈良盆地の中央、大和川を望む微高地の上に立ちます。

奈良県は「全長200m、盾形周濠(南北265m、東西175m)をもつ大型前方後円墳で、築造時期は4世紀末~5世紀初で、この時期の古墳としては最大規模です」としています。文化庁は現存長を190メートルとし、本来は全長200メートル以上だったと推定しています。

1996年、前方部で粘土槨が全面調査され、石製の腕飾類が133点出ました。文化庁は「一つの古墳埋葬施設から出土した例としては現存最多の点数を誇る」としています。

副葬品に武器が見あたらないことから、葬られたのは女性ではないかという見方も出ています。

島の山古墳の読み方と別名

読みは「しまのやまこふん」です。文化庁のデータベースにも、ふりがなが同じ形で載っています。

という字が名に入っているのは、幅約40メートルの周濠に囲まれ、水の中の島のように見えるからだと言われます。実際、奈良県は盾形の周濠が南北265メートル、東西175メートルにおよぶとしています。墳丘そのものより、水をたたえた区画のほうがずっと大きいのです。

所在地の唐院は「とういん」と読みます。島根山古墳という別名も伝わりますが、公式の一覧は島の山古墳で統一されています。

島の山古墳(しまのやまこふん)

文化庁と奈良県が用いる表記。国の史跡の指定名称もこの形です。

島根山古墳(しまねやまこふん)

伝わる別名。周濠に囲まれて島のように見える姿からの呼び名とされます。

島の山古墳は誰の墓か

島の山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも定められていません。

ただし、文化庁の解説には踏み込んだ書き方があります。前方部で調査された粘土槨について、次のように記しています。

副葬品に武器が見られない点から,この主体部の被葬者は女性である可能性も指摘されている

棺の中には銅鏡3面、石製合子3点、管玉5点があり、胸のあたりからは首飾りとみられる管玉、手首のあたりからは腕輪が出ました。身を飾る品ばかりで、武器がひとつも無かったのです。

文化庁はまた、大型の墳丘と豊富な副葬品から、この古墳を奈良盆地の有力首長の墳墓と考えられるとしています。ただし個人の名は挙げていません。

学術的な見方のひとつ:女性の可能性が指摘される人物

前方部の粘土槨について、副葬品に武器が見られない点から女性の可能性も指摘されているとする。

学術的な見方のひとつ:奈良盆地の有力首長

大型の墳丘と豊富な副葬品から有力首長の墳墓と考えられるとする。個人の比定はない。

断定できない:わかっていない

規模と出土品を述べるのみで、葬られた人物には触れていない。

島の山古墳の大きさと形

奈良県は「全長200m、盾形周濠(南北265m、東西175m)」とし、文化庁は「現存長190m、後円部径105m以上、前方部幅95m以上」としたうえで、周囲に幅約40メートルの周濠がめぐるとしています。墳丘が周濠の水の浸食を受けているため、本来は全長200メートル以上であったと推定されています。

墳丘は三段築成で、葺石、後円部を取り囲む敷石遺構、テラスの埴輪列が確認されています。前方部の粘土槨は全長8.5メートル、幅約2メートルで、中央に長さ7.5メートルのコウヤマキ製の割竹形木棺が置かれていました。

墳丘の長さ:全長200メートル

墳丘の長さ(現存):190メートル

後円部の径:105メートル以上

前方部の幅:95メートル以上

盾形の周濠:南北265メートル・東西175メートル

前方部の粘土槨:全長8.5メートル・幅約2メートル

割竹形木棺の長さ:7.5メートル

島の山古墳はいつ作られたか

奈良県は「築造時期は4世紀末~5世紀初で、この時期の古墳としては最大規模です」としています。文化庁も、主体部・副葬品・埴輪などの特徴から4世紀末頃としています。

重要文化財の解説では「古墳時代前期後葉、四世紀の築造と考えられる」とされています。前期の終わりから中期の初めにかかる、ちょうど変わり目の時期です。

同じ奈良県では、桜井市の箸墓古墳(3世紀中頃から後半)がずっと古く、奈良市のコナベ古墳ウワナベ古墳が、これと近い時期からあとにかけて築かれます。

奈良県は、この古墳を県内で20位以内に入る規模としています。

島の山古墳の場所と行き方(観光情報)

島の山古墳は、大和川と寺川が近くを流れる、奈良盆地の中央にあります。近くには川合大塚山古墳(215メートル)があります。同じ組の巣山古墳は、ここから南西の広陵町です。盆地の東の縁に並ぶ箸墓古墳や黒塚古墳とは、別のまとまりです。

島の山古墳

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島の山古墳の住所:奈良県磯城郡川西町唐院443-1ほか

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:公式に確認できませんでした

所在地は、奈良県の歴史文化資源データベースに「奈良県磯城郡川西町唐院443-1ほか」と載っています。

最寄り駅からの道のり、駐車場、料金、墳丘に入れるかどうかについては、公式のページで確かめられませんでした。奈良県は、訪ねる際には公開日・公開時間・料金を別途確認するよう案内しています。出土品は橿原考古学研究所附属博物館で展示されています。

