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福島県

清戸迫横穴とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

清戸迫横穴  / キヨトサクオウケツ

横穴墓群 7世紀

赤い渦巻と人物・馬・鹿を描いた壁画を持つ、彩色壁画の北限。

清戸迫横穴とはどんな古墳か

福島県双葉郡双葉町にある装飾横穴墓です。文化庁は、昭和43年(1968年)5月11日に国の史跡に指定したと記し、指定された横穴を「古くから清戸迫丘陵地にその存在が知られていた円墳・横穴群のうちの76号」と説明しています。

見どころは奥壁の壁画です。文化庁は、玄室の全長を約2.6メートル、奥壁の幅を約2.6メートルとし、そこに赤色顔料で渦巻文を中心に冠または帽子をかぶった人物2人を配し、その左右に小さく乗馬の人物、弓を射る人、鹿、犬などの動物を描いていると記しています。

そして文化庁は、この壁画を「現在判明している彩色壁画の北限である」としています。装飾された墓は九州に多く、この図鑑で扱った王塚古墳チブサン古墳竹原古墳五郎山古墳がその例です。関東・東北では茨城県の虎塚古墳が知られますが、それよりさらに北にあるのがこの横穴です。

中心の渦巻が何を表すのかは、わかっていません。

清戸迫横穴の読み方と別名

読みは「きよとさくおうけつ」です。文化庁のふりがなも「きよとさくおうけつ」で登録されています。

「迫」を「さく」と読むのは、東北から関東にかけて見られる、谷や谷あいの土地を指す言葉です。狭くくぼんだ地形を表します。清戸迫は、清戸という土地の谷、ということになります。

名に「古墳」ではなく「横穴」と付くことにも意味があります。この墓は土を盛って造ったものではなく、丘陵の斜面を横から掘り抜いたものです。文化庁の分類でも横穴として扱われています。

清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)

文化庁が用いる史跡の指定名称。ふりがなも「きよとさくおうけつ」で登録されている。

清戸迫76号横穴墓(きよとさくななじゅうろくごうおうけつぼ)

横穴墓群の中での番号を含む呼び方。文化庁の解説文も「76号」と記している。

清戸さく横穴(きよとさくおうけつ)

「迫」を平仮名で書く表記。双葉町教育委員会の刊行物にこの形が見られる。

清戸迫横穴は誰の墓か

葬られた人が誰かは、わかっていません

文化庁の解説文は、横穴の構造と壁画の内容を記すのみで、被葬者についてはまったく触れていません。

手がかりになりそうなのは壁画です。奥壁の中央には渦巻文があり、その左右に冠または帽子をかぶった人物2人が配されています。さらに小さく、乗馬の人物、弓を射る人、鹿、犬などが描かれています。

しかし、この人物が葬られた人を描いたものかどうかも、わかっていません。狩りの場面と見ることもできれば、葬送の儀礼を描いたと見ることもできます。渦巻が何を象徴しているのかも不明とされます。

この横穴は、300基以上あるとされる横穴墓群のうちの一つです。群として掘られた墓のひとつに、なぜこれだけの絵が描かれたのか。そこも説明されていません。宮内庁の陵墓ではなく、国の史跡として扱われています。

断定できない:わかっていない

指定の解説文は横穴の構造と壁画の内容を記すだけで、被葬者には触れていない。

清戸迫横穴の大きさと形

文化庁は、玄室の全長を約2.6メートル、奥壁の幅を約2.6メートルとしています。開口部は南東を向いています。

古墳としては、とても小さな空間です。大仙陵古墳のような巨大な墳丘とくらべるまでもなく、人がひとり横になれる程度の部屋です。土を盛って高さで見せる古墳とは、そもそも考え方が違います。

下調べでは、残存の全長約2.6メートル、入口から奥壁まで3.15メートル、高さ1.56メートル、奥壁の横幅2.34メートルから2.8メートルで、平面は隅丸方形とされます。ただし、これらの細かい数値は公式ページでは確かめられませんでした。

この横穴は300基以上あるとされる横穴墓群の一つで、正式には清戸迫76号横穴墓と呼ばれます。群全体の基数についての公式の記載は、確認できませんでした。

玄室の全長:約2.6メートル

奥壁の幅:約2.6メートル

開口部の向き:南東

国の史跡の指定年月日:1968.05.11(昭和43.05.11)

清戸迫横穴はいつ作られたか

文化庁のデータベースでは、この史跡の時代・年代・西暦の欄はいずれも空欄です。昭和43年の指定で、その後に年代を書き足していないためです。

下調べでは、この横穴墓の築造年代は7世紀前半と考えられているとされます。ただし、この年代を示す公式の記載は確かめられませんでした。

7世紀前半は、前方後円墳が造られなくなり、横穴墓が各地で群れて掘られるようになった時期にあたります。この図鑑で扱った吉見百穴は、吉見町が6世紀末から7世紀後半に造られた横穴墓群としています。

土を盛る墓から、崖を掘る墓へ。その移り変わりの中に、この横穴も置かれています。

清戸迫横穴の場所と行き方(観光情報)

この横穴は、1967年(昭和42年)11月、小学校の新築に伴う敷地造成工事にかかる発掘調査で見つかったと伝えられます。工事のための調査が、壁画を掘り当てました。

福島県には、この図鑑で扱った大安場古墳群と会津大塚山古墳があります。装飾された墓としては、茨城県の虎塚古墳が最も近い例になります。

清戸迫横穴

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清戸迫横穴の住所:双葉郡双葉町

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:壁画を守るため覆屋の中に保存されています。現在の公開状況については、公式には確認できませんでした。訪ねる前に双葉町へ問い合わせることをおすすめします

