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奈良県

四条古墳群とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

四条古墳群  / シジョウコフングン

古墳群 5世紀6世紀

藤原京を造るときに削られ、地上から消えた古墳群。木製品が濠から出た。

四条古墳群とはどんな古墳か

奈良県橿原市四条町にあるとされる古墳群です。この古墳群には、地上に見えるものが何もありません。いずれも後世に削平された埋没古墳で、下調べでは2019年時点で14基が確認されているといいます。

消えた理由がはっきりしているのが、この群の特徴です。一帯は7世紀末に造られた藤原京の域内にあたり、都を造るときに墳丘が削られ、濠も埋め立てられたと考えられています。

ところが埋め立てられて水気を含んだために、濠の中の木製品が良好な状態で残りました。1号墳では造出の付いた方墳としての全体像がわかり、多数の埴輪と木製品が確認されたと伝えられます。

近くには初代神武天皇陵とされるミサンザイ、第2代綏靖天皇陵とされる塚山があり、これらがもともとこの群の一部だった可能性も指摘されています。

この古墳群については、公式ページを1本も確かめられませんでした。以下の数値・所在地・年代は、いずれも公式には確認できていません。

四条古墳群の読み方と別名

読みは「しじょうこふんぐん」です。「よじょう」ではありません。

名は所在地の橿原市四条町から来ています。四条という地名は、条里制という土地の区画に由来する呼び方で、各地にあります。そのため、同じ名の遺跡と混同しないよう注意がいります。

この一帯では、古墳のほかに古墳時代の集落跡も見つかっており、あわせて「四条遺跡」と総称されるとされます。古墳群と遺跡、二つの名が同じ場所を指すことになります。

四条古墳群(しじょうこふんぐん)

所在地の橿原市四条町から付いた名。「しじょう」と読み、「よじょう」ではない。

四条遺跡(しじょういせき)

古墳のほかに古墳時代の集落跡も見つかっており、あわせてこの名で総称される。

四条1号墳(しじょういちごうふん)

群で最初に見つかった造出付きの方墳。多数の埴輪と木製品が出土したと伝えられる。

四条古墳群は誰の墓か

葬られた人が誰かは、わかっていません

理由もはっきりしています。藤原京の造営で墳丘が削られたため、埋葬施設そのものが失われているからです。棺のあった場所が残っていなければ、副葬品から人を推し量ることもできません。

下調べの範囲では、この群の主墳は7号墳から2号墳、1号墳の順に営まれたと見られ、古墳時代中期後半から中期末にかけてが最盛期とされます。

近くには、初代神武天皇陵に治定される丘陵「ミサンザイ」と、第2代綏靖天皇陵に治定される丘陵「塚山」があります。塚山は直径約30メートルの墳丘を持つことから円墳と見られ、その場合はこの古墳群の一つになるとされます。ミサンザイも埴輪や須恵器が確認されたことから、元々古墳であった可能性が指摘されています。

ただし、これらは宮内庁の治定を受けているため、考古学的な詳細は明らかでないとされます。この古墳群については公式ページを確かめられませんでした。

四条古墳群の大きさと形

この古墳群の数値を示す公式ページは、1本も確かめられませんでした。以下は下調べによるもので、公式には確認できていません。

最もよくわかっているのは1号墳です。墳丘は藤原京の造成時に破壊されて盛土が失われていますが、元来は方形で、南北約32メートル・東西約40メートル(造出を含む)を測るとされます。墳丘の西側には長さ9メートル・幅14メートルの台形の造出が付されるといいます。

墳丘の周囲には2重の周濠がめぐらされ、周濠を含めた古墳全長は南北約60メートル・東西推定75メートル。内濠は幅6メートル・深さ約0.8メートルから1.2メートル、内濠と外濠の間の堤は幅約6メートルとされます。

盛土は無くても、濠の跡は地中に残ります。削られた古墳の大きさは、この溝の線から復元されました。

四条古墳群はいつ作られたか

下調べによれば、この古墳群は古墳時代中期前半から後期前半、5世紀前半から6世紀中頃にかけて築造されたとされます。1号墳は5世紀末頃と推定されています。

そして7世紀末の藤原京の造営で、そのすべてが削られました。造られてから200年ほどのちのことです。

藤原京は、日本で初めて条坊制を敷いた本格的な都です。碁盤の目に道を通すには、地面が平らでなければなりません。古墳は、その邪魔になりました。

同じことは奈良市でも起きています。奈良市は、平城京の造営で壊された古墳が多い中、大安寺杉山古墳が残された古墳の一つだと説明しています。都を造るということは、それまでの墓を消すということでもありました。この年代を示す公式の記載は確認できませんでした。

四条古墳群の場所と行き方(観光情報)

この古墳群の南には、宮内庁が第2代綏靖天皇陵として治定する丘陵「塚山」があり、そのさらに南南西には初代神武天皇陵として治定される丘陵「ミサンザイ」があります。

いずれも治定を受けているため、考古学的な詳細は明らかでないとされます。古墳群のうち、削られたものと、陵として残されたものが、すぐ近くに並んでいることになります。

四条古墳群

地図で開く

四条古墳群の住所:公式には確認できませんでした

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:地上に墳丘が残っていないため、立ち入れる古墳がありません。宮内庁の陵墓でもありません

