4基の埋葬施設から、東日本きっての副葬品が出た帆立貝形の古墳。
野毛大塚古墳とはどんな古墳か
野毛大塚古墳は、東京都世田谷区野毛にある古墳です。文化庁は帆立貝形前方後円墳(全長八二メートル)としています。丸い墳丘に短い方形の出っ張りがつく形で、上から見た姿がホタテガイに似ることからこう呼ばれます。
この古墳の名を高くしたのは、出土品です。四基の埋葬施設から出た副葬品は、2016年(平成28年)と2017年(平成29年)の二度にわたって国の重要文化財に指定されました。一つの古墳の出土品が、所有者を異にして二件の重要文化財になっている例です。
文化庁は、大和政権から入手したと考えられる甲冑や刀剣類などの鉄製品が多量にあり、鉄製品を象った石製模造品も特徴的だとしたうえで、古墳時代中期の東日本を代表する資料群であり、大和政権と東国の関係を考えるうえでも重要だとしています。
野毛大塚古墳の読み方と別名
読みは「のげおおつかこふん」です。「大塚」は各地にある地名で、大きな塚を意味します。
墳形の呼び方には少し幅があります。文化庁の解説文は帆立貝形前方後円墳としますが、単に帆立貝式古墳、帆立貝形古墳と書かれることもあります。いずれも、円い墳丘に短い方形部がつく同じ形を指します。
前方後円墳の前方部を短く切りつめた形とも、円墳に出っ張りをつけた形とも説明されます。古墳時代中期には、この形の古墳が各地に現れます。大きな前方後円墳を造ることを許されなかった立場の墓ではないか、とする見方もありますが、決着はしていません。
野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)
文化庁が用いる名。重要文化財の名称は「東京都野毛大塚古墳出土品」。
帆立貝形前方後円墳(ほたてがいがたぜんぽうこうえんふん)
この古墳の墳形。文化庁の解説文で使われている呼び方。
東大塚(ひがしおおつか)
江戸時代後期からこの名で知られていたと伝えられる。
野毛大塚古墳は誰の墓か
野毛大塚古墳の被葬者はわかっていません。四基の埋葬施設があるということは、少なくとも四人が葬られたことを意味しますが、名前を示すものは出ていません。
手がかりは副葬品です。文化庁は、大和政権から入手したと考えられる甲冑や刀剣類などの鉄製品が多量にあるとし、当地域と畿内政権との関係を考えるうえで学術的価値が高いとしています。甲冑は付属具まで完備した一式であり、鉄製武器は刀・剣・槍・鉾といった当時の主要な種類がそろいます。
よろい一式と、当時の武器のほとんどの種類。それを畿内から受け取れる立場の人物がここにいました。
同じ多摩川流域では、少し前の時期に亀甲山古墳が築かれています。台地の縁に代々続いた首長のうち、5世紀に大和政権と深く結んだ一人の墓が、この古墳だと考えられています。
公式の説明:わかっていない
被葬者個人を比定する記載はない。大和政権から入手したと考えられる鉄製品が多量にあるとする。
学術的な見方のひとつ:畿内政権と結んだ首長
石製模造品を含む一括資料が、東日本における古墳副葬品をみるうえで高い学術的価値をもつとされる。
野毛大塚古墳の大きさと形
文化庁の解説文は、この古墳を帆立貝形前方後円墳(全長八二メートル)と記しています。数字が漢数字で書かれているのは、重要文化財の解説文の書き方によるものです。
墳丘は、丸い主体部に短い方形部がつく姿です。帆立貝形の古墳としては、全国でも有数の大きさです。
墳丘からは、柵形埴輪や鶏形・水鳥形・家形といった形象埴輪、円筒埴輪が出土しており、墳丘の上で儀礼が行われていたことを示しています。
後円部には四基の埋葬施設が設けられていました。一つの墳丘に四つの棺。順に葬られていったと考えられます。墳丘の高さや周溝の規模については、公式のページでは確かめられませんでした。
