宮内庁が大吉備津彦命の墓として管理する、吉備の中山の古墳。
中山茶臼山古墳とはどんな古墳か
中山茶臼山古墳はひとことで言えば宮内庁が管理している吉備の古墳です。岡山市の西、独立した丘陵「吉備の中山」の上にあります。
この古墳は、宮内庁によって大吉備津彦命の墓として治定されています。宮内庁書陵部は、この墓について「大吉備津彦命墓の墳丘外形調査報告」を『書陵部紀要』第61号〔陵墓篇〕に載せています。平成22年3月の発行で、21ページから29ページまでです。
ただし、宮内庁の治定は、被葬者が学問的に確かめられたことを意味しません。
墳丘の大きさについては、公式のページで数字を確かめられませんでした。国や県の指定文化財ではないため、文化庁や自治体のページにも載りません。
中山茶臼山古墳の読み方と別名
読みは「なかやまちゃうすやまこふん」です。宮内庁は、この古墳を大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)と呼びます。
同じ一つの古墳に、二つの名があります。考古学の側は所在地にちなんで中山茶臼山古墳と呼び、宮内庁は葬られているとする人物の名で呼びます。
古墳の名で調べると考古学の資料が、墓の名で調べると宮内庁の資料が出てきます。両方の名を知っておかないと、片方しか見つけられません。
中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)
考古学の側から呼ばれる名。所在する吉備の中山にちなむ。
大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)
宮内庁が用いる名。書陵部の報告書もこの名で書かれている。
吉備の中山(きびのなかやま)
この古墳が築かれている独立丘陵の名。
中山茶臼山古墳は誰の墓か
中山茶臼山古墳の実際の被葬者はわかっていません。
宮内庁は、この古墳を大吉備津彦命の墓として治定し、管理しています。宮内庁書陵部が発行する『書陵部紀要』には、この墓を対象とした報告が三点載っています。もっとも基本になるのが「大吉備津彦命墓の墳丘外形調査報告」(第61号〔陵墓篇〕平成21年度、21から29ページ)です。
宮内庁が墓として管理していることと、そこに大吉備津彦命が葬られていることは、別のことです。
治定は、明治の初めに行われた行政上の決定であって、発掘によって確かめられた事実ではありません。宮内庁以外の公式のページで、この古墳の被葬者について述べたものは、確かめられませんでした。
宮内庁の治定:大吉備津彦命
宮内庁はこの古墳を大吉備津彦命墓として扱い、墳丘外形の調査報告を発行している。
断定できない:わかっていない
採集された遺物についての報告はあるが、被葬者を学問的に確かめた記載はない。
中山茶臼山古墳の大きさと形
中山茶臼山古墳の墳丘の大きさについては、公式のページで数字を確かめられませんでした。
宮内庁は平成21年度に墳丘の外形を調査し、その結果を『書陵部紀要』第61号〔陵墓篇〕に「大吉備津彦命墓の墳丘外形調査報告」として載せています。発行は平成22年3月、21ページから29ページまでです。図版4から6、15から17、付図1が添えられています。
この報告の本文は、宮内庁書陵部の公開システムから読むことができます。墳丘の数字を知りたい場合は、この報告にあたってください。
墳丘の大きさ:公式のページでは確認できませんでした
墳丘外形の調査報告:書陵部紀要 第61号〔陵墓篇〕21から29ページ
石材と採石地の報告:書陵部紀要 第61号 30から31ページ
採集された遺物の報告:書陵部紀要 第62号〔陵墓篇〕18から33ページ
中山茶臼山古墳はいつ作られたか
中山茶臼山古墳の場所と行き方(観光情報)
宮内庁が管理する陵墓には、参拝できるものと、そうでないものがあります。中山茶臼山古墳について、参拝の可否を示す公式の記載を確かめられませんでした。
同じ吉備には、墳丘に自由に登れる古墳があります。総社市の作山古墳と岡山市の造山古墳です。総社市は、この二基が天皇の墓とされていないため中に立ち入ることができる最大の古墳だとしています。対照的な扱いです。
中山茶臼山古墳(大吉備津彦命墓)
中山茶臼山古墳(大吉備津彦命墓)の住所:公式に確認できませんでした
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:宮内庁が管理する墓であり、墳丘に立ち入ることはできない
この古墳は宮内庁が管理する墓です。墳丘に立ち入ることはできません。
所在地の町名まで示した公式のページを、確かめられませんでした。岡山市や岡山県の文化財のページにも、この古墳の記載を見つけられませんでした。宮内庁が管理する陵墓は文化財保護法による指定の対象にならないため、自治体の一覧に載らないのです。
