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福岡県

五郎山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

五郎山古墳  / ゴロウヤマコフン

円墳 6世紀

赤・緑・黒の三色で人や舟や馬を描いた、具象画の装飾古墳。

五郎山古墳とはどんな古墳か

五郎山古墳はひとことで言えば絵が具体的な装飾古墳です。福岡県筑紫野市原田の丘陵にあり、石室の壁に赤・緑・黒の3色で絵が描かれています。

筑紫野市はこう説明しています。

五郎山古墳は、直径約35メートルの装飾壁画を持つ6世紀後半の円墳です
壁画は、赤、緑、黒の3色を用いて人物、動物、船、家など多くの具象画で構成されています

装飾古墳の多くは同心円などの文様が中心ですが、この古墳は人や馬や舟をそのまま描きます。同じ福岡県の王塚古墳や、熊本県のチブサン古墳とくらべると、絵の性格の違いがはっきりします。

文化庁の解説は、直径を経約120尺、高さを約18尺と古い単位で記し、この古墳を「我国装飾古墳として顕著なもの」としています。発見は昭和22年、国の史跡指定は1949年です。

五郎山古墳の読み方と別名

読みは「ごろうやまこふん」です。文化庁のふりがなも同じです。

注意したいのは所在地の地名で、「原田」と書いて「はるだ」と読みます。「はらだ」で探すと目当ての場所にたどりつけないことがあります。

名の由来は、この古墳が営まれた丘が五郎山と呼ばれていたことによります。文化庁の解説文も「五郎山と称せられる高燥な丘陵上に営まれた円墳」と書き出しています。高燥とは、土地が高く乾いているという意味です。

五郎山古墳(ごろうやまこふん)

文化庁と筑紫野市が用いる名。丘の名である五郎山から付いている。

五郎山古墳館(ごろうやまこふんかん)

古墳のそばに建つ施設。壁画を再現した実物大の石室模型がある。

原田(はるだ)

所在地の地名。「はらだ」ではなく「はるだ」と読む。

五郎山古墳は誰の墓か

五郎山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。文化庁の解説文にも、人物を比定する記載はありません。

手がかりが少ない理由ははっきりしています。この古墳は、盗掘坑が陥没したことによって存在が確かめられました。つまり見つかったときにはすでに開けられており、副葬品の多くが失われていたのです。文化庁は「昭和22年に偶然発見され内部から須恵器等が検出された」とのみ記しています。

残ったのは、持ち去れないもの、つまり壁の絵でした。

その絵から人物像を読む試みは続いています。武具である弓や靫が描かれ、馬に乗る人がいて、建物に向かって祈る人がいる。研究者からは、これを一続きの葬送の儀礼を表したものとみる見方が示されています。舟は死者の魂を運ぶものだと考えられており、絵の中で同じ役目を馬が担っているという指摘もあります。

公式の説明:わかっていない

解説文は石室の規模と壁画の内容を述べるだけで、被葬者を比定していない。

断定できない:わかっていない

古墳と古墳館の案内に、被葬者を示す記載はない。

五郎山古墳の大きさと形

筑紫野市は直径を約35メートルとしています。文化庁の解説文は同じ古墳の直径を経約120尺、高さを約18尺と記しています。尺は昔の長さの単位で、1尺はおよそ30センチメートルにあたります。

埋葬施設は、ほぼ南南西に向かって開く横穴式石室です。割石を積み上げて造られ、羨道(通路)と玄室(部屋)に分かれ、さらに玄室が前室と後室に分かれる複室の構造をとります。

文化庁の記す各部の寸法は次のとおりです。奥室は長さ約14尺5寸、幅は奥壁のところで約9尺6寸、高さ約12尺7寸。前室は長さ約5尺9寸、幅約6尺6寸、高さ8尺。羨道は現在の長さ約12尺、幅約3尺、高さ5尺です。

墳丘は、築造された頃の姿に復元整備されています。

直径:約35メートル

直径(文化庁の記載):経約120尺

高さ:約18尺

奥室の長さ:約14尺5寸

奥室の高さ:約12尺7寸

前室の長さ:約5尺9寸

羨道の長さ:現在約12尺

五郎山古墳はいつ作られたか

筑紫野市は築造時期を6世紀後半としています。装飾古墳が九州でさかんに造られた時期です。

同じころ、福岡県桂川町では王塚古墳が、熊本県山鹿市ではチブサン古墳が築かれ、宮若市の竹原古墳も6世紀後半とされています。九州北部の一角に、絵を描いた石室が集中して現れた時代でした。

研究者からは、装飾古墳に葬送の儀礼との関わりで馬が描かれるのは6世紀後半のごく限られた時期だという指摘もあります。五郎山古墳の壁画に馬上の人物が描かれていることは、この時期の特徴と重なります。

国の史跡に指定されたのは1949年です。

五郎山古墳の場所と行き方(観光情報)

五郎山古墳館には、壁画を再現した実物大の石室模型があります。筑紫野市によれば、羨道(遺体を安置した部屋への通路)の部分が可動式になっており、内部を見学しやすい構造です。

