全長17.1メートルの巨大石室をもつ、馬見丘陵の大型円墳。
牧野古墳とはどんな古墳か
奈良県北葛城郡広陵町にある大型の円墳です。広陵町は、丘陵の奥部にある長径約60メートルの大型円墳とし、墳丘は三段築成で、二段目に横穴式石室が開口するとしています。
石室は玄室の長さ6.7メートル・幅3.3メートル・高さ4.5メートル、羨道の長さ10.4メートル・幅1.8メートルで、全長17.1メートルという奈良県でも最大級の大きさです。玄室の奥には刳抜式の家形石棺が横向きに据えられ、その手前には組み合わせ式の家形石棺が置かれていたと考えられています。
盗掘を受けていながら副葬品は多く残りました。文化庁のデータベースは、指定年月日を1957年6月19日、所在都道府県を奈良県としています。広陵町は、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子の成相墓の可能性が高いとしています。国の史跡ですので、申し込めば石室の中を見学できます。
牧野古墳の読み方と別名
読みは「ばくやこふん」です。「まきのこふん」ではありません。文化庁のデータベースも、広陵町も、ふりがなを「ばくや」としています。地名の読みとしてはめずらしく、初めて見る人はまず読めません。
この古墳には、宮内庁の治定にもとづく陵名はありません。陵墓でも陵墓参考地でもなく、国の史跡として扱われているためです。
かわりに知られているのが、成相墓(ならいのはか)という名です。延喜式諸陵寮に、押坂彦人大兄皇子の墓として記されている名で、広陵町はこの古墳がそれにあたる可能性が高いとしています。ただし、これは治定ではなく学術上の見方です。
牧野古墳(ばくやこふん)
文化庁のデータベースが用いるふりがなは「ばくやこふん」。広陵町も「ばくや」と読みを添えている。
成相墓(ならいのはか)
延喜式諸陵寮に見える押坂彦人大兄皇子の墓の名。広陵町はこの墓にあたる可能性が高いとする。
牧野史跡公園(ばくやしせきこうえん)
古墳が整備されている公園の名。古墳域は史跡として整備され、公園として開かれている。
牧野古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、確かめられていません。ただし、有力な説があります。
広陵町は、この古墳を「古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子の成相墓の可能性が高い」としています。押坂彦人大兄皇子は第30代敏達天皇の第一皇子で、当時は皇位の有力な候補として擁立されながら、途中で歴史から名を消した人物です。
根拠は、確かな資料があるわけではありません。挙げられているのは、所在地が延喜式の記載と対応すること、築造時期、墳丘の規模、そして石室の規模です。延喜式諸陵寮は成相墓の兆域を東西15町・南北20町とし、これは仁徳天皇の百舌鳥耳原中陵の8町四方を大きく上回ります。
押坂彦人大兄皇子について、宮内庁による治定墓はありません。
学術的な見方のひとつ(広陵町は「可能性が高い」としています):押坂彦人大兄皇子
古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子の成相墓の可能性が高い、とする。
陵墓ではなく、国の史跡として扱われている:宮内庁の治定は無い
指定年月日を1957年6月19日とする。所在地の欄は「北城郡広陵町」と記されている。
牧野古墳の大きさと形
広陵町は、この古墳を丘陵の奥部にある長径約60メートルの大型円墳としています。墳丘は三段に築かれ、二段目に横穴式石室が開口します。
石室の規模は、玄室が長さ6.7メートル・幅3.3メートル・高さ4.5メートル、羨道が長さ10.4メートル・幅1.8メートル、全長17.1メートルを測る大型石室です。石材には花崗岩の巨石が使われ、側壁は上へ行くほど内側にせり出すように積まれています。
玄室の奥壁に沿って刳抜式の家形石棺が横向きに据えられ、その手前には組み合わせ式の家形石棺が置かれていたと考えられています。石室の造りは赤坂天王山古墳と同じ設計になるとされます。
墳丘の長径:約60メートル
石室の全長・玄室・羨道:全長17.1メートル。玄室は長さ6.7メートル・幅3.3メートル・高さ4.5メートル、羨道は長さ10.4メートル・幅1.8メートル
史跡の指定年月日:1957年6月19日
牧野古墳はいつ作られたか
牧野古墳の場所と行き方(観光情報)
広陵町には、この古墳のほかに巣山古墳、三吉石塚古墳、新木山古墳、新山古墳といった古墳があります。
扱いはそれぞれ違います。巣山古墳と牧野古墳は国の史跡として調査ができますが、新木山古墳と新山古墳は宮内庁が管理する陵墓参考地です。
牧野古墳
牧野古墳の住所:北城郡広陵町
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁の陵墓ではなく国の史跡です。石室の中を見学できますが、申し込みが必要です。広陵町は「牧野古墳の石室内部を見学希望される方は、見学申込書に必要事項をご記入の上、見学希望日の2週間前までに文化財保存活用課へお申し込みください」としています
