百舌鳥古墳群の陵墓参考地。墳丘長203メートル。
御廟山古墳とはどんな古墳か
御廟山古墳はひとことで言えば中身のわからない大型古墳です。大阪府堺市北区百舌鳥本町1丁にあり、百舌鳥古墳群の構成資産として世界文化遺産に含まれます。
堺市は「平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長203メートル、後円部径113メートル、前方部最大幅136メートルと復元されました」としています。
3段に築かれ、南側のくびれ部に造出しがあります。周囲には盾形の濠と堤がめぐり、近年の調査で二重の濠があることがわかりました。
墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しています。誰の墓と定められているわけではありません。
堺市は「埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません」と明記しています。200メートルを超える古墳でありながら、中身がまったくわかっていない例です。
御廟山古墳の読み方と別名
読みは「ごびょうやまこふん」です。
注意が要るのは、大阪府羽曳野市にある誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)と混同しやすいことです。字面がよく似ていますが、まったく別の古墳です。
御廟山古墳は堺市の百舌鳥古墳群、誉田御廟山古墳は羽曳野市の古市古墳群。墳丘長も203メートルと425メートルで倍以上違います。
「御廟」は貴人の墓を敬っていう語で、各地の古墳の名に使われます。
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
堺市が用いる正式な名。百舌鳥古墳群の構成資産。
御廟山古墳は誰の墓か
御廟山古墳の被葬者はわかっていません。
堺市は「墳丘は、陵墓参考地として宮内庁が管理しています」としています。陵墓参考地とは、皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理しているものの、誰の墓と定めるところまでは至っていない場所です。
治定のある陵墓とは扱いが違います。宮内庁自身が「決めていない」状態です。
さらに堺市は、中身についてもこう書いています。
埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません
墳丘長203メートル。全国の大きさ順では第35位にあたります。それだけの規模を持ちながら、棺がどこにあり、何が納められているのかがまったくわかっていません。
宮内庁が管理する陵墓参考地は発掘できないためです。2008年(平成20年)に宮内庁と堺市が共同で行った調査も、墳丘の外側にとどまりました。
宮内庁の陵墓参考地:定められていない
陵墓参考地として宮内庁が管理するが、特定の人物への治定はない。
堺市の説明:わかっていない
埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていない、と明記されている。
御廟山古墳の大きさと形
堺市は、2008年(平成20年)に宮内庁と堺市が行った発掘調査により、規模が墳丘長203メートル、後円部径113メートル、前方部最大幅136メートルと復元されたとしています。
墳丘は3段に築かれ、南側のくびれ部に造出しがあります。
周囲には盾形の濠と堤がめぐります。近年の調査で、この濠が二重であることがわかりました。世界遺産の公式サイトの一覧でも、墳丘の長さは203メートルと記載されています。
堺市の全国の大きさ順の表では第35位です。
墳丘長:203メートル
後円部の径:113メートル
前方部の最大幅:136メートル
全国での順位:第35位(203メートル)
墳形:前方後円墳・3段築成・南側くびれ部に造出し・二重の濠
御廟山古墳はいつ作られたか
堺市の御廟山古墳のページには、築造年代の記載がありません。確かめられたのは、この古墳が百舌鳥古墳群の構成資産であることまでです。
百舌鳥古墳群全体については、世界遺産の公式サイトが「古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて築造」としています。御廟山古墳もこの範囲に入ると考えられます。
堺市が挙げる、倭の五王の時代(5世紀前半から6世紀初頭)に造られた畿内の古墳を墳丘規模順に並べた一覧には、仁徳天皇陵古墳・応神天皇陵古墳・履中天皇陵古墳・ニサンザイ古墳・仲姫命陵古墳が入り、御廟山古墳は含まれていません。
年代について確かなことを書ける材料が、公式には不足しています。
御廟山古墳の場所と行き方(観光情報)
百舌鳥古墳群の一角にあり、いたすけ古墳やニサンザイ古墳が近くにあります。
堺市の古墳データベースでは、反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、いたすけ古墳、丸保山古墳、永山古墳が関連する古墳として並べられています。いずれも世界文化遺産の構成資産です。
御廟山古墳
御廟山古墳の住所:大阪府堺市北区百舌鳥本町1丁
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:外から見るのは無料
内部見学:陵墓参考地として宮内庁が管理しているため、墳丘には立ち入れない
所在地は堺市が公表する堺市北区百舌鳥本町1丁です。
墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しており、立ち入れません。行き方・駐車場については、公式の記載を確かめられませんでした。
百舌鳥古墳群の他の古墳とあわせて、大仙公園の周辺を歩いて回ることになります。
御廟山古墳の発見と調査の歩み
陵墓参考地という宙ぶらりん
2008年、宮内庁と堺市が一緒に掘った
2008年(平成20年)、宮内庁と堺市が共同で発掘調査を行いました。
これによって規模が復元されます。墳丘長203メートル、後円部径113メートル、前方部最大幅136メートル。それまで推定でしかなかった数字が、掘って確かめられました。
さらに、周囲の濠が二重であることもわかりました。
陵墓や陵墓参考地の調査に自治体が加わる例は、以前は限られていました。近年は宮内庁が研究者や自治体の立ち会いを認める方向に進んでいます。
掘れる範囲は墳丘の外側までですが、それでも規模の数字は書き換わりました。
中身がわからないということ
堺市は、この古墳について次のように書いています。
葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません
墳丘長203メートル。全国で第35位の大きさです。それだけの古墳の中身が、まったくわかっていません。
同じことは、より大きな古墳にも当てはまります。大仙陵古墳(486メートル)の中身についてわかっているのは、明治5年に前方部で見つかった石棺の絵図だけです。誉田御廟山古墳(425メートル)についても、公式に確かめられる出土品の記載はありません。
日本でいちばん大きい古墳ほど、いちばん中身がわからない。古墳を調べるときに、必ずぶつかる壁です。
御廟山古墳から出土したもの
堺市は「葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません」としています。
陵墓参考地として宮内庁が管理しているため、墳丘の内部は調査されていません。
葺石
墳丘の斜面を覆う石。存在が確認されている。
埴輪
墳丘に並べられていたことが確認されている。
御廟山古墳と関連する古墳
御廟山古墳についてよくある質問
御廟山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁が陵墓参考地として管理していますが、特定の人物への治定はされていません。
御廟山古墳の大きさはどれくらいですか。
墳丘長203メートル、後円部径113メートル、前方部最大幅136メートルです。2008年に宮内庁と堺市が行った発掘調査で復元されました。
御廟山古墳と誉田御廟山古墳は同じですか。
違います。御廟山古墳は大阪府堺市の百舌鳥古墳群にあり墳丘長203メートル、誉田御廟山古墳は羽曳野市の古市古墳群にあり425メートルです。
御廟山古墳の中に入れますか。
入れません。陵墓参考地として宮内庁が管理しているため、墳丘には立ち入れません。
御廟山古墳からは何が出土していますか。
葺石と埴輪があることは確認されています。ただし堺市は「埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません」と明記しています。
御廟山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
陵墓参考地(りょうぼさんこうち)
皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理する場所。誰の墓かは定められていない。
主体部(しゅたいぶ)
古墳の中心となる埋葬施設。棺を納める場所。
盾形の濠(たてがたのほり)
前方後円墳の輪郭に沿って盾のような形になる濠。
段築成(だんちくせい)
墳丘を階段状に何段かに分けて築くこと。三段築成なら3段。
御廟山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。