未盗掘の石室から金の鈴が5つ出た、前方後円墳の最後の世代のひとつ。
金鈴塚古墳とはどんな古墳か
千葉県木更津市にある前方後円墳です。もとは二子塚古墳と呼ばれていましたが、1950年の発掘で未盗掘の横穴式石室が開かれ、金製の鈴が5つ出土したことから、金鈴塚古墳と改められたと伝えられます。
出土品は文化庁の国指定文化財等データベースに「千葉県金鈴塚古墳出土品」として登録されています。時代は古墳、所在都道府県は千葉県、保管施設は木更津市郷土博物館金のすずと国立歴史民俗博物館、所有者名は木更津市。令和2年(2020年)9月30日に追加指定を受けています。
博物館の名の「金のすず」は、この古墳の鈴から取られています。古墳の出土品が、そのまま博物館の名前になっている例です。
墳丘のほうは、周囲の低湿地を埋め立てる土に使われ、宅地化も重なって大部分が失われました。いま残っているのは、石室のまわりの後円部の一部だけです。
金鈴塚古墳の読み方と別名
読みは「きんれいづかこふん」です。「きんすずづか」ではありません。文化庁のふりがなも「ちばけんきんれいづかこふんしゅつどひん」で登録されています。
この古墳の名前は、出土品によってあとから付け替えられたものです。もとの名は二子塚古墳。それが金の鈴の発見によって金鈴塚となりました。
古墳の名が変わるのは珍しいことです。多くの古墳は、地元で呼ばれてきた小字や祠の名をそのまま名前にしています。埼玉県の二子山古墳も同じ「二つの山」の名ですが、そちらは改名されていません。
金鈴塚古墳(きんれいづかこふん)
1950年の発掘で金の鈴が出たあとに改められた名。文化庁の出土品の登録もこの名による。
二子塚古墳(ふたごづかこふん)
改名前の呼び名。前方部と後円部が二つの山に見えることによる、各地にある呼び方。
千葉県金鈴塚古墳出土品(ちばけんきんれいづかこふんしゅつどひん)
文化庁の国指定文化財等データベースに登録された、重要文化財としての名称。
金鈴塚古墳は誰の墓か
葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁のデータベースにあるのは出土品の登録だけで、解説文は「古墳時代の資料。」の一行です。被葬者について書かれた公式の記載は確認できませんでした。
下調べの範囲では、石室の中に少なくとも3体の遺体が埋葬されていたことが確認され、副葬品の状況から4人から5人程度が葬られたと考えられています。石棺の中の人物は、骨の特徴から青年期の男性であることが判明したと伝えられます。被葬者を小櫃川流域の首長とし、馬来田国造にあてる説もありますが、公式ページでは確認できませんでした。
この古墳は宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもありません。そのぶん調査ができます。未盗掘の石室が開かれたこと自体が、陵墓では起こりえないできごとでした。
断定できない:わかっていない
登録されているのは出土品で、解説文は一行のみ。被葬者についての記載は無い。
宮内庁の治定は無い:治定はされていない
陵墓ではなく、出土品が重要文化財、墳丘が千葉県の史跡という扱いになっている。
金鈴塚古墳の大きさと形
この古墳の墳丘の数値を示す公式の記載は、確認できませんでした。文化庁のデータベースに登録されているのは出土品であって、墳丘ではないためです。
下調べでは、墳丘長約100メートルの前方後円墳で、二重の周濠を含めた全長は約140メートルと推定されています。ただし、これを裏づける公式ページは確かめられませんでした。
はっきりしているのは、現在の姿です。前方部は失われ、後円部も大部分が削られ、石室のまわりだけが残っています。1950年の発掘の時点で、すでに円墳のように見える状態だったと伝えられます。
文化財としての名称:千葉県金鈴塚古墳出土品
追加指定の年月日:2020.09.30(令和2.09.30)
保管施設:木更津市郷土博物館金のすず、国立歴史民俗博物館
墳丘の規模:公式には確認できませんでした
金鈴塚古墳はいつ作られたか
金鈴塚古墳の場所と行き方(観光情報)
この古墳が属する祇園・長須賀古墳群は、小櫃川の下流域に広がっていたと伝えられます。金鈴塚古墳はその中で最後の前方後円墳とされ、そのあとには方墳が造られたといいます。
前方後円墳のあとに方墳が造られるという順序は、富津市の内裏塚古墳群や、埼玉県の埼玉古墳群にも見られる、関東の有力な古墳群に共通する特徴とされています。
金鈴塚古墳
金鈴塚古墳の住所:公式には確認できませんでした(文化庁が示すのは所在都道府県の千葉県のみ)
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁が管理する陵墓ではありません。ただし墳丘の大部分は失われて宅地になっており、立ち入りについての公式の記載は確認できませんでした
文化庁が公表しているのは出土品の情報で、古墳そのものの住所は載っていません。所在都道府県が千葉県であること以外、公式には確かめられませんでした。
確かなのは出土品の行き先です。保管施設は木更津市郷土博物館金のすずと国立歴史民俗博物館。金の鈴を見たい場合は、古墳ではなく博物館をたずねることになります。
