墳丘に登れる馬見古墳群最大の前方後円墳。国の特別史跡。
巣山古墳とはどんな古墳か
巣山古墳は、奈良県北葛城郡広陵町大字三吉にある前方後円墳です。馬見丘陵の中央に位置し、北を向いています。
奈良県は「墳丘全長約220m、後円部径約130m、高さ約19m、前方部幅約112m、高さ約16.5mの規模があり」とし、馬見古墳群でもっとも大きいとしています。文化庁の解説は全長を約200メートルとしており、値に幅があります。
1927年に国の史跡、1952年に国の特別史跡となりました。特別史跡になっている古墳は、全国でも数が限られます。
周濠の底からは、遺骸を運ぶ喪船と考えられる準構造船が見つかっています。奈良県は、この古墳を墳丘に立ち入ることのできる大型前方後円墳としています。
巣山古墳の読み方と別名
読みは「すやまこふん」です。文化庁のデータベースにも、ふりがなが同じ形で載っています。
巣山という名の由来は、公式のページでは確かめられませんでした。所在地の三吉は「みつよし」と読みます。広陵町の大字の名が、そのまま古墳の住所になっています。
この古墳が属する馬見古墳群は「うまみこふんぐん」と読みます。奈良盆地の西、馬見丘陵に広がる古墳群で、奈良県は巣山古墳をそのなかで最大の規模としています。
巣山古墳(すやまこふん)
文化庁と奈良県が用いる表記。国の特別史跡の指定名称もこの形です。
馬見古墳群(うまみこふんぐん)
この古墳が属する古墳群の名。奈良盆地の西、馬見丘陵に広がります。
巣山古墳は誰の墓か
巣山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも定められていません。
文化庁の特別史跡の解説は、墳丘の形と大きさ、造出、環濠、そして後円部の頂上がかつて発掘されて石室の一部を露出していることを述べるだけで、葬られた人物には触れていません。特別史跡という高い格付けを受けながら、誰の墓かはわかっていないのです。
後円部の中央には竪穴式石室が二つ、前方部にも石室が造られていました。明治年間に後円部の頂上が盗掘を受け、多くの遺物が出たと記録されていますが、詳細は不明とされています。
奈良県は、この古墳と『古事記』仲哀天皇の段にある忍熊王の反逆の話を並べ、遺骸を乗せて運ぶ喪船と考えられる準構造船が出土していることを記しています。ただし、これは物語との重ね合わせであって、被葬者を特定するものではありません。
公式の説明:わかっていない
特別史跡の解説は墳丘の規模と石室の露出に触れるのみで、被葬者を比定する記載はない。
断定できない:わかっていない
馬見古墳群中最大の規模とするが、葬られた人物には触れていない。
巣山古墳の大きさと形
大きさには二つの値があります。奈良県は「墳丘全長約220m、後円部径約130m、高さ約19m、前方部幅約112m、高さ約16.5m」とし、文化庁は「封土は全長約200m、高さは前方部約18m、後円部約21m」としています。堺市の一覧は220メートルです。
全長で20メートル、高さで数メートルの差があります。どこまでを墳丘と数えるかによって、値が変わるとみられます。
墳丘は三段に築かれ、左右のくびれ部に方形の造り出しが付きます。文化庁の指定解説には、尺で書かれた古い記述も残っています。「封土ノ高サ前方部約六十尺後円部約七十尺全長約六百五十尺」。昭和2年の指定時の文章です。
墳丘の長さ:約220メートル
墳丘の長さ(別の値):約200メートル
後円部の径:約130メートル
後円部の高さ:約19メートル
前方部の幅:約112メートル
前方部の高さ:約16.5メートル
高さ(文化庁の記載):前方部約18メートル・後円部約21メートル
巣山古墳はいつ作られたか
巣山古墳がいつ築かれたかについて、公式のページで年代の記載を確かめられませんでした。文化庁のデータベースでも、時代と年代の欄は空のままです。
手がかりは出土品です。奈良県は、蓋・家・盾・水鳥・囲・柵といった形象埴輪が出土したとし、勾玉・管玉・棗玉などの玉類、鍬形石・車輪石・石釧などの石製品が知られているとしています。鍬形石や車輪石は、古墳時代前期から中期の初めにかけて多く見られる品です。
同じ組の島の山古墳(4世紀末から5世紀初)とは、出土品の顔ぶれが似ています。
史跡の指定は1927年4月8日、特別史跡への格上げは1952年3月29日です。
巣山古墳の場所と行き方(観光情報)
巣山古墳のある馬見丘陵には、ほかにも大きな古墳が並びます。堺市の一覧には、新木山古墳(200メートル、広陵町三吉)も載っています。
同じ組の島の山古墳は、ここから北東の川西町にあります。どちらも奈良盆地の西寄りにあり、東の縁に並ぶ箸墓古墳や黒塚古墳とは別のまとまりです。訪ねる前に、公開日と公開時間を広陵町や奈良県の案内でご確認ください。
