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岡山県

浦間茶臼山古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

浦間茶臼山古墳  / ウラマチャウスヤマコフン

前方後円墳 3世紀

箸墓古墳のちょうど半分の設計だったとみられる、吉備最古級の古墳。

浦間茶臼山古墳とはどんな古墳か

岡山県岡山市にある前方後円墳です。文化庁は所在地を岡山市浅川・浦間とし、1974年(昭和49年)11月25日に国の史跡に指定されたと記しています。

文化庁の解説文は、吉井川下流右岸の小丘陵の先端に築かれた前方後円墳とし、前方部を東におき、全長約125メートルをはかり、3段築成の状況など全体に墳形の遺存は良好、としています。

この古墳は、奈良県の箸墓古墳をちょうど2分の1に縮めた設計で造られた可能性が高いと指摘されています。同じ指摘は、京都府の椿井大塚山古墳、奈良県の黒塚古墳にも向けられています。いずれも古墳が現れたばかりの時期のもので、出現期古墳と総称されます。

内部主体は明治年間に盗掘を受け、副葬品の大部分は散逸したとされます。

浦間茶臼山古墳の読み方と別名

読みは「うらまちゃうすやまこふん」です。文化庁のふりがなも同じです。

浦間は所在地の名で、文化庁も所在地を岡山市浅川・浦間としています。茶臼山は、抹茶を挽く茶臼を伏せたような形に見えることから付いた名です。同じ茶臼山という名の古墳は各地にあり、互いに関係があるわけではありません。

奈良県の桜井茶臼山古墳、大阪府の池田茶臼山古墳太田茶臼山古墳、岡山県の中山茶臼山古墳などがその例です。名が同じでも、時代も大きさも造った人も別々です。

浦間茶臼山古墳(うらまちゃうすやまこふん)

文化庁の指定名称。ふりがなも同じで、これが公式の呼び方になる。

茶臼山(ちゃうすやま)

抹茶を挽く茶臼を伏せたような形に見えることから、各地の古墳に付けられた名。

出現期古墳(しゅつげんきこふん)

箸墓古墳・椿井大塚山古墳・黒塚古墳などとともに、この古墳が入れられる括り。

浦間茶臼山古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません

文化庁は、内部主体は明治年間に盗掘をうけ、その詳細は明らかでない、としています。当時の出土品の大部分は散逸しているが、銅鏃の出土等が知られている、とも書かれています。

この古墳は宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っておらず、国の史跡として扱われています。宮内庁の治定が無いということは、被葬者について行政上の答えも用意されていないということです。

わかっているのは、時期と位置づけです。文化庁は、吉備地方の山陽道沿い地域における古墳時代前期の古墳として代表的なものといえる、と結んでいます。造山古墳作山古墳といった巨大古墳が吉備に現れるより前の段階に、この古墳が置かれることになります。

断定できない:わかっていない

内部主体は明治年間に盗掘をうけ詳細は明らかでない、と解説文に明記されている。

浦間茶臼山古墳の大きさと形

文化庁は、墳丘について前方部を東におき、全長約125メートルをはかり、3段築成の状況等、全体に墳形の遺存は良好である、としています。

下調べでは全長約138メートル、前方部の長さ約61メートル、後円部の径約81メートル・高さ約13.8メートルとされます。同じ古墳に、約125メートルと約138メートルという二つの数字があることになります。ただし後者を公式のページで確かめることはできませんでした。

数字が一つに決まらないのには理由があります。前方部が畑として開墾されて削られており、本来の姿から変形しているためです。文化庁が墳形の遺存は良好と書くのは、後円部を中心に見たときの評価です。

全長:約125メートル

築成:3段築成

前方部の向き:

所在地(市区町村):岡山市浅川・浦間

国の史跡の指定年月日:1974年(昭和49年)11月25日

浦間茶臼山古墳はいつ作られたか

文化庁は年代の欄を空欄としたうえで、解説文で、吉備地方の山陽道沿い地域における古墳時代前期の古墳として代表的なものといえると述べています。何世紀という書き方は、公式のページには見あたりませんでした。

下調べでは、古墳時代前期の3世紀末に築造されたと考えられ、古代吉備で最も古い大型前方後円墳の一つとされます。

年代を絞る手がかりは埴輪です。墳丘からは都月型円筒埴輪の破片が採取されたとされます。都月型は、円筒埴輪のうちでも最も古い部類のものです。前方後円墳という形が生まれて間もない時期に、この古墳が造られたことを示しています。

浦間茶臼山古墳の場所と行き方(観光情報)

吉井川の下流、右岸の小丘陵の先端という立地です。文化庁は、吉井川が児島湾にそそぐ流れの途中にあたる位置と説明しています。

同じ岡山県では、造山古墳や作山古墳が全国有数の大きさで知られます。浦間茶臼山古墳はそれらより古い段階の古墳で、吉備に大型古墳が現れはじめたころの姿を伝えています。

浦間茶臼山古墳

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浦間茶臼山古墳の住所:岡山市浅川・浦間

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:立ち入りについて公式の記載は確認できませんでした。下調べでは、前方部は桜が植えられて公園になり、後円部は竹藪と墓地になっているとされます

