継体天皇陵として治定されているが、真陵は今城塚古墳とする説が有力。
太田茶臼山古墳とはどんな古墳か
大阪府茨木市太田3丁目にある前方後円墳です。宮内庁が第26代継体天皇の三嶋藍野陵として管理しています。
堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングでは、墳丘規模226メートルで第21位に置かれています。大阪府北部では飛び抜けた大きさです。
この古墳がよく取り上げられるのは、宮内庁の治定と学術的な見方が正面から食い違う例として、いちばんわかりやすいからです。高槻市は、同市の今城塚古墳について「531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられ」と書いています。つまり、宮内庁が継体天皇陵とする古墳と、自治体が真の陵墓とする古墳が、別々に存在しています。
墳丘は宮内庁の管理下にあり、中に入ることはできません。拝所は原則として年間をとおして参拝できます。
太田茶臼山古墳の読み方と別名
読みは「おおだちゃうすやまこふん」です。「おおた」ではなく「おおだ」と濁ります。
茶臼山という名の古墳は各地にあります。抹茶を挽く茶臼を伏せたような形に見えることから付いた名で、同じ名の古墳が互いに関係しているわけではありません。奈良県の桜井茶臼山古墳、大阪府池田市の池田茶臼山古墳などがその例です。
宮内庁の陵名は三嶋藍野陵。三嶋は淀川の北側一帯の古い地名で、藍野の「藍」も同じ地域を指す広い地名です。近くを流れる安威川に、その音が残っています。
太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)
所在地の太田と、茶臼を伏せたような形から付いた名。堺市の一覧にもこの表記で載る。
三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
宮内庁が定める陵名。継体天皇の陵として、桃山陵墓監区事務所が担当している。
継体天皇陵古墳(けいたいてんのうりょうこふん)
治定にもとづく呼び方。堺市の一覧では太田茶臼山古墳(継体陵)と併記されている。
太田茶臼山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
宮内庁は、この古墳を第26代継体天皇の三嶋藍野陵として管理しています。宮内庁のページに記されているのは、代数・諡号・陵名・陵形・所在地までで、なぜこの古墳が継体天皇の陵なのかという根拠は示されていません。
いっぽう高槻市は、市内の今城塚古墳について次のように書いています。
今城塚古墳は、531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です
継体天皇の陵とされる古墳が、二つあることになります。ひとつは宮内庁が管理する太田茶臼山古墳、もうひとつは高槻市が真の陵墓とする今城塚古墳です。
今城塚古墳は掘ることができ、日本最大の家形埴輪や埴輪祭祀区が見つかっています。太田茶臼山古墳は掘れません。この差が、議論を一方に傾けてきました。
宮内庁の治定:第26代継体天皇
三嶋藍野陵として管理される。治定は行政上の扱いであり、学問的に確かめられたものではない。
学術的な見方のひとつ:継体天皇ではない
高槻市は今城塚古墳を、531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられるとしている。
断定できない:わかっていない
宮内庁のページは陵名と所在地を記すのみで、被葬者を確かめた根拠にはふれていない。
太田茶臼山古墳の大きさと形
堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングは、太田茶臼山古墳(継体陵)の墳丘規模を226メートルとし、第21位に置いています。所在地は大阪府茨木市太田と記されています。
前後を見ると、20位が奈良県の宝来山古墳(垂仁陵)で227メートル、22位が大阪府羽曳野市の墓山古墳で225メートルです。1メートル刻みで巨大古墳が並ぶ、混み合った位置にあります。
宮内庁は陵形を前方後円としています。それ以上の細かい規模、たとえば後円部の径や高さについては、公式ページで確かめられませんでした。
墳丘規模(全長):226メートル
全国での順位:第21位(226メートル)
陵形:前方後円
陵名:三嶋藍野陵
被葬者とされる天皇の代数:第26代
太田茶臼山古墳はいつ作られたか
太田茶臼山古墳の築造年代を記した公式ページを、確かめられませんでした。宮内庁のページは代数と陵名を記すだけで、年代にはふれていません。堺市の一覧も規模と所在地だけです。
ここが、この古墳をめぐる議論の核心にあたります。年代がはっきりしないのではなく、年代が合わないことが問題にされてきました。
高槻市は、継体大王の没年を531年としています。もしこの古墳が継体天皇の陵なら、6世紀前半に築かれたことになります。ところが高槻市は、今城塚古墳のほうを真の陵墓と考えられるとしています。
墳丘に入れず、掘ることもできない以上、この古墳の年代を公式の資料から確かめる手立てはいまのところありません。