巣山古墳
巣山古墳の住所:奈良県北葛城郡広陵町大字三吉
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:奈良県は、墳丘に立ち入ることの出来る大型前方後円墳としています
所在地は、奈良県の歴史文化資源データベースに「奈良県北葛城郡広陵町大字三吉」と載っています。
最寄り駅からの道のり、駐車場、料金については、公式のページで確かめられませんでした。
奈良県は「墳丘に立ち入ることの出来る大型前方後円墳で良好な三段築成の状況が観察できます」としています。三段に築かれた斜面を、自分の足で登れる古墳です。
巣山古墳の発見と調査の歩み
周濠の底から、船が出た
巣山古墳の発掘で、もっとも知られた出土品は船です。
奈良県は「周濠底から遺骸を運ぶ霊柩船が見つかっていました」とし、さらに『古事記』仲哀天皇の段にある忍熊王の反逆の話と並べて「遺骸を乗せて運ぶ喪船と考えられる準構造船が出土しています」としています。
準構造船は、丸木舟の上に板を組み上げて船べりを高くした船です。その船が、墓のまわりの濠の底に沈んでいました。葬りの行列で棺を運んだ船を、儀式のあとに濠へ納めたのではないかと考えられています。
古墳から船そのものが出る例は多くありません。船をかたどった埴輪は各地にありますが、実物の部材が濠の底に残っていた例は貴重です。
登れる大型前方後円墳
出島状遺構に並んだ埴輪
前方部の西側には、周濠へ突き出すように出島状遺構があります。
奈良県は、ここから蓋・家・盾・水鳥・囲・柵といった埴輪が出土したとしています。並べてみると、性格がわかります。蓋は貴人にさしかける傘。家は建物。盾は武具。囲と柵は区画を仕切るための埴輪です。聖なる場所をつくり、そのなかに建物と道具と鳥を置く。そういう情景を土で再現していたことになります。
形象埴輪をまとめて並べる作りは、大阪府高槻市の今城塚古墳でも見つかっており、復元されて公開されています。
巣山古墳から出土したもの
後円部の頂上は明治年間に盗掘を受け、多くの遺物が出たと記録されていますが、その内容の詳細は不明とされています。
奈良県が挙げる出土品は、玉類、石製品、滑石製の刀子と斧、形象埴輪、準構造船です。土と石の古墳から木の船が出てきたことが、この古墳をほかと分けています。
準構造船
周濠の底から出土。遺骸を運ぶ喪船と考えられている。丸木舟の上に板を組み上げた船。
形象埴輪
出島状遺構から、蓋・家・盾・水鳥・囲・柵などが出土している。
玉類
勾玉・管玉・棗玉などが知られている。
石製品
鍬形石・車輪石・石釧など。腕輪をかたどった碧玉製の品が含まれる。
滑石製の刀子・斧
造り出しから出土しており、祭祀に関わる施設だったと考えられている。
巣山古墳と関連する古墳
巣山古墳についてよくある質問
巣山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。国の特別史跡でありながら、文化庁の解説にも奈良県の説明にも被葬者を比定する記載はありません。宮内庁の陵墓にも定められていません。
巣山古墳はどこにありますか。
奈良県北葛城郡広陵町大字三吉です。馬見丘陵の中央にあります。最寄り駅からの行き方や駐車場については、公式のページで確かめられませんでした。
巣山古墳の大きさはどれくらいですか。
奈良県は全長約220メートル、後円部径約130メートル、前方部幅約112メートルとしています。文化庁は全長を約200メートルとしており、値に幅があります。
巣山古墳はいつ作られたのですか。
公式のページで年代の記載を確かめられませんでした。出土している鍬形石や車輪石は、古墳時代前期から中期の初めにかけて多く見られる品です。
巣山古墳の墳丘に登れますか。
奈良県は、墳丘に立ち入ることの出来る大型前方後円墳で、良好な三段築成の状況が観察できるとしています。ただし公開日や公開時間は別途確認するよう案内されています。
巣山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
特別史跡(とくべつしせき)
国の史跡のうち、特に価値が高いものに与えられる指定。古墳では数が限られる。
準構造船(じゅんこうぞうせん)
丸木舟の上に板を組み上げて船べりを高くした船。古墳時代の水上輸送に使われた。
造り出し(つくりだし)
前方後円墳のくびれ部に付く方形の張り出し。祭りを行う場だったと考えられている。
形象埴輪(けいしょうはにわ)
家・盾・蓋・人物・動物などをかたどった埴輪。筒形の円筒埴輪と区別される。
巣山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。