墳丘長425メートル。長さでは日本第2位、体積では日本最大とされる。
誉田御廟山古墳とはどんな古墳か
誉田御廟山古墳はひとことで言えば盛り土の量で日本最大の古墳です。大阪府羽曳野市誉田にあり、古市古墳群で最大の前方後円墳です。
堺市が作った全国の大きさ順の表では、墳丘長425メートルで第2位。1位は堺市の大仙陵古墳(486メートル)です。
ところが世界遺産の公式サイトは、この古墳を「日本第2位の墳丘長 体積では日本最大と言われる」としています。長さでは負けても、盛り土の量では上回るということです。
宮内庁は第15代応神天皇の惠我藻伏崗陵として管理しています。陵形は前方後円、所在地は大阪府羽曳野市誉田6丁目とされます。
ただし治定は発掘で裏づけられたものではありません。被葬者は学術的に確定していません。
誉田御廟山古墳の読み方と別名
読みは「こんだごびょうやまこふん」です。「誉田」を「ほんだ」ではなく「こんだ」と読みます。
表記が複数あるのは、大仙陵古墳と同じ事情です。「応神天皇陵古墳」と書けば宮内庁の治定にもとづく呼び方、「誉田御廟山古墳」と書けば地名にもとづく呼び方になります。
堺市の作った全国の大きさ順の表では「応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)」と併記されています。
堺市の御廟山古墳(ごびょうやまこふん、203メートル)とは別の古墳です。字面が似ているので注意が要ります。
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)
地名にもとづく呼び方。「誉田」は「こんだ」と読む。
応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)
堺市の全国の大きさ順の表や、世界遺産の公式サイトが用いる表記。宮内庁の治定にもとづく。
惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)
宮内庁が定めた陵の名。
誉田山古墳(こんだやまこふん)
研究者が用いることのある呼び方。
誉田御廟山古墳は誰の墓か
誉田御廟山古墳の被葬者は確定していません。
宮内庁の治定は第15代応神天皇です。陵の名は惠我藻伏崗陵、陵形は前方後円、所在地は大阪府羽曳野市誉田6丁目とされます。
ただし治定は幕末から明治にかけて文献と地形をもとに定められたもので、発掘によって裏づけられたものではありません。
学術の側では、5世紀の巨大古墳と中国の記録に見える倭の五王との対応が議論されています。藤井寺市が公開している古代史のコラムでも、倭王讃の先王の墳墓としてこの古墳が候補になる、という研究者の考察が紹介されるにとどまります。断定はされていません。
堺市も、倭の五王が中国と交渉を持った時期に造られた畿内の古墳を規模順に並べると、仁徳天皇陵古墳・応神天皇陵古墳・履中天皇陵古墳・ニサンザイ古墳・仲姫命陵古墳になるとしたうえで、「他にもいろいろな組み合わせが考えられます」と書いています。
誰がどの古墳に対応するかは、決まっていません。
宮内庁の治定:応神天皇
陵形は前方後円、所在地は大阪府羽曳野市誉田6丁目とされる。
研究者の考察:倭の五王のうちの一人
倭王讃の先王の墳墓の候補になるという考察が紹介されている。
学術的な状況:確定していない
倭の五王と巨大古墳の対応については「他にもいろいろな組み合わせが考えられます」とされる。
誉田御廟山古墳の大きさと形
墳丘長は425メートル。堺市の全国の大きさ順の表で第2位です。
注目すべきは、世界遺産の公式サイトが記す「体積では日本最大と言われる」という一文です。長さで1位の大仙陵古墳(486メートル)を、盛り土の量では上回るということになります。
古墳の大きさは、測り方で順位が変わります。墳丘長なら大仙陵古墳が1位、体積なら誉田御廟山古墳が1位、陵域の面積ならまた別の順になります。
史跡「古市古墳群」の一部として、この古墳の外濠外堤の一部が国の史跡に指定されています。墳丘そのものは宮内庁の管理下にあります。
後円部の直径・高さ・前方部の幅については、公式の記載を確かめられませんでした。
墳丘長:425メートル(全国第2位)
体積:日本最大と言われる
陵形:前方後円
誉田丸山古墳(陪冢):円墳・50メートル
二ツ塚古墳(同じ構成資産):前方後円墳・110メートル
誉田御廟山古墳はいつ作られたか
この古墳そのものの築造年を、西暦で示した公式の記載は確かめられませんでした。
文化庁は、史跡「古市古墳群」全体の時代を4世紀後半から6世紀中葉としています。誉田御廟山古墳はこの範囲のうち、5世紀にあたると考えられています。
年代の議論は、被葬者の議論と切り離せません。中国の記録に倭の五王が現れるのは5世紀です。堺市は、倭の五王が中国と交渉を持った時期を西暦413年前後から502年頃としています。
この古墳がその時期のどこに入るかで、対応する人物が変わります。そのため年代の推定は、いまも議論の対象になっています。
誉田御廟山古墳の場所と行き方(観光情報)
