ウワナベ古墳と並んで築かれた、全長204メートルの前方後円墳。
コナベ古墳とはどんな古墳か
コナベ古墳は、奈良県奈良市法華寺北町にある前方後円墳です。堺市がまとめた古墳大きさランキング(日本全国版)は、この古墳の墳丘の全長を204メートルとし、全国34位に置いています。
奈良盆地の北、佐紀丘陵のふもとに広がる佐紀盾列古墳群(佐紀古墳群)を構成する1基です。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は、この古墳群を次のように説明しています。
前期後葉の五社神(ごさし)古墳にはじまり、佐紀陵山古墳、佐紀石塚山古墳、市庭古墳、ヒシアゲ古墳、コナベ古墳、ウワナベ古墳と、前期から中期にかけて造営された全長200㍍以上の巨大前方後円墳
すぐ東には、すでに収録したウワナベ古墳(255メートル)が同じ向きで並びます。200メートルを超える前方後円墳が二つ、肩を並べて残っている場所は、全国でもそう多くありません。
コナベ古墳の読み方と別名
読みは「こなべこふん」です。堺市の一覧にも片仮名で「コナベ古墳」と載っています。
名の由来ははっきりしていません。東どなりのウワナベ古墳と対になる呼び名で、地元では二つ合わせて「ウワナベ・コナベ」と呼ばれてきました。上と小という対の言い方が、そのまま古墳の名として残ったとみられます。
漢字を当てた書き方も伝わりますが、公式の一覧はどれも片仮名です。
コナベ古墳(こなべこふん)
堺市の古墳大きさランキングが用いる表記。公式の一覧では片仮名で書かれます。
小奈辺古墳(こなべこふん)
漢字を当てた書き方。地名の字にも「小那辺」の形が伝わります。
佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)
この古墳が属する古墳群の名。橿原考古学研究所附属博物館は佐紀古墳群とも呼びます。
コナベ古墳は誰の墓か
コナベ古墳の被葬者はわかっていません。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は、佐紀盾列古墳群について「巨大古墳のすべてと一部の陪塚、大型前方後円墳が陵墓もしくは陵墓参考地として宮内庁の管理を受けている」としています。コナベ古墳もその1基で、墳丘に立ち入ることはできません。宮内庁が管理しているという事実は、葬られた人物が確かめられたという意味ではありません。
混同されやすい点をひとつ。仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命の陵として扱われているのは、コナベ古墳の北西にあるヒシアゲ古墳です。堺市の一覧にも「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」と載っており、219メートルとされています。コナベ古墳ではありません。
東どなりのウワナベ古墳も、同じく被葬者がわかっていません。
断定できない:わかっていない
佐紀盾列古墳群の巨大古墳は陵墓もしくは陵墓参考地として宮内庁の管理下にあるとする。個人を比定した記載はない。
混同への注意:磐之媛命の陵とされるのは別の古墳
一覧には「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」が219メートルで載る。コナベ古墳とは別の古墳である。
コナベ古墳の大きさと形
堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)は、コナベ古墳の墳丘の全長を204メートルとし、全国34位に置いています。
同じ一覧で奈良県内を見ると、渋谷向山古墳が300メートル、箸墓古墳が280メートル、五社神古墳が275メートル、ウワナベ古墳が255メートルです。コナベ古墳は、その下の層にあたります。
橿原考古学研究所附属博物館は、佐紀盾列古墳群を「全長200㍍以上の巨大前方後円墳」が並ぶ大古墳群と説明しています。コナベ古墳は、その目安をわずかに超える大きさにあたります。
墳丘の段の数や周濠の幅など、細かい数値は公式のページで確かめられませんでした。
墳丘の長さ:204メートル
古墳大きさランキング(日本全国版)の順位:全国34位
東どなりのウワナベ古墳の長さ:255メートル
北西のヒシアゲ古墳(磐之媛陵)の長さ:219メートル
佐紀盾列古墳群の巨大前方後円墳の目安:全長200メートル以上
コナベ古墳はいつ作られたか
コナベ古墳が築かれた年代について、世紀を明記した公式の記載は確かめられませんでした。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は、佐紀盾列古墳群を「前期から中期にかけて造営された」古墳群と説明し、五社神古墳、佐紀陵山古墳、佐紀石塚山古墳、市庭古墳、ヒシアゲ古墳、コナベ古墳、ウワナベ古墳の順に名を挙げています。コナベ古墳は、この並びの後ろのほう、中期に近いところに置かれています。
古墳時代の前期と中期は、おおよそ4世紀と5世紀にあたるとされます。この図鑑では、その幅をとって年代の欄を作っています。
コナベ古墳の場所と行き方(観光情報)