所在地として公式に確かめられたのは、文化庁が記す岡山市浅川・浦間という市区町村名までです。番地は確かめられませんでした。

下調べによれば、古墳の東側と南側には住宅団地が迫っているといいます。前方部の南東にあった大型の円墳は、宅地造成の際に壊されたとされます。行き方・駐車場・料金は、いずれも公式の記載を確かめられませんでした。

浦間茶臼山古墳の発見と調査の歩み

  1. 箸墓古墳を2分の1にした設計
  2. 瀬戸内から運ばれた石で組んだ室
  3. 盗掘のあとに残ったもの

箸墓古墳を2分の1にした設計

この古墳がよく取り上げられるのは、大きさそのものよりも寸法の比によってです。

下調べによれば、浦間茶臼山古墳は奈良県桜井市の箸墓古墳のちょうど2分の1に企画された前方後円墳である可能性が高い、と考えられています。同じ指摘は、京都府の椿井大塚山古墳と奈良県の黒塚古墳にも向けられています。

同じ設計図を縮尺だけ変えて使った、ということになります。前方後円墳という形が、造る人ごとに自由に決められたのではなく、共有された規格に沿っていたことを示す例とされます。

ただしこれは、公式のページで確かめられた話ではありません。文化庁の解説文は、この古墳を吉備地方の前期古墳として代表的なものと位置づけるにとどまっています。

瀬戸内から運ばれた石で組んだ室

1988年に行われた発掘調査では、後円部の乱掘坑を掘り下げたところ、深さ2.5メートルのところから竪穴式石室が見つかったとされます。板状の安山岩を積み重ねた、内法の長さ7メートル・幅1.2メートルの室です。

注目されるのは石の産地です。この安山岩は、香川県北部または備讃瀬戸の島から採られたものと推測されています。

石室を組むための石が、海を越えて運ばれてきたことになります。床には赤色の顔料を含む粘土が敷かれ、その上に割竹形木棺が納められていたと推測されています。

瀬戸内の海路が、古墳を造る材料の道でもあったことを示す例です。

盗掘のあとに残ったもの

石室の上部は壊れていました。文化庁が記すとおり、明治年間に盗掘を受けており、副葬品は概ね持ち去られています。

それでも、残ったものはあります。文化庁は当時の出土品の大部分は散逸しているとしたうえで、銅鏃の出土等が知られていると書いています。銅鏃は、青銅で作られた矢の先です。

下調べによれば、そのほかに細線式獣帯鏡の破片、鉄鏃・鉄刀・鉄剣などの武器、鎌や鋤先などの農具、鉄のみや鉄斧などの工具、ヤスなどの漁具が出土したとされます。

武器と農具と工具と漁具が一つの棺のまわりにそろっている、ということです。葬られた人が何を束ねていたのかを考える手がかりになります。

浦間茶臼山古墳から出土したもの

文化庁が公式に挙げているのは、銅鏃の出土等が知られる、という一行だけです。明治年間の盗掘で、副葬品の大部分は散逸したとされます。

下調べによれば、1988年の調査で武器・農具・工具・漁具にわたる品が出土したといいます。ただし、これらを記した公式のページは確かめられませんでした。

銅鏃

青銅で作られた矢の先。文化庁が、盗掘のあとに出土が知られる品として挙げている。

細線式獣帯鏡片

中国鏡の破片とされる。桜塚古墳群でも同じ種類の鏡が出たと伝えられる。

都月型円筒埴輪

墳丘から破片が採取されたとされる、最も古い部類の円筒埴輪。

安山岩の板石

竪穴式石室を組んだ石。香川県北部または備讃瀬戸の島から運ばれたと推測される。

浦間茶臼山古墳と関連する古墳

同じ時代・地域 同じ古墳群・形 比較対象 学説・治定の違い

浦間茶臼山古墳についてよくある質問

浦間茶臼山古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。文化庁は、内部主体は明治年間に盗掘をうけ詳細は明らかでない、としています。宮内庁の陵墓ではなく国の史跡です。

浦間茶臼山古墳はどこにありますか。

文化庁は所在地を岡山市浅川・浦間としています。吉井川の下流、右岸の小丘陵の先端に築かれています。番地までは確かめられませんでした。

浦間茶臼山古墳の大きさはどれくらいですか。

文化庁は全長約125メートル、3段築成としています。下調べでは全長約138メートルとされますが、この数字は公式には確かめられませんでした。

浦間茶臼山古墳はいつ作られましたか。

文化庁は古墳時代前期の代表的な古墳としています。下調べでは3世紀末とされ、古代吉備で最も古い大型前方後円墳の一つと考えられています。

浦間茶臼山古墳の墳丘に登れますか。

立ち入りについて公式の記載は確認できませんでした。下調べでは前方部は公園になり、後円部は竹藪と墓地になっているとされます。

浦間茶臼山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)

上から棺を納めて蓋をする石室。出入り口がなく、追加の埋葬ができない。

出現期古墳(しゅつげんきこふん)

前方後円墳が現れたばかりのころの古墳。箸墓古墳や椿井大塚山古墳などが含まれる。

都月型円筒埴輪(とつきがたえんとうはにわ)

円筒埴輪のうち最も古い部類のもの。弥生時代の墓に立てられた器台の系譜を引く。

銅鏃(どうぞく)

青銅で作られた矢の先。実用よりも副葬のために作られたものが多いとされる。

浦間茶臼山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