近鉄南大阪線の土師ノ里駅・道明寺駅から徒歩約17分です。
宮内庁のページには、近隣の天皇陵として仲哀天皇陵・允恭天皇陵・清寧天皇陵・仁賢天皇陵・安閑天皇陵が挙げられています。この一帯には陵墓が密集しています。
誉田御廟山古墳(應神天皇 惠我藻伏崗陵)
誉田御廟山古墳(應神天皇 惠我藻伏崗陵)の住所:大阪府羽曳野市誉田6丁目
交通:近鉄 土師ノ里駅または道明寺駅から徒歩約17分
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:拝所までは無料
内部見学:入れない。宮内庁が陵墓として管理している
宮内庁は「原則、年間をとおして参拝可能」「原則、8時30分から17時」としています。
問い合わせ先と陵印の保管場所は古市陵墓監区事務所(大阪府羽曳野市誉田6-11-3、電話 072-955-1115)です。
墳丘には立ち入れません。見られるのは拝所と、外周の道からの眺めです。
誉田御廟山古墳の発見と調査の歩み
長さと体積で順位が変わる
古墳の大きさを比べるとき、ふつうは墳丘長を使います。盛り土の長さです。堺市の作った全国の大きさ順の表も、この値で並べています。
その表では、1位が仁徳天皇陵古墳(486メートル)、2位が応神天皇陵古墳(425メートル)、3位が履中天皇陵古墳(365メートル)です。
ところが世界遺産の公式サイトは、応神天皇陵古墳を「体積では日本最大と言われる」としています。
理由は高さにあります。この古墳は台地の縁に築かれており、盛り土が厚く積まれています。長さでは61メートル及ばないのに、土の量では上回る。
どの数字で比べるかで、日本一が入れ替わります。
陪冢と一体で世界遺産になった
世界遺産の構成資産としては、この古墳は単独ではありません。
公式サイトの一覧では「33-1 応神天皇陵古墳」「33-2 誉田丸山古墳」「33-3 二ツ塚古墳」の三つが同じ番号でまとめられています。誉田丸山古墳は円墳で50メートル、二ツ塚古墳は前方後円墳で110メートルです。
さらに、墳丘長225メートルの墓山古墳も、文化庁によれば「応神天皇陵古墳の陪冢として宮内庁によって管理されている」とされます。
225メートルの古墳が陪冢として扱われる。これは全国の大きさ順で第22位にあたる規模です。
大きさの序列が、そのまま管理の関係になっています。
外濠外堤だけが国の史跡
この古墳の扱いは、少し込み入っています。
墳丘そのものは宮内庁が管理する陵墓です。発掘はできません。いっぽう、世界遺産の公式サイトは「同古墳の外濠外堤の一部が国史跡」と記しています。
つまり、ひとつの古墳が陵墓と国史跡に分かれて管理されているわけです。同じことは奈良県の箸墓古墳にも起きています。あちらは墳丘の大部分が陵墓、周濠の推定部分の一部が「箸墓古墳周濠」として国史跡です。
史跡の部分は調査できます。陵墓の部分はできません。同じ古墳のなかに、調べられる場所と調べられない場所の境目が引かれています。
誉田御廟山古墳から出土したもの
この古墳の出土品について、公式の記載を確かめられませんでした。
宮内庁が陵墓として管理しており、墳丘の発掘が行われていないためです。同じ理由で、大仙陵古墳の出土品も明治5年の記録に限られています。
確かめられませんでした
宮内庁が管理する陵墓のため発掘が行われておらず、具体的な出土品について公式の記載を確かめられませんでした。
誉田御廟山古墳と関連する古墳
誉田御廟山古墳についてよくある質問
誉田御廟山古墳は誰の墓ですか。
確定していません。宮内庁は第15代応神天皇の惠我藻伏崗陵として管理していますが、治定は発掘で裏づけられたものではありません。学術的には倭の五王との対応が議論されている段階です。
誉田御廟山古墳の大きさはどれくらいですか。
墳丘長425メートルで、全国第2位です。ただし世界遺産の公式サイトは「体積では日本最大と言われる」としています。
応神天皇陵古墳と誉田御廟山古墳は同じですか。
同じ古墳です。「応神天皇陵古墳」は宮内庁の治定にもとづく呼び方、「誉田御廟山古墳」は地名にもとづく呼び方です。
誉田御廟山古墳はどこにありますか。
大阪府羽曳野市誉田6丁目です。近鉄の土師ノ里駅または道明寺駅から徒歩約17分で拝所に着きます。
誉田御廟山古墳の中に入れますか。
入れません。宮内庁が陵墓として管理しています。拝所への参拝は原則として年間をとおして可能で、時間は8時30分から17時です。
誉田御廟山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
陵(みささぎ)
天皇・皇后などの墓。宮内庁が管理する。
陵墓監区事務所(りょうぼかんくじむしょ)
宮内庁が陵墓を管理するために置く事務所。陵印もここで保管する。
外堤(がいてい)
濠の外側にめぐらせた土手。
拝所(はいしょ)
陵墓に参拝するために設けられた場所。ここから先には入れない。
誉田御廟山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。