吉備真備の墓と伝えられてきたが、実際は300年ほど古い古墳。
吉備塚古墳とはどんな古墳か
奈良県奈良市高畑町、奈良教育大学の敷地の中にあるとされる古墳です。大学のキャンパスに古墳がある、という珍しい立地です。
名のとおり、奈良時代に唐へ渡り暦学などを伝えた吉備真備の墓と古くから伝えられてきました。江戸時代の書物にも大和国の名所のひとつとして取り上げられ、明治には旧陸軍の敷地に取り込まれ、戦後は接収を経て、1958年に奈良教育大学が移ってきたといいます。
ところが1986年、古墳時代中期後半の特徴を持つ鏡が採集され、伝承とは時代が合わないことがわかりました。2002年度から2003年度の大学による調査では、墳頂部に2基の埋葬施設があることが確認され、三累環頭大刀などが出土したと伝えられます。
この古墳については、公式ページを1本も確かめられませんでした。以下の数値・所在地・年代は、いずれも公式には確認できていません。
吉備塚古墳の読み方と別名
読みは「きびづかこふん」です。
名は、奈良時代の学者である吉備真備の墓と伝えられてきたことによります。吉備真備は唐へ渡り、暦学などを伝えた人物です。江戸時代の書物にも大和国の名所のひとつとして取り上げられていました。
ところが、この古墳の実際の年代は5世紀後半から6世紀初期とされます。吉備真備が生きた8世紀とは、300年近い開きがあります。
名だけが残り、中身は別のものだった。この図鑑で扱った阿保親王塚古墳も、平安時代の親王の墓として管理されながら、古墳自体は4世紀代と考えられています。古墳の名は、必ずしも葬られた人を指しません。
吉備塚古墳(きびづかこふん)
吉備真備の墓と伝えられてきたことによる名。実際の年代とは合わないことがわかっている。
吉備塚(きびづか)
「古墳」を付けない呼び方。江戸時代の書物には、この形で名所として載る。
三累環頭大刀(さんるいかんとうのたち)
この古墳から出土した大刀。柄の頭に三つの輪を重ねた飾りが付く。
吉備塚古墳は誰の墓か
葬られた人が誰かは、わかっていません。
はっきりしているのは、吉備真備ではない、ということです。
下調べによれば、1986年に古墳時代中期後半の特徴を持つ画文帯環状乳神獣鏡が採集され、吉備真備の墓とは時代が異なる古墳である可能性が高くなったとされます。その後、2002年度から2003年度にかけての奈良教育大学による学術調査で、墳頂部に2基の埋葬施設があることが確認されました。
出土したのは、5世紀後葉から6世紀初頭の埴輪片、2基の木棺直葬、そして三累環頭大刀、貝装雲珠、小札甲などです。同じ調査によって、第1埋葬施設が5世紀後半から6世紀初期、第2埋葬施設が6世紀の第二四半世紀に造営されたと推定されています。
吉備真備が亡くなったのは8世紀です。300年近い開きがあります。この古墳を扱う公式ページは確かめられなかったため、以上はいずれも公式には確認できていません。宮内庁の陵墓でもありません。
吉備塚古墳の大きさと形
この古墳の数値を示す公式ページは、1本も確かめられませんでした。以下は下調べによるもので、公式には確認できていません。
墳形は、径約20メートル・高さ約3メートルから4メートルの円墳とされます。ただし高まりが北西に延びることから、推定全長約40メートルの前方後円墳である可能性もあるといいます。形が二通りに見えているということです。
この図鑑では、より広く用いられている円墳を形の欄に入れています。
古墳は、奈良盆地の北東部に形成された緩やかな段丘面の上、標高110メートルの地点に位置するとされます。周辺は春日断層崖の下につらなる段丘面が南北に発達しながら西へ傾き、東西方向には谷が発達しているといいます。北の飛火野の南縁の谷と、南の能登川の谷に画された場所です。
吉備塚古墳はいつ作られたか
吉備塚古墳の場所と行き方(観光情報)
この場所は、明治には旧陸軍の連隊の敷地に取り込まれ、第二次世界大戦後は米軍のキャンプとして接収され、返還にともなって1958年に奈良教育大学が移転してきたと伝えられます。
軍の敷地、占領軍の施設、そして大学。土地の使われ方が三度変わりながら、古墳は削られずに残りました。囲われていたことが、結果として古墳を守ったことになります。
吉備塚古墳
吉備塚古墳の住所:公式には確認できませんでした
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:大学の敷地の中にあるとされます。宮内庁の陵墓ではありませんが、立ち入りの可否は公式には確認できませんでした。訪ねる前に大学へ問い合わせることをおすすめします
この古墳については、住所も行き方も、公式ページで確かめられませんでした。下調べでは奈良県奈良市高畑町、奈良教育大学のキャンパス内とされますが、この図鑑では公式に確認できたものだけを住所の欄に載せる決まりにしているため、空けてあります。
大学の敷地の中にある古墳です。一般の見学が受け入れられているかどうかも確かめられませんでした。訪ねる前に大学へ問い合わせることをおすすめします。
吉備塚古墳の発見と調査の歩み
名前だけが残った
