築造当時の姿に復元された、日本で初めての「復元された古墳」。
五色塚古墳とはどんな古墳か
五色塚古墳はひとことで言えば造られた当時の姿が見られる古墳です。兵庫県神戸市垂水区五色山にあり、神戸市は「兵庫県で最大の前方後円墳」としています。
全長194メートル、前方部の幅82.4メートル・高さ13メートル、後円部の直径125.5メートル・高さ18.8メートル。4世紀後半の築造です。
この古墳が特別なのは、国内で初めて古墳時代の姿に復元整備された古墳だという点です。1965年から10年をかけて整備し、1975年に開園しました。
写真で見る古墳はたいてい木に覆われた緑の丘ですが、ここでは葺石に覆われた石の山が立ち上がっています。斜面は一面の石、テラスには円筒埴輪が並びます。
五色塚古墳の読み方と別名
読みは「ごしきづかこふん」です。
文化庁の指定名称は「五色塚(千壺)古墳・小壺古墳」で、ふりがなは「ごしきづか(せんつぼ)こふん・こつぼこふん」です。「千壺」という別名は、埴輪が数多く並んでいたことに由来すると言われます。
「小壺古墳」は西に隣接する別の円墳であり、五色塚古墳と同じものではありません。同じ指定に含まれているため、資料によっては並べて書かれます。
五色塚古墳(ごしきづかこふん)
もっとも広く使われる名。
千壺古墳(せんつぼこふん)
文化庁の指定名称は「五色塚(千壺)古墳・小壺古墳」。埴輪が多数並んでいたことに由来するとされる。
小壺古墳(こつぼこふん)
西に隣接する円墳。文化庁の同じ指定に含まれる。五色塚古墳とは別の古墳。
五色塚古墳は誰の墓か
五色塚古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。
ただし、どういう立場の人物だったかについて、神戸市は立地から見解を示しています。古墳は明石海峡と行き交う船を見下ろす高台にあり、本州と淡路島がもっとも近づく海上交通の要衝に築かれました。このため、神戸市は海上交通と関わりの深い有力者の墓と考えています。
場所が人物を語っているという考え方です。明石海峡は瀬戸内海から大阪湾へ入る出入口にあたり、そこを見下ろす高台に194メートルの古墳が築かれました。
さらに、中段と上段の葺石が淡路島から運ばれたという調査結果も、海との深い関係を考える材料です。
誰かはわかりませんが、何をしていた人かは、地形と石が教えてくれます。
神戸市の見解:海上交通と関わりの深い有力者
明石海峡を見下ろす海上交通の要衝に築かれていることを根拠とする。人物名は特定されていない。
五色塚古墳の大きさと形
神戸市は全長194メートル、前方部の幅82.4メートル・高さ13メートル、後円部の直径125.5メートル・高さ18.8メートルとしています。兵庫県で最大の前方後円墳です。
墳丘は上・中・下の3段。下段は元々の地面を掘り出したもので、中段と上段は土を高く盛り上げています。
なお文化庁のデータベースには、1921年の指定当時の解説として「長さ200メートル、後円部径115メートル、高さ16メートル」という別の数字が残っています。100年前の測量と現在の測量で値が違うため、資料によって数字が食い違います。
全長:194メートル(文化庁の大正10年当時の解説では200メートル)
後円部の直径:125.5メートル(文化庁の大正10年当時の解説では115メートル)
後円部の高さ:18.8メートル(文化庁の大正10年当時の解説では16メートル)
前方部の幅:82.4メートル
前方部の高さ:13メートル
葺石の総数:223万個(総重量2,784トンと推定)
五色塚古墳はいつ作られたか
神戸市は「4世紀後半(古墳時代前期)に造られた」としています。
4世紀後半は、奈良盆地に大きな古墳が集中していた時期です。そのなかで、明石海峡を押さえる場所に194メートルの古墳が築かれたことは、瀬戸内の海上交通が当時どれほど重んじられていたかを示しています。
1921年(大正10年)3月3日に国の史跡に指定され、2006年7月28日に指定範囲が追加されました。
五色塚古墳の場所と行き方(観光情報)
山陽電鉄の霞ヶ丘駅から徒歩5分、JR垂水駅・山陽垂水駅から徒歩10分です。専用駐車場は16台分ですが、満車の可能性があるため公共交通でも行ける場所です。
古墳の上から海を見るという体験ができる場所は多くありません。被葬者が海上交通の有力者と考えられている理由が、立つとそのままわかります。
五色塚古墳
五色塚古墳の住所:兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目1番地
交通:山陽電鉄 霞ヶ丘(五色塚古墳前)駅から徒歩5分。JR神戸線 垂水駅および山陽電鉄 山陽垂水駅から徒歩10分。山陽バス1系統「五色塚古墳前」から徒歩5分
駐車場:専用駐車場あり(16台)
料金:無料
内部見学:入れる。墳丘の上まで登れる
