墳丘の全長約365メートル。日本で3番目に大きい前方後円墳。
上石津ミサンザイ古墳とはどんな古墳か
大阪府堺市西区石津ヶ丘にある前方後円墳です。宮内庁が第17代履中天皇の百舌鳥耳原南陵として管理しているため、履中天皇陵古墳の名でも知られています。
堺市は墳丘の全長を約365メートル、後円部径を205メートル、高さを約27.6メートル、前方部幅を約235メートル、高さを約25.3メートルとし、日本で3番目の大きさとしています。大仙陵古墳の486メートル、誉田御廟山古墳の425メートルに次ぐ規模です。
文化庁は、台地の西縁に海岸線と墳丘の主軸を平行させて造られており、大阪湾からの眺望を大いに意識した場所と方向が選ばれている、としています。陸から見上げるためではなく、海から見せるために置かれた墳丘です。
2019年に世界文化遺産の構成資産となりました。堺市は「主体部の構造や副葬品などはわかっていません」と明記しています。
上石津ミサンザイ古墳の読み方と別名
読みは「かみいしづみさんざいこふん」です。名の後半の「ミサンザイ」は、みささぎ(陵)が訛ったものと考えられています。
同じ堺市の百舌鳥古墳群にはニサンザイ古墳があり、藤井寺市には仲哀天皇陵古墳の別名として岡ミサンザイ古墳があります。どれも同じ語がもとになっていますが、指す古墳はまったく別です。
堺市は見出しに履中天皇陵古墳を使い、括弧の中にミサンザイ古墳・石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳の三つを並べています。四つの名は、すべて同じ一基を指します。
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)
考古学の場で使われる、土地の名を冠した呼び方。上石津は堺市に編入される前の大字の名にあたる。
履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
堺市が見出しに用いる名。宮内庁の治定にもとづくもので、被葬者が確かめられたという意味ではない。
石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)
堺市が併記する別名。もうひとつ、百舌鳥陵山古墳(もずみささぎやまこふん)の名も併記されている。
上石津ミサンザイ古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
宮内庁は、第17代履中天皇の百舌鳥耳原南陵として管理しています。いっぽう堺市は、規模と形を詳しく記したうえで「主体部の構造や副葬品などはわかっていません」と書いています。誰が葬られているかを示す品は、ひとつも確かめられていません。
さらに堺市は、江戸時代の記録に後円部の中央に大きなくぼみがあったとあることから、すでに盗掘を受けている可能性があるとしています。
築かれた順序にも食い違いがあります。日本書紀の伝える順では仁徳天皇のあとに履中天皇が立ちますが、堺市はこの古墳の陪塚である七観山古墳について、こう書いています。
出土資料などから、仁徳天皇陵古墳(大山古墳)よりも古くに造られたことがわかっています
陪塚が大仙陵古墳より古いなら、本体はさらに古いことになります。治定の並びと築造の順は合いません。
宮内庁の治定:第17代履中天皇
百舌鳥耳原南陵として管理される。治定は行政上の扱いであり、学問的に確かめられたものではない。
断定できない:わかっていない
主体部の構造や副葬品などはわかっていない、と明記されている。盗掘の可能性にもふれる。
学術的な見方のひとつ:大仙陵古墳より前の大王か
陪塚の七観山古墳が仁徳天皇陵古墳より古いとされ、書紀の伝える在位の順とは合わない。
上石津ミサンザイ古墳の大きさと形
堺市は、墳丘の全長を約365メートル、後円部径を205メートル、高さを約27.6メートル、前方部幅を約235メートル、高さを約25.3メートルとしています。墳丘は3段築成で、西側のくびれ部には造出しがあります。
文化庁も墳丘長を365メートル、後円部の高さを27.6メートルとし、百舌鳥エリアでは第2位、全国では第3位としています。
濠は現在一重の盾形ですが、平成6年(1994年)に、その外側で幅10メートルほどの二重目の周濠が見つかりました。いま見えている輪郭は、造られたときの輪郭ではありません。
墳丘の全長:約365メートル
後円部の径:205メートル
後円部の高さ:約27.6メートル
前方部の幅:約235メートル
二重目の周濠の幅:約10メートル
全国での順位:第3位(365メートル)
上石津ミサンザイ古墳はいつ作られたか
文化庁は、この古墳の築造時期を中期中葉、つまり古墳時代中期の中ごろとしています。
世界遺産の百舌鳥・古市古墳群全体については、文化庁が4世紀後半から5世紀後半にかけて築造されたとしています。この古墳もその幅の中に入ります。
年代を考えるうえで効いてくるのが、堺市が陪塚の七観山古墳を仁徳天皇陵古墳より古いとしていることです。日本最大の大仙陵古墳より先に、日本第3位のこの古墳が築かれていたことになります。
百舌鳥古墳群では、いちばん大きい古墳がいちばん古いわけではありません。
上石津ミサンザイ古墳の場所と行き方(観光情報)
百舌鳥古墳群の南西部にあり、濠のそばには寺山南山古墳と七観音古墳があります。北へ歩けば大仙陵古墳、東へ向かえばいたすけ古墳、南東にニサンザイ古墳が続きます。