太田茶臼山古墳の場所と行き方(観光情報)
淀川をはさんだ北側の一帯は、古墳の密度が高い地域です。北東の高槻市には今城塚古墳があり、こちらは公園として整備されていて、墳丘にも入れます。
継体天皇をめぐる二つの古墳を続けて歩くと、入れない陵と入れる史跡の違いが、そのまま体でわかります。
継体天皇 三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)
継体天皇 三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)の住所:大阪府茨木市太田3丁目
交通:(バス停)太田三丁目から徒歩約4分
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:陵墓として宮内庁が管理しているため墳丘には立ち入れない。拝所は原則として年間をとおして参拝できる
所在地は宮内庁が公表する大阪府茨木市太田3丁目です。宮内庁は行き方をバス停の太田三丁目から徒歩約4分とし、参拝時間を原則8時30分から17時までとしています。
大阪府にある宮内庁治定の天皇陵の多くは古市陵墓監区事務所の担当ですが、この陵だけは京都市伏見区の桃山陵墓監区事務所が受け持っています。府内でここだけ北に離れているためです。駐車場と料金は、公式の記載を確かめられませんでした。
太田茶臼山古墳の発見と調査の歩み
継体天皇の陵が、二つある
宮内庁は、太田茶臼山古墳を第26代継体天皇の三嶋藍野陵として管理しています。これは行政上の決定であり、いまも変わっていません。
いっぽう高槻市は、市内の今城塚古墳を「531年に没した継体大王の真の陵墓と考えられ」る古墳として紹介しています。自治体が、宮内庁の治定とは別の古墳を真の陵墓と書いている。これは珍しいことです。
どちらかが嘘をついているわけではありません。宮内庁の治定は江戸時代以来の伝えを引き継いだ行政上の扱いで、高槻市の記述は発掘調査の成果にもとづく学術的な見方です。性質の違う二つの判断が、並んで存在しています。
古墳を調べるとき、治定を事実と読み替えないことが大切になります。
掘れる古墳と、掘れない古墳
226メートルが意味するもの
堺市の全国の古墳大きさランキングで、太田茶臼山古墳は226メートルの第21位です。
上位を見ると、1位の仁徳天皇陵古墳から20位の宝来山古墳まで、大阪府・奈良県・岡山県の古墳がほとんどを占めます。その中に、大阪府北部からただ一基だけ入っているのが太田茶臼山古墳です。
百舌鳥・古市古墳群のような大きな群れに属さず、単独でこの規模に達しています。大王の墓が集まる地域から離れた場所に、200メートルを超える古墳が突然現れる。その不自然さが、被葬者は誰かという問いを呼び続けてきました。
同じ21位前後には、宝来山古墳227メートル、墓山古墳225メートルが並びます。
太田茶臼山古墳から出土したもの
太田茶臼山古墳の出土品について記した公式ページを、確かめられませんでした。宮内庁のページにも堺市の一覧にも、出土品の記載はありません。
宮内庁が管理する陵墓は原則として発掘できないため、公表される情報は限られます。同じ理由で、大仙陵古墳や誉田御廟山古墳についても、公式に確かめられる出土品の記載はほとんどありません。
太田茶臼山古墳と関連する古墳
太田茶臼山古墳についてよくある質問
太田茶臼山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁は第26代継体天皇の三嶋藍野陵として管理していますが、高槻市は市内の今城塚古墳を継体大王の真の陵墓と考えられるとしています。
太田茶臼山古墳はどこにありますか。
大阪府茨木市太田3丁目にあります。宮内庁は行き方をバス停の太田三丁目から徒歩約4分としています。
太田茶臼山古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市の全国の古墳大きさランキングでは墳丘規模226メートル、第21位です。後円部の径や高さなど細かい数字は、公式に確認できませんでした。
太田茶臼山古墳はいつ作られましたか。
築造年代を記した公式ページを確かめられませんでした。高槻市は継体大王の没年を531年とし、今城塚古墳を真の陵墓としています。
太田茶臼山古墳の中に入れますか。
入れません。宮内庁が陵墓として管理しています。拝所は原則として年間をとおして参拝でき、時間は原則8時30分から17時までです。
太田茶臼山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
治定(じじょう)
宮内庁が、どの陵墓が誰の墓かを行政上定めること。学問的に確かめられたことは意味しない。
真陵(しんりょう)
実際にその人物が葬られた本当の陵。治定された陵と一致しない場合に使われる語。
陵墓監区事務所(りょうぼかんくじむしょ)
宮内庁が陵墓を管理するために置く事務所。この陵は桃山陵墓監区事務所が担当する。
埴輪祭祀区(はにわさいしく)
埴輪を並べてまつりを行った場所。今城塚古墳の内堤で見つかり、注目を集めた。
太田茶臼山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。