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大阪府

仲ツ山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

仲ツ山古墳  / ナカツヤマコフン

前方後円墳 4世紀5世紀

古市古墳群で2番目、全国では9番目の大きさをもつ巨大前方後円墳。

仲ツ山古墳とはどんな古墳か

大阪府藤井寺市沢田にある前方後円墳です。堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングは、この古墳を「仲姫命陵古墳(仲津山古墳)」という名で載せ、墳丘規模を約290メートル、順位を第9位とし、世界文化遺産の構成資産としています。

古市古墳群の北の方、誉田御廟山古墳の北東に位置します。堺市の一覧では、その誉田御廟山古墳が425メートルで第2位ですから、この二基が群の一番手と二番手にあたります。

宮内庁は、第15代応神天皇の皇后とされる仲姫命の陵として扱っています。ただし治定は行政上の扱いであって、葬られた人が学問的に確かめられたという意味ではありません。江戸時代の終わりごろから、第14代仲哀天皇の陵ではないかとみる説も唱えられてきました。

墳丘の細かい規模や、埋葬施設の様子を記した公式ページは確認できませんでした。

仲ツ山古墳の読み方と別名

読みは「なかつやまこふん」です。「仲ツ山」と「仲津山」の二通りの書き方があり、どちらも同じ音で読みます。堺市の全国の古墳大きさランキングは「仲姫命陵古墳(仲津山古墳)」と書いており、治定にもとづく名を先に、古墳としての名を括弧で添える形をとっています。

この並べ方は、大仙陵古墳を「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」と書くのと同じやり方です。行政の資料では治定名が先に立ち、発掘の現場では古墳名が先に立ちます。

なお「仲津山」という名そのものが、第14代仲哀天皇の日本語の名にちなむのではないか、という見方も古くから唱えられてきました。

仲ツ山古墳(なかつやまこふん)

考古学の側からの呼び方。「ツ」を大きく書くのがこの図鑑での見出しの形になる。

仲津山古墳(なかつやまこふん)

同じ古墳の別表記。堺市の全国一覧では、括弧に入れて治定名に添えられている。

仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)

治定にもとづく呼び方。堺市の一覧はこちらを先に置き、古墳名を括弧で添えている。

仲ツ山古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません

宮内庁は、第15代応神天皇の皇后とされる仲姫命の陵として管理しており、堺市の全国一覧にも「仲姫命陵古墳」の名で載ります。治定は行政上の扱いであって、発掘によって確かめられたものではありません。

いっぽう、この古墳を第14代仲哀天皇の陵とみる説が古くから知られています。宮内庁が仲哀天皇の陵として扱っているのは、堺市の一覧で第16位・242メートルとされる岡ミサンザイ古墳です。ところがそちらは築造の時期がかなり下ると考えられており、仲哀天皇が在位したとされる年代とのあいだに大きな隔たりがある、と指摘されてきました。

ただし、仲哀天皇という人物そのものの実在を疑う見方もあり、議論はそこで止まっています。

宮内庁の治定。行政上の扱いであり、学術的に確かめられたものではない:仲姫命(第15代応神天皇の皇后とされる人物)

堺市の全国一覧に「仲姫命陵古墳(仲津山古墳)」と、治定名と古墳名を併記した形で載る。

断定できない:わかっていない

公表されているのは古墳名・規模・所在地だけで、被葬者を確かめた根拠にあたる記載は無い。

仲ツ山古墳の大きさと形

堺市の全国の古墳大きさランキングは、この古墳の墳丘規模を約290メートルとし、全国第9位に置いています。所在地は大阪府藤井寺市沢田と記されています。

前後を見ると、第8位が奈良県天理市の渋谷向山古墳(景行陵)で300メートル、第10位が岡山県総社市の作山古墳で286メートルです。十メートル刻みで巨大古墳が並ぶ、混み合った位置にあります。

後円部の径や前方部の幅といった細かい数字を記した公式ページは、確認できませんでした。

墳丘規模(全長):約290メートル

全国での順位:第9位(290メートル)

所在地:大阪府藤井寺市沢田

ひとつ上の順位:第8位 渋谷向山古墳(景行陵) 300メートル

仲ツ山古墳はいつ作られたか

この古墳の築造年代をはっきり記した公式ページを、確かめられませんでした。堺市の一覧が載せているのは、古墳名と規模と所在地だけです。

そのかわり藤井寺市は「巨大古墳の築造年代」というコラムを公開し、年代がどのように決められるのかを説明しています。手がかりは、埼玉県の稲荷山古墳から出た辛亥年(471年)の鉄剣と、奈良県平城宮の下層から出た412年伐採の木製品の二つです。

藤井寺市は、この二点をもとに須恵器と円筒埴輪の型式に年代を割り振ると、巨大古墳が造られたおおよその実年代が浮かび上がってくる、としています。

仲ツ山古墳の場所と行き方(観光情報)

堺市の一覧をたどると、藤井寺市の中だけでも、第16位の岡ミサンザイ古墳(242メートル)、第19位の市野山古墳(230メートル)、第31位の津堂城山古墳(208メートル)が並びます。歩いて回れる範囲に、全国上位の古墳がこれだけ集まっている場所はほかにありません。

南西の羽曳野市には、第2位の誉田御廟山古墳、第22位の墓山古墳、そして軽里大塚古墳があります。

仲ツ山古墳(仲姫命陵古墳)