墳丘に登れます。後円部の頂から、明石海峡と淡路島を見渡せます。
開園時間は9時から17時、休園日は月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始です。入園は無料です。五色塚古墳館も同じ利用案内で、住所は古墳北側の「垂水区五色山4丁目11番地7号」です。団体見学は事前申込みが必要です。
五色塚古墳の発見と調査の歩み
10年かけて古墳時代の姿に戻した
五色塚古墳は、日本で初めて古墳時代の姿に復元された古墳です。
神戸市は「この古墳は、国内で初めて古墳時代の姿に復元整備した古墳として、1965(昭和40)年から10年の歳月をかけて整備したものです」としています。1975年(昭和50年)に開園し、以来50年が経ちました。
復元は簡単ではありません。斜面をどこまで石で覆うのか、埴輪をどこにどう並べるのか、一つひとつを調査の成果にもとづいて決める必要があります。
調査で分かった葺石と埴輪の配置を、墳丘の上で立体的に確かめられることが五色塚古墳の価値です。神戸市はこれを「古墳築造当時の様子を体感できる野外博物館」と説明しています。
石は淡路島から運ばれた
斜面を覆う石を葺石といいます。五色塚古墳では、この葺石が徹底的に調べられました。
神戸市によれば、下段には小さな石を、中段と上段には大きな石を使い、区別していました。そして分析の結果、中段と上段の葺石は淡路島から運ばれたものと判明しています。
石の総数は223万個、総重量は2,784トンと推定されます。
淡路島は明石海峡をはさんだ対岸です。船で海を渡って石を運び、それを高さ18メートルを超える墳丘へ据えました。対岸から大量の石を調達した事実は、築造集団と海上交通の関係を考える重要な手がかりです。
出土品は重要文化財になった
五色塚古墳から出土した品は、2012年9月6日に重要文化財(考古資料)として80点が指定されました。ほかに神戸市指定有形文化財が338点あります。
中心は埴輪です。鰭付円筒埴輪や朝顔形埴輪など、テラスに並べられていたものが多数見つかりました。「千壺古墳」という別名は、これだけの数の埴輪が並んでいたことに由来すると言われます。
復元整備では、これらの調査結果にもとづいて円筒埴輪が並べ直されました。いま墳丘の上に並ぶ埴輪は、出土した位置と形にもとづいています。
2026年4月18日には五色塚古墳館が開館しました。実物の埴輪や土器に加え、映像・解説パネル・タブレットによるAR展示で、墳丘上だけでは見えない発掘と復元の過程を学べます。
五色塚古墳から出土したもの
出土品80点が2012年に重要文化財(考古資料)に指定され、ほかに神戸市指定有形文化財338点があります。
埋葬施設は発掘されておらず、副葬品は知られていません。この古墳からわかっているのは、外側の造りかたです。
鰭付円筒埴輪
両側にひれのような突起が付く円筒埴輪。テラスに並べられていた。
朝顔形埴輪
口が朝顔のように開く形の埴輪。円筒埴輪の列に混ぜて立てられる。
葺石
総数223万個、総重量2,784トンと推定される。中段と上段は淡路島から運ばれた。
五色塚古墳と関連する古墳
五色塚古墳についてよくある質問
五色塚古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。神戸市は、明石海峡を見下ろす海上交通の要衝に造られていることから、海上交通と関わりの深い有力者を葬った墓と考えられるとしています。人物は特定されていません。
五色塚古墳に登れますか。
登れます。後円部の頂から明石海峡と淡路島を見渡せます。
五色塚古墳の大きさはどれくらいですか。
神戸市によれば全長194メートル、後円部の直径125.5メートル・高さ18.8メートル、前方部の幅82.4メートル・高さ13メートルです。兵庫県で最大の前方後円墳です。
なぜ石で覆われているのですか。
古墳時代の姿に復元したためです。斜面を石で覆うことを葺石といい、当時の古墳は実際にこの姿をしていました。1965年から10年かけて整備され、1975年に開園しました。
五色塚古墳はどこにありますか。
兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目1番地です。山陽電鉄の霞ヶ丘駅から徒歩5分、JR垂水駅・山陽垂水駅から徒歩10分です。
五色塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
葺石(ふきいし)
古墳の斜面を覆う石。土の流出を防ぎ、外観を整える。
円筒埴輪(えんとうはにわ)
筒の形をした埴輪。墳丘のテラスに列を作って並べる。
段築(だんちく)
墳丘を階段状に何段かに分けて築くこと。
重要文化財(じゅうようぶんかざい)
価値が高いものとして国が指定した文化財。
五色塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。