すぐ東にウワナベ古墳、北西にヒシアゲ古墳があり、大きな古墳がまとまって残る一帯です。少し南には平城宮跡が広がります。
同じ奈良県では、天理市の黒塚古墳や桜井市の箸墓古墳が、山の辺の道の沿線でつなげて歩ける場所にあります。佐紀は、それらより北で、造られた時期も後になります。
コナベ古墳
コナベ古墳の住所:奈良県奈良市法華寺北町
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:宮内庁の管理下にあり、墳丘には立ち入れません
住所は、堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)に「奈良県奈良市法華寺北町」と載っています。
最寄り駅からの道のり、駐車場、料金については、公式のページで確かめられませんでした。推測で埋めることはしません。訪ねる前に、奈良市や宮内庁の案内をご確認ください。
墳丘は宮内庁の管理下にあります。周濠ごしに、外から眺める古墳です。
コナベ古墳の発見と調査の歩み
二つの200メートル級が、並んで残っている
コナベ古墳のいちばんの特徴は、大きさそのものよりも並び方にあります。
堺市の一覧では、コナベ古墳が204メートル、東どなりのウワナベ古墳が255メートルです。二つとも200メートルを超える前方後円墳で、同じ向きに、東西に並んで築かれています。大きさの近い墓が隣り合うとき、葬られた人どうしの関係を考えたくなるのが人情です。
ただし、どちらの被葬者もわかっていません。二人の関係も、当然わかっていません。わかっているのは、同じ考えのもとに、同じ場所へ、続けて造られたということだけです。
大和の巨大古墳は、南から北へ動いた
管理されている古墳で、何がわからないのか
コナベ古墳は宮内庁の管理下にあります。橿原考古学研究所附属博物館は、佐紀盾列古墳群の巨大古墳について「陵墓もしくは陵墓参考地として宮内庁の管理を受けている」としています。
管理されていることには、よい面があります。削られず、埋め立てられず、墳丘と周濠がそのまま残ってきました。全国には、宅地や道路に消えた古墳がいくつもあります。
一方で、内部の調査は自由にできません。そのため、出土品も、埋葬施設の構造も、公表された情報がごく限られます。守られていることと、わかっていることは、別のことです。同じ奈良市のウワナベ古墳も、事情は変わりません。
コナベ古墳から出土したもの
コナベ古墳から何が出たかについて、公式のページでは確かめられませんでした。この節に並べられる出土品はありません。無いものを、あるようには書きません。
同じ佐紀盾列古墳群の佐紀陵山古墳では、大正時代の盗掘と復旧工事の記録から副葬品が知られており、橿原考古学研究所附属博物館は銅鏡5から6面、石製腕飾類7個などを挙げています。あくまで別の古墳の話です。
コナベ古墳と関連する古墳
コナベ古墳についてよくある質問
コナベ古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁の管理下にありますが、葬られた人物が確かめられたわけではありません。仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命の陵として扱われているのは、北西のヒシアゲ古墳です。
コナベ古墳はどこにありますか。
奈良県奈良市法華寺北町です。堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)に、そのとおりの住所が載っています。最寄り駅からの行き方は、公式のページで確かめられませんでした。
コナベ古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市は墳丘の全長を204メートルとし、全国34位に置いています。すぐ東のウワナベ古墳は255メートル、北西のヒシアゲ古墳は219メートルです。
コナベ古墳はいつ作られたのですか。
世紀を明記した公式の記載は確かめられませんでした。橿原考古学研究所附属博物館は、佐紀盾列古墳群を前期から中期にかけて造営された古墳群とし、そのなかでコナベ古墳を後ろのほうに置いています。
コナベ古墳の中に入れますか。
入れません。宮内庁の管理下にあり、墳丘への立ち入りはできません。周濠の外から眺めることになります。駐車場や料金についての公式の案内は確かめられませんでした。
コナベ古墳と併せて覚えたい言葉・用語
佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)
奈良盆地の北に広がる大古墳群。佐紀古墳群とも呼ばれ、200メートル級の前方後円墳が並ぶ。
陵墓参考地(りょうぼさんこうち)
天皇や皇族の墓の可能性があるとして宮内庁が管理する場所。被葬者が確定した場所ではない。
陪塚(ばいちょう)
大きな古墳に寄りそって造られた小さな古墳。従者の墓や、副葬品を納めた施設と考えられている。
周濠(しゅうごう)
墳丘のまわりをめぐる濠。水をたたえたものと、水の無いものがある。
コナベ古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。