参拝の可否や時間については、宮内庁に問い合わせてください。
中山茶臼山古墳の発見と調査の歩み
治定は事実ではない、ということ
宮内庁は、この古墳を大吉備津彦命の墓として管理しています。書陵部の報告書も、すべて「大吉備津彦命墓」の名で書かれています。
しかし、治定は行政上の決定であって、学問の結論ではありません。
治定とは、天皇や皇族の墓がどれであるかを国が定めることです。明治のはじめに全国でまとめて行われ、その多くは文献の記述と地元の伝承をもとにしていました。発掘して確かめたわけではありません。
そして治定されたあとは、宮内庁の管理下に入るため、確かめることができなくなります。
宮内庁が仁徳天皇陵として管理する大仙陵古墳については、堺市自身が治定と学術の食い違いを書いています。中山茶臼山古墳も、同じ姿勢で読む必要があります。
宮内庁が三度、報告を出している
この古墳は調べられていない、というわけではありません。宮内庁書陵部は、三つの報告を発行しています。
一つめは「大吉備津彦命墓の墳丘外形調査報告」。『書陵部紀要』第61号〔陵墓篇〕平成21年度に載り、平成22年3月に発行されました。21ページから29ページまでで、著者は陵墓調査室です。
墳丘の形、石の産地、拾われた遺物。三つの角度から調べられています。
吉備の三つの巨大古墳と、この一基
吉備には、大きさで全国の上位に入る古墳があります。
岡山市の造山古墳は、岡山県が全長360メートル、全国でも4番目に大きな古墳としています。総社市の作山古墳は全長約282メートル、全国第10位。総社市のこうもり塚古墳は6世紀後半、全長100メートルです。
この三基は、いずれも自治体が数字を公表しています。中山茶臼山古墳は違います。宮内庁が管理しているため、自治体の文化財一覧にも載らず、規模も年代も公式のページから取れません。
治定された古墳と、されなかった古墳。その差が、そのまま情報の量の差になっています。
中山茶臼山古墳から出土したもの
この古墳について公表されているのは、宮内庁書陵部の報告三点です。その書誌情報は書陵部の公開システムから確かめられ、本文も読むことができます。
自治体の文化財のページには、この古墳の記載を見つけられませんでした。宮内庁が管理する陵墓は文化財保護法の指定を受けないため、市や県の一覧に載らないのです。
採集された遺物
宮内庁書陵部が『書陵部紀要』第62号〔陵墓篇〕に「大吉備津彦命墓採集の遺物について」として報告している。
石材
奥田尚による「大吉備津彦命墓の石材とその採石地」が、第61号の30から31ページに載る。
墳丘外形の記録
陵墓調査室による調査報告が、第61号の21から29ページに載る。図版と付図が添えられている。
出土品の一覧
公式のページで確かめられなかった。報告の本文にあたる必要がある。
中山茶臼山古墳と関連する古墳
中山茶臼山古墳についてよくある質問
中山茶臼山古墳は誰の墓ですか。
宮内庁は大吉備津彦命の墓として治定し、管理しています。ただし治定は明治のはじめに行われた行政上の決定であって、発掘によって確かめられた事実ではありません。実際の被葬者はわかっていません。
中山茶臼山古墳の大きさはどれくらいですか。
公式のページでは確認できませんでした。宮内庁書陵部が墳丘外形の調査報告を『書陵部紀要』第61号〔陵墓篇〕の21から29ページに載せていますので、その本文にあたってください。
中山茶臼山古墳はどこにありますか。
吉備の中山という独立した丘陵の上にあります。ただし所在地の町名まで示した公式のページを確かめられませんでした。宮内庁が管理する墓であるため、自治体の文化財一覧には載りません。
中山茶臼山古墳はいつ作られましたか。
公式のページに築造年代の記載を見つけられませんでした。同じ吉備の造山古墳は5世紀前半、作山古墳は5世紀中ごろとされていますが、この古墳については確かめられていません。
中山茶臼山古墳の中に入れますか。
入れません。宮内庁が管理する墓であり、墳丘に立ち入ることはできません。参拝できるかどうかについても、公式の記載を確かめられませんでした。
中山茶臼山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
治定(じじょう)
天皇や皇族の墓がどれであるかを国が定めること。学問上の結論とは別のもの。
陵墓(りょうぼ)
宮内庁が管理する天皇・皇族の墓。文化財保護法による史跡の指定は受けない。
書陵部(しょりょうぶ)
宮内庁の部局。陵墓の管理と調査を行い、『書陵部紀要』を発行している。
吉備の中山(きびのなかやま)
岡山市の西にある独立した丘陵。のちの備前国と備中国の境にあたる。
中山茶臼山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。