全長:八二メートル
埋葬施設の数:四基
重要文化財の点数(世田谷区所有):副葬品計二九三点、附として一八点
石製模造品(東京国立博物館所有):二百四十八点
刀子形の石製模造品:二百三十二点
玉(東京国立博物館所有分):二十九点
野毛大塚古墳はいつ作られたか
文化庁は、出土品の時代を古墳時代中期(五世紀)としています。第二主体部の箱形石棺から出た石製模造品については、古墳時代中期中葉の特徴をよく示すとされます。
5世紀は、畿内で大仙陵古墳や誉田御廟山古墳といった巨大な前方後円墳が築かれた時期です。その同じ時期に、多摩川のほとりでは全長八二メートルの帆立貝形古墳が造られていました。
武蔵では、少し後の時期に埼玉古墳群が栄えます。埼玉の稲荷山古墳の礫槨から出た鉄剣は、5世紀後半のものと考えられています。野毛大塚古墳はそれより早く、南武蔵に大和政権とのつながりが生まれていたことを示します。
多摩川流域では、4世紀後半の亀甲山古墳、5世紀の野毛大塚古墳と、首長墓の場所が移っていきます。台地の縁を舞台にした、世代の交代が読み取れます。
野毛大塚古墳の場所と行き方(観光情報)
古墳は世田谷区野毛に、出土品は世田谷区世田谷と東京国立博物館に分かれています。
同じ多摩川左岸の台地には亀甲山古墳があり、こちらは東急多摩川線の多摩川駅から徒歩約10分と、大田区が行き方を公表しています。二つをあわせて歩くと、南武蔵の首長墓の移り変わりをたどれます。
野毛大塚古墳
文化庁は、野毛大塚古墳を東京都世田谷区野毛に所在する古墳としています。より細かい住所や、最寄り駅からの行き方を記した公式のページは確認できませんでした。
出土品のうち、世田谷区が所有する一括は世田谷区立郷土資料館が保管しています。もう一件は国立文化財機構の所有で、東京国立博物館が保管しています。古墳そのものと出土品の置かれている場所が別であることに注意が要ります。訪ねる前に、世田谷区の最新の案内を確かめることをおすすめします。
野毛大塚古墳の発見と調査の歩み
重要文化財が二度、別々に指定された
野毛大塚古墳の出土品は、二件に分かれて重要文化財になっています。
一件目は2016年(平成28年)8月17日の指定で、所有者は世田谷区。四基の埋葬施設から出土した鉄製品、青銅製品、石製模造品、玉、竪櫛などの副葬品計二九三点に、墳丘出土の埴輪残欠など計一八点を附として加えた一括です。
二件目は2017年(平成29年)9月15日の指定で、所有者は国立文化財機構、東京国立博物館が保管します。箱形石棺から出土した石製模造品二百四十八点、鉄製品残欠九点、玉二十九点の一括です。
同じ古墳の出土品が、持ち主の違いによって二つの重要文化財になりました。明治30年の発掘で出た品が帝国博物館(のちの東京国立博物館)に納められた経緯が、いまも形として残っています。
刀子をかたどった石が二百三十二点
この古墳の出土品でとりわけ目を引くのが、石製模造品です。滑石などのやわらかい石で、道具や器の形をまねて作ったものをいいます。
文化庁によれば、農工具類を模したものには斧形、鎌形、刀子形があり、とくに刀子形はきわめて多量で二百三十二点を数えるとされます。刀子とは小刀のことです。ほかにも履形、槽形、勾玉形、坏形、坩形といった多様な資料がそろい、古墳時代中期中葉の特徴をよく示すとされます。
刀子形にはつくりの精粗があり、石製模造品の変遷を考えるうえでも興味深いとされています。丁寧なものと雑なものが混じっている。数をそろえること自体が目的になった気配があります。
水を導く施設をかたどった、他に例のない石
石製模造品のなかに、一点だけ、ほかに例のないものがありました。
