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大阪府

いたすけ古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

いたすけ古墳  / イタスケコフン

前方後円墳 5世紀

市民運動が破壊から救った、百舌鳥古墳群の前方後円墳。

いたすけ古墳とはどんな古墳か

大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁にある前方後円墳です。堺市は、百舌鳥古墳群のほぼ中央にあり前方部を西に向けた古墳とし、規模を全長約146メートル、後円部径約90メートル、高さ約12.2メートル、前方部幅約99メートル、高さ約11.4メートルとしています。群の中では8番目の大きさです。

この古墳が知られているのは、大きさよりも、消えかけたことによってです。昭和30年(1955年)に住宅造成のため破壊されそうになりましたが、市民運動によって保存されました。

そのとき後円部から採集された冑の埴輪は、いまも堺市の文化財保護のシンボルマークになっています。濠の中に残る壊れた橋げたは、土取り工事が始まろうとしたときの名残です。

2019年に世界文化遺産の構成資産となりました。埋葬施設の構造や副葬品は不明です。

いたすけ古墳の読み方と別名

読みは「いたすけこふん」です。古墳の名としては珍しく、ひらがなのまま表記されます。堺市も文化庁も、漢字をあてずに書いています。

名の由来は、はっきりしていません。文化庁の解説文には「字板鶴と称せられる地に有る」とあり、板鶴(いたづる)という小字の名が近いようにも見えますが、そう結びつける記載は確かめられませんでした。

同じ百舌鳥古墳群では、ニサンザイ古墳や上石津ミサンザイ古墳のように、意味のわかりにくい名が並びます。長く呼ばれてきた音だけが残り、由来は失われました。

いたすけ古墳(いたすけこふん)

堺市が用いる正式な名。ひらがなのまま表記されるのが特徴で、漢字をあてない。

板鶴(いたづる)

文化庁の解説文が記す小字の名。字板鶴と称せられる地にある、と書かれている。

衝角付冑型埴輪(しょうかくつきかぶとがたはにわ)

この古墳から出た埴輪の名。堺市指定有形文化財で、市の文化財保護のシンボルマークになっている。

いたすけ古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません

堺市は、いたすけ古墳について「埋葬施設の構造や副葬品は不明ですが、墳丘の形や埴輪の状況から5世紀前半に築造されたと考えられます」としています。年代はわかっても、人はわからないという状態です。

この古墳は、大仙陵古墳やニサンザイ古墳と違い、宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っていません。堺市は国指定史跡百舌鳥古墳群のひとつとして紹介しています。

そのぶん調査ができます。周囲には陪塚と考えられる小さな古墳があり、後円部の東側には方墳の善右ヱ門山古墳が残っています。消滅した陪塚には吾呂茂塚古墳、播磨塚古墳がありました。

墳丘長146メートルは、百舌鳥古墳群で8番目です。大王級ではないが、群の中では上位。その位置にいた人物の墓ということまでは言えます。

断定できない:わかっていない

埋葬施設の構造や副葬品は不明、と明記されている。年代だけが埴輪から絞られている。

宮内庁の治定は無い:治定はされていない

陵墓や陵墓参考地ではなく、国指定史跡百舌鳥古墳群のひとつとして紹介されている。

いたすけ古墳の大きさと形

堺市は、規模を全長約146メートル、後円部径約90メートル、高さ約12.2メートル、前方部幅約99メートル、高さ約11.4メートルとし、百舌鳥古墳群では8番目の大きさとしています。墳丘は3段に築成され、南側のくびれ部には造出しがあります。

いっぽう文化庁の解説文は、主軸の長さを約140メートルとし、別のところでは墳長140メートルに達する前方後円墳と書いています。同じ古墳に、146メートルと140メートルという二つの数字があります。

台地の南端にあるため、濠の南側には大規模な堤が築かれています。

墳丘長:約146メートル

後円部の径:約90メートル

後円部の高さ:約12.2メートル

前方部の幅:約99メートル

前方部の高さ:約11.4メートル

百舌鳥古墳群での順位:8番目(146メートル)

主軸の長さ(文化庁の解説文):約140メートル

いたすけ古墳はいつ作られたか

堺市は、いたすけ古墳の時代を古墳時代(5世紀前半)とし、墳丘の形や埴輪の状況からそう考えられる、としています。

後円部の東側にある善右ヱ門山古墳も、出土した円筒埴輪と須恵器から5世紀前半とされ、築造時期や位置関係から、いたすけ古墳に付属する古墳と考えられています。

百舌鳥古墳群全体について、文化庁は4世紀末から6世紀前半にかけて形成されたとしています。5世紀前半のいたすけ古墳は、この群がいちばん盛んに造られた時期にあたります。

同じころに、上石津ミサンザイ古墳や大仙陵古墳といった巨大古墳も築かれています。

いたすけ古墳の場所と行き方(観光情報)

百舌鳥古墳群のほぼ中央にあり、北東には御廟山古墳、南東にはニサンザイ古墳、西には大仙陵古墳が広がります。堺市の古墳探索のページは、この三基を結ぶ道筋を紹介しています。

