約700点の鉄製武器が納められていた、乙訓地域で最大の前方後円墳。
恵解山古墳とはどんな古墳か
京都府長岡京市にある前方後円墳です。長岡京市は、古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の前方後円墳とし、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約78.6メートルと推定しています。
この古墳を有名にしたのは、大きさではなく中身です。昭和55年(1980年)の発掘調査で、前方部から約700点にもおよぶ鉄製武器を納めた副葬品埋納施設が見つかりました。
長岡京市は、このような多量の鉄製武器が出土した例は山城地方ではもちろん全国的にも珍しいとしています。古墳は昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、出土品は平成11年(1999年)に京都府指定有形文化財となりました。
平成15年から平成25年まで整備のための調査が行われ、平成26年秋に恵解山古墳公園として開園しています。
恵解山古墳の読み方と別名
読みは「いげのやまこふん」です。字面からは読みにくく、長岡京市も埋蔵文化財センターも、見出しに必ずふりがなを添えています。
「恵解」を「いげ」と読ませるのは、この土地に古くから伝わる呼び方です。由来については、公式ページに記載を確かめられませんでした。
地域の名である「乙訓」は「おとくに」と読みます。京都府南部、桂川の右岸に広がる一帯を指す古い地名で、いまも長岡京市・向日市・大山崎町のあたりを乙訓と呼びます。平成28年には、この古墳を含む首長墓群が「乙訓古墳群」として国の史跡に指定されました。
恵解山古墳(いげのやまこふん)
長岡京市と長岡京市埋蔵文化財センターがともに用いる名。読みが難しいため、ふりがなが併記されることが多い。
乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)
平成28年に、恵解山古墳をはじめとする首長墓群がまとめて国の史跡に指定されたときの名称。
恵解山古墳公園(いげのやまこふんこうえん)
復元整備を終えて平成26年秋に開園した公園。埴輪列や葺石が復元されている。
恵解山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
長岡京市埋蔵文化財センターは、はっきりこう書いています。
古墳に葬られた人物の名前は記録に残っていませんが、古墳の大きさなどから少なくとも乙訓地域の全域を支配した実力者の墓であったと考えられます
長岡京市も、約700点の鉄製武器が出たことを挙げ、この古墳は5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられます、としています。
名は残らなくても、範囲は言えるということです。桂川より西、乙訓のすべて。それだけの地域をまとめる立場にあった人物の墓です。
ただし、棺そのものは確かめられていません。長岡京市は、死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていないとし、後円部に竪穴式石室があったとみられる、と書いています。
断定できない:わかっていない
古墳に葬られた人物の名前は記録に残っていない、と明記されている。
学術的な見方のひとつ:桂川以西の乙訓全域を支配した首長
5世紀前半頃に乙訓全域を支配した首長の墓と考えられる、とされている。
恵解山古墳の大きさと形
長岡京市は、恵解山古墳を全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約78.6メートル、高さ約7.6メートルと推定しています。桂川右岸の標高わずか16メートルの台地端に築かれています。
周濠の幅については、資料で数字が分かれます。長岡京市は約30メートル、長岡京市埋蔵文化財センターは約25メートルとしており、どちらも周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及ぶとしています。
国史跡としての指定面積は19,496平方メートルです。後円部の直径と前方部の幅がともに約78.6メートルで等しいのは、この古墳の形の特徴です。
全長:約128メートル
後円部の直径:約78.6メートル
後円部の高さ:10.4メートル
周濠の幅(長岡京市):約30メートル
周濠の幅(長岡京市埋蔵文化財センター):約25メートル
周濠を含めた全長:約180メートル
国史跡の指定面積:19,496平方メートル
恵解山古墳はいつ作られたか
長岡京市は、恵解山古墳を古墳時代中期に築造された古墳とし、5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられるとしています。
長岡京市埋蔵文化財センターは、より噛みくだいた言い方をしています。古墳時代中期、今から約1600年前に造られた前方後円墳です、と。
5世紀前半といえば、大阪平野で上石津ミサンザイ古墳や大仙陵古墳といった巨大古墳が築かれていた時期にあたります。同じころ、京都盆地の南西の端でも、地域をまとめる首長の墓が造られていました。
平成28年には、この古墳をはじめとする首長墓群が「乙訓古墳群」として国の史跡に指定されています。
恵解山古墳の場所と行き方(観光情報)
長岡京市は、恵解山古墳公園について注意を呼びかけるページも設けており、公園での危険なボール遊びを禁止しています。遺跡であると同時に、近所の人が使う公園でもあります。
平成28年には、天皇の杜古墳・恵解山古墳・寺戸大塚古墳の3件に他の古墳8基を加えて、「乙訓古墳群」として史跡の名称が改められました。
恵解山古墳(恵解山古墳公園)
恵解山古墳(恵解山古墳公園)の住所:京都府長岡京市
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:平成26年秋に恵解山古墳公園として開園しており、墳丘を歩くことができる
