「景初三年」の銘を持つ鏡が出た前方後円墳。卑弥呼の年号と同じ年。
和泉黄金塚古墳とはどんな古墳か
大阪府和泉市上代町にある前方後円墳です。文化庁は史跡「和泉黄金塚古墳」の所在地を大阪府和泉市上代町、面積を25412.71平方メートルとし、平成20年(2008年)3月28日の指定、令和8年(2026年)2月17日の追加指定と記しています。時代は古墳時代前期です。
この古墳の名を知らしめたのは、後円部の埋葬施設から出た画文帯神獣鏡です。文化庁は、この鏡に「邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使者を送った年にあたる『景初三年』(239)の銘」があると書いています。箸墓古墳とともに、卑弥呼の名が出てくる数少ない古墳のひとつです。
後円部には東西に並んだ3基の埋葬施設があり、昭和25年から26年の調査で確認されました。周囲には盾形の濠状の遺構が確認され、総長は115メートルに達するとされています。
出土品は一括して国の重要文化財となり、東京国立博物館が保管しています。
和泉黄金塚古墳の読み方と別名
読みは「いずみこがねづかこふん」です。黄金塚という名の古墳は各地にあるため、旧国名の和泉を冠して区別します。
おもしろいのは所在地の読みです。文化庁の史跡の登録では所在地を「大阪府和泉市上代町」とだけ記していますが、出土品の解説文には「上代町【うわんだいちよう】」という読みが添えられています。一般には「うえだいちょう」と読まれます。
同じ町名に、二つの読みが並んでいます。土地の呼び方と、行政の表記が食い違ったまま残っている例です。
和泉黄金塚古墳(いずみこがねづかこふん)
文化庁のふりがなもこの読み。黄金塚という名の古墳は各地にあるため国名を冠する。
上代町(うえだいちょう)
所在地の町名。文化庁の出土品の解説文では「うわんだいちよう」の読みが添えられている。
和泉黄金塚古墳出土品(いずみこがねづかこふんしゅつどひん)
重要文化財としての登録名。東京国立博物館が保管している。
和泉黄金塚古墳は誰の墓か
葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁の解説文は、副葬品のあり方から「畿内地域における前期古墳の副葬品のあり方を明らかにしたという点で、学史上も重要な位置を占めて」いるとしていますが、被葬者の名は挙げていません。
この古墳には、後円部に東西に並んだ3基の埋葬施設があります。下調べでは中央槨・東槨・西槨と呼ばれ、それぞれに木棺が納められていたとされます。中央槨の棺の外から景初三年の銘を持つ鏡が、東槨からは甲冑や日本最大とされる水晶製の切子玉が出たといいます。
3人が葬られていることになりますが、その関係もわかっていません。同時に葬られたのか、時をおいて加えられたのかも確かめられていません。
宮内庁の陵墓でも陵墓参考地でもなく、国の史跡として扱われています。
断定できない:わかっていない
史跡の解説文は副葬品と墳丘を詳しく記すが、被葬者の名には触れていない。
断定できない:卑弥呼とは結びつけられていない
景初三年銘の鏡は出たが、文化庁はその年号を説明するにとどめ、被葬者とは結びつけていない。
和泉黄金塚古墳の大きさと形
同じ文化庁のデータベースに、二つの数字が並んでいます。史跡の解説文は「古墳時代前期末の墳長94メートルの前方後円墳」とし、出土品の解説文は「全長八五メートルの前方後円墳」としています。9メートルの差です。
出土品の登録は昭和47年(1972年)、史跡の指定は平成20年(2008年)です。その間に和泉市教育委員会が範囲確認の調査を行い、数字が書き換わりました。古い登録の数字が、そのまま残っている形です。
文化庁は、その調査で周囲に盾形の濠状の遺構が確認され、総長は115メートルに達することが明らかとなった、としています。墳丘には葺石と埴輪がめぐります。周囲の地形も含めて良好に残っていることが、指定の理由に挙げられています。
墳長:94メートル(史跡の解説文)/85メートル(出土品の解説文)
総長(濠状遺構を含む):115メートル
史跡の面積:25412.71平方メートル
国の史跡の指定年月日:2008.03.28(平成20.03.28)、追加指定 2026.02.17(令和8.02.17)
和泉黄金塚古墳はいつ作られたか
和泉黄金塚古墳の場所と行き方(観光情報)
出土品は東京国立博物館にあります。文化庁は保管施設を東京国立博物館、所有者名を独立行政法人国立文化財機構とし、所在都道府県の欄を東京都としています。
古墳は大阪府、出土品は東京都。文化財のデータベースでは、この二つが別々に登録されます。景初三年銘の鏡を見たい場合は、和泉ではなく東京をたずねることになります。
和泉黄金塚古墳
和泉黄金塚古墳の住所:大阪府和泉市上代町
交通:公式には確認できませんでした
駐車場:公式には確認できませんでした
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁が管理する陵墓ではなく、国の史跡です。墳丘に立ち入れるかどうかについての公式の記載は確認できませんでした
所在地は文化庁が公表する大阪府和泉市上代町です。信太山丘陵の北西端に位置するとされます。