堺市は、この古墳の陪塚が10基以上あったとしています。残っているのはごく一部です。
履中天皇陵古墳(上石津ミサンザイ古墳)
履中天皇陵古墳(上石津ミサンザイ古墳)の住所:大阪府堺市西区石津ケ丘
交通:JR上野芝駅から徒歩約6分
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:陵墓として宮内庁が管理しているため墳丘には立ち入れない。拝所は原則として年間をとおして参拝できる
所在地は、宮内庁が大阪府堺市西区石津ケ丘、堺市が堺市西区石津ヶ丘としています。表記が少し違いますが同じ場所です。
宮内庁は行き方をJR上野芝駅から徒歩約6分とし、参拝時間を原則8時30分から17時までとしています。墳丘・濠・堤はいずれも宮内庁の管理下にあり、中には入れません。駐車場と料金は、公式の記載を確かめられませんでした。
上石津ミサンザイ古墳の発見と調査の歩み
海から見せるために置かれた墳丘
文化庁は、この古墳が台地の西縁部に、海岸線と墳丘主軸線を平行させるように前方部を南に向けて造られ、大阪湾からの眺望を大いに意識した場所と墳丘の方向が選ばれているとしています。
古墳は、葬られた人のためだけに造られたのではありません。見せる相手がいて、その相手から最もよく見える向きに置かれています。
大阪湾から船で近づく者の目に、台地の縁に横たわる365メートルの墳丘が入る。その一点のために場所と角度が決められました。兵庫県神戸市の五色塚古墳が明石海峡を見下ろす位置に築かれているのと、考え方は同じです。
前方部の頂にある、ほかに例を見ない土壇
文化庁は、後円部の頂上と前方部の頂上に、それぞれ独立した円形の土壇が築かれていると記しています。土壇とは、平らに盛り上げた壇のことです。
注目されるのは前方部のほうです。文化庁は、前方部頂上の円形の土壇が斜面に沿って2段に築かれており、ほかに例を見ないものだとしています。さらに、その土壇の中には埋葬施設が存在するものと推測される、とも書かれています。
前方後円墳では、ふつう後円部に棺を納めます。前方部にも埋葬施設があるらしいとなると、二人以上が葬られている可能性が出てきます。掘れないため、確かめられていません。
仁徳より先に造られた履中の陵
日本書紀では、仁徳天皇のあとを継いだのが履中天皇です。ところが古墳の側から見ると、順序が逆になります。
堺市は、この古墳の陪塚である七観山古墳について、出土資料などから仁徳天皇陵古墳(大山古墳)よりも古くに造られたことがわかっている、としています。陪塚は本体とほぼ同じころに造られるものですから、本体もまた大仙陵古墳より古いことになります。
宮内庁の治定を並べると親子の順になり、古墳の年代を並べると逆になる。同じ食い違いは、御廟山古墳やニサンザイ古墳をめぐる議論にも顔を出します。治定は、その古墳が誰の墓かを学問的に決めたものではありません。
上石津ミサンザイ古墳から出土したもの
堺市は「主体部の構造や副葬品などはわかっていません」としています。棺の中から出たものは、ひとつも確かめられていません。
確かめられているのは墳丘の表面にあったものだけです。文化庁は、矢を収納する靫を模した靫形埴輪を高さ1.4メートルもある大型の優品だと記しています。
葺石
墳丘の斜面を覆う石。堺市が存在を確認している。
円筒埴輪
筒の形をした埴輪。文化庁が墳丘から採集されたと記す。
靫形埴輪
矢を入れる靫をかたどった埴輪。文化庁は高さ1.4メートルの大型の優品としている。
上石津ミサンザイ古墳と関連する古墳
上石津ミサンザイ古墳についてよくある質問
上石津ミサンザイ古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁は第17代履中天皇の百舌鳥耳原南陵として管理していますが、堺市は主体部の構造や副葬品などはわかっていないと明記しています。
上石津ミサンザイ古墳はどこにありますか。
大阪府堺市西区石津ケ丘にあります。百舌鳥古墳群の南西部で、宮内庁は行き方をJR上野芝駅から徒歩約6分としています。
上石津ミサンザイ古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市によれば墳丘の全長は約365メートル、後円部径205メートル、前方部幅約235メートルです。堺市の全国の大きさ順では第3位です。
上石津ミサンザイ古墳はいつ作られましたか。
文化庁は築造時期を古墳時代中期の中ごろとしています。堺市は陪塚の七観山古墳が仁徳天皇陵古墳より古いとしており、大仙陵古墳より先に築かれたと考えられます。
上石津ミサンザイ古墳の中に入れますか。
入れません。墳丘・濠・堤はいずれも宮内庁が陵墓として管理しています。拝所は原則として年間をとおして参拝でき、時間は原則8時30分から17時までです。
上石津ミサンザイ古墳と併せて覚えたい言葉・用語
治定(じじょう)
宮内庁が、どの陵墓が誰の墓かを行政上定めること。学問的に確かめられたことは意味しない。
陪塚(ばいちょう)
大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな古墳。副葬品を納めるものもある。
造出し(つくりだし)
前方後円墳のくびれ部に張り出した平らな場所。まつりを行った場と考えられている。
靫(ゆき)
矢を入れて背に負う道具。これをかたどった埴輪が古墳に立てられた。
上石津ミサンザイ古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。