所在地は京都府長岡京市ですが、番地までを記した公式ページを確かめられませんでした。最寄駅や行き方についても、公式の記載が見つかりませんでした。
長岡京市埋蔵文化財センターは、古墳の北西側にJR線と学校が、東側と北側にも学校があると説明しています。市街地の中の古墳です。
平成26年秋に恵解山古墳公園として開園し、埴輪列や葺石が復元されています。センターは「現代に甦った恵解山古墳を是非訪れてみて下さい」と書いています。
恵解山古墳の発見と調査の歩み
前方部に埋められていた、700点の鉄
昭和55年(1980年)、墓地の拡張工事の際に前方部の中央付近から鉄器が出土し、長岡京市教育委員会が緊急調査を行いました。
出てきたのは、総数約700点の鉄製武器でした。長岡京市はその内訳を、直刀146点、鉄剣11点、短剣52点、短刀1点、ヤス状鉄製品5点、蕨手刀子10点、鉄鏃472点としています。埋蔵文化財センターは大刀146点前後、剣11点、槍57点以上、短刀1点、刀子10点、鏃472点余り、ヤス状鉄製品5点と、少し違う数え方をしています。
これらは棺に納められたのではなく、前方部に設けられた副葬品埋納施設にまとめて埋められていました。
長岡京市は、このような多量の鉄製武器が出土した例は山城地方ではもちろん全国的にも珍しいとしています。鉄が貴重だった時代に、これだけの量を土に埋めた。その事実そのものが、被葬者の力を語ります。
墓地の下にある後円部
恵解山古墳には、大きな空白があります。棺がどこにあるのかが、わかっていません。
長岡京市はこう書いています。死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていないが、後円部に竪穴式石室があったとみられる、と。
後円部は長いあいだ墓地として使われてきました。昭和55年の調査も、墓地を拡張する工事に伴うものです。古墳の中心は、後の時代の墓の下にあります。
古墳が墓地になる例は各地にあります。もともと墓であった土地が、そのまま墓として使われ続けたということです。壊されずに残ったのも、墓地であったおかげかもしれません。ただし、そのぶん中心部は掘れなくなりました。
本能寺の変ののちの山崎の戦いで、この古墳に陣が置かれたという話も語られますが、公式ページにその記載は確かめられませんでした。
十年かけて甦らせた古墳
この古墳は、いま「造られた当時の姿」に近い形で見ることができます。それは復元されたものです。
長岡京市は、郷土の貴重な遺産を後世に伝えまちづくりに活用するため、平成15年から平成25年まで保存整備に向けた発掘調査を実施したとしています。十年をかけた調査で、古墳本来の形や造り出しの存在、埴輪列や水鳥形埴輪の発見など、築造時の姿が明らかになりました。
そして埴輪列や葺石などの復元整備工事が完了した平成26年秋、恵解山古墳公園として開園します。
前方部と造り出しの平坦面には埴輪列が復元され、斜面の葺石も部分的に復元されました。埴輪は表面のハケメまで忠実に表現されています。ハケメとは、埴輪の表面に刷毛で付けられた筋のことです。細部まで写し取った復元です。
恵解山古墳から出土したもの
出土品は、平成11年(1999年)に京都府指定有形文化財となりました。長岡京市は、これほど多量の鉄製武器が出土した例は山城地方ではもちろん全国的にも珍しいとしています。
数え方は資料によって少し異なります。長岡京市は直刀146点・鉄剣11点・短剣52点、埋蔵文化財センターは大刀146点前後・剣11点・槍57点以上としており、いずれも総数は約700点です。
鉄製武器一括
前方部の埋納施設から出土した約700点。直刀146点、鉄剣11点、鉄鏃472点などを含む。
蕨手刀子
柄の先が蕨の芽のように巻いた小刀。10点が出土している。
水鳥形埴輪
水鳥をかたどった埴輪。平成15年からの調査で見つかった。
円筒埴輪・朝顔形埴輪
墳丘の平坦面に並べられていた埴輪。復元整備で列が再現されている。
恵解山古墳と関連する古墳
恵解山古墳についてよくある質問
恵解山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。長岡京市埋蔵文化財センターは、葬られた人物の名前は記録に残っていないとしています。長岡京市は5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられるとしています。
恵解山古墳はどこにありますか。
京都府長岡京市にあります。番地や最寄駅を記した公式ページは確かめられませんでした。平成26年秋に恵解山古墳公園として開園しています。
恵解山古墳の大きさはどれくらいですか。
長岡京市によれば全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、前方部の幅約78.6メートルです。周濠を含めた全長は約180メートルに及びます。
恵解山古墳はいつ作られましたか。
長岡京市は古墳時代中期、5世紀前半頃としています。埋蔵文化財センターは今から約1600年前と説明しています。
恵解山古墳の中に入れますか。
墳丘を歩くことができます。平成26年秋に恵解山古墳公園として開園し、埴輪列や葺石が復元されています。
恵解山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
副葬品埋納施設(ふくそうひんまいのうしせつ)
棺とは別に、副葬品だけをまとめて埋めた施設。恵解山古墳では前方部にあった。
竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)
上から棺を納め、天井石でふさぐ形の石室。横穴式石室より古い時期に多い。
造り出し(つくりだし)
前方後円墳のくびれ部に張り出した平らな場所。まつりを行った場と考えられる。
鉄鏃(てつぞく)
鉄でできた矢じり。恵解山古墳では472点が出土している。
恵解山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。