島の山古墳の発見と調査の歩み

  1. 腕輪の形をした石が、133点
  2. 玉が2500点以上、まかれていた
  3. 江戸時代の本に載った「神代石」

腕輪の形をした石が、133点

1996年、前方部の埋葬施設が全面的に調査されました。出てきたものが、この古墳の名を全国に知らせます。

鍬形石、車輪石、石釧。いずれも腕輪をかたどった碧玉製の品で、合わせて133点が、二面ある被覆粘土の間から出土しました。

文化庁は、これを「一つの古墳埋葬施設から出土した例としては現存最多の点数を誇る」としています。全国のどの古墳からも、これだけの数はまとまって出ていません。

出方も変わっていました。130点以上が、粘土槨に貼りつけられたような状態で並んでいたのです。文化庁は、こうした石製品が避邪などの呪術的な意味を持つと考えられるとしています。

玉が2500点以上、まかれていた

石の腕輪だけではありません。も、おびただしい数が出ました。

文化庁は、棺の上、一度目の被覆粘土の上、二度目の被覆粘土の上から、合計2500点を越える玉類が検出されたとしています。

注目すべきは、その状態です。文化庁は「これらは連なっていたものを切り離し,ばら撒いた状態であった」としています。首飾りや腕輪として作られたものを、わざわざ切ってばらまいたのです。

文化庁は、出土した玉類のなかに、綾杉文が刻まれた碧玉の大形飾玉や、腕に巻くために彎曲した管玉など、類例のないものが含まれるとしています。

江戸時代の本に載った「神代石」

この古墳の記録は、思いのほか古くさかのぼります。

奈良県は「この古墳に関する記述は古く、江戸時代中期~後半期の学者である木内石亭(1724~1808年)が著した『雲根志』に「神代石」という名で、今で言う鍬形石が記されているのが最初です」としています。

木内石亭は江戸時代の奇石収集家であり本草学者でした。奈良県は、石亭が今で言う鍬形石を挿絵入りで紹介したとしています。二百年以上前に、この古墳から出た石の腕輪が本に載っていたのです。当時は古墳の副葬品ではなく、神代の石として扱われていました。

後円部は早くに盗掘を受けており、散逸したとみられる遺物は、一部が海外の博物館にも展示されていると奈良県は記しています。

島の山古墳から出土したもの

出土品は1998年6月30日に国の重要文化財に指定され、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が保管・展示しています。文化庁は、この一括を「畿内における玉類・石製品類を多量に副葬した古墳の実態を示すものとして貴重な資料である」としています。鏡や剣より、玉と石の腕輪が主役になっている古墳です。

石製腕飾類

鍬形石・車輪石・石釧など133点。一つの埋葬施設から出た数としては現存最多とされる。

銅鏡(獣形鏡)

3面。棺の中で、袋か布に包まれて頭部の東に置かれていた。

玉類

合計2500点を越える。連ねてあったものを切り離し、ばらまいた状態で出土した。

島の山古墳と関連する古墳

島の山古墳についてよくある質問

島の山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。文化庁は奈良盆地の有力首長の墳墓と考えられるとし、前方部の被葬者については、副葬品に武器が見られない点から女性である可能性も指摘されているとしています。

島の山古墳はどこにありますか。

奈良県磯城郡川西町唐院443-1ほかです。奈良盆地の中央、大和川を望む微高地の上にあります。最寄り駅からの行き方は公式のページで確かめられませんでした。

島の山古墳の大きさはどれくらいですか。

奈良県は全長200メートル、盾形の周濠を南北265メートル・東西175メートルとしています。文化庁は現存長190メートル、後円部径105メートル以上、前方部幅95メートル以上としています。

島の山古墳はいつ作られたのですか。

奈良県は4世紀末から5世紀初、文化庁は4世紀末頃としています。重要文化財の解説では、古墳時代前期後葉、四世紀の築造と考えられるとされています。

島の山古墳から何が出ましたか。

鍬形石・車輪石・石釧などの石製腕飾類が133点、玉類が2500点以上、銅鏡3面、碧玉製の合子3口などです。石製腕飾類の点数は、現存最多とされます。

島の山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

粘土槨(ねんどかく)

棺を粘土で包んで埋める埋葬施設。石室を築かず、粘土で棺を覆う。

石製腕飾類(せきせいわんしょくるい)

鍬形石・車輪石・石釧の総称。腕輪をかたどった碧玉製の品で、前期の古墳に多い。

合子(ごうす)

ふたの付いた小さな容器。碧玉などの石で作られ、副葬品として棺内に納められる。

盾形周濠(たてがたしゅうごう)

墳丘のまわりを盾のような形に囲む濠。前方後円墳の外形に沿って広がる。

島の山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁
  2. 奈良県