金鈴塚古墳の発見と調査の歩み
未盗掘の石室が開かれた日
1950年、崩れかけていた石室の調査が行われました。石室は天井石が失われ、内部は土砂で完全に埋まっていたため、入口からではなく上から掘り下げる方法が取られたと伝えられます。
そして石室の最も奥から、金製の鈴が5つ見つかりました。同じ年の11月3日、千葉県の史跡指定と同時に、古墳の名は二子塚古墳から金鈴塚古墳へと改められました。
未盗掘の石室というのは、めったにありません。日本の大きな古墳の多くは、中世までに一度は掘られています。掘られていない石室が開かれると、置かれたままの並び方から、誰が先に葬られ、誰があとから加えられたかまで読み取れます。この古墳では、石棺の奥・石棺の中・石棺の手前という順に葬られたと判断されました。
切石を使った石室
この古墳の横穴式石室は、羨道と玄室の区別が無い袖無し型で、富津市付近で産出する砂岩で造られていたと伝えられます。基本は自然石を積み上げたものですが、一部に加工した切石が使われ、床には砂岩の切石が敷かれていました。
切石で石室を組むやり方は、前方後円墳が造られなくなったあとの7世紀以降に盛んになります。この図鑑で扱った石のカラト古墳や高松塚古墳の石槨は、その行き着いた先です。
つまり金鈴塚古墳の石室には、古い形式と新しい技術が同居しています。前方後円墳という古い形を保ちながら、中身は次の時代のものを取り入れている。前方後円墳の最後の世代らしい姿だと言えます。石室の入口部分は1932年の道路工事で削られており、全体の正確な形はわかっていません。
墳丘が土になった
この古墳の墳丘は、埋め立ての土として運び去られました。
古墳は小櫃川がつくった沖積平野の、かつて砂丘だった微高地の上にあります。周りは低湿な土地で、水田や蓮田に使われていました。低い土地を埋めるのに手近な土が要る。すぐそばに、盛り土の山がある。そういう関係が長く続いたと伝えられます。
1950年の発掘の頃には前方部がほとんど無く、その後も市街化によって残っていた部分が削られました。いたすけ古墳は市民運動で土取り工事を止めましたが、この古墳では止まりませんでした。
金鈴塚古墳から出土したもの
文化庁は、出土品の保管施設を木更津市郷土博物館金のすずと国立歴史民俗博物館、所有者名を木更津市としています。令和2年9月30日の追加指定を経て、現在の登録の形になりました。
墳丘はほとんど残っていませんが、中身は残りました。古墳としては失われ、出土品としては国の重要文化財になった。埴輪は使われておらず、検出されていません。
金製の鈴
石室の最も奥から出た5つの鈴。古墳の名の由来であり、木更津市郷土博物館の名にもなっている。
飾大刀
柄や鞘を金銅などで飾った大刀。石室から数多く出土したと伝えられる。
金銅製の冠と飾履
金銅は銅に金をかぶせたもの。飾履は儀式用の靴で、1932年の道路工事の際に出土したとされる。
緑泥片岩の石棺
石室の中央に置かれた組み合わせ式の石棺。埼玉県の長瀞付近から運ばれた石とされる。
金鈴塚古墳と関連する古墳
金鈴塚古墳についてよくある質問
金鈴塚古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。文化庁に登録されているのは出土品で、被葬者についての記載はありません。小櫃川流域の首長で馬来田国造にあてる説がありますが、公式には確認できませんでした。
金鈴塚古墳はどこにありますか。
文化庁が示しているのは所在都道府県の千葉県だけで、古墳そのものの住所は公式には確認できませんでした。出土品は木更津市郷土博物館金のすずと国立歴史民俗博物館が保管しています。
金鈴塚古墳の大きさはどれくらいですか。
公式には確認できませんでした。下調べでは墳丘長約100メートルの前方後円墳で、二重の周濠を含めると約140メートルとされますが、公式ページでは確かめられませんでした。
金鈴塚古墳はいつ作られましたか。
文化庁は時代を「古墳」とのみ記しています。下調べでは須恵器や飾大刀の形式、埴輪が無いことから6世紀末から7世紀初頭とされ、前方後円墳の最後の世代にあたるとされています。
金鈴塚古墳の名前の由来は何ですか。
1950年の発掘で石室の奥から金製の鈴が5つ出土したことによります。それまでは二子塚古墳と呼ばれており、同じ年の11月3日に千葉県の史跡指定とあわせて改名されました。
金鈴塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
未盗掘(みとうくつ)
一度も掘り荒らされていないこと。副葬品が置かれたままの位置で見つかるため、葬られた順序まで読み取れる。
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)
横から出入りできる通路を持つ石室。あとから遺体を加える追葬ができる。
飾大刀(かざりたち)
柄や鞘を金銅などで飾った大刀。実用ではなく身分を示すために持たれたと考えられている。
追葬(ついそう)
一度葬ったあと、同じ石室に別の人を加えて葬ること。横穴式石室になって広まった。
金鈴塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。