大阪府堺市に広がる、日本最大の古墳を含む世界文化遺産の古墳群。
百舌鳥古墳群とはどんな古墳か
百舌鳥古墳群の読み方と別名
読みは「もずこふんぐん」です。「百舌鳥」で「もず」と読みます。鳥のモズをあてた地名で、日本書紀にその由来を語る話があります。
世界遺産としての登録名は「百舌鳥・古市古墳群」で、大阪府羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群と一体になっています。検索するときは「百舌鳥古墳群」と「百舌鳥・古市古墳群」で結果が変わります。
「百舌鳥耳原三陵」は宮内庁が管理する三つの陵をまとめた呼び方で、群全体を指す言葉ではありません。
百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)
大阪府堺市にある古墳群の総称。
百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)
世界文化遺産としての登録名。古市古墳群と一体で登録された。
百舌鳥耳原三陵(もずのみみはらさんりょう)
宮内庁が管理する三つの陵(反正・仁徳・履中)をまとめた古い呼び方。群全体を指す名ではない。
百舌鳥古墳群は誰の墓か
百舌鳥古墳群の主だった古墳には、宮内庁の治定があります。仁徳天皇(大仙陵古墳)、履中天皇(上石津ミサンザイ古墳)、反正天皇(田出井山古墳)です。
しかし治定はいずれも学術的に確かめられたものではありません。堺市自身が、大仙陵古墳は履中天皇陵古墳よりあとに造られたことがわかっており、日本書紀の在位の順と合わないと書いています。
治定のない古墳、たとえばニサンザイ古墳(300メートル)、御廟山古墳(203メートル)、いたすけ古墳(146メートル)の被葬者も、わかっていません。
墳丘の規模や形の違いは、築造当時の政治・社会関係を考える重要な手掛かりです。ただし、規模だけから個人名や厳密な身分を割り当てることはできません。宮内庁の陵墓名、考古学上の古墳名、学術的に確認できる被葬者を分けて読む必要があります。
宮内庁の治定:仁徳天皇・履中天皇・反正天皇
大仙陵古墳を百舌鳥耳原中陵、上石津ミサンザイ古墳を百舌鳥耳原南陵とする。
学術的な状況:特定できていない
築造の順序が記録の在位順と合わないことが指摘されている。
百舌鳥古墳群の大きさと形
群を代表する古墳の墳丘長は、世界遺産の公式サイトが一覧で公表しています。
最大は仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)の486メートルで日本最大。次いで履中天皇陵古墳365メートル(日本第3位)、ニサンザイ古墳300メートル、御廟山古墳203メートル、反正天皇陵古墳148メートル、いたすけ古墳146メートルと続きます。
世界遺産に登録されているのは21件(実数23基)で、ほかに国史跡の乳岡古墳155メートルなどがあります。
同じ台地に、486メートルから10メートルまでが並ぶ。この落差そのものが、この古墳群の見どころです。
仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳):前方後円墳・486メートル
履中天皇陵古墳:前方後円墳・365メートル
ニサンザイ古墳:前方後円墳・300メートル
御廟山古墳:前方後円墳・203メートル
反正天皇陵古墳:前方後円墳・148メートル
いたすけ古墳:前方後円墳・146メートル
丸保山古墳:帆立貝形墳・87メートル
銅亀山古墳:方墳・26メートル以上
百舌鳥古墳群はいつ作られたか
世界遺産の公式サイトは、この群を「古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて築造」としています。
100年あまりのあいだに、これだけの数と大きさの古墳が同じ台地に造られました。造り続けられた期間の短さが、この群の特異な点です。
この時期は中国の記録に倭の五王が登場する時代と重なります。堺市は、倭の五王が中国と交渉を持った5世紀前半から6世紀初頭に造られた畿内の古墳を大きさ順に並べると、仁徳天皇陵古墳・応神天皇陵古墳・履中天皇陵古墳・ニサンザイ古墳・仲姫命陵古墳になる、と説明しています。
百舌鳥古墳群の場所と行き方(観光情報)
仁徳天皇陵古墳の拝所へは、堺市の案内でJR阪和線・百舌鳥駅から西へ徒歩約10分です。大仙公園内の百舌鳥古墳群ビジターセンターや堺市博物館で全体像を確かめてから外周を歩くと、地上から形を捉えにくい巨大古墳を位置関係とともに理解できます。
駐車場は大仙公園第1・第2・第3を利用できます。大仙公園西駐車場は閉鎖中です。料金や利用時間は変更されることがあるため、訪問当日に堺市の案内を確認してください。
百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵古墳を中心とする一帯)