本物の石室に入らずに、壁画の見え方をそのまま体験できるようにした施設です。墳丘は築造された頃の姿に復元整備されており、当時の様子を知ることができます。

五郎山古墳・五郎山古墳館

地図で開く

五郎山古墳・五郎山古墳館の住所:福岡県筑紫野市原田3-9-5

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:五郎山古墳館の入館料は無料

内部見学:古墳の石室そのものの公開については公式に確認できませんでした。古墳館に実物大の石室模型がある

筑紫野市は、五郎山古墳と五郎山古墳館の住所を福岡県筑紫野市原田3-9-5、電話番号とファックス番号をいずれも092-927-3655としています。

開館時間は9時から17時まで(入館は16時30分まで)。休館日は月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日が休館)と、年末年始(12月28日から1月4日まで)です。入館料は無料です。

五郎山古墳の発見と調査の歩み

  1. 文様ではなく、絵が描かれた
  2. 盗掘坑が古墳を見つけた
  3. 舟と馬は何を運ぶのか

文様ではなく、絵が描かれた

装飾古墳といえば、同心円や三角形をつないだ幾何学の文様を思い浮かべる人が多いはずです。王塚古墳(福岡県桂川町)も、虎塚古墳(茨城県ひたちなか市)も、文様が主役です。

五郎山古墳は違います。文化庁の解説文はこう書いています。

黒、赤、緑の3色をもつて騎馬像をはじめ、人物画、舟、靱、弓及び重圏文等が画かれ我国裝飾古墳として顯著なものである

騎馬像、人物画、舟、靫、弓。靫は矢を入れて背負う箱状の道具のことです。筑紫野市も「人物、動物、船、家など多くの具象画で構成されています」としています。

誰かが何かをしている場面が、そのまま壁に描かれているのです。チブサン古墳の人物文様のように、具体的な形が現れる装飾古墳は九州に少なくありませんが、これだけ場面らしく描かれた例はまれです。

盗掘坑が古墳を見つけた

五郎山古墳が世に知られたのは昭和22年のことです。きっかけは、盗掘坑の陥没でした。

文化庁は「昭和22年に偶然発見され内部から須恵器等が検出された」と記しています。過去に何度か掘られていたため、副葬品の大半はすでに失われていました。

盗掘という失われ方をした古墳が、盗掘の跡によって見つかる。皮肉な話ですが、こうして見つかった装飾古墳は少なくありません。竹原古墳(福岡県宮若市)は相撲場の土俵の土取り、葉佐池古墳(愛媛県松山市)は開墾の重機がきっかけでした。

1949年に国の史跡に指定されます。中身を失いながら、壁の絵だけは残った古墳です。

舟と馬は何を運ぶのか

壁画の中で、は特別な位置を占めます。奥室の左右の壁にも舟が描かれています。

舟を死者の魂の担い手とみる考え方は、弥生時代からの伝統だとされます。五郎山古墳の壁の舟には、棺と思われる箱状のものが乗っているという指摘があります。

同時に、この古墳には馬に乗る人物が描かれています。研究者からは、馬もまた舟と同じく魂の乗り物であり、その考え方は中国の北方地域に見られるものが日本へ持ち込まれたのだ、という見方が示されています。

建物に向かって祈る人物、弓に矢をつがえる人物、犬らしき動物。これらを一続きの葬送の儀礼を描いたものと読むのが、いまのところ有力な解釈です。ただし、中央上部に大きく描かれた形が何を表すのかについては、鳥とする見方と、蓋や蕨手文とする見方が分かれています。

五郎山古墳から出土したもの

副葬品はほとんど残っていません。過去の盗掘によって持ち去られたためです。文化庁が記録しているのは須恵器などにとどまります。

この古墳から今も得られる情報のほとんどは、壁に描かれた絵そのものから来ています。壁画の再現は五郎山古墳館で見ることができます。

須恵器

文化庁は「昭和22年に偶然発見され内部から須恵器等が検出された」と記している。

壁画(騎馬像・人物画)

奥室の奥壁と左右両側壁、前室の後壁などに黒・赤・緑の3色で描かれている。

舟の絵

奥室の左右の壁に描かれる。死者の魂を運ぶものとみる考え方が示されている。

靫・弓・重圏文

武具と、円を重ねた文様。悪しきものを退ける働きをもつと考えられている。

五郎山古墳と関連する古墳

五郎山古墳についてよくある質問

五郎山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁の治定もありません。過去の盗掘で副葬品の多くが失われており、人物を特定する手がかりは残っていません。

五郎山古墳はどこにありますか。

福岡県筑紫野市原田3-9-5です。「原田」は「はるだ」と読みます。五郎山古墳館が同じ場所にあります。

五郎山古墳の大きさはどれくらいですか。

筑紫野市は直径約35メートルとしています。文化庁は経約120尺、高さ約18尺と古い単位で記しています。石室は複室の横穴式石室です。

五郎山古墳はいつ作られましたか。

筑紫野市は6世紀後半としています。王塚古墳や竹原古墳、チブサン古墳と同じころで、九州に装飾古墳が集中して現れた時期にあたります。

五郎山古墳の壁画は見られますか。

五郎山古墳館に、壁画を再現した実物大の石室模型があります。羨道の部分が可動式で内部を見学しやすい造りです。入館料は無料です。

五郎山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

装飾古墳(そうしょくこふん)

石室や横穴墓の壁に、顔料や彫刻で絵や文様を描いた古墳。九州に多い。

複室(ふくしつ)

玄室が前室と後室の二つに分かれた石室の造り。九州北部の古墳に見られる。

(ゆき)

矢を入れて背負う箱状の道具。壁画では悪しきものを退ける意味をもつとされる。

羨道(せんどう)

遺体を安置した部屋へ通じる通路。横穴式石室で外と玄室をつなぐ。

五郎山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁
  2. 筑紫野市