銅鏡34面が出た前方後方墳。宮内庁は大塚陵墓参考地として管理している。
新山古墳とはどんな古墳か
奈良県北葛城郡広陵町にある前方後方墳です。広陵町は、馬見丘陵の南東端の支丘上に築かれた古墳とし、墳丘全長126メートル、後方部幅67メートル、前方部幅66メートルとしています。
この古墳の名を知らしめたのは、明治18年(1885年)に後方部中央の竪穴式石室から出た副葬品です。広陵町は、車輪石・鍬形石などの石製品とともに金銅製帯金具と34面の鏡が出土したとし、その内訳を三角縁神獣鏡9面、直弧文鏡3面、画文帯神獣鏡3面、方格規矩鏡4面、内行花文鏡14面としています。
宮内庁も、収蔵する三角縁神獣鏡の一枚を「奈良県大塚陵墓参考地から明治18年に出土した9面の三角縁神獣鏡のうちの1枚」と説明しています。鏡は宮内庁の手元にあります。
広陵町は、この古墳を馬見古墳群のなかで最初に造られた大型古墳と考えています。
新山古墳の読み方と別名
読みは「しんやまこふん」です。
この古墳には、立場によって二つの名があります。広陵町など考古学の側は新山古墳と呼び、宮内庁は大塚陵墓参考地と呼びます。同じ場所を指しているのに、呼び名が違います。
陵墓参考地とは、天皇や皇族の墓である可能性は否定できないが、誰の墓かは決められない、という扱いです。陵として治定されたものとは違い、被葬者の名が付いていません。広陵町のページも、新木山古墳とこの古墳の名の下に「(陵墓参考地)」と添えています。
新山古墳(しんやまこふん)
広陵町が用いる考古学上の名。町のページでは「新山(しんやま)古墳(陵墓参考地)」と記される。
大塚陵墓参考地(おおつかりょうぼさんこうち)
宮内庁が用いる名。陵墓参考地は、被葬者を確定できないまま宮内庁が管理する墓所を指す。
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)
この古墳の墳形。後ろが円ではなく四角い形で、前方後円墳より古い時期に多い。
新山古墳は誰の墓か
葬られた人が誰かは、決まっていません。
宮内庁はこの古墳を大塚陵墓参考地として管理しています。陵墓参考地というのは、誰の墓か決められないまま、皇族の墓である可能性を認めて管理下に置く、という扱いです。陵として治定されたものとは違い、被葬者の名は与えられていません。
宮内庁の公式ページで確かめられるのは、収蔵する三角縁神獣鏡が「奈良県大塚陵墓参考地から明治18年に出土した」ものだということです。被葬者の候補についての記載は、公式ページでは確認できませんでした。下調べの範囲では第25代武烈天皇を候補とする記述がありますが、これも公式には確かめられませんでした。
広陵町は、この古墳を馬見古墳群で最初に造られた大型古墳と位置づけています。巣山古墳より前の世代にあたり、群を開いた人物の墓と考えることはできます。
宮内庁の陵墓参考地。誰の墓かは治定されていない:決まっていない
宮内庁は出土地を「奈良県大塚陵墓参考地」と記すのみで、被葬者の名は挙げていない。
学術的な見方のひとつ:馬見古墳群を開いた首長
広陵町は、出土した埴輪の検討から群のなかで最初に造られた大型古墳と考えている。
新山古墳の大きさと形
広陵町は、墳丘全長126メートル、後方部幅67メートル、前方部幅66メートルとしています。後方部と前方部の幅がほとんど同じです。前方後円墳のような、前と後ろの差がありません。
前方後方墳は、前方後円墳より古い時期に造られたものが多いとされます。この図鑑では、東海地方の東之宮古墳や秋葉山古墳群の4号墳が同じ形です。
馬見古墳群の中で比べると、広陵町は巣山古墳を墳丘全長約220メートル、新木山古墳を全長200メートルとしています。126メートルは、この群では中位の大きさになります。
墳丘全長:126メートル
後方部の幅:67メートル
前方部の幅:66メートル
出土した鏡の数:34面
新山古墳はいつ作られたか
広陵町は、昭和56年に行われた後方部北側の調査で出土した埴輪の検討から、この古墳を古墳時代前期中葉、馬見古墳群のなかで最初に造られた大型古墳と考えられているとしています。
年代を決めたのは、鏡ではなく埴輪でした。鏡は古いものが新しい墓に納められることがあるため、年代の物差しには使いにくいところがあります。墳丘に並べられた埴輪のほうが、造られた時期を素直に示します。
広陵町は、同じ群の巣山古墳を古墳時代中期初頭の王墓、新木山古墳を中期前葉としています。新山古墳はそれらより前で、群の始まりに立つ古墳ということになります。
新山古墳の場所と行き方(観光情報)
馬見古墳群には、この古墳のほかに巣山古墳・新木山古墳・三吉石塚古墳・牧野古墳などがあります。特別史跡の巣山古墳、陵墓参考地の新木山古墳、史跡の牧野古墳と、扱いの違う古墳が同じ丘陵に並んでいます。
三吉石塚古墳は築造当初の姿に復元整備され、円筒埴輪や朝顔形埴輪の複製が並べられていると広陵町が説明しています。
新山古墳(大塚陵墓参考地)
新山古墳(大塚陵墓参考地)の住所:公式には確認できませんでした(広陵町の所在地は〒635-8515 奈良県北葛城郡広陵町大字南郷583番地1)
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁が陵墓参考地として管理しており、墳丘に立ち入ることはできません。陵墓参考地には拝所が無い場合もあり、参拝の可否についての公式の記載は確認できませんでした