文化庁は、この古墳について「墳丘だけでなくその周辺の地形も含めて良好に遺存しており、古墳総体のあり方を知ることのできる貴重な古墳である」としています。周囲には棚田の景観が残っていると伝えられます。
和泉黄金塚古墳の発見と調査の歩み
景初三年という年号
この古墳がよく取り上げられるのは、景初三年という年号のためです。
文化庁は、中央の埋葬施設から出た画文帯神獣鏡について「邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使者を送った年にあたる『景初三年』(239)の銘のある」鏡と書いています。『魏志倭人伝』の記述と、実物の鏡の銘が同じ年を指しています。
ただし、文化庁はその先を書いていません。この鏡が卑弥呼のもらった鏡なのか、被葬者が卑弥呼と関わりのある人物なのか、そうしたことには触れていません。年号が一致することと、人がつながることは別の話です。
この図鑑で扱った箸墓古墳は、卑弥呼の墓とする説がある古墳です。どちらの古墳も、決着はついていません。
17歳の少年が気づいた
この古墳の調査は、変わった経緯で始まりました。
下調べによれば、1945年11月、当時17歳だった森浩一が古墳の荒廃に気づいたことがきっかけで、応急の調査が行われたといいます。旧陸軍の演習場の塹壕のわきからは巴形銅器3個の付いた革製漆塗盾が、後円部の西からは短甲や鉄刀などが出たと伝えられます。
戦争が終わったばかりの年です。その後、1950年から翌年にかけて大阪府教育委員会と日本考古学協会による合同調査が行われ、後円部の3基の埋葬施設が確認されました。荒れた古墳に気づいた一人の少年から、この古墳の調査は始まりました。
3つの棺に葬られた人たち
後円部には、東西に並んだ3基の埋葬施設がありました。下調べでは中央槨・東槨・西槨と呼ばれ、いずれも粘土槨に木棺を納めたものだといいます。
中央槨の棺の中からは半三角縁二神二獣鏡や勾玉、石釧、車輪石などが、棺の外からは景初三年銘の鏡や鉄刀、鉄剣などが出たとされます。東槨からは三角縁龍虎鏡や甲、冑、そして日本最大とされる水晶製の大型切子玉が出たといいます。
同じ古墳の中に、三人分の墓があります。文化庁は、これらの出土品について「その出土状況により玉類の連繋が明らかにされるなど学術的価値が高い」としています。どう身に着けられていたかまで読み取れたということです。
和泉黄金塚古墳から出土したもの
文化庁は、出土品を「和泉黄金塚古墳出土品」として一括で重要文化財に登録し、保管施設を東京国立博物館、所有者名を独立行政法人国立文化財機構としています。
解説文に挙げられているのは、景初三年銘の画文帯神獣鏡、三角縁盤龍鏡、鉄刀・鉄鏃、頸鎧・肩鎧、碧玉製の管玉やガラス製切子玉、石釧・鍬形石、玉杖、巴形銅器、五銖銭です。形象埴輪は、くびれ部付近から集中して出土しました。
景初三年銘 画文帯神獣鏡
中央の埋葬施設から出土。文化庁は卑弥呼が魏に使者を送った年にあたる銘としている。
三角縁盤龍鏡
文化庁が史跡の解説文で挙げる青銅鏡のひとつ。
頸鎧・肩鎧
首と肩を守る鎧。文化庁の解説文に挙げられている。
巴形銅器
渦を巻いた形の銅製品。革製漆塗盾に3個が付いた状態で見つかったと伝えられる。
和泉黄金塚古墳と関連する古墳
和泉黄金塚古墳についてよくある質問
和泉黄金塚古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。後円部に3基の埋葬施設があり、3人が葬られたと考えられていますが、文化庁の解説文にも被葬者の名はありません。宮内庁の陵墓ではなく、国の史跡です。
和泉黄金塚古墳はどこにありますか。
文化庁は所在地を大阪府和泉市上代町としています。信太山丘陵の北西端にあり、周囲には棚田の景観が残っていると伝えられます。行き方は公式には確認できませんでした。
和泉黄金塚古墳の大きさはどれくらいですか。
文化庁の史跡の解説文は墳長94メートル、出土品の解説文は全長85メートルとしています。濠状の遺構を含めた総長は115メートルに達するとされます。
和泉黄金塚古墳はいつ作られましたか。
文化庁は時代を古墳時代前期とし、解説文では前期末の古墳としています。鏡の銘にある景初三年は239年ですが、鏡が作られた年と墓に納められた年は別に考える必要があります。
和泉黄金塚古墳の出土品はどこで見られますか。
文化庁は保管施設を東京国立博物館、所有者名を独立行政法人国立文化財機構としています。出土品は一括して国の重要文化財です。
和泉黄金塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語
粘土槨(ねんどかく)
木棺のまわりを粘土で包んだ埋葬施設。石室を持たない前期の古墳に多い。
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)
外周に絵の帯をめぐらせ、神像と獣像を表した鏡。この古墳の景初三年銘の鏡がこれにあたる。
切子玉(きりこだま)
角を削り出した玉。この古墳からは日本最大とされる水晶製のものが出たと伝えられる。
五銖銭(ごしゅせん)
中国の漢代に作られた銭。古墳から出土すると、大陸との行き来を示す手がかりになる。
和泉黄金塚古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。