墳丘規模227メートル、全国20位。垂仁天皇陵として治定されている。
宝来山古墳とはどんな古墳か
奈良県奈良市にある前方後円墳です。宮内庁が第11代垂仁天皇の菅原伏見東陵として管理しています。
堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングでは、宝来山古墳(垂仁陵)の墳丘規模を227メートルとし、第20位に置いています。所在地は奈良県奈良市尼ヶ辻町と記されています。
奈良盆地の北部には、200メートルを超える巨大前方後円墳がいくつも並びます。同じ一覧を見ると、五社神古墳275メートル、ウワナベ古墳255メートル、市庭古墳250メートル、佐紀石塚山古墳218メートル、陵山古墳207メートル、コナベ古墳204メートル。その中に宝来山古墳227メートルが入ります。
宮内庁の管理下にあるため墳丘には入れませんが、拝所は原則として年間をとおして参拝できます。
宝来山古墳の読み方と別名
読みは「ほうらいさんこふん」です。「ほうらいやまこふん」と読まれることもあります。
宝来山という名は、不老不死の仙人が住むという蓬莱山に由来する響きを持ちます。ただし、由来を記した公式ページを確かめられませんでした。
宮内庁の陵名「菅原伏見東陵」は「すがわらのふしみのひがしのみささぎ」と読みます。長い読みですが、菅原も伏見も、この一帯の古い地名です。
所在地の表記は資料で分かれます。宮内庁は奈良県奈良市尼辻西町、堺市の一覧は奈良県奈良市尼ヶ辻町としています。同じ古墳を指しますが、町名の書き方が違います。
宝来山古墳(ほうらいさんこふん)
堺市の全国の古墳大きさランキングにも、この名で載る。括弧に垂仁陵と添えられている。
菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
宮内庁が定める陵名。畝傍陵墓監区事務所が担当している。
垂仁天皇陵古墳(すいにんてんのうりょうこふん)
治定にもとづく呼び方。被葬者が確かめられたという意味ではない。
宝来山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
宮内庁は、この古墳を第11代垂仁天皇の菅原伏見東陵として管理しています。ページに記されているのは、代数、諡号、御父、御母、陵名、陵形、所在地、行き方まで。なぜこの古墳が垂仁天皇の陵なのかという根拠は、示されていません。
堺市の全国の古墳大きさランキングも、この古墳を「宝来山古墳(垂仁陵)」と記しています。古墳の名を主に置き、治定を括弧に添える書き方です。自治体の資料でも、治定は参考情報として扱われています。
宮内庁が管理する陵墓は、原則として発掘できません。棺がどこにあり、何が納められているのかを確かめる手立てが無い以上、被葬者を確定させることもできません。
宮内庁の治定:第11代垂仁天皇
菅原伏見東陵として管理される。治定は行政上の扱いであり、学問的に確かめられたものではない。
断定できない:わかっていない
陵名と所在地は記されているが、被葬者を確かめた根拠にはふれていない。
自治体の一覧での扱い:記されていない
一覧は「宝来山古墳(垂仁陵)」と、古墳の名を主に記している。
宝来山古墳の大きさと形
堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングは、宝来山古墳(垂仁陵)の墳丘規模を227メートルとし、第20位に置いています。
前後を見ると、19位が大阪府藤井寺市の允恭天皇陵古墳(市野山古墳)で230メートル、21位が大阪府茨木市の太田茶臼山古墳で226メートル、22位が羽曳野市の墓山古墳で225メートルです。230・227・226・225と、一メートル刻みで並ぶ密集地帯にあります。
宮内庁は陵形を前方後円としています。後円部の径や高さなど、より細かい規模については公式の記載を確かめられませんでした。
墳丘規模(全長):227メートル
全国での順位:第20位(227メートル)
陵形:前方後円
陵名:菅原伏見東陵
被葬者とされる天皇の代数:第11代
宝来山古墳はいつ作られたか
宝来山古墳の築造年代を記した公式ページを、確かめられませんでした。宮内庁のページは代数と陵名を記すだけで、年代にはふれていません。堺市の一覧も規模と所在地だけです。
巨大古墳の年代がどのように決められるのかについては、藤井寺市が手がかりを公開しています。同市は、埼玉県の稲荷山古墳に納められた辛亥年(471年)の鉄剣と、奈良県平城宮下層から出た木製品の年輪年代(412年の伐採)という二つの定点を挙げ、この二点をもとに須恵器と円筒埴輪の型式に年代を割り振ると、巨大古墳が造られたおおよその実年代が浮かび上がる、としています。
ただし宝来山古墳では、墳丘に入れず掘ることもできません。埴輪の型式を確かめる機会そのものが限られています。
宝来山古墳の場所と行き方(観光情報)
奈良盆地の北部は、巨大古墳が集まる地域です。堺市の全国の古墳大きさランキングには、奈良市から五社神古墳275メートル、ウワナベ古墳255メートル、市庭古墳250メートル、佐紀石塚山古墳218メートル、陵山古墳207メートル、コナベ古墳204メートルが載っています。
いずれも歩いて回れる範囲にあります。宝来山古墳は、その群れの南西のはずれに位置します。
垂仁天皇 菅原伏見東陵(宝来山古墳)
垂仁天皇 菅原伏見東陵(宝来山古墳)の住所:奈良県奈良市尼辻西町
交通:(バス停)尼ヶ辻駅から徒歩約8分