文化庁のデータベースは、所在都道府県を奈良県、所在地(市区町村)を「北城郡広陵町」としています。広陵町があるのは北葛城郡ですので、データベースの記載には字が抜けているとみられます。公式のページの文字列をそのまま載せていますが、地図で探すときは「北葛城郡広陵町」でお調べください。
古墳は馬見丘陵の中央部、小さな尾根の先端に築かれています。石室の中を見たい場合は、2週間前までの申し込みが必要です。
牧野古墳の発見と調査の歩み
申し込めば、石室に入れる
この古墳の大きな特徴は、石室の中を実際に見学できることです。
広陵町は「牧野古墳の石室内部を見学希望される方は、見学申込書に必要事項をご記入の上、見学希望日の2週間前までに文化財保存活用課へお申し込みください」と案内しています。
全長17.1メートル、玄室の高さ4.5メートルという奈良県最大級の石室に、自分の足で入れるということです。同じ広陵町の新木山古墳や新山古墳は陵墓参考地で、中を見ることはできません。国の史跡であることの意味が、はっきり表れている例です。石舞台古墳のように盛り土を失って露出した石室とは違い、こちらは墳丘の中にそのまま残っています。
盗掘されて、なお残ったもの
この古墳の二基の石棺は、どちらも盗掘によって大部分が破壊されていました。それでも広陵町は「副葬品は意外に多く残されていました」と記しています。
装身具では金環、金銅製の山梔玉、ガラス小玉、粟玉。馬具では壺鐙、障泥の縁金具、心葉形の鏡板と杏葉が二組分。武器では銀装の大刀と400本近い鉄鏃。羨道には木心の金銅張容器と総数58点の須恵器がありました。
馬具が二組分そろって出るというのは、被葬者が二人いたことと対応していると考えられます。玄室の中には刳抜式と組み合わせ式の家形石棺が二基あり、同時に葬られたと推測されています。
赤坂天王山古墳と、同じ設計
牧野古墳の石室は、桜井市の赤坂天王山古墳の石室と同じ設計になるとされています。
赤坂天王山古墳は、真の崇峻天皇陵とする説が有力な古墳です。二つの石室が同じ設計だということは、皇族にかかわる石工の集団が両方を築いたのではないか、という説につながります。
この関係は、被葬者を考えるうえでも意味をもちます。同じ職人が同じ設計で石室を築いた相手は、同じくらいの立場の人物だったと考えられるからです。押坂彦人大兄皇子は舒明天皇の父にあたり、その舒明天皇の陵とされるのが桜井市の段ノ塚古墳です。父と子の墓とされる二基が、近い距離に並んでいます。
牧野古墳から出土したもの
広陵町は、この古墳の副葬品を「石棺は、ともに大部分が破壊されていたが副葬品は意外に多く残されていました」としています。装身具は金環・ガラス小玉・粟玉、武器は銀装の大刀と400本近い鉄鏃、容器類は木心の金銅張容器と総数58点の須恵器です。
羨道に容器類が集中していたことから、そこに死者への供え物が置かれたと考える説があります。
刳抜式家形石棺
玄室の奥壁に沿って横向きに据えられた石棺。凝灰岩製で、盗掘により大部分が破壊されている。
馬具
心葉形の鏡板と杏葉、壺鐙、障泥の縁金具など。広陵町によれば二組分が出土している。
鉄鏃
鉄の矢じり。広陵町は400本近くが出土したとし、羨道に集中していたとする。
須恵器
広陵町によれば総数58点。木心の金銅張容器とともに、羨道に集中して置かれていた。
牧野古墳と関連する古墳
牧野古墳についてよくある質問
牧野古墳は誰の墓ですか。
広陵町は、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子の成相墓の可能性が高いとしています。ただし確かな資料はなく、宮内庁の治定も受けていません。
牧野古墳はどこにありますか。
文化庁のデータベースは所在地を「北城郡広陵町」としていますが、広陵町があるのは北葛城郡ですので、記載には字が抜けているとみられます。馬見丘陵の中央部にあります。
牧野古墳の大きさはどれくらいですか。
広陵町は長径約60メートルの大型円墳としています。石室は全長17.1メートル、玄室は高さ4.5メートルです。
牧野古墳はいつ作られましたか。
広陵町は古墳時代後期末葉としています。おおむね6世紀末ごろで、馬見古墳群ではいちばん新しい時期の大型古墳にあたります。
牧野古墳の石室に入れますか。
見学できますが、申し込みが必要です。広陵町は、見学希望日の2週間前までに見学申込書を文化財保存活用課へ提出するよう案内しています。
牧野古墳と併せて覚えたい言葉・用語
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)
横から出入りできる通路をもつ石室。追葬ができる。
玄室(げんしつ)
横穴式石室のうち、棺を納める奥の部屋。牧野古墳では高さ4.5メートルある。
杏葉(ぎょうよう)
馬の胸や尻に垂らす飾り金具。鏡板とともに出土することが多い。
成相墓(ならいのはか)
延喜式に見える押坂彦人大兄皇子の墓の名。牧野古墳をこれにあてる説がある。
牧野古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。