地図で開く

仲ツ山古墳(仲姫命陵古墳)の住所:大阪府藤井寺市沢田

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:治定を受けた陵墓は、原則として墳丘に立ち入ることができません。この古墳について、立ち入りや拝所の案内を記した公式ページは確認できませんでした

所在地は、堺市の全国の古墳大きさランキングが記す大阪府藤井寺市沢田です。堺市は自分の市の古墳だけでなく、全国の巨大古墳を一つの表にまとめており、この古墳もそこに載っています。

藤井寺市の側で、この古墳の住所や見学の案内を記したページは確認できませんでした。古市古墳群は藤井寺市と羽曳野市にまたがっており、この古墳は藤井寺市側にあります。台地の高いところに築かれているため、周濠には水がたまりにくいといわれます。

仲ツ山古墳の発見と調査の歩み

  1. 第9位という位置のなかみ
  2. 蒲生君平が唱えたこと
  3. 実年代は、どうやって決めるのか

第9位という位置のなかみ

堺市の全国の古墳大きさランキングで、この古墳の上に並ぶのは、仁徳天皇陵古墳(大山古墳)の486メートル、応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)の425メートル、履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の365メートル、岡山県の造山古墳の350メートルなどです。

上位十基のうち、畿内の外にあるのは岡山県の造山古墳と作山古墳の二基だけです。

第9位という位置は、大王級の墓と呼んで差し支えのない大きさです。応神天皇の皇后の陵として治定されている古墳がこれほどの規模をもつという点が、被葬者をめぐる議論を長引かせてきました。

蒲生君平が唱えたこと

江戸時代の終わりごろ、蒲生君平という人物が全国の天皇陵を調べて『山陵志』を著しました。そのなかで彼は、当時の仲哀天皇陵の指定を否定し、この古墳のほうこそ記紀に伝えられた陵にあたると論じました。

根拠のひとつは名でした。「仲津山」という名が、仲哀天皇の日本語の名にちなむのではないか、という見方です。

宮内庁が仲哀天皇の陵として扱う岡ミサンザイ古墳は、堺市の一覧で第16位・242メートル、所在地は大阪府藤井寺市藤井寺です。二基は同じ市の中にあります。どちらが誰の墓なのか、二百年を経てもまだ答えは出ていません。

実年代は、どうやって決めるのか

古墳の年代は、文字の記録から決まるわけではありません。藤井寺市はコラムのなかで、二つの定点を示しています。

ひとつは、埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣です。辛亥年すなわち471年の銘があり、藤井寺市は、鉄剣を持った人物の生存期間と築造に要した期間を二十年前後と見込んで、一緒に出たTK47型式の須恵器は490年前後に作られたことになる、としています。

もうひとつは年輪年代法です。奈良県平城宮の下層から、TK73型式の初期須恵器と一緒に出た木製品を調べたところ、412年に伐採した木で作られていたことがわかりました。

仲ツ山古墳から出土したもの

出土品を一覧にした公式ページは確認できませんでした。堺市の一覧に載るのは、古墳名・規模・所在地の三つだけです。

治定を受けた陵墓では、墳丘の中を掘ることができません。そのため、これほどの規模でありながら、埋葬施設の構造も副葬品もわかっていません。周堤の外側での調査から、葺石や埴輪の様子が少しずつ知られてきました。

円筒埴輪

墳丘に並べられていた筒形の埴輪。その特徴から、築造の時期が絞られてきた。

葺石

墳丘の斜面を覆う石。外堤の外側の斜面にも葺かれていたことがわかっている。

石棺

後円部に存在すると伝えられるが、実際に確かめられたわけではない。

勾玉

出土したと伝えられる玉。出土の状況を記した公式ページは確認できなかった。

仲ツ山古墳と関連する古墳

仲ツ山古墳についてよくある質問

仲ツ山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁は第15代応神天皇の皇后とされる仲姫命の陵として扱っていますが、治定は行政上の扱いです。第14代仲哀天皇の陵とみる説も古くから唱えられてきました。

仲ツ山古墳はどこにありますか。

堺市の全国の古墳大きさランキングは、所在地を大阪府藤井寺市沢田としています。古市古墳群の北の方、誉田御廟山古墳の北東にあたります。行き方を記した公式ページは確認できませんでした。

仲ツ山古墳の大きさはどれくらいですか。

堺市によれば墳丘規模は約290メートルで、全国第9位です。第8位は渋谷向山古墳の300メートル、第10位は作山古墳の286メートル。後円部や前方部の細かい数字は公式に確認できませんでした。

仲ツ山古墳はいつ作られましたか。

築造年代を記した公式ページは確認できませんでした。藤井寺市は、須恵器や円筒埴輪の型式に実年代を割り振ることで、巨大古墳のおおよその年代が浮かび上がると説明しています。

仲ツ山古墳の中に入れますか。

立ち入りについて記した公式ページは確認できませんでした。治定を受けた陵墓は、原則として墳丘に立ち入ることができません。

仲ツ山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

治定(じじょう)

宮内庁が、ある古墳を特定の天皇や皇族の陵墓と定めること。行政上の扱いで、学術的な確定ではない。

周堤(しゅうてい)

濠の外側をぐるりと取り巻く土手。墳丘の一部として史跡に加えられることがある。

造出し(つくりだし)

前方部と後円部のくびれのあたりに張り出した壇。まつりの場と考えられている。

須恵器(すえき)

窯で焼いた灰色の土器。型式の移り変わりが細かく、年代を決める物差しになる。

仲ツ山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 堺市