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:陵墓として宮内庁が管理しているため墳丘には立ち入れない。拝所は原則として年間をとおして参拝できる
所在地は、宮内庁が公表する奈良県奈良市尼辻西町です。堺市の一覧では奈良県奈良市尼ヶ辻町と記されており、同じ古墳でありながら、公式の資料で町名の表記が分かれています。
宮内庁は行き方を尼ヶ辻駅から徒歩約8分とし、参拝は原則として年間をとおして可能、参拝時間は原則8時30分から17時までとしています。問い合わせ先は畝傍陵墓監区事務所です。駐車場と料金は、公式の記載を確かめられませんでした。
宝来山古墳の発見と調査の歩み
227メートルという、混み合った位置
堺市の全国の古墳大きさランキングを、19位から23位まで並べてみます。允恭天皇陵古墳230メートル、宝来山古墳227メートル、太田茶臼山古墳226メートル、墓山古墳225メートル、巣山古墳220メートル。
わずか10メートルの幅に、5基の巨大古墳がひしめいています。
これは偶然ではありません。古墳の大きさは、造る側が自由に決めたのではなく、決まった段階に沿って選ばれていたと考えられています。同じ段の古墳が同じ大きさに揃うのは、そのためです。
宝来山古墳は、大仙陵古墳486メートルや誉田御廟山古墳425メートルのような突出した規模ではありません。しかし全国20位という位置は、当時の序列の中で、かなり上のほうにあったことを示しています。
巨大古墳の年代は、どうやって決まるのか
宝来山古墳の年代は、公式の資料からは確かめられませんでした。では、巨大古墳の年代は本来どのように決められるのでしょうか。
藤井寺市が、その手順を公開しています。第一の定点は稲荷山古墳の鉄剣です。辛亥年、471年に作られた鉄剣が古墳に納められるまでの年数を20年前後と見込めば、同じ古墳から出た須恵器は490年前後、5世紀末に作られたことになります。
第二の定点は年輪年代法です。奈良県平城宮下層の溝から初期須恵器とともに出た木製品を調べたところ、412年に伐採した木で作られていることがわかりました。
この二点をもとに須恵器と円筒埴輪の型式に年代を割り振ると、巨大古墳が造られたおおよその実年代が浮かび上がる、と藤井寺市は書いています。埴輪と須恵器が、年代を測る物差しになっています。
掘れない陵で、何が言えるのか
宮内庁が管理する陵墓は、原則として発掘できません。宝来山古墳もそうです。
それでも、書けることはあります。まず大きさです。堺市の一覧が227メートル、全国20位という位置を示しています。次に形。宮内庁が陵形を前方後円としています。そして場所。奈良市尼辻西町、奈良盆地の北部です。
大きさと形と場所。この三つだけでも、その古墳の主がどれだけの立場にいたのかは、おおよそ見当がつきます。
逆に書けないのは、年代と、棺の中身と、被葬者です。同じ制約は、大仙陵古墳にも上石津ミサンザイ古墳にも、太田茶臼山古墳にもかかっています。
わかっていないことを、わかっていないと書く。巨大古墳を扱うときには、それが最も誠実な書き方になります。
宝来山古墳から出土したもの
宝来山古墳の出土品について記した公式ページを、確かめられませんでした。宮内庁のページにも堺市の一覧にも、出土品の記載はありません。
宮内庁が管理する陵墓は原則として発掘できないため、公表される情報は限られます。同じ理由で、大仙陵古墳や誉田御廟山古墳、太田茶臼山古墳についても、公式に確かめられる出土品の記載はほとんどありません。
宝来山古墳と関連する古墳
宝来山古墳についてよくある質問
宝来山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁は第11代垂仁天皇の菅原伏見東陵として管理していますが、その根拠は示されていません。堺市の一覧も「宝来山古墳(垂仁陵)」と、古墳の名を主に記しています。
宝来山古墳はどこにありますか。
宮内庁は奈良県奈良市尼辻西町、堺市の一覧は奈良県奈良市尼ヶ辻町としています。宮内庁は行き方を尼ヶ辻駅から徒歩約8分としています。
宝来山古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市の全国の古墳大きさランキングでは墳丘規模227メートル、第20位です。後円部の径や高さなど細かい数字は、公式に確認できませんでした。
宝来山古墳はいつ作られましたか。
築造年代を記した公式ページを確かめられませんでした。宮内庁も堺市も、年代にはふれていません。
宝来山古墳の中に入れますか。
入れません。宮内庁が陵墓として管理しています。拝所は原則として年間をとおして参拝でき、時間は原則8時30分から17時までです。
宝来山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
治定(じじょう)
宮内庁が、どの陵墓が誰の墓かを行政上定めること。学問的に確かめられたことは意味しない。
陵墓監区事務所(りょうぼかんくじむしょ)
宮内庁が陵墓を管理するために置く事務所。この陵は畝傍陵墓監区事務所が担当する。
年輪年代法(ねんりんねんだいほう)
樹木の年輪の幅の変化を照らし合わせて、木が伐られた年を調べる方法。
須恵器(すえき)
窯で高温で焼いた、灰色で硬い土器。型式の変化が年代を測る物差しになる。
宝来山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。