文化庁が公表する所在地は双葉郡双葉町までで、それより細かい住所は載っていません。所在都道府県は福島県です。

下調べでは、現在は双葉町立双葉南小学校の敷地内に保存されているとされます。壁画は覆屋の中にあり、かつては公開日が限られていたと伝えられます。現在の公開状況は、公式には確認できませんでした。

清戸迫横穴の発見と調査の歩み

  1. 彩色壁画の北限ということ
  2. 渦巻の意味は、わかっていない
  3. 学校の敷地の中で

彩色壁画の北限ということ

文化庁は、この壁画について「現在判明している彩色壁画の北限である」と書いています。

装飾された古墳や横穴墓は、九州に集中しています。王塚古墳、竹原古墳、五郎山古墳、チブサン古墳は、いずれも福岡県と熊本県のものです。関東・東北では、茨城県の虎塚古墳が知られます。

その北の端が、福島県双葉町でした。色を使って壁を飾る習慣が、どこまで広がっていたのか。その線を引く役目を、この横穴が果たしています。

ただし「現在判明している」という但し書きが付いています。これより北で見つかれば、線は動きます。

渦巻の意味は、わかっていない

奥壁の中央には、大きな渦巻が描かれています。下調べでは7重の右回りの渦巻文とされますが、これが何を象徴しているのかは、まだ不明とされています。

渦巻の右側には、兜をかぶって左手を挙げた人物がいて、その左に馬を従えています。ほかにも弓矢を射る人物、イノシシ、鹿、犬などが描かれています。正面左側の人物は冠帽と美豆良が見られ、袴を着用して靴を履いていると伝えられます。

狩りの場面のようにも見えます。葬送の儀礼のようにも見えます。どちらとも決められません。装飾古墳の文様は、幾何学的な模様が多く、意味の読み取れないものがほとんどです。虎塚古墳の壁画も、三角文や渦巻文を白い下地に赤で描いたものです。

絵は残りましたが、それが何を意味していたかは、失われました。

学校の敷地の中で

この横穴が見つかったのは、1967年(昭和42年)11月のことでした。小学校を新築するための敷地造成工事に伴う発掘調査です。

敷地内には横穴墓群の一部があり、その調査の際に76号横穴墓の玄室の奥壁で、保存状態のよい壁画が見つかりました。ベンガラという赤色顔料で描かれたものです。翌年の5月11日、国の史跡に指定されました。

工事が壁画を掘り当て、そのまま学校の敷地の中に保存されることになりました。狛江古墳群の猪方小川塚古墳も、住宅開発の際に偶然見つかって公園になりました。開発と保存は、いつも隣り合わせです。

壁画は覆屋の中に保存されており、維持管理の都合から公開日が限られていたと伝えられます。現在の公開状況は、公式には確認できませんでした。

清戸迫横穴から出土したもの

副葬品についての公式の記載は、確認できませんでした。文化庁の解説文が記すのは、横穴の構造と奥壁の壁画だけです。

装飾された墓では、壁画そのものが最大の出土品にあたります。動かせないため、その場で守るしかありません。この横穴も覆屋を建てて保存されています。高松塚古墳では、石室ごと解体して運び出すという方法が取られました。

奥壁の彩色壁画

赤色顔料で渦巻文、人物、乗馬の人物、弓を射る人、鹿、犬などを描いたもの。

渦巻文

奥壁の中央に描かれた大きな渦。何を象徴するのかはわかっていない。

冠または帽子をかぶった人物

文化庁の解説文が挙げる2人の人物像。渦巻文をはさんで配されている。

ベンガラ

壁画に使われた赤色顔料。酸化鉄を主とし、装飾された墓で広く用いられた。

清戸迫横穴と関連する古墳

同じ時代・地域 同じ古墳群・形 比較対象 学説・治定の違い

清戸迫横穴についてよくある質問

清戸迫横穴は誰の墓ですか。

わかっていません。文化庁の解説文は横穴の構造と壁画の内容を記すのみで、被葬者には触れていません。壁画の人物が葬られた人を描いたものかどうかも、決まっていません。

清戸迫横穴はどこにありますか。

文化庁は所在都道府県を福島県、所在地を双葉郡双葉町としています。それより細かい住所と行き方は、公式には確認できませんでした。

清戸迫横穴の大きさはどれくらいですか。

文化庁によれば、玄室の全長は約2.6メートル、奥壁の幅は約2.6メートルです。開口部は南東を向いています。

清戸迫横穴はいつ作られましたか。

文化庁の時代・年代の欄は空欄です。下調べでは7世紀前半とされますが、この年代を示す公式の記載は確認できませんでした。

清戸迫横穴の壁画は見られますか。

壁画を守るため覆屋の中に保存されています。かつては公開日が限られていたと伝えられますが、現在の公開状況は公式には確認できませんでした。訪ねる前に双葉町へ問い合わせることをおすすめします。

清戸迫横穴と併せて覚えたい言葉・用語

横穴墓(よこあなぼ)

斜面を横から掘り抜いて造る墓。土を盛る古墳とは造り方が違い、群れて掘られることが多い。

装飾古墳(そうしょくこふん)

石室や横穴の壁に絵や文様を描いた墓。九州に多く、この横穴が彩色壁画の北限とされる。

ベンガラ(べんがら)

酸化鉄を主とした赤色の顔料。装飾された墓の壁画や、棺の内側の塗りに使われた。

覆屋(おおいや)

遺構を雨風から守るために上にかぶせる建物。壁画のある墓では欠かせない設備になる。

清戸迫横穴の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