古墳そのものの住所は、公式には確認できませんでした。広陵町のページは位置を「馬見丘陵の南東端の支丘上」と説明するにとどまり、上に載せた住所は広陵町役場のものです。
同じ広陵町の牧野古墳は、石室内の見学を申し込むことができます。町は、希望日の2週間前までに文化財保存活用課へ申し込むよう案内しています。
新山古墳の発見と調査の歩み
34面の鏡が意味すること
明治18年、所有者が植樹のために穴を掘ったところ、後方部の竪穴式石室に突きあたりました。そこから34面の鏡が出ています。
広陵町が挙げる内訳は、三角縁神獣鏡9面、直弧文鏡3面、画文帯神獣鏡3面、方格規矩鏡4面、内行花文鏡14面です。一つの石室から30面を超える鏡が出る古墳は、そう多くありません。黒塚古墳の33面が、同じくらいの規模です。
鏡は財産であり、権威のしるしでもありました。同時に出た金銅製帯金具について、広陵町は「中国晋代の帯金具にごく近い例がある」としています。海の向こうとつながる品が、確かにここまで届いていました。
陵墓参考地という宙ぶらりん
この古墳は、宮内庁が陵墓参考地として管理しています。陵墓参考地とは、天皇や皇族の墓である可能性を否定できないが、誰の墓かは決められない、という扱いのことです。
陵として治定されれば、太子西山古墳のように被葬者の名が付き、拝所が設けられ、参拝できるようになります。陵墓参考地は、その手前で止まっています。名は付かないまま、しかし宮内庁の管理下にあるため、自由に調査することもできません。
わかっていないのに立ち入れない、という状態が続きます。明治18年に出た鏡が宮内庁に保管されているのも、そのためです。宮内庁は、そのうちの一枚を公式ページで紹介しています。
馬見古墳群の始まりに立つ
広陵町は、この古墳を馬見古墳群のなかで最初に造られた大型古墳としています。群の始まりの古墳という位置づけです。
馬見古墳群は、奈良盆地の西側に広がる大きな古墳群です。中心には墳丘全長約220メートルの巣山古墳があり、国の特別史跡に指定されています。それらより先に、この前方後方墳が築かれました。
群の最初が前方後円墳ではなく前方後方墳だった、という点が興味を引きます。群が育つにつれて形が前方後円墳へ移っていく例は各地にあります。神奈川県の秋葉山古墳群でも、前方後方墳の4号墳から定型的な前方後円墳の1号墳へという変化がたどれます。
新山古墳から出土したもの
副葬品は明治18年の発見で、正式な発掘調査によるものではありません。鏡の一部は宮内庁が保管しています。
宮内庁の公式ページには三角縁神獣鏡の一枚が収蔵資料として紹介され、4神4獣を表すこの鏡は三角縁神獣鏡の中でも古い段階に作られたと考えられると説明されています。
三角縁神獣鏡
9面が出土。宮内庁はそのうちの1枚を、鏡縁の断面が三角形で神像と獣像を表した鏡として紹介している。
直弧文鏡
3面。直線と弧線を組み合わせた難解な文様で、盾や蓋の埴輪にも同じ文様が表される。
内行花文鏡
14面。34面のうち最も数が多い。
金銅製帯金具
広陵町によれば、竜文の金具と三葉文を透彫りした金具などが組み合わさる。中国晋代の例に近い。
車輪石・鍬形石
腕輪をかたどった石製品。実用ではなく、儀式や身分を示すために副葬された。
新山古墳と関連する古墳
新山古墳についてよくある質問
新山古墳は誰の墓ですか。
決まっていません。宮内庁は大塚陵墓参考地として管理していますが、陵墓参考地は被葬者を治定していない扱いです。第25代武烈天皇を候補とする記述もありますが、公式ページでは確認できませんでした。
新山古墳はどこにありますか。
奈良県北葛城郡広陵町にあります。広陵町は位置を「馬見丘陵の南東端の支丘上」と説明しています。古墳そのものの住所と行き方は、公式には確認できませんでした。
新山古墳の大きさはどれくらいですか。
広陵町によれば墳丘全長126メートル、後方部幅67メートル、前方部幅66メートルです。後方部と前方部の幅がほとんど変わらないのが、前方後方墳の見た目の特徴です。
新山古墳はいつ作られましたか。
広陵町は、昭和56年の調査で出土した埴輪の検討から、古墳時代前期中葉、馬見古墳群のなかで最初に造られた大型古墳と考えられるとしています。
新山古墳に立ち入れますか。
宮内庁が陵墓参考地として管理しているため、墳丘に立ち入ることはできません。参拝の可否についての公式の記載は確認できませんでした。同じ広陵町の牧野古墳は、申し込めば石室内を見学できます。
新山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
陵墓参考地(りょうぼさんこうち)
皇族の墓の可能性を否定できないとして宮内庁が管理する墓所。被葬者は治定されていない。
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)
後ろが四角い墳丘に台形の前方部が付く形。前方後円墳より古い時期に多く見られる。
三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)
鏡縁の断面が三角形で、神像と獣像を表した鏡。直径20センチメートルを超えるものが多い。
竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)
上から棺を納め、天井石でふさぐ石室。あとから人を加えることはできない。
新山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。