この古墳群については、住所も行き方も、公式ページで確かめられませんでした。下調べでは奈良県橿原市四条町、畝傍山の北東にある四条町交差点付近とされますが、この図鑑では公式に確認できたものだけを住所の欄に載せる決まりにしているため、空けてあります。

行っても、古墳は見えません。すべて地中に埋もれた埋没古墳です。出土品は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が保管・展示しているとされます。

四条古墳群の発見と調査の歩み

  1. 都を造るために消された
  2. 埋められたから残った木
  3. 神武天皇陵と隣り合って

都を造るために消された

この古墳群が地上から消えたのは、藤原京の造営によるものとされます。

藤原京は7世紀末に営まれた、日本で初めて条坊制を敷いた本格的な都です。碁盤の目に道を通し、家々を区画するには、平らな土地が要ります。高さ数メートルの墳丘は、その計画の邪魔になりました。

下調べによれば、この一帯は藤原京の域内にあたり、造営に伴って墳丘が削平され、周濠も埋め立てられたとされます。2019年時点で14基が確認されていますが、いずれも地上に墳丘としては存在しません。

同じことは平城京でも起きています。奈良市は、平城京の造営で壊された古墳が多い中、大安寺杉山古墳が残された一つだと説明しています。都と古墳は、同じ土地を取り合いました。

埋められたから残った木

削られたことが、思わぬ形で役に立ちました。濠の中の木製品です。

下調べによれば、墳丘の削平のため埋葬施設は明らかでないものの、周濠からは濠の埋め立てで水分を含んだことによって、多くの木製品が良好な保存状態で見つかったといいます。

木は、乾くと腐り、水に浸かり続けると残ります。空気に触れないためです。埋め立てられた濠の底は、そういう場所になりました。1号墳では、多数の埴輪とともに木製埴輪を含む木製品が大量に出土したと伝えられ、これらは埴輪とともに古墳の周囲を囲うために用いられたとされます。

木でできた埴輪があったということです。土のものだけを見ていては気づけません。古墳の姿を考え直す材料になりました。

神武天皇陵と隣り合って

この古墳群のすぐ南には、宮内庁が治定する二つの天皇陵があります。第2代綏靖天皇陵とされる丘陵「塚山」と、初代神武天皇陵とされる丘陵「ミサンザイ」です。

下調べによれば、現在の神武天皇陵・綏靖天皇陵は幕末の治定によるもので、塚山を神武天皇陵に比定する説も古くからあるとされます。塚山は直径約30メートルの墳丘を持つことから円墳と見られ、その場合はこの古墳群の構成古墳の一つになるといいます。ミサンザイも埴輪や須恵器が確認されており、元々古墳であった可能性が指摘されています。

削られた古墳と、陵として守られた古墳が、同じ一帯に並んでいます。違いを分けたのは、幕末に誰がどこを陵と決めたか、ということでした。治定の性格を考えるうえで、示唆のある並び方です。

四条古墳群から出土したもの

この古墳群については公式ページを1本も確かめられなかったため、出土品の一覧も公式には確認できていません。

下調べでは、出土品は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が保管・展示しているとされます。墳丘が失われた古墳では、濠から出たものがほとんど唯一の手がかりになります。この群の場合、それが木製品でした。

木製品

濠が埋め立てられて水分を含んだため、良好な状態で大量に出土したと伝えられる。

木製埴輪

木で作られた埴輪。土の埴輪とともに古墳の周囲を囲うために用いられたとされる。

埴輪

1号墳から多数出土。削平された古墳の年代を絞る手がかりになっている。

四条古墳群と関連する古墳

四条古墳群についてよくある質問

四条古墳群は誰の墓ですか。

わかっていません。藤原京の造営で墳丘が削られ、埋葬施設そのものが失われているためです。宮内庁の陵墓でもありません。公式ページは1本も確かめられませんでした。

四条古墳群はどこにありますか。

公式には確認できませんでした。下調べでは奈良県橿原市四条町、畝傍山の北東の四条町交差点付近とされます。地上に墳丘は残っていません。

四条古墳群にはいくつの古墳がありますか。

公式には確認できませんでした。下調べでは2019年時点で14基が確認されているとされますが、いずれも地上に墳丘としては存在しない埋没古墳です。

四条古墳群はいつ作られましたか。

公式には確認できませんでした。下調べでは古墳時代中期前半から後期前半、5世紀前半から6世紀中頃とされます。7世紀末の藤原京造営で削られたと考えられています。

四条古墳群は見学できますか。

地上に墳丘が残っていないため、見学できる古墳はありません。出土品は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が保管・展示しているとされますが、公式には確認できませんでした。

四条古墳群と併せて覚えたい言葉・用語

埋没古墳(まいぼつこふん)

地上に墳丘が残らず、地中に遺構だけが埋もれている古墳。掘って初めて見つかる。

削平(さくへい)

墳丘を削って平らにすること。都の造営や耕地の開発で、多くの古墳がこうして失われた。

木製埴輪(もくせいはにわ)

木で作られた埴輪。水気の多い場所でなければ残らないため、見つかる例は少ない。

条坊制(じょうぼうせい)

都を碁盤の目に区画する制度。平らな地面が要るため、古墳が削られる一因になった。