百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵古墳を中心とする一帯)の住所:大阪府堺市堺区大仙町ほか
交通:JR阪和線 百舌鳥駅から西へ徒歩約10分で仁徳天皇陵古墳拝所
駐車場:大仙公園第1・第2・第3駐車場(2時間まで200円、以後1時間ごと100円、1日最大600円)
料金:公園と古墳外周の見学は無料。博物館などは施設ごとに異なる
内部見学:宮内庁が陵墓として管理する墳丘・濠には入れない。公開道路や公園から外観を見学する
群のほとんどは大仙公園とその周辺にまとまっており、歩いて回れます。
公園内には堺市博物館があり、群全体の模型や出土品を見られます。宮内庁が管理する古墳には立ち入れませんが、外周の道はつながっています。
百舌鳥古墳群の発見と調査の歩み
形と規模を組み合わせた墳墓群
百舌鳥古墳群には前方後円墳・帆立貝形墳・円墳・方墳が残ります。
486メートルの前方後円墳の近くに、数十メートル級の帆立貝形墳・円墳・方墳が配置されています。こうした違いは、墓を築くことのできた集団の力や、大王を中心とした政治秩序を考える材料になります。
ただし、形だけで一律に身分を決めたり、個々の被葬者名を断定したりはできません。 築造時期・位置・埴輪・周濠などを合わせて検討します。
削られ、埋められ、それでも残った
百舌鳥古墳群のすべてが残っているわけではありません。
世界遺産に登録されたのは21件(実数23基)ですが、公式サイトの一覧には登録外の古墳も多数掲載されています。市街地の開発で失われた古墳も少なくありません。
よく知られているのがいたすけ古墳です。1955年に住宅地の造成のため取り壊されそうになり、市民運動によって保存されました。前方部に架けられた橋の残骸がいまも濠に残り、そのときの記憶を伝えています。
古墳が残るかどうかは、その時代の人が決めてきました。
世界遺産になるまで
百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたのは、令和元年(2019年)の第43回ユネスコ世界遺産委員会でした。
世界遺産の登録には、その資産が人類共通の価値を持つことを示さなければなりません。この古墳群が示したのは、土を盛って造る墓が、これほどの規模と形式の体系に達した例が世界に他にないという点でした。
登録された45件49基は、墳丘の形と規模の多様さによって古墳時代の社会秩序を示す一群として評価されました。宮内庁が陵墓として管理する古墳も含まれるため、立入りが制限される遺産を保護しながら、周辺調査・保存・公開をどう両立するかも継続的な課題です。
百舌鳥古墳群から出土したもの
主だった古墳は宮内庁が管理しており、発掘できません。そのため出土品の情報は、周辺の調査や、偶然の露出によるものに偏っています。
堺市博物館では、群から出た埴輪や副葬品をまとめて見ることができます。
埴輪
円筒埴輪、家・水鳥・馬・鹿・人物などの形象埴輪が各古墳から出土している。
須恵器
大仙陵古墳の造出しからは須恵器の甕が出土し、年代を知る手がかりになっている。
長持形石棺と甲冑
大仙陵古墳で明治5年に前方部から見つかった。絵図の記録だけが残る。
百舌鳥古墳群と関連する古墳
百舌鳥古墳群についてよくある質問
百舌鳥古墳群はどこにありますか。
大阪府堺市です。JR阪和線の百舌鳥駅を中心に、大仙公園とその周辺にまとまっています。
百舌鳥古墳群にはいくつ古墳がありますか。
世界遺産に登録されているのは21件(実数23基)です。公式サイトの一覧には、登録外で国史跡に指定されている古墳なども掲載されています。
百舌鳥古墳群と古市古墳群の違いは何ですか。
百舌鳥古墳群は大阪府堺市、古市古墳群は羽曳野市と藤井寺市にあります。二つ合わせて「百舌鳥・古市古墳群」として2019年に世界文化遺産に登録されました。
百舌鳥古墳群はいつ世界遺産になりましたか。
令和元年(2019年)の第43回ユネスコ世界遺産委員会で登録が決まりました。
百舌鳥古墳群の古墳の中に入れますか。
宮内庁が陵墓として管理する古墳には入れません。いたすけ古墳など一部の古墳は、外周の道から近くまで行くことができます。
百舌鳥古墳群と併せて覚えたい言葉・用語
帆立貝形墳(ほたてがいがたふん)
円丘に短い方形部が付いた形の古墳。規模・時期・配置と合わせて築造者の関係を検討する。
世界文化遺産(せかいぶんかいさん)
ユネスコが人類共通の価値を認めて登録する文化財。
構成資産(こうせいしさん)
一つの世界遺産を構成する個々の物件のこと。
倭の五王(わのごおう)
中国の宋の記録に見える讃・珍・済・興・武の5人。日本側の記録と名が一致しない。
百舌鳥古墳群の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。