後円部の東側には、陪塚と考えられる方墳の善右ヱ門山古墳が残っています。堺市は一辺28メートル、高さ3メートルとしています。

いたすけ古墳

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いたすけ古墳の住所:堺市北区百舌鳥本町3丁

交通:堺市の古墳探索のページは、この一帯の最寄駅としてJR阪和線の百舌鳥駅・三国ヶ丘駅と、南海高野線の三国ヶ丘駅を挙げています

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:一重の濠に囲まれており、南側の橋は土取り工事のときのまま壊れて残る。立ち入りについての公式の記載は確認できませんでした

所在地は堺市が公表する堺市北区百舌鳥本町3丁です。文化財のページでは、より詳しく北区百舌鳥本町3丁338他としています。

堺市は、この古墳について「古墳の上に大きな木が少ないので形が良くわかります」と書いています。前方後円墳の形をそのまま目で追える、数少ない古墳です。南側の壊れた橋げたも、濠ごしにそのまま見えます。

いたすけ古墳の発見と調査の歩み

  1. 市民運動が止めた土取り工事
  2. 冑の埴輪が、市のしるしになるまで
  3. 146メートルと140メートル

市民運動が止めた土取り工事

堺市は、この古墳について次のように書いています。昭和30年(1955年)頃に土取り工事で破壊の危機にひんしたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年(1956年)に国指定史跡になった、と。

工事のためには重機を入れる必要があり、濠に橋が架けられました。現在も濠の中に残されている橋げたは、土取り工事が行われようとしたときの名残です。

堺市は「いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群を構成する重要な前方後円墳というだけでなく、我が国における文化財保護の歴史を語るうえでも重要な古墳なのです」と結んでいます。壊れかけた橋は、そのまま記念碑になりました。

冑の埴輪が、市のしるしになるまで

保存運動のさなか、後円部から一つの埴輪が採集されました。衝角付冑型埴輪です。衝角付冑とは、前が尖った形の冑のことをいいます。

堺市はこの埴輪について、5世紀中ごろの武人が使っていた鉄製の三角板革綴衝角付冑を写実的に模した形象埴輪であるとし、衝角付冑型埴輪としてほぼ完存する例は全国的にも稀なものだとしています。高さは27.3センチメートル。平成13年(2001年)12月20日に堺市指定有形文化財となりました。

そして堺市は、この埴輪を市の文化財保護のシンボルマークに定めています。破壊をまぬがれた古墳から出た冑が、文化財を守るしるしになりました。

146メートルと140メートル

堺市はこの古墳の全長を約146メートルとし、百舌鳥古墳群で8番目の大きさとしています。

いっぽう文化庁の解説文は、主軸の長さ約140メートルと書き、追加指定の説明では墳長140メートルに達する前方後円墳としています。6メートルの差があります。

どちらが誤りというわけではありません。文化庁の古い解説文は史跡指定のときのもので、堺市の数字はその後の調査を踏まえたものです。古墳の大きさは、測り直されるたびに書き換わります。

同じことはニサンザイ古墳でも起きています。約300メートルと300.3メートル、前方部幅は約224メートルと246.4メートル。数字が一つに決まらないのは、古墳を扱うときの常です。

いたすけ古墳から出土したもの

堺市は「埋葬施設の構造や副葬品は不明」としています。棺の中にあったものは確かめられていません。

知られているのは、墳丘の表面から採集された冑形の埴輪です。保存運動の際に後円部から採集されたこの一点が、堺市の文化財保護のシンボルマークになりました。現在は複製が堺市博物館に展示されています。

衝角付冑型埴輪

後円部で発見された冑の形の埴輪。高さ27.3センチメートル。堺市指定有形文化財。

葺石

墳丘の斜面を覆う石。堺市が存在を確認している。

埴輪

墳丘に並べられていた。埴輪の状況から築造年代が絞られている。

いたすけ古墳と関連する古墳

いたすけ古墳についてよくある質問

いたすけ古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。堺市は埋葬施設の構造や副葬品は不明としています。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っておらず、国指定史跡として扱われています。

いたすけ古墳はどこにありますか。

堺市北区百舌鳥本町3丁、百舌鳥古墳群のほぼ中央にあります。堺市はこの一帯の最寄駅としてJR阪和線の百舌鳥駅・三国ヶ丘駅などを挙げています。

いたすけ古墳の大きさはどれくらいですか。

堺市によれば全長約146メートル、後円部径約90メートル、前方部幅約99メートルで、百舌鳥古墳群では8番目の大きさです。文化庁の解説文は主軸の長さを約140メートルとしています。

いたすけ古墳はいつ作られましたか。

堺市は古墳時代の5世紀前半としています。墳丘の形と埴輪の状況からそう考えられる、と説明されています。

いたすけ古墳の濠に壊れた橋があるのはなぜですか。

昭和30年頃の土取り工事のために架けられた橋の名残です。工事は市民運動によって止められ、昭和31年に国指定史跡となりました。

いたすけ古墳と併せて覚えたい言葉・用語

衝角付冑(しょうかくつきかぶと)

前が尖った形の冑。5世紀の武人が用いた鉄製の冑で、これをかたどった埴輪がある。

形象埴輪(けいしょうはにわ)

人・動物・家・道具などの形をかたどった埴輪。筒形の円筒埴輪と区別される。

陪塚(ばいちょう)

大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな古墳。

国指定史跡(くにしていしせき)

国が歴史上重要と認めて指定した土地。宮内庁の陵墓とは別の枠組みで、調査ができる。

いたすけ古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 堺市
  2. 堺市
  3. 文化庁