この古墳は、吉備真備の墓と伝えられてきました。吉備真備は、奈良時代に唐へ渡り、暦学などを伝えた学者です。江戸時代の書物にも、大和国の名所のひとつとして取り上げられていたといいます。
ところが1986年、古墳時代中期後半の特徴を持つ鏡が採集され、時代が合わないことがわかりました。古墳が造られたのは5世紀後半から6世紀初期。吉備真備が生きたのは8世紀です。
300年近い開きがあります。
同じことは各地で起きています。阿保親王塚古墳は平安時代の親王の墓として宮内庁が管理していますが、古墳自体は4世紀代とされます。古い塚に、後の世の人が知っている名前を当てはめる。そうやって名が付いた古墳は、少なくありません。
大学の中の古墳
この古墳の変わったところは、大学のキャンパスの中にあることです。
下調べによれば、明治には旧陸軍の連隊の敷地に取り込まれ、第二次世界大戦後は米軍のキャンプとして接収され、返還にともなって1958年に奈良教育大学が移転してきたといいます。
囲われた土地であり続けたことが、この古墳を守りました。宅地化が進めば削られ、耕地になれば平らにされます。奈良市内では、平城京の造営で多くの古墳が壊されました。この古墳は、たまたま人の立ち入らない敷地の中にありました。
調査を行ったのも、その大学です。2002年度から2003年度にかけての学術調査で、墳頂部に2基の埋葬施設があることが確認されました。小山田古墳が養護学校の敷地で見つかったように、学校の土地は、意外に古墳の残る場所です。
三累環頭大刀という出土品
この古墳の出土品でよく知られるのが、三累環頭大刀です。
三累環頭大刀は、柄の頭に三つの輪を重ねたような飾りが付く大刀です。ほかに貝装雲珠、小札甲なども出土したと伝えられます。雲珠は馬具の一種で、貝で飾ったものです。小札甲は、小さな鉄の板をつづり合わせて作る鎧を指します。
武具と馬具がそろって出ているということになります。5世紀後半から6世紀は、馬具が広く副葬されるようになる時期にあたります。この図鑑で扱った金鈴塚古墳でも、金銅製の馬具が数多く出土しました。
円墳あるいは小さな前方後円墳から、これだけの品が出ています。奈良の東の縁で、それなりの立場にあった人物の墓であったことは言えます。ただし、その人が誰かはわかりません。
吉備塚古墳から出土したもの
この古墳については公式ページを1本も確かめられなかったため、出土品の一覧も公式には確認できていません。
下調べによれば、2002年度から2003年度の奈良教育大学による学術調査で、墳頂部の2基の埋葬施設から2基の木棺直葬をはじめ、三累環頭大刀、貝装雲珠、小札甲などの遺物が多数発掘されたとされます。1986年に採集された鏡が、伝承をくつがえす最初の手がかりになりました。
三累環頭大刀
柄の頭に三つの輪を重ねた飾りが付く大刀。この古墳の出土品として広く知られる。
画文帯環状乳神獣鏡
1986年に採集された鏡。古墳時代中期後半の特徴を持ち、伝承との年代の食い違いを示した。
貝装雲珠
貝で飾った馬具。雲珠は馬の背にかける革帯の交点を留める金具。
小札甲
小さな鉄の板をつづり合わせて作る鎧。5世紀後半以降に広まった形式。
埴輪片
5世紀後葉から6世紀初頭のもの。築造年代を絞る手がかりになった。
吉備塚古墳と関連する古墳
吉備塚古墳についてよくある質問
吉備塚古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。吉備真備の墓と古くから伝えられてきましたが、古墳の年代は5世紀後半から6世紀初期とされ、8世紀の吉備真備とは300年近い開きがあります。宮内庁の陵墓でもありません。
吉備塚古墳はどこにありますか。
公式には確認できませんでした。下調べでは奈良県奈良市高畑町、奈良教育大学のキャンパス内とされます。訪ねる前に大学へ問い合わせることをおすすめします。
吉備塚古墳の大きさはどれくらいですか。
公式には確認できませんでした。下調べでは径約20メートル・高さ約3メートルから4メートルの円墳とされますが、推定全長約40メートルの前方後円墳である可能性も指摘されています。
吉備塚古墳はいつ作られましたか。
公式には確認できませんでした。下調べでは第1埋葬施設が5世紀後半から6世紀初期、第2埋葬施設が6世紀の第二四半世紀に造営されたと推定されています。
なぜ吉備塚と呼ばれるのですか。
奈良時代に唐へ渡り暦学などを伝えた吉備真備の墓と、古くから伝えられてきたためです。江戸時代の書物にも大和国の名所として載っていました。年代が合わないことがわかったのは1986年以降です。
吉備塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
木棺直葬(もっかんじきそう)
石室や石槨を造らず、木の棺を墳丘に直接埋める葬り方。
雲珠(うず)
馬の背にかける革帯の交点を留める金具。この古墳では貝で飾ったものが出土した。
小札甲(こざねよろい)
小さな鉄の板をつづり合わせて作る鎧。5世紀後半以降に広まった。
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)
外周に絵の帯をめぐらせ、神像と獣像を表した鏡。年代を絞る手がかりになる。