文化庁は、槽形としたうちの一点で、表面に大小の凹みとそれを貫く溝状の彫り込みを有し、他に例がないとしています。そしてこれは、祭祀に関わる導水施設を模した石製品である可能性が高いことが判明したとします。導水施設とは、水を引き入れて溜め、流す仕掛けのことです。
水の祭りと、そこに葬られた人物とを結ぶ手がかりが、小さな石一つに刻まれていました。
文化庁は、これを古墳時代における水を介した祭祀と古墳被葬者の関連を具体的に示すものとして貴重であるとしています。副葬品は、ただの持ち物ではなく、その人が何を司っていたかを語ります。
野毛大塚古墳から出土したもの
文化庁は、この一括を、出土状況および種類、組成が明確な副葬品としてまとまっており、古墳時代中期の東日本における埋葬の実態をよく示すとしています。
どこから何が出たかがわかっている、という点がとりわけ重く見られています。単品の名品より、組み合わせの記録が残っていることのほうが、研究の役に立つからです。
甲冑
付属具まで完備した一式。大和政権から入手したと考えられている。
鉄製武器
刀・剣・槍・鉾といった当時の主要な種類がそろう。
鉄鏃
多量に出土。十種類以上に分類され、この時代の鉄鏃形式のおおよそを網羅する。
石製模造品
斧形・鎌形・刀子形など。刀子形だけで二百三十二点を数える。
導水施設を模した石製品
槽形の一点。表面の凹みと溝状の彫り込みが特徴で、他に例がない。
形象埴輪・円筒埴輪
柵形埴輪や鶏形・水鳥形・家形などの残欠。墳丘上の儀礼のありさまを示す。
野毛大塚古墳と関連する古墳
野毛大塚古墳についてよくある質問
野毛大塚古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。文化庁は、大和政権から入手したと考えられる甲冑や刀剣類などの鉄製品が多量にあるとし、当地域と畿内政権との関係を考えるうえで学術的価値が高いとしています。四基の埋葬施設があり、複数の人物が葬られました。
野毛大塚古墳はどこにありますか。
東京都世田谷区野毛です。ただし細かい住所や最寄り駅からの行き方を記した公式のページは確認できませんでした。出土品のうち世田谷区が所有する一括は世田谷区立郷土資料館が、もう一件は東京国立博物館が保管しています。
野毛大塚古墳の大きさはどれくらいですか。
文化庁は、帆立貝形前方後円墳で全長八二メートルとしています。丸い墳丘に短い方形部がつく形で、帆立貝形の古墳としては全国でも有数の大きさです。墳丘の高さは公式に確認できませんでした。
野毛大塚古墳はいつ作られましたか。
古墳時代中期、五世紀です。第二主体部の箱形石棺から出た石製模造品は、古墳時代中期中葉の特徴をよく示すとされています。
野毛大塚古墳の出土品は見られますか。
出土品は二件に分かれて国の重要文化財に指定されています。世田谷区が所有する一括は世田谷区立郷土資料館が、国立文化財機構が所有する一括は東京国立博物館が保管しています。公開の予定は各館の案内で確かめてください。
野毛大塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
帆立貝形墳(ほたてがいがたふん)
丸い墳丘に短い方形部がつく古墳。上から見た姿がホタテガイに似ることによる名。
石製模造品(せきせいもぞうひん)
やわらかい石で道具や器の形をまねて作った副葬品。祭りに使われたと考えられる。
鉄鏃(てつぞく)
鉄でつくった矢じり。形の違いから時期や系統を読み取ることができる。
竪櫛(たてぐし)
歯を縦に並べた櫛。古墳時代の副葬品としてしばしば納められる。
附(つけたり)
重要文化財の指定で、本体に添えて一緒に守るものとして